🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

「売上100億円」という基準でスタートアップのアイデアの良し悪しを見分ける

「スタートアップを目指すにしては市場が小さいように見える」と投資家から指摘されたことのある起業志望者の方も多いのではないかと思います。こうしたコメントの背景には単純な計算があります。そのロジックを知っておくことで、自分自身でスタートアップのアイデアの良し悪しを多少判断できるようになるかもしれません。

そこで今回は、昨今日本でスタートアップが増えているB2B SaaSを例に挙げてそのロジックを解説します。

売上100億円が一つのマイルストーン

スタートアップとは急成長する企業だと言われます。では実際にはどの程度の企業になることを期待されているでしょうか。

目標通過地点の一つは100億円の年間売上 (ARR $100M) だと言われています。日本だと一桁少ない売上でもグロース市場に上場できますが、上場後も成長を求められるので、100億円を目指すというのはそこまで変わらないでしょう。

別の角度から売上100億円というのを見てみます。

スタートアップなら1000億円ぐらいの時価総額での上場を目指すことになります。

上場後の時価総額の相場はSaaSならPSR(時価総額と売上の比率)で10~20倍前後が相場だと言われており、低めの10倍で見てみると、1000億円の時価総額のためには100億円の売上が必要です。

また PER(時価総額と利益の比率)は 15 ~ 20 倍ぐらいになる傾向があります。20倍だとしたら、1000億円の時価総額になるために利益は50億円程度必要です。利益率が50%というビジネスは中々ないので、せめて100億円ぐらいの売上はないと厳しい、という判断になります。

なので、VCから投資を受けるようなスタートアップを作りたいと思っている場合、(可能性は低くても)将来的に売上100億円に到れそうかどうかがスタートアップのアイデアかどうかを判別するカギとなります。

市場の大きさを考える

そのためには当然、100億円以上の市場があることが前提となります。

日本の市場規模の調べ方としては、市場規模マップや、より細分化された市場では調査会社が出しているレポートなどがあります。その市場の何パーセント程度を取れれば100億円になるのかを計算すれば、簡便な検算にはなります。ただし調査会社のレポートでは市場規模(特に予測)は大抵大きめに出がちなので注意してください。

これは本当に簡単なトップダウンでの計算の方法であり、ほぼ理論値の限界を見ているにしかすぎません。この数値だけでスタートアップのアイデア足りうるかを判断するには早すぎます。

やるべきなのはボトムアップの検算です。ボトムアップの視点でスタートアップとして成立するかどうかを見てみましょう。

顧客単価と顧客数を考える

年間売上100億円を達成するために必要な顧客単価と顧客数を単純計算すると以下のようになります。

顧客単価(年)

必要な顧客数

100億円

1社

10億円

10社

1億円

100社

1,000万円

1,000社

100万円

10,000社

10 万円

100,000社(人)

1万円

1,000,000社(人)

(月間ではなく年間の顧客単価であることに注意してください。)

先ほどの表と同様のことを表現している、以下の図を見たこともある人もいるのではないでしょうか(ちなみに2019年にアップデートされています)。

f:id:takaumada:20210914211314p:plain

The Angel VC: Five years later: Five ways to build a $100 million SaaS business (christophjanz.blogspot.com) より

当たり前ですが、年間の顧客単価が大きければ大きいほど、100億円に至るために必要な顧客数は少なくなり、逆に顧客単価が小さければ小さいほど、必要な顧客数は大きくなります。

たとえばSlackのような企業は、月額850円(年1万年程度)からの単価です。そのため、年間100億円の売上に至るには100万人に販売しなければなりません。現在は約900億円の売上があるため、実際に数百万人に売っているのでしょう。ちなみに2014年に公開されたSlackが売上100億円に達したのは2016年です(初年から12億円程度の売上がありました)。

一方、Palantir のような企業は125の顧客から一社平均600億円の売上を上げているそうです(SaaSとは言い難いかもしれませんが)。1社から100億円の案件を獲得して売上100億円を達成する例と言えるでしょう。

