物語る亀

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物語愛好者の雑文

『きみの色』感想&考察 山田尚子過去作品・キリスト教・信仰の考察

 

今回は『きみの色』について語ります

 

なんだか急に語りたくなったんだよね

 

(C)2024「きみの色」製作委員会

 

 

カエル(以下カエル)

2024年も年末ですけれど、なんで急に夏に公開した『きみの色』を語るの?

 

主

歩いていたら、色々と思いついたから

 

カエル「この年末、あまり数は見れてないけれど年末恒例の年間映画ベストランキングとか、あるいは語り忘れた良作とかの記事をアップするとか、色々とあるのに……」

 

主「この寒空の中でさ、外をトコトコ歩いているんだよ。

 そうしたらなんとなく考え事をしていて……そのうちに『きみの色』のことに考えが及んで、ようやく自分の中での解釈というか、答えが見つかった気がした。

 今更語ることで『目から鱗がおちる新発見!』とか、そういうのはないよ。

 ただ、色々と語っておきたいことがあるってだけでさ」

 

語り足りない部分があるってことなんだね

 

ちなみに、過去記事は読み返してない

 

カエル「もう劇場公開も終わったし、配信もソフト発売も前だから、かなり記憶に頼るところになっていくけれど……」

 

主「だからこそ新鮮な気持ちで今は記事を書ける気がする。

 まあ、年末だしさ。『心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ』って感じで、ダラダラと語っていこうか」

 

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山田尚子の過去作と『きみの色』の比較

 

『きみの色』の個人評価

 

まずは『きみの色』に対してどのような評価だったのかを、改めて振り返りましょうか

 

正直、いまいちピンとこないって感じだったかなぁ

 

カエル「うちは山田尚子ファンだと自称していますが、2024年で最も注目していた作品なのにも関わらず、それでもピンとこなかったんだね」

 

主「そうねぇ……色々と理由はあって、それを制作スタジオとの相性による、作風の変化とも思ったけれど……多分、それだけじゃないんだろうなって。

 確か前回の記事でも語ったけれど、写実主義の京都アニメーションと抽象主義のサイエンスSARUって感じで、目指しているスタイルは真逆に近くて、だからこそ面白いけれど”山田尚子作品だから”って理由もあるのか、そのサイエンスSARUが持つケレン味が薄くなっているような気がしたんだよね。

 それもあって、かなりチグハグとして印象があった」

 

ふむふむ……映像スタイルと監督の作家性というか、過去作のスタイルとの不一致ね

 

あとは……声の演技とかかなぁ

 

カエル「山田作品の過去作映画は、基本的には声優演技だったけれど、今作は芸能人声優だったもんね」

 

主「芸能人だから全部悪いというつもりはないけれど、今作は自分にとってはあまり好きな演技ではなかったし、正直ノイズだった。英語吹き替え版で観たいな、と思ったほど。

 大作オリジナルアニメ映画によくあるプロモーション含めた声優選びの話は、まあ色々な意見があるんだろうけれど、今作だけで言ったら自分は失敗していると結論つけたかな」

 

 

 

過去作の物語のスタイル

 

それらが理由で、あんまりハマらなかったのでは? と

 

ただ、それだけが理由ではないんじゃないかな? っていうのが、この記事なわけだ

 

カエル「ふむふむ……それ以外の理由、と。

 それは物語面で?」

 

主「そう、完全に物語面で。

 山田尚子作品の過去作は、大きく分けて2種類に分けられると感じている。

 

  • 少女たちの日常を愛好する作品 → 『けいおん!』『たまこマーケット』『たまこラブストーリー』など
  • 人の業や罪をも肯定 → 『映画 聲の形』『リズと青い鳥』『平家物語』

 

物語に関してはこの2種類の作家性を併せ持つと感じている

 

カエル「一般的には1の、少女たちの日常を扱った作家という印象が強いのかな」

 

主「1は1で魅力があるんだけれど、自分が好きなのは2の方なんだよね。

 『映画 聲の形』『リズと青い鳥』と、あとはTVアニメだけれど『平家物語』に話を絞ると、これらの作品の登場人物たちは決して綺麗なだけの存在ではない。

 むしろ、どちらかというと罪のような、後ろ暗い感情を背負っている。

 『映画 聲の形』はイジメをして人を傷つけたという罪の他にも、人とわかりあうことを拒否するという罪。

 『リズと青い鳥』は才能という抽象的ながらも現実の問題にぶつかる2人の少女を中心とした、様々な意味での情欲が入り混じった物語。

 『平家物語』は社会を統べてきた平家の奢りとその滅びを描いているわけだ」

 

 

 

『きみの色』の物語に対する個人的な違和感

 

ふむふむ……決して美しいだけの話ではないと

 

それでいうと『きみの色』は自分にとっては違和感がある

 

主「それは、この作品の登場人物たちが”美しすぎる”ということなんだよ」

 

カエル「美しすぎる?」

 

主「この作品の登場人物たちは、とても純粋で美しい感情を抱いているし、この映画の中ではほとんどそのような部分しか出てこない。

 自分はそれを”現実が出てこない”という風に形容してしまうかな。

 つまり、現実にあるような感情……嫉妬、怒り、哀しみなどのような、負と言われるような感情はほとんど描かれない」

 

それは、先に挙げた1の作品群と同じだからではなくて?

