雨がしとしと降る中、夫が、離婚届を持ってやってきました…
ドアを開けると、いつも通りの表情の夫がいたので、拍子抜けした。これから離婚届を書こうってときに、緊迫感の欠けらも感じない、ごく普通の表情してるね… そんな普通な感じだと、こっちもやり直したくなるから困るんですけど…… 視線をおとした先には夫の腕の皮膚の表面をおおう体毛がぼんやり浮かんでいた。嗚呼、体温通ってる、いかにもな人間だよな、離れていても心で感じてしまうよ。もう一度その肌の表面に触れてみたい、と気分がグラついた。…和解で離婚する夫婦はとても奇妙だ。
過去に何度も離れかけては、「行かないでくれ!」 …と引き寄せられ、抱きしめられた熱い記憶の再現を、まだ心のどこかで期待しているのか…
…それはまるで、ドラマのワンシーンのヒロインになれたような夢心地の気分で、それが恋をする理由だとはじめて知った。情熱の炎に包まれながら、自分の存在価値に気付き、涙が流れた… 二人は何度もお互いの大切さ・かけがえのなさを確認しながら、今まで続いてきた。それなのに、それらすべてがお互いの「若さ」が作り出した、幻だったのか… そんな数々のドラマを作り上げてきた若き日の二人が、心のアルバムの中から、激しくこの胸を叩いてくる。…本心は違うんだろ?なぜ、素直になれないのか…
嗚呼、そうだよ、本当はまだ好きだし、社会的な体裁や、世の中の面倒な仕組みなど一切気にせずに、ただお互いの心の中の問題だけで済むのなら、いつまでも引き伸ばして考え続けていたい。
「今回も、こちらの反応を試しているだけなんじゃないか…」 なんて考えは捨てきれなかった。だからマジな顔で紙をテーブルの上に出されると、
「…今回はさすがに本気なのか」
…と、内心動揺はしていた。見えないところで散々悪口言ったり、金に関する不満があっても、こんなときは、ほら、いつものように、ここぞというときに、
「やり直そう!」
…と、余裕がない張りつめた表情のままに、いきなり抱きしめてほしいのに、なにもねえな、どうした?今止めなきゃ、ここで終わるんだけど…… クソッ、こんな、紙一枚で…… いままで積み上げてきたすべてを、いったいどこに葬り去るつもりなんだよ!離婚届にこの不安定な心を見透かされ・嘲笑われているような屈辱の気分だった。
自分の動揺を隠すために、淡々とした言葉しか発することはできなかった。それが空気を伝播して相手の心に届いたことにも後悔をした… 二人は一つの体を二つに引き裂かれた半身同士も同然なのに、この痛みに気付いてはくれないのか?どうした、嘘をつくなよ、素直になれないのか?と自分との戦いでもあった。違う、本当は自分の声質や言葉の冷たさに、この心はふるえていた。
テーブルの前に緩慢に座って、とりあえず住所と名前をノロノロと書き始めたが、「どこかで止めてくれるんだろ?」という期待もむなしく、すべて書き終えてしまったことを静かに悔いた。離婚届は、筆頭主とかわかりづらい部分が多いので、そこでつまづいたときに、止めてくれることも期待したのだが、「ネットで検索すればわかるよ」と前向き発言をされると、余計にガックリした。
一文字書くごとに、心の中では「嗚呼… これで、終わるんだな…」という想いをかみ締めていた。自分の心の深遠に落とし込んでゆく、一文字一文字だったかもしれない。
この緩慢な動きを見て、ずっと騙されたままでいないで、少しは疑ってくれよ…
まだ結構、(いや、もしかすると、かなり?) 好きなんだが… だから止めてくれないか、早く。
こんな結末を迎えるために、結婚したのか… 後は、お互いにもっともらしい会話をするだけだった。まだ紙は提出していないのに、もう終わったような口ぶりで。
「夫婦だったら我慢できないことや許せないことも、友達ならそれほど気にならないしね…」 なんだそりゃ、なに言ってんだおまえ、と思いつつ、そんな会話をしている中でも、まだ期待はしていたのに、本当に終わりでいいんだね… わかったよ。
駄目な部分を知りながらも、ここまで続いてきたのは…… それこそが愛だったのではないか… なんて、終わるころになって、薄っすらと気付く。