100億円を達成する方法は様々あるということです。

顧客単価の大きさは課題の大きさ

このとき、顧客単価の大きさは、顧客にとっての課題の大きさとも言えます。

課題の大きさは「ペインの深さ」と課題が起こる「頻度」 でおおよそ決まります。課題の頻度はGoogleの「歯ブラシテスト」に倣って、1日3回ぐらいであれば高頻度と考えてください。経費精算は月に1度なので比較的低頻度になり、旅行であれば半年に一回程度で低頻度です。

顧客単価が大きくなるにつれて、解くべき課題は大きくなる、という認識で以降をご覧ください。

顧客単価 年1万円の場合

この価格帯は比較的小さな課題や、もっと安価な代替品や無料の代替策で何とかなる課題を解決している領域です。

もし月額1,000円のSaaSやB2Cサービスの場合、年間だと1.2万円の売上となります。表では一番下のラインに該当し、約100万社(人)という広い範囲からの課金が必要です。ただ、この価格帯は企業単位の課金ではなく、Slackなどのようにシート単位の課金になるでしょう。その場合でも100万人のユーザーです。

この価格帯で産業特化型のSaaSを考えた場合、その業界に100万人の就業人口がいるのかがまず問題になります。一つの業界といっても、その中にも営業の人もいれば、技術の人もいて、全員が使うとも限らないので注意してください。そうなると、産業特化で100万人を満たすのは難しくなります。

つまり月額1000円という価格設定は、業界横断のHorizontalなスタートアップ、海外展開前提のスタートアップでない限り、成立させるのはとても難しい価格帯となります。

f:id:takaumada:20210914091431p:plain

産業別就業者数|早わかり グラフでみる労働の今|労働政策研究・研修機構(JILPT)

顧客単価 年10万円

年間10万円払うサービスは、生活必需品を除けば、個人だと切迫した課題を解決するもの(学習、美容、出会い)か、娯楽(漫画、旅行)、人付き合い系(贈り物など)でしょう。

企業向けだと、Mailchimpなどのメール配信システムなどがこの価格帯です。10万円はそれなりに切迫感がある課題ですが、そうした切迫した課題を持つ 10万人の顧客が必要です。

企業向けサービスの場合であっても、その業界に十分な社数があるのか、という問題が出てきます。たとえば社数が多いと思われる製造業でも、全国で約66万社です。「製造業」というくくりは大きすぎるので、より細分化してみてみると、10万社ある業種はありません。単価10万円だと10万社必要だと書きましたが、それを満たせる業種も中々なさそうだということです。こちらも海外展開などを考える必要があるでしょう。

顧客単価 年100万円

月額10万円(年120万円)のサービスだと、B2Cだと住居費など生活に欠かせないもの、そしてB2Bでも月10万円以上の効果を発揮するような業務効率化や、月10万円以上の利益を増すためのツールとなってきます。その場合でも1万社必要です。

年1000万円以降は省略しますが、考え方は同じです。課題が大きくなり、必要な顧客数は減る、という形になります。

----

スタートアップは5~10年後の市場を見ているため、現時点でこれだけのユーザーや企業がいる必要はありません。ただこの価格帯の場合、5~10年後に、この顧客数とこの顧客単価を達成できるどうかがスタートアップのアイデアと言えるかどうかの最初の判断軸となります。*1

ここまで、どのような単価を設定するかによって、売上100億円の目指し方は大きく異なってくることを見てきました。ここからは単価をどこに設定するかで、どれだけ実現性があるかが変わってくることを考えます。

100億円を実現するためのディストリビューションを考える

実現性を考えるときはディストリビューションに注目します。ディストリビューションはビジネスの拡大にとても大事で、避けて通れないからです。そして単価によって、取りうるディストリビューションの手段が大きく変わってきます。