 

いや、むしろ積極的にそこを避けたというべきだではないだろうか

 

主「実はそういった現実にあるような、負の感情が芽生えそうな設定はいくらでもある。

 例えばきみの退学した設定というのは、現実で考えればとても大きな出来事だし、負の感情が芽生えたり、暴れたりするだろう。だけれど、それは全く物語の中では発揮されない。

 他にもルイの高校生離れしているとも言える、家族への気持ちの描写が敢えて少なく描かれていたり、あるいは性的なものも含めた感情の皆無さ。それがいいという意見もあっただろうけれど、同学生の女子と一緒にいて性的な眼差しが一切発揮されない、ある種の幼児的とも言える純粋さを持っている」

 

この映画の登場人物は、みんな綺麗で、純粋で、明るくて、未来を見つめているように描写されている

 

カエル「けれど、状況を考えればそれは不自然だと?」

 

主「自分は不自然だと思う。

 その原因を……例えば『大作オリジナル映画だから誰でも観れるようにした』だったり、あるいは『有名プロデューサーが横槍を入れた』という風な、イチャモンというか考察という名の怪文書を書くことだって可能ではあるけれど、この記事ではそれは問わないというか、調べてもないからわからない。

 でも1で挙げた中でも『たまこラブストーリー』は綺麗な恋愛ドラマと同時に、抱える以外にはどうしようもない愛情・情欲も描いたわけで、それが”現実”というか……そういった感覚を捉えていたけれど『きみの色』は一切と言っていいほどないから、それが不満なんだよね」

 

業の肯定

 

だから、この物語に引っ掛かることがなく、スルリと抜けていったのではないか、ってことだね

 

映像は超一流なんだけれど、物語は何かがあるわけではないんだよね

 

主「それでいうと……立川談志の言葉だけれどさ、それまでの作品にあった『業の肯定』が今作からは無くなっているんだよ」

 

カエル「『落語は業の肯定』という言葉だね。

 人の欲だったり、ドジなところなどのダメな部分を愛する気持ち、とでもここでは解釈しようかな?」

 

主「物語作家としては山田尚子は少女の変化を捉えると同時に、業の肯定、つまり人の弱さなどを認めてあげる物語を描いてきたというのが自分の解釈。

 それでいうと、今作はその業が描かれない。

 だから、肯定すべきものがなくて、キラキラした映画になってしまっている。

 それが『きみの色』という作品の特徴になっているのではないだろうか」

 

 

 

 

キリスト教映画としての『きみの色』

 

信仰と祈り

 

その業を肯定する手段として、映像的には過去作も信仰・あるいは祈りというものが使われていました

 

場をキリスト教の教会に見立てる演出というのが、かなり多かったんだよね

 

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

『響け!ユーフォニアム2』4話より ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

場を教会に見立てる手法

 

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

『映画 聲の形』では扉を十字架に見立てて、罪を背負うモチーフを生み出す。同時に”罪を背負うキリスト”を連想させる構図

 

山田尚子作品の必殺技とも言えるのかな

 

カエル「監督個人の宗教上の信仰などはわかりませんが、信仰というテーマを大事にされているのは間違いないよね。

 十字架はシンメトリーだしデザインも優れていて、メタファーとしてどこにでも出しやすい象徴であり記号だから多用しているとしても『平家物語』も仏教などの影響や出家という方法での信仰、あるいは物語に対する”願い”を描いていたよね」

 

主「その意味では、上記の分類分けをした中で2の作品は特に”信仰の話”という側面を併せ持つ。

 これは山田尚子の作品が人生の肯定を1つのテーマとしているからこそ、それに直結するモチーフとしての信仰・罪と赦しがあって、その罪として様々な思いが……恋愛も含めた情念などが、そこで出てくる」

 

 

 

 

信仰と長崎

 

それでいうと『きみの色』の舞台が長崎というのもとても大事なんだね

 

日本で最もキリスト教の影響が強い場所の1つだからね

 

カエル「長崎は江戸時代初期から出島などの地域で南蛮貿易が行われていた歴史的経緯もあり、特にキリスト教信仰が篤い場所として知られています。

 当時は制限貿易などもあり、密輸なども横行するなどの幕府・及び長崎奉行は長年貿易問題に頭を悩ませていました。

 同時にキリシタン禁制の話題になりますが、17世紀に入った江戸時代中期ごろになると、キリシタンをほとんど見たことがない長崎の役人は、宣教師シドッチを宣教師と判別するのにも時間がかかるようになります。

