2013年は、WindowsやiPhoneをはじめとする、フラットデザインが広まった年でしたね。ですが、フラットデザインという言葉が広がり始めて間もない頃、私はその流れに嫌な印象を持っていました。
ボタンはボタンっぽくなくなり、文字の説明になったり…。
おそらく、それは「普通じゃない」「見たことがない」ような恐怖があったのではないかと思います。「普段の生活に突然現れた新しいもの」に対して、
何かしら違和感を感じていたのかもしれません。
でも、私が愛用しているiPhoneを初めて買った当初を振り返ってみると、
それまではガラケーを使っていた私は、
初めてiPhone3Gを手にして1ヶ月か2ヶ月ほど
「iPhoneにしなければ良かった…」と後悔していました。
(iPhone 3G)
余計なところを触ってしまったり、ボタンを押すという感触がなくて違和感があったり、いつの間にか電話をかけてしまっていたり…
と、思い返せば数知れず。
でも、経済的にそう簡単に携帯電話を変えられないので
iPhoneを我慢して使っていました。
それが今ではどうでしょう。
当たり前に使っていて、便利で手放せない存在になってます。
もうガラケーには戻れません。
あんなに後悔していた私はいったいどこへ。
それまでガラケーを使っていた私は「新しいから慣れてなかった」だけ。
使い慣れてしまえば、iPhoneはあっという間に、今ではもう手放せない相棒へ早変わりしてしまったんです。
そんなことがほんの数年前にあったことを考えると、やはりフラットデザインもこのまま浸透していったら、早いうちに当たり前な世界がやってくるのでしょう。
5年後、10年後、次々と普通じゃないが当たり前になっていく世界。
そう考えると、なんだかわくわくしてきます。