こんにちは! もじもじトークの関口浩之です。今回は「ナール」と「ゴナ」についてお話します。
「ナールってなに?」「ゴナってなに?」って思った人、多いのではないでしょうか・・・・・・。
新種の野菜? それとも女子高生が使う流行り言葉?
「ナール」と「ゴナ」が書体名だと即答できた人は、印刷関係に携わっている方、もしくは書体が好きな方だと思います。
それでは、ナールとゴナという書体をご紹介します。
https://goo.gl/tZNsPP
この二つの書体を見て、「普通の丸ゴシック体と普通のゴシック体じゃん」と感想を持つ人が多いと思います。はい、それも、正解です。
でも、この二つの書体、日本語フォントの歴史上、ターニングポイントになった書体なのです。「ナール」と「ゴナ」という書体は、1970年代に発表されたました。
つまり、今から約45年前に制作された書体ということです。読者の中には、まだ生まれていない人もいると思います。では、当時の時代背景を考察しながら、お話を進めていきたいと思います。
●ナールとゴナが誕生した時代は……
これら書体を制作したのは、中村征宏さんという書体デザイナーです。前回の『筑紫書体の魅力について』のお話の中で、ナールについて、少しだけご紹介しました。
この二つの書体が誕生したのは1970年代ですので、まだ、DTP(デスクトップパブリッシング)が普及していない時代です。
僕は1960年生まれなので、ナールとゴナが誕生した当時、群馬県で高校生していました。
お小遣いを貯めて、桜田淳子や麻丘めぐみのレコード買って、「このジャケットの文字がかっこいいなぁ〜」と思ったりしたかもしれませんが、それらの書体にナールやゴナが使われていたとは、当時、気付きもしませんでした。
当時、「おっ、このキャッチコピーに、ゴナU、使ってるね」と分かる高校生は、まず、いないと思います……。
ところで、1970年代の書籍や雑誌、そしてレコードジャケットなどは、どのように「組版」されて印刷されていたのでしょうか?
※「組版」を、わかりやすく説明すると、文字や図版などを配置して紙面を構成する作業のことをいいます。活版印刷の活字を並べて結束糸で縛ったものを「組み版」と呼んだことに由来すると言われています。
●DTPソフトが登場する前は、どうやって組版していたの?
現在、雑誌や書籍を組版するための代表的なDPTソフトと言えば、Adobe InDesignになるかと思います。
そして、今から10年ぐらい前まではQuark XPressが全盛期の時代があり、その前は、アルダス社のPageMakerというDTPソフトが代表選手だったと記憶しています。
振り返ってみると、日本語を使って印刷物をパソコンで組版するようになったのは1990年前後と思われます。活字印刷の起源を15世紀のグーデンベルグ印刷術と考えると、DPTの歴史はたった30年ぐらいであり、まだまだ浅い歴史と言えますね。
では、それ以前は、どうやって、組版していたのでしょうか?
みなさんは、「写真植字」(略して写植)と言葉を聞いたことがありますか? DTPが普及する前は、写真植字機という装置で組版をするのが一般的でした。
写真植字機は、1924年に石井茂吉氏と森澤信夫氏により開発されました。そして、写研の前身である写真植字機研究所が1926年に設立されるのです。
では、写植とは、どんな感じで組版されるのか理解するために、こちらの写真をご覧ください。
https://goo.gl/VkBy3e
写植とは、文字盤で選んだ文字に、光源からの光を当てて(射て)印画紙に文字を一字ずつ焼き付けて、版を作る仕組みです。文字盤の文字が白抜き状態(ネガフィルムのような感じ)なので、光を当てると印画紙が文字が焼き付くのです。
モノクロ写真を紙焼きしているイメージです。僕は高校生の頃、天体写真をやっていたので、ネガフィルムに写った土星を印画紙に引き伸ばして焼き付けるという感覚だと感じました。
土星や木星ではなく、文字を紙焼きすると思えばいいですね。
写植における文字間や行送りは歯単位(1H=0.25mm)で調整できます。そして、文字盤にあるひとつの文字サイズから拡大調整(1Q=0.25mm)できるのです。
1950年代から雑誌が世の中に普及するにつれて、写植機も手動型から電算型に進化を遂げたました。当時の代表的な雑誌といえば、『暮しの手帖』ですね。
僕自身、写植機の展示を見たことはありますが、実際に使って組版したことはありません。写植機を操作してるすごい職人技の動画を見つけましたので、ぜひ、ご覧ください。
https://goo.gl/zOus56
メインプレートとサブプレートと呼ばれる文字盤から、瞬時に文字を拾う作業には、感動しました!
