「 #本棚の10冊で自分を表現する 」とこうなった


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 昨夜、寝る前に目に入ったこちらのタグをボーっと追いかけていたら、軽く夜更かししてしまった。超楽しい。

 純粋に「自分のお気に入り」を載せている人はもちろん、個人の背景が垣間見えるような選書をしている呟きもあっておもしろい。かと思えば、10冊のタイトルを並べて詩歌っぽくしているようなものも。写し方も、横並びの写真があれば、縦積みの画像もあるなど。

 1年近く前にも「本棚晒し祭り」が一部界隈で盛り上がっておりましたが、やはり「秋」という季節は本を読むだけでなく、共有したくなる季節なのかしら。──それならば、乗るしかないでしょう、このビッグウェーブに。

 ということで、実際に選書してみた結果が、上の画像のようになりました。タイムラインに流れている皆様の“10冊”と比べると、非常にエンタメ色が強くはありますが。普段、ブログで取り上げている本とは微妙に方向性が違うものもあるので、簡単に紹介してみます。

『読書について』ショウペンハウエル

 読んだのは今年に入ってからですが、この歳になってから「読書」という行為について改めて考える機会を持てたのは良かったな、と。ちなみに、「ほしい物リスト」から贈っていただきました(はてな村からお届け物が来たよ)。感謝感激。

 「読書においてはインプットとアウトプットが大切だ」とはよく耳にする言ですが、そもそもそれ以前の視点として「思索」という行為の如何を意識しなければならないのではないか。自らにとっての「思索」を得るための本選びとは。“読まずにすます技術”とは。──などなど、今まで当然のようにやってきた「『読書』ってなんやー!」を再考する機会となった一冊です。

 本書に端を発して、『乱読のセレンディピティ』や『読書で賢く生きる。』といった本にも手を出すようになり(後者も贈っていただいたものです)、本を読みながらも他の人の「読書」を意識することに。自分にとっての「本を読む理由」も徐々に変わりつつあるように感じるし、このテーマに関しては定期的に考えてみたいな、と思います。

『カラフル』森絵都

 自分の小学生時代、図書室や自宅で読みふけっていた本の中で鮮明に記憶に残る「物語本」を振り返ると──『パソコン通信探偵団事件ノート』や『ハリー・ポッター』、そして、森絵都さんの『カラフル』に行き当たる。

 “パスワードシリーズ”にせよ、“ハリポタ”にせよ、ただただ魅力的なキャラクターに心惹かれ、物語に一喜一憂していた「読書」から一転。情景描写や登場人物の心の機微を示す「文章」を意識するきっかけとなったのが、森絵都さんの作品だったと記憶しております。

 それは本当に、読んで字の如く。ただの白いページに刻まれた黒い文字を読んでいただけの「読書」から、時に素敵で色鮮やかな、時に眩しく極彩色の、“カラフル”な情景を幻視できるようになった、「想像」の原体験。アニメやマンガも引っくるめた、自分の大好きな「物語」の原点はここにあるんじゃないかと。思い出の作品です。

『文学少女と死にたがりの道化』野村美月

 飛んで、大学時代。それまでもあれこれとライトノベルの類は読んでいましたし、もっと大好きな作品もあるのですが。“自分を表現する”という基準でもって考えると、なんとなく本シリーズがしっくりくるような気がした。

 部活やら受験やらで読書から離れていた高校時代が過ぎ去り、久々に本を読もうとフラフラしていたときに、確か書店で目に入ったんですよね。どちらかと言えばPCゲーム寄りのイラストが多かった当時、ふんわりした絵柄に惹かれ、あらすじを調べて、こいつはおもしろそうだ、と。

 割と有名なのでご存じの方も多いでしょうが、第1巻の『人間失格』をはじめ、実在の文学作品を題材に物語が展開していく、本作品。「しゅみはどくしょです!」を自己紹介のテンプレにしている割に、近代文学に全く造詣がなかったので、それをぶち破るきっかけとするべく手を出してみた。

 付け加えると、「読んだ本の感想をまとめる」習慣ができたのも、この頃から。“文学少女”本編と、モチーフとなった文学作品を一緒に読んで、それぞれの感想をまとめておりました。そういう意味では、このブログの原点とも言える……のかもしれない。

