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震災【地名は知っていた】まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。

2013-01-31 18:42:03 | 東日本大震災
震災【地名は知っていた】まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。

☆震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。

河北新報/河北抄
…………………………

■まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。

『地名は知っ ていた』(河北新報出版センター刊)。

小説ではなく紀行文だが、地名にまつわるミステリーが満載だ。

著者は、宮城県地名研究会会長の太宰幸子さん(69)。

震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。

1年半をかけて訪ねたのは、気仙沼市や仙台市、
山元町 など、15市町、140集落に及ぶ。

七ケ浜町に招又(まねきまた)という高台がある。

1611年の慶長大津波の際、地域 の人々が
「こっちさ、早く来い」
と手招きしたため、沿岸部の住民が難を逃れたのが由来だそうだ。

また、南三陸町の大船沢(おおぶねざわ)。

かつて津波で大きな船が流れ着いたことから、こう名付けられたという。


image


文献に頼るだけでなく、
実際に足で調べたフィールドワークのお手本のような1冊。

被 災地の今の様子もきめ細かく報告している。

残念ながら、先人が土地の由来を語り継いできた古い地名は、
消えつつあるのが世の流 れだ。

著者は問い掛ける。

「私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったろうか」

( 2013・1・31)

河北新報 河北抄 2013・1・31より転載引用
http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20130131_01.htm

地名は知っていた<上><下>

私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったか。

たかが地名と軽視していなかったか。

古くから伝わる地名には大切なメッセージが込められていたのにー。

宮城県地名研究会会長である太宰幸子さんによる

「地名は知っていた 津波被災地を歩く」

(上下)を発行しました。

太宰さんは大震災で津波に襲われた気仙沼~山元の沿岸部の集落を何度も訪ねて、

変わり果てた浜の姿を目にしては、祖先が地名に残した言い伝えが生かされず、

甚大な被害に遭ったことを悔やんでいます。

地名が語る津波伝承は各地にあり、

特に南三陸町の入谷地区に多く残っているそうです。

「残谷」は津波でほとんどの家が流された中、
1軒だけ残ったのでノコリヤ、

大船沢は、大津波で大きな船が流されて来たのでオオブナサワ、

残谷の上に位置する峠の「越路」は、
ここを津波が越えなかったからコエズ。

地名が警鐘を発していたんですね。

太宰さんは被災地で住民の方々の
前向きな姿勢に心が救われもしたそうです。

震災後、沿岸部の集落を何度も訪ねて
本書を著した事に価値があると思います。

「地名は知っていた」は上下巻。取り上げた地名は、
上が気仙沼~塩竈の70カ所、
下が七ヶ浜~山元の70カ所。


image


下巻の巻末には「津波被災地に多い地名」一覧が付く。

河北新報出版センター
河北新報 ふらっと より転載引用
http://flat.kahoku.co.jp/u/kahokubooks/fNlkW3jTUyhVeZMtSq5n/

★あなたの町、村にも、、調べてみる価値があります。。

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