震災【地名は知っていた】まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。
☆震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。
河北新報/河北抄
…………………………
■まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。
『地名は知っ ていた』(河北新報出版センター刊)。
小説ではなく紀行文だが、地名にまつわるミステリーが満載だ。
著者は、宮城県地名研究会会長の太宰幸子さん(69)。
震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。
1年半をかけて訪ねたのは、気仙沼市や仙台市、
山元町 など、15市町、140集落に及ぶ。
七ケ浜町に招又(まねきまた)という高台がある。
1611年の慶長大津波の際、地域 の人々が
「こっちさ、早く来い」
と手招きしたため、沿岸部の住民が難を逃れたのが由来だそうだ。
また、南三陸町の大船沢(おおぶねざわ)。
かつて津波で大きな船が流れ着いたことから、こう名付けられたという。
文献に頼るだけでなく、
実際に足で調べたフィールドワークのお手本のような1冊。
被 災地の今の様子もきめ細かく報告している。
残念ながら、先人が土地の由来を語り継いできた古い地名は、
消えつつあるのが世の流 れだ。
著者は問い掛ける。
「私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったろうか」
( 2013・1・31)
河北新報 河北抄 2013・1・31より転載引用
http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20130131_01.htm
地名は知っていた<上><下>
私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったか。
たかが地名と軽視していなかったか。
古くから伝わる地名には大切なメッセージが込められていたのにー。
宮城県地名研究会会長である太宰幸子さんによる
「地名は知っていた 津波被災地を歩く」
(上下)を発行しました。
太宰さんは大震災で津波に襲われた気仙沼~山元の沿岸部の集落を何度も訪ねて、
変わり果てた浜の姿を目にしては、祖先が地名に残した言い伝えが生かされず、
甚大な被害に遭ったことを悔やんでいます。
地名が語る津波伝承は各地にあり、
特に南三陸町の入谷地区に多く残っているそうです。
「残谷」は津波でほとんどの家が流された中、
1軒だけ残ったのでノコリヤ、
大船沢は、大津波で大きな船が流されて来たのでオオブナサワ、
残谷の上に位置する峠の「越路」は、
ここを津波が越えなかったからコエズ。
地名が警鐘を発していたんですね。
太宰さんは被災地で住民の方々の
前向きな姿勢に心が救われもしたそうです。
震災後、沿岸部の集落を何度も訪ねて
本書を著した事に価値があると思います。
「地名は知っていた」は上下巻。取り上げた地名は、
上が気仙沼~塩竈の70カ所、
下が七ヶ浜~山元の70カ所。
下巻の巻末には「津波被災地に多い地名」一覧が付く。
河北新報出版センター
河北新報 ふらっと より転載引用
http://flat.kahoku.co.jp/u/kahokubooks/fNlkW3jTUyhVeZMtSq5n/
★あなたの町、村にも、、調べてみる価値があります。。
☆震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。
河北新報/河北抄
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■まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。
『地名は知っ ていた』(河北新報出版センター刊)。
小説ではなく紀行文だが、地名にまつわるミステリーが満載だ。
著者は、宮城県地名研究会会長の太宰幸子さん(69)。
震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。
1年半をかけて訪ねたのは、気仙沼市や仙台市、
山元町 など、15市町、140集落に及ぶ。
七ケ浜町に招又(まねきまた)という高台がある。
1611年の慶長大津波の際、地域 の人々が
「こっちさ、早く来い」
と手招きしたため、沿岸部の住民が難を逃れたのが由来だそうだ。
また、南三陸町の大船沢(おおぶねざわ)。
かつて津波で大きな船が流れ着いたことから、こう名付けられたという。
文献に頼るだけでなく、
実際に足で調べたフィールドワークのお手本のような1冊。
被 災地の今の様子もきめ細かく報告している。
残念ながら、先人が土地の由来を語り継いできた古い地名は、
消えつつあるのが世の流 れだ。
著者は問い掛ける。
「私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったろうか」
( 2013・1・31)
河北新報 河北抄 2013・1・31より転載引用
http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20130131_01.htm
地名は知っていた<上><下>
私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったか。
たかが地名と軽視していなかったか。
古くから伝わる地名には大切なメッセージが込められていたのにー。
宮城県地名研究会会長である太宰幸子さんによる
「地名は知っていた 津波被災地を歩く」
(上下)を発行しました。
太宰さんは大震災で津波に襲われた気仙沼~山元の沿岸部の集落を何度も訪ねて、
変わり果てた浜の姿を目にしては、祖先が地名に残した言い伝えが生かされず、
甚大な被害に遭ったことを悔やんでいます。
地名が語る津波伝承は各地にあり、
特に南三陸町の入谷地区に多く残っているそうです。
「残谷」は津波でほとんどの家が流された中、
1軒だけ残ったのでノコリヤ、
大船沢は、大津波で大きな船が流されて来たのでオオブナサワ、
残谷の上に位置する峠の「越路」は、
ここを津波が越えなかったからコエズ。
地名が警鐘を発していたんですね。
太宰さんは被災地で住民の方々の
前向きな姿勢に心が救われもしたそうです。
震災後、沿岸部の集落を何度も訪ねて
本書を著した事に価値があると思います。
「地名は知っていた」は上下巻。取り上げた地名は、
上が気仙沼~塩竈の70カ所、
下が七ヶ浜~山元の70カ所。
下巻の巻末には「津波被災地に多い地名」一覧が付く。
河北新報出版センター
河北新報 ふらっと より転載引用
http://flat.kahoku.co.jp/u/kahokubooks/fNlkW3jTUyhVeZMtSq5n/
★あなたの町、村にも、、調べてみる価値があります。。