●ナールとゴナが大流行
写植で使われる書体と言えば、1960年代までは、石井○○という書体が中心だったと思います。僕が思い浮かぶ書体を並べて見ました。
1930年代 石井中明朝
1950年代 石井中ゴシック/石井中丸ゴシック/石井中教科書
1960年代 上記各書体の太ウエイト/特太ウエイト、岩田新聞明朝
それまでの明朝/ゴシック/丸ゴシックと言えば、これらの書体が一般的だったと思われます。
そんな中、中村征宏さんが制作した「ナール」が1972年に、第1回石井賞国際タイプフェイスコンテストで第1位を獲得し、翌年、手動写植機用文字盤として発売されました。
そして、その後、1975年に「ゴナU」が登場するのです。
そこで、僕が持っている写真植字の見本帳(1977年版)から、従来の写植文字と、中村征宏さんが制作した「ナール」と「ゴナU」を引用して紹介します。
https://goo.gl/WmqutZ
これをみると、「ナール」と「ゴナ」は、従来の文字と比較してモダンであり、インパクトがあり、優しさも感じられます。それでいて、とてもバランスがいい書体なのです。
1970年代にアートディレクションをしていた方から、「こういう書体を待っていた」「この二つの書体に未来を感じた」「ナールとゴナに衝撃を受けた」という、当時の感想をよく耳にしました。
そして、1970年代の代表的な写植文字を掲載しましたが、ほとんどが中村さん
の書体のウエイト展開になっています。
1973年 ナール
1974年 ナールD
1975年 ゴナU、ナールL、ナールM、ナールO、本蘭明朝L
1977年 ナールE
1979年 ゴナE、ゴナO
その時代のニーズとして、ナールとゴナという書体を求めていたということが、良くわかります。
デジタルフォントが登場する1990年代までは、この二つの書体は、雑誌に限らず、広告、ポスター、鉄道のサインシステム(案内板)など、あらゆるシーンで使われるようになりました。また、テレビのテロップなどでもたくさん使用されていたようです。
先ほどの文字見本をよくみると、ナールもゴナも、仮想ボディ(正方形の枠)に対して字面(実体として文字)はかなり大きめに設計されています。
そのため、視認性(ぱっと見てすぐ分かる)がとても良いのです。かといって、字面が大きければいいというわけではなく、縦組みでも横組みでも文字を並べた際に、調和が取れるように緻密に計算されているのです。
●中村征宏さんにお会いして
先月の2月26日に、大阪で開催された『和文と欧文』セミナー、〜看板文字と中村書体・ナールとゴナと中村書体〜に参加しました。
http://www.wabun-oubun.net/event_info/archives/241/
以前から、ナールとゴナは、とても気になる書体だったので参加しました。実際に中村さんのお話を聞いて、45年前に制作された書体がますます身近に感じられ、とても幸せな一日でした。
当時の書体制作は、筆とガラス棒と溝引き定規を用いた完全なハンドワークでした。まだパソコンのなかった時代です。
中村さんは写植文字の設計に携わる以前、看板職人業に携わったり、テレビのスーパーやテロップの手描き文字を手掛けていたとお聞きしました。
限られたスペースの中で、見やすい文字はどうあるべきか、べた組みでもバランス良く調和できる文字とは、を40年前に設計していたことを知り、本当に驚きの連続でした。
「ナール」の誕生以降、多彩なバリエーションの書体、そして、いままでになかったデザイン書体などが加速的に増えたような気がします。
中村さんの「ナール」という書体の登場が、それ以降の写植書体、そして多種多様なデジタルフォント時代に向けてのターニングポイントだったのかもしれません。
【せきぐち・ひろゆき】[email protected]
Webフォント エバンジェリスト
http://fontplus.jp/
1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。
その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。
小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。