顧客単価1万円の製品のディストリビューション手法

この価格帯の製品で可能なディストリビューションの手段も限られます。基本的にはマーケティングかつセルフサーブです。

顧客単価10万円の製品のディストリビューション手法

ここも基本的にはマーケティングかつセルフサーブです。インサイドセールスであれ、人をつけると基本的には赤字になる価格帯です。

顧客単価100万円の製品のディストリビューション手法

年間100万円の単価で1万社を獲得する、という手もあります。ただしこの価格帯の場合、営業手段が限られてきてしまい、苦しい戦いになりがちです。

LTV/CAC = 3 以上が健全なユニットエコノミクスだと言われますが、仮に平均5年契約してくれるとしたら、年100万の顧客単価でもLTVは500万円となり、かけられるCACは167万円となります。セールスサイクルがとても短ければダイレクトセールスを使えるかもしれませんが、1万社だと地理的にも分散していることが多いため、基本的にはインサイドセールス、もしくはマーケティングが主な顧客獲得・維持手段となるでしょう。

しかしこの単価の商品をこうしたディストリビューションの手段でうまく行える企業はそう多くありません。なのでセールスしやすい優れた製品か、一度顧客がサービスを入れたらしばらく何があっても変えないような粘着力のある製品にしてLTVを伸ばす、などの対応が求められるでしょう。

顧客単価1000万円の製品のディストリビューション手法

1000万円以上になると、ようやくいろいろなディストリビューションの手段を使えるようになってきます。ダイレクトセールスとインサイドセールスの組み合わせなどもできます。

そしてこの価格帯になってくると、契約を取るのは難しくなりますが、チャーンレートは下がります。一度入れば長く使ってくれやすい、という価格帯です。

f:id:takaumada:20210914093842p:plain*2

 

これ以降の金額帯も同様なので省きますが、顧客単価によって取りうるディストリビューションの手段が異なるという点は押さえておいてください。

 

顧客単価から考える戦略

ここまで実現性などを考えてきましたが、今回例に挙げたSaaSなどのスタートアップを狙う場合 、

(1)最初から1社あたり年間1,000万円の売上を狙える、大きな課題に挑む

という方策が、実はバランスの良い現実的な方法と考えられます。

話を聞いていると、多くの人が安い単価で多くの人に売るモデルを考えてしまいがちなようです。普段個人としてはそうしたB2CやHorizontalなサービスにしか触れる機会がないことも要因としてあると思います。しかしその発想では100億円に至るのはなかなか難しいため、価格帯を上げていくほうが実行性は高まるように思います。

年1,000万円のサービスと聞くと高いように思えるかもしれませんが、顧客側にとってみれば従業員を二人雇えばそれぐらいの金額に行く業界もあるでしょう。そう考えると、納得すれば払ってもらえる金額感でもあるはずです。

とはいえ、もちろん他にもやり方はあります。たとえば、

(2)最初は安い単価の製品で参入し、その後に高価格帯に移行できるような戦略を作る

ということを行えば、最初の単価は低めにしてSMBなどを狙い、そこで実績を作ったらエンタープライズに行くなど、次第に高単価を狙っていく、というシナリオを描くこともできます。Salesforceなどはこうした手法を取っていたようです。また、一つの製品を皮切りに、その際にある高付加価値な製品につなげていくということもできるでしょう。たとえば請求書周りを取ってから、その周辺の金融ビジネスをしていく、といったように。

ただ、こうした展開シナリオがそれなりに説得的でなければ、現状のプライシングの延長線上で考えられてしまい、売上100億円には達成できそうもない、という判断になってしまうかもしれません。ちなみに上に金融を組み合わせるモデルを例に挙げましたが、安易に金融を組み合わせるのは「本気? それとも夢物語?」となりがちなので注意してください。

その他にも、

(3)人(=シート)単位の課金ではないビジネスモデルを狙う

という手段があります。業界で働く人の最大値はそれほど急激に変わりませんが、シート以外の流通量や利用総量は変わるかもしれないからです。実際、最近は従量課金のスタートアップも増えてきています。

 

ただしそれぞれ難しい点があります。

(1)は大きな課題は解決しづらいからこそ解決されずに残っているのが通例です。それにこの額を払えるのはエンタープライズであり、起業数は絞られ、最初の契約までも長くかかります。