『友情』武者小路実篤

 “文学少女”つながりで、第3巻『“文学少女”と繋がれた愚者』の題材となっていた一冊。本書を読んだ当時の感想を読み返しても、「こんなに共感しちゃって大丈夫かこいつ」とツッコみたくなるくらいに影響されていた様子。“友情”って、なんだろうね……(遠い目) 

 『人間失格』なんかもその色合いが強いんじゃないかと思うのですが、いわゆる“名作”と呼ばれ読まれ続けてきた文学作品の魅力は何かと言えば──歴史的価値は抜きにして──、結局のところ本質的な“ヒト”の有り様を書いている点にあるのではないかと。

 時代が変わろうが、技術が発展しようが、多種多彩に価値観が変容しようが、それでもなお変わらない“ヒト”の心の有り様と、他者との関係性で生まれる悩み。「何を今更」感があるかもしれないけれど、そういった視点から文学作品の魅力を自らの実感として認識したのが、本作を読んだ頃だったと記憶しております。

『秒速5センチメートル』新海誠

 アニメ映画『秒速5センチメートル』の小説版。監督自らによるノベライズということもあり、「あの美麗な映像をとモノローグを文章にするとこうなるのか」という新鮮さでもって読みました。

 映画自体は十数回観ているけれど、このノベライズにコミカライズ、さらには音楽も引っくるめた、『秒速5センチメートル』という作品群そのものが好きなため、本作も何度か読み返している形。小説版は何より、“彼女”視点のモノローグと手紙の存在が強く印象に残っている。

 映像だからこそ伝えられる臨場感、音楽だからこそ直接的に響く歌詞とメロディ、そして、本だからこそ深く深く共感し想うことのできる、キャラクターの心情。単なるメディアミックスによる違いにとどまらない、「伝わるもの」の差異を印象づけられた作品でした。

『ソーシャルメディア進化論』武田隆

 卒業論文を執筆するにあたって参考にした書籍のひとつ。他にも参照した本はたくさんあるけれど、2011年当時の「ソーシャルメディア」と、その前提となった「インターネット」を整理・概説した内容として、一介の大学生にとっては学びの多い一冊でした。

 中学入学前から“ネット”に触れていたこともあり、代表的なネットコミュニティとSNS、それぞれに流れる文化・文脈は感覚的には知り得ていたものの、それを初めてはっきりと言語化してもらえたという印象。さらにはネット創世記にまで遡り、漠然とでもその原点を“読む”ことができたのは大きな収穫でした。

 ……ただ今となっては、本書で示された「つながること」の弊害も一般的に認識されつつもあるし、当時は有効だったマーケティングの手法も通じなくなっているのではないかと思うけれど。

 常にアップデートされ続けているインターネットの論説をまとめ上げたところで、それが“最新”であるのは一瞬に過ぎない。けれど後々、当時の“最新”を形として残し、確認することのできるログとして、「本」という媒体の強みは変わらないようにも思います。

『すみっこの空さん』たなかのか

 マンガを1冊持ってくるとしたら、 たなかのか先生の作品だと決めていました。前作『タビと道づれ』も大好きなのだけれど、「ことば」の存在をより楽しく、より鮮烈かつ示唆的に捉えた作品として、こちらが良いかな、と(というか、『タビ』は友達に貸したまま返ってこない)。

 四角い箱に囚われたまま田舎に帰ってきた“おとな”と、ペットのカメの“プラトン”と、お隣の小さな女の子“空さん”と。だだっ広い空の下、なんでもない日常を“てちゅがく”の視点からめいいっぱいに楽しむ、ハートフルストーリーでござる。だいたい合ってる……はず。

“「知る」ことがわくわくするけど少し淋しいのは、どこかに「しまわれて」しまうからなのかも”

 “知る”ことで得られる知識と学びは大きいけれど、“知る”という確定事項を与えることで失われてしまう可能性もあるわけで。日々を生活する中でそれをいちいち意識していては疲れてしまうから、たまに思い返すくらいがちょうどいい。──そんなときにはこの本を開いて、純粋無垢な空さんの視点から、“てちゅがく”を教わりに行くのです。

『ことりっぷ』昭文社

 はじめての一人旅。青春18きっぷをポケットに忍ばせ、さあどこへ行こう──というときにお世話になったのが、小さな旅のガイドブック『ことりっぷ』。

 どうして尾道に行こうと考えたのかは忘れてしまったけれど、おそらく「坂の街」という文言に惹かれたのでしょう。以来、年に1回は通うくらいのペースで訪れており、完全に街の虜となっております(後に『タビと道づれ』のモデルと気づいて惚れなおした模様)。

