ネットは「おおやけの場所」

今日は『駄文にゅうす』さんのところを見ていて思ったことを書こうかと。

  • 『嘘を嘘と見抜けないと難しい&ネタにマジレスかっこ悪い』の名言も過去のモノとなりました (『駄文にゅうす』5月17日(木))

http://ariel.s8.xrea.com/news/2012_05.htm#20120517
話題になった『虚構新聞』さんがらみのエントリーをまとめたものです。


で、自分は「ジョークサイト」や「だます・だまされる」や「情弱や情強」や「公人についての扱い」にはあんまり興味がないし、それについても書く気はなくて。
自分が書こうかなぁと思ったのは「みんな、まだオンラインの世界とオフラインの世界をわけておきたがってるんだなぁ」ということ。
別の書き方をすると「ネットをおおやけの場所だと思いたくない人がまだこんなにいるんだ」ということ。


前世紀ではネットはアングラの場所であり、知る人ぞ知る場所でありました。それは今世紀初頭もそんな感じだったと思います。
しかし安価で高速なネット回線が普及するにつれネットを利用する人は増加し、官庁や企業もネットにサイトを設け情報発信するようになりました。
そして今やほとんどの情報がネットから発信されるようになりました。
「インターネットを知らない」って人はほとんどいないんじゃないかと思います。
(利用する・しない、出来る・出来ないは別にしてね)


そうなることでネットがどうなったかというと一部の場所を除いて「アングラの場所」から「おおやけの場所」になりました。
もう、ネットというのは道路や公園や駅や広場と同じく「おおやけの場所」なんですね。


これがどういうことかというと、道路にツバを吐けば「マナーが悪い」と言われるのと同じということ。
ネットにツバを吐くような言葉を書けば「マナーが悪い」と言われるようにネット世界もなりましたよ、と。
つまりネットはもうすでに「おおやけの場所でおこなわれる、適用される、倫理観や価値観」で運営されてますよ、ということ。


mixiやなんかのように、友だちだけしか見られない、関係者しか見られない、プライベートの場所は自分で用意しなくちゃいけなくて、それ以外の「公開されてる場所」はすでにネットでは「おおやけの場所」なんですよ、今は。


そういう「おおやけの場所」で情報を流すとき、皆さんはどういうことをしてます? オフラインの世界では。
その情報を「おおやけの場所」に流していいか自分で考えて判断しますよね? 流して良いものかどうなのか。嘘なのか本当なのか。どういう影響が出るのか出ないのか。
自分は普通は考えると思うのですが。


でもオンライン、ネットを「おおやけの場所」だと考えられないって人もいて、自分で考えず、ただ興味を持って情報を流しちゃう。
そしてその情報が「おおやけの場所」にふさわしくない情報であれば炎上しちゃう。
自分は今回の騒動って、この「おおやけの場所」って認識不足が招いたんじゃないかと思います。
それが元々は善意や悪意や勘違いであっても。
それは元々の『虚構新聞』さんも、善意でツイートした人も、悪意でツイートした人も。


自分はネットリテラシーよりも「ネットはおおやけの場所ですよ」と教えた方が炎上は減るんじゃないかなぁと思いますが、どうでしょうか?


<PS>
マスコミが「マスゴミ」と呼ばれるようになったのも「おおやけの場所」だと考えればわかりやすいかな? と思います。
ちょっと調べれば嘘だってわかることを衆人環視下の「おおやけの場所」で言えばそりゃ批判されますって。
ネットは新聞と違い情報を流しっぱなしでは終わらないんですから。


<PS2>
「ネットはおおやけの場所」だとするならこの日記はなんなんだ? ということになりますが、実際のところ数年前から「おおやけの場所」であることを意識して書けないことも出てきてます。
「おおやけの場所」に書くにはふさわしくないなという自主規制。
ただ、自分は特に窮屈さを感じているわけではないし、不自由も感じてないし。
自分が「おおやけの場所」に窮屈さや不自由さを感じてるわけではないのだから、それは当たり前といえば当たり前の感覚なのでしょうね。