現代アメリカの「同志スターリン」

現代アメリカの「同志スターリン」: 白頭の革命精神な日記

 アメリカ上院の司法委員長が、ロシアのウクライナ侵攻を止めるためにはプーチン大統領を「暗殺するしかない」とツイートして批判を受けたといいます。
 都合の悪い現象を特定個人の人となりや言行に結び付け、その人物を死に至らしめることで解決しようとするやり口は、まさにスターリンの手口*1であります。
 グラム氏の発想は、プーチン大統領がロシアを意のままに操っており、その邪悪な意志を完遂するためにウクライナを毒牙にかけたという見方をしていると言わざるを得ません。個人の意志いかんで天下国家を自在に操ることができると見ているわけです。個人の意志や行動と社会現象との間が「地続き」になっているのです。
 ある意味でスターリンよりもひどいグラム氏の発言です。歴史の大きな流れを個人や少数の徒党が妨害することはあり得ますが、歴史の大きな流れを個人や少数の徒党が意のままに操ることはできません。あまりにも主観観念論的な見方です。

 勿論「非合法手段で論外」「米国大統領暗殺など米国政府要人暗殺を助長しかねない(勿論ロシアの犯行に限らない)」などという批判も可能ですが白頭先生は今回は別の観点から批判しています。
 それは「プーチン暗殺が、グラム氏の期待するような形で、ロシアを変えるかわからない」という観点です。俺も全く同感です。
 例えばケネディが暗殺されても彼が行ったベトナム戦争は継続されました(勿論、暗殺理由が何かはわかりませんが)。むしろトンキン湾事件(ジョンソン政権)を契機に軍事介入が拡大された。元韓国統監・伊藤博文が暗殺されても「韓国併合」は実行された(単なる事実の指摘であり、暗殺が無意味だったとして安重根を否定しているわけではありません。そもそも安も「併合阻止」が目的で暗殺したわけでもないでしょうし)。
 他にも「大久保利通(参議、内務卿)」「永田鉄山(陸軍統制派幹部。陸軍省軍務局長)」「朴正熙(韓国大統領)」「サダト(エジプト大統領)」の暗殺はそれぞれ「伊藤博文(首相、貴族院議長、枢密院議長など歴任)」「東條英機(陸軍統制派幹部。第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣)」「全斗煥(韓国大統領)」「ムバラク(サダト政権で副大統領。サダト死後、大統領)」という後継者を生み出すにとどまりました。
 多くの場合「政策」は「特定個人の意思」によるものではなく「政治集団(薩長藩閥、陸軍統制派など)」という「グループ」の意思による物であり、そのグループは「国民世論」「財界」など外部に支持者を持つことがほとんどです。
 従って「事故死であれ暗殺であれ病死であれ」トップが死んだからと言って「事態が変わる」とは限りません。
 勿論「毛沢東死後の文革終了」のようなケース(劉少奇国家主席、鄧小平副首相などが打倒されており、党主席・毛沢東の意思が大きい)もあるにありますが、今回のウクライナ侵攻が「プーチン個人の意思に過ぎない」と見なせる根拠は何もありません。
 そしてこうした「特定個人に過剰な意味づけをすること」はこうした「暗殺容認論」とは別に「英雄待望論(英雄によって全てが変わるという安直な楽観論)」という危険性もあるかと思います。

*1:まあ例はスターリンでなくても「中岡艮一(原敬首相暗殺)」、「相沢三郎(永田鉄山・陸軍省軍務局長暗殺)」でも誰でもいいとは思いますが。