原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

1月30日(月)のつぶやき

2017-01-31 02:17:18 | ã¤ã¶ã‚„き

【フクシマ見聞録】ヨウ素が体内に入り血液の中に入ると、その大部分が甲状腺に溜まるわけです ※70回目の紹介

2017-01-30 22:28:30 | ã€ãƒ•ã‚¯ã‚·ãƒžè¦‹èžéŒ²ã€‘

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。70回目の紹介

【フクシマ見聞録】

ヨウ素が体内に入り血液の中に入ると、

その大部分が甲状腺に溜まるわけです

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月12日のツイートから

 

-街の全ての人のいとなみが静止した。それまで反原発の団体に
はげしく声をぶつけ、集団の中に乗り込んでくるようにして突き上げていたウヨク団体も、
その間に入って飛び込んでくる人間を制していた警察もその場に足をとめて静止し、
路面電車も運行を止め、路上の車のすべてが、やはり静止した。-

 

-8月6日、8時15分-。全ての人間がその時だけ自らの所属する
団体のいかなる属性からも離れて、ひとしく静止し、沈黙した。

静止した人のたてるざわめきから取り残されるようにして、
ただ夏の日差しがふりそそぎ、蝉の声ばかりがあぶり出されるようにして持続する。-

 

-いずれも、人の動きとは無関係にずっと持続していたものだった。
”爆災当日は蝉が啼いていたのだろうか”自分は沈黙の中で思った。

なぜ静止し、沈黙したのか。それは間だった。黙って、手をとめて、
過ぎ去った時間に一時でも思いを向かわせる。そのための間だった。-

 

-そんな場所がこの国にあるのだった。時の経過により、意識して思いを
寄せなければ近づけない。切り捨てようとすれば無いものとして振る舞える。

その場所は隔絶した場所だった。隔絶した場所だったが、確実に存在する場所だった。
そのことは動かしようがない。それは原風景と呼ぶ類の場所なのだった-

 

-崎山氏の話に、あの時の蝉の声を思いだした。「-で、これなんですけど、
これはヨウ素剤(白い錠剤を示す)、。また何かがあった場合には必要になる可能性もあると
思うんですけれども、ヨウ素剤家庭で用意されている方いらっしゃいますか?」
崎山氏の話は3.11後の被曝医療体制の話に移った。-

 

福島行-崎山氏の問に手を上げるものはいなかった。「いないですね、。

あの、ええと、まあヨウ素剤はなぜ飲むかということなんですけれども、
これもうみなさんご存知かもしれませんが、ヨウ素を吸引とかしゃくになって
(不明)入ってゆくと、血液の中に入ると、それが大部分が甲状腺に溜まるわけです-

 

-「その甲状腺がなぜヨウ素を取りこむかということですけれども、
甲状腺は甲状腺ホルモンをだしているんですね。

甲状腺ホルモンというのはからだの代謝とか成長機能とか
いろいろな部分にひじょうに重要なホルモンなわけです。で、
これを生産するのに造るのに、ヨウ素が必要なんです。-

 

-「ヨウ素がないと甲状腺ホルモンができないので、血液の中に入ると
甲状腺が(聞き取れず)になる。で、この時に放射性ヨウ素で
あるか放射性ヨウ素でないか、安定ヨウ素であるかというのは
化学的な性質はおなじですから、区別しないで甲状腺はとりこんでしまうわけですね。-

 

-「その場合に安定ヨウ素を飲んでおいて、血液の中のヨウ素の量を
高めておくと、そうすると相対的にですね、放射性ヨウ素の濃度が下がりますから、
ここに