 そこそこ旅行好きではあるくせに、ガイドブックの類は持たず、我が家にあるのはこれ一冊。はじめての旅へ誘ってくれた片道切符であり、なんとなく捨てられずに残っていたのが“自分っぽい”な、と。……なんて、引っ張りだして読んでいたら、また行きたくなってきた。ぐぬぬ。

『同人音楽を聴こう!』三才ブックス

 コミックマーケットをはじめとする即売会を主な販路とし、メジャーでもインディーズでもない「音楽」として拡大・普及した、同人音楽。そのシーンを知らない人にもわかるように、ひとつの「文化」として概説した一冊。自分がちょうど同人音楽にハマりたての頃に出た本として、「なるほどなるほど~」と頷きながら読んでいた記憶があります。

 剣と魔法の世界に始まり、PCゲームアレンジの流行で普及し、『月姫』『ひぐらし』『東方』と共に普及。“歌姫”の系譜や話題作のディスコグラフィーなど、「とりあえずこれだけ読んでおけば問題なし!」という充実した内容でした。

 発売は2007年10月。奇しくも「みくみくにしてあげる」が同年9月末に投稿されており、やはりその盛り上がりは看過できなかったのか、わずか数十字ではあるもののいち早く「ボーカロイド」の存在にも言及していました。その後のDTMブームも予見しており、改めて読み返してみるとむっちゃおもしろい。

『はじめての同人誌』Circles' Square

 最近のマイブームである「オリジナル創作同人誌」を象徴する一冊として、Circles' Squareさんの同人誌解説本をば。

 もともと中学時代から、「二次創作」の文化圏には読む側・聴く側として親しんでいたのですが、「オリジナル」に関してはさっぱりでした。で、この数年で知ったその魅力を一口に表すなら、「ネットと初めて出会ったときのような衝撃」とでも言いましょうか。

 とにかく驚くほどに、なんでもある。誰得やねんと言わんばかりにニッチな“物体”の写真集があったり、誰もやらないような食べ物の食べ比べをやっていたり、ひたすら特定の作品に対する愛を叫んでいたり、受験のオリジナル参考書があったり。

 そういった混沌っぷりが、初めてネットに触れたときの「わけがわからないけど最高におもしろい!」と酷似していたので。そして、その魅力を断片的にでも伝えるための「同人誌」として、Circles' Squareさんの作品が好きです。ここには夢がちゃんとある。

「自分を表現する」とは

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 そんなこんなで、おもしろそうなので便乗してみました。考えてみると、本で「自分を表現する」って、字面のとおりにやろうとするとなかなか難しいように思う。

 というのも、ある瞬間に読んでいる「本」って、基本的には自分に足りない知識だったり、感情だったり、価値観だったりを補填するために読んでいる場合が多いんじゃないかと思ったので。特にビジネス書が顕著だと思いますが、小説でもおかしくないかと。「キュンキュン成分が足りないから恋愛小説読む!」みたいな。……え? ない?

 実際、他の人の選書を見ても、色あせた本、ボロボロの本が多いように見受けられます。この記事みたいに長々と思い出を語らずとも、写真からして思い入れが深いことがわかる様相。だからこそ、このタグでツイートを遡るだけでも人となりが想像できて、おもしろかったのかも。

 そういう意味では、この「本棚の10冊で自分を表現する」という提起の絶妙さはすごいなー、と。……いやね、他人に本をおすすめしようとすると、「こう見られたい」という意識が出てきちゃうことも往々にしてあると思うんですよね。事実、僕も選ぶ際に、「『侍』(遠藤周作)は好きだけど、文中の宗教観について理解も共感も及んでいない気がするし……」みたいに、何冊か本棚に戻しましたし。

 でもそんなことを言うと、上で挙げた『読書について』あたりも怪しくなってくるわけですが。とりあえずここでは、「今現在の“自分っぽい”本」を基準に選んだ格好です。自分の“思索”にまでは至っていないけれど、興味関心の対象として読み続けている「読書論」の代表格、として。

 というわけで、久しぶりに引っ張り出した本も多かったせいか、好き勝手に書いていたら長くなってしまったので、このあたりで。個人的には、特に自分が購読しているブロガーさんの“10冊”も見てみたいなー……なんて思ったり(チラッチラッ

※追記:やってくださったので、まとめました。

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