(2)の場合は高価格帯へ行くための戦略がとても重要になります。たとえば最初は安く入ってあとから高くするために、どのような戦略でそのステップを踏んでいくのかの説得力が必要になります。またその戦略がどれだけよくても、最初の一歩である最初の製品が成功できないので、最初の製品の出来も当然見られます。もし単独の製品の値上げをしていく場合、単独のプロダクトラインで後から高価格帯にするといっても、最初の価格の100倍にはなかなかできないので、最初から年間100万円程度は狙っていく必要があるかもしれません。

(3)の場合はテイクレートとして何パーセント取るか、従量課金としてどれぐらい取るかによって、どれだけの流通総額が必要なのかが決まるため、それだけの流通総額や利用量がある領域かどうかが見られます。

 

最初の2年で売上5,000万円を目標にする: T2D3前提の目標設定

次に売上100億円に至るまでの時間軸を見てみます。

SaaSのスタートアップの成長率はT2D3を目指すようにと言われます。T2D3はTはTriple、DはDoubleの略で、3倍、3倍、2倍、2倍、2倍といった年間成長率のことです。この通りに成長すると5年で合計72倍の成長をします。かなりうまくいくケースでこの成長率です。

売上5000万円からT2D3の成長率の軌道に乗ったとすると、うまくいってその5年後に売上36億円になります。その後、1.4倍成長が3年続けば約100億円です。ここで合計8年かかります。

起業から上場までが大体10年とすると、最初の約2年で売上5,000万円に到達できて、5年間をT2D3で成長して、そのあと残り3年は少し成長スピードが落ちてもなんとか100億円になりそう、というような計算になります。SaaSは最初時間がかかる傾向にあるため、最初に2年程度かかるのは不思議ではありません。

ただしどこからT2D3なのか次第で変わるので、あくまで一例とお考え下さい。とはいえそこまで大きく外れた数値ではないと思うので、起業時から2年で5,000万円の売上をプロダクトで出せるかどうか、というのも、一つのチェックポイントとして考えてみると良いでしょう。

 

まとめ

ということで、SaaS のスタートアップのアイデアを考えるときには、

(a) 年間100億円の売上になりうるかどうか

(b) そこに至る方法としてどの道(単価)を選ぶのか

(c) 数年後までに売上5000万円~1億円を達成して、その後T2D3で成長していけるのか

を自分自身でチェックしてみると、今考えているスタートアップのアイデアとして機会を追求するべきか捨てるべきかが見えてくるように思います。

 

いくつか注意点があります。

この計算はUSのSaaSの考えをベースにしています。日本だと少し考え方が異なる部分や数字もあると思いますし、かなり単純化をしてはいます。とはいえ基本的な考え方は同じだと思います。アイデアを思い付いたとき、こうした簡単な計算をしてみると、(十年後の)良い市場を選ぶヒントになるかと思い、書きました。

なお、SaaSビジネスよりももっと利益率が低いビジネスの場合、売上ではなく利益で見る(PSRではなくPERで見る)など、もう少し別の視点が必要になることもあります。また人材紹介などの労働集約的なビジネスの場合もこうした計算とは少し異なると思いますので、あくまで利益率の良いIT系での話だということには注意してください。逆にハードテックの企業の場合は、技術への期待からPSRがもっと高い場合もあります。

数年に一度現れる例外的なスタートアップはこうした計算の枠に収まるものではありません。何かの地殻変動が起こっているときは、異なる考え方をした方が良いでしょう。ただ現在取り組まれている多くのスタートアップの領域、特に業界特化の領域では、一つの参考となる計算になるのかなと思っています。

 

最後になりますが、ほとんどのアイデアはこの基準を満たしません。ただし、満たさないからと言ってダメなアイデアというわけではありません。スタートアップでなくても素晴らしく意味のあるビジネスはたくさんありますし、SaaSであってもほとんどのビジネスはVCからの投資を得ずに進めていく方が良いように思います。今回の話はあくまでVCから資金調達をするようなスタートアップを狙うとしたら、という話をしたものとお考え下さい。

参考になる資料

*1:B2Cは一気にユーザーが増える、つまり行動を変える人が増える可能性はありますが、B2Bでは雇用数はそこまで大きく変わりません。産業別の従業員数や雇用者数は統計資料が参考になります。

*2:State of the Cloud 2019 · Bessemer Venture Partners (bvp.com) より