そりゃ、相手の良い面だけを見ていられるなら、誰でも簡単に好きになることはできる。だけど、相手の最悪な面を見続けていても、それでもすぐに諦めたり、離れたりしないのは、そんなのは、誰とでもできることじゃない… ただ、一つ気になることがあったので聞いてみる。
「これで……、いつか、いい人ができたら結婚するの?」
「それはどうかわからない…」
…もしかすると、いつか別の人とやり直す腹積もりがあるのかもしれない。夫の今後の出会いを邪魔するつもりはなく、それは勝手にすればよいと思っている。
ただ、はっきり言えることは、私が離婚届に一字ずつ書いている、どこかのタイミングで、もし引き止めてくれたなら…… それは勿論、やり直していただろうと思う。何度でも。ほんのちょっとの、どちらかの勇気があれば、状況など簡単に変えられた。その証拠に、帰り際、玄関でなんだか悲しそうな表情を一瞬見せて軽く抱き寄せてきた夫に…
別に、なにも変わらなくてもいい、私はたださびしいだけだ、だから、やり直せるって言って!と心の中で一回だけ叫んでしまってから、わずか数秒の間に、この全身にスコールが降り注いで、それ以上言葉がでなくて… そして心の目で天を見上げた。
ドアが閉まった後は、ものすごい後悔にさいなまれ、数分程度は目が熱くなり、自分はこの状態で今後生きてけるのかと心はヨロめいていましたが、それは一瞬の通り雨でした… 年齢を重ねるほどに、だんだん痛みに鈍くなってくるのは苦笑いするしかないけど、これが生きてくってことなのか。しばらくテレビ見ているうちに、「だからなんだ」「お前はまだ立ち上がれる」「終わりじゃない…」と思えるようになった。
…立ち上がれ、何度でも、拳をにぎりしめ、たとえそれが荒野の中でも歩き続けろ、地球が最後を迎えるその日までこの魂は消えることはないと、大地に深く爪をたてて、太陽の熱に焼かれて消える最後の一人になるために、お前だけのストーリーを書き上げろ…
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何を言っているのかわからないですね。熱はないです(微妙にFF10入ってんな…)。
ところで、夫のマンションの住宅ローン繰上げ返済金として支払った200万以上の中の、10万円は和解金として来週振り込んでくれるということで…、感情面とは別にして、お金の面に関しては、最後までなんだか納得いかない夫婦でした。
結局、夫が給料いくらもらっているのかも最後までわからず仕舞いだったので、一応最後にもう一度聞いてみましたが「もう夫婦じゃないのに、それは言う必要はない」のような回答でしたね… 給料の額を言うことが、なぜそんなに嫌なのかはよくわかりませんが……
まあ、夫婦でどんなに上手くいっていて、別れることなど想像つかなくても、お金については最初からきっちり記録を付けておいたほうがよいとおもいます… 女の側は家事を全面的に押し付けられる可能性が高いので、その分だけ、別の部分でラクをさせてもらってもよいと思うんですよ…
そして、最初に感じた疑問は、やはり間違ってはいないことが多いので、おかしいなと感じた時点で結婚するのをあきらめて、もっと自分に見合った別の人を探す努力をすることに時間をかけたほうが有意義だとおもいました。
…以上なんですけど、紙を書いた後で、最後に質問を投げかけてみました。
「別にケンカしてるわけじゃないので、また遊びにくるの?」
「そうだね」
……それは嘘だよね、紙を出してしまえば、もう会うことはない。ここからは、よりよい人生を競うライバルだと思って生きていたほうが、お互いに優しくて、傷つかずに済む。その心積もりでいなければ、どちらかが新たな伴侶を見つけ、幸せな家庭を築いたのを見て、絶望感じる最悪のシナリオなんて考えたくはない、やめてくれ… だから二人は引き裂かれた半身ずつのままで生きてくしかないし、けしてもう交わることもない。
人生が小説のように、何章かに分かれているのなら、私は夫婦の章を書き終えたところだ。あなたは今人生の第何章目ですか。