heartbreaking.

中年の末路とその記録

色々

トップガンマーヴェリックで戦闘機の魅力に気付いてアマプラで元祖を飽きるまで視聴しようとしたが飽きる気配がない。古いほうのトップガンは機体を撮影する角度に恋した。たとえば空母に着艦するシーンの撮る角度に海の映り込み方が気に入ったので巻き戻してもう一回とか。甲板作業員の点検ヨシの合図もいちいち型にはまってるので調べたところレインボー・ギャングと呼ぶらしいです。(戦闘機についてはまるで無知なのでAIにこの文章も書かせたほうがよい気がした)どっかの地点から戦闘機に対する愛が自分の中で張り裂けそうで装甲の張り合わせのつなぎ目にすら痺れるようになってた。戦闘機に抱かれたい、これがロマンか。言葉に言い尽くせない憧れを背負って今夜も画面の中で飛び立つ。だけど現実はエースコンバットをプレイするにとどまるんだろうな。厳しいだけでなく才能を評価することも忘れない上官達がクールで特に序盤の↓上官が好きである。ここから物語が始まる。

海外には魅力的な俳優が多い。そういうのをアマプラで探すのが趣味になってる。これは1941年の映画「血と砂」のリタ・ヘイワースです。主人公の心を弄ぶ悪女役です。作品自体もただ恋愛ものでなく闘牛士の人生を描いた一冊の本読み終えたのかと思うくらいのボリュームはあります。昔の映画なので闘牛士としてのシーンは少な目ですけど主演はタイロン・パワーです(タイロン・パワーは滅茶苦茶濃いけどそのうち見慣れる)

昔の映画は主演に目鼻立ちの整った美男美女が多くしかもそれが演技が上手いので、派手な演出はいらないです。日本の映画もかつてはそうではなかったですか。最近の日本映画は知りませんが北野武のこれまでの映画を観たほうがマシってなもんです。

何回も観たくなる映画と一回でいいやと思える映画の違いってなんだろな。「ヒッチャー(1986)」みたいに最後まで謎だらけで執拗に追いかけまわすようなやつとか、逃げ続ける「サイコ」とか、自分になんか心当たりがあるようなやつが何度も観たいやつです。「これ、自分じゃなくてよかったな」みたいに思えるやつが観たいです。

洋画しか観ないんですけど一時ハリウッド映画で世界的には無名に近い中国人が作品にねじこまれている?現象がありました。同じアジア人なので自分の醜さを見ているようで目についた時点で視聴を中断するみたいなのが多かったです(作品自体はよいだろうに残念だなみたいな)。移動都市モータル・エンジンに出ていたアジア人は個性的で自分的には問題なかったですけど他の作品に出ているアジア人は軒並み違和感で作品を穢し視聴者の夢を壊しているなと感じていました。今度は黒人を主人公にする風潮がきているようですが皆に配慮する必要あるのかと呆れます。