 このようにキリスト教も含めて、東アジア・東南アジア系の船乗りなども混在し、非常に多様な民族や文化が入り乱れたということも示しています」

 

だからこそ、近年のオリジナルTVアニメである『REVENGER』が成立するわけだ

 

 

主「ここで重要なのは、長崎はキリスト教という宗教的にも重要な土地であるのももちろん、文化や世界の品物が入る数少ない場所であり、多様な地域であったということだ。

 実際に現在も長崎教区は日本の中で割合で見ると、最もキリスト教徒の割合が多いと言われている」

 

kirishitan.jp

 

変わった品物が入る街だったということを考えれば、今作でテルミンを用いたバンドというのもそうかもね

 

単に目を引く・映像や音楽に個性が宿るというだけでなく、長崎の混在しやすい文化に合った演奏スタイルということもできるだろう

 

主「だから今作も、宗教的なモチーフはこれでもかと、わかりやすく出てくる。そこには祈りであり、願いというもの込められているし、それがテーマの1つであるということができる。

 ラストの音楽によって混ざり合っていくということも含めて、長崎という土地だからこその物語だ」

 

 

 

 

告解〜罪を抱くということ〜

 

だけれど、うちとしての違和感がここにつながると

 

結局は同じことを語るんだけれど、やっぱり”罪”が描かれないからね

 

カエル「罪……つまり、現実的な出来事だったり、後ろ暗い感情だったり、誰にも言えないような秘密だったり……」

 

主「罪というととても……犯罪とか、そういうことを連想するかもしれないけれど、そうではなくて……何というかな、自分の感覚を伝えるならば”個性”という言葉の方が近いかもしれない。

 人と人が関わると何らかの感情が発生する。

 それはプラスの感情、つまり愛情・友情・信頼などがある。同時にマイナスの感情である……嫉妬・独占欲・慢心・怠ける気持ちなども登場する。キリスト教の罪は、仏教でいうところの煩悩、とも言えるかもしれない」

 

そういったマイナスの感情や気持ちを、もっと大きく描いてほしかったと

 

言葉としては”マイナス”というけれど、それはとても大切な個性なんだよ

 

カエル「マイナスな感情が個性?」

 

主「例えば嫉妬・独占欲は確かに悪い感情だけれど、逆に言えばそれは相手や物に対する大きくて強い思いの裏返しだ。

 愛情深い、というとプラスの感情だけれど、それと裏表と言えるかもしれない。

 逆に達観しているというのは煩悩がない状態でプラスのようだけれど、何にも執着することができないという意味では、他者に対して興味がないということもできる。

 キリスト教のように語ると全ての人間は原罪を抱いている。

 それでいうと『きみの色』は原罪というか、マイナスな感情が少ないんだよね」

 

それが”人間としての個性”が薄いように感じられた要因ではないか、と

 

厳しく言えば、表面的な美しさのみで構築されて、人間の”感情”が描かれなかった

 

主「赦しがテーマというのはとてもいいのだけれど、重要なのは”告解”なんだと思う。

 トツ子の信仰は篤いのだけれど、その罪は決して大きくない。いや、大きくなくてもいいというテーマはわかるし、それが人生というのもわかる。

 だけれど罪を赦されるという物語においては、やはり抱えている罪の大きさが重要で、それが日常的な原罪であるとしても、そこに対する描かれ方によるのだろう。

 それでいうと、今作の告解は日常の罪の告白であり、映画・劇場という”特別”なドラマを見せる場としての強烈さが感じられなかったのが、自分の違和感に繋がっているのかもしれないね」

 

 

 

最後に

 

というわけで、ダラダラとした記事も最後になりますけれど……

 

多分、こう思うのは自分が『悪人正機説』にシンパシーを抱いているからだろう

 

カエル「浄土真宗を立ち上げた親鸞の言葉だよね」

 

主「世界各地に宗教家がいるけれど、自分は親鸞の言葉が最も印象深い。

 『善人なおもて往生とぐ。いわんや悪人をや』

 善人だって往生するのだから、悪人だってするに決まっている。つまり『正しい人、善良なる人が往生する』という思想ではなく『悪人だって往生する』という、万人を救おうとする思想だろう。

 モラルを考えると違和感があるかもしれないが、でも全ての人間には煩悩がある。善なる部分もあれば、悪なる部分も持ち合わせる。だから浄土真宗は出家しても妻帯も許されるけれど、それは色欲という人間の欲望の肯定でもある」

 

世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。

 

 

捻くれているようだけれど、やっぱりこの言葉が1つの真理ではないか

 

主「それでいうと、自分には『きみの色』は美しすぎたし、悪人であり、煩悩にまみれた自分には届かない作品だった。

 だけれどだからこそ美しい映画でもあった、ということがこの記事の結論かな」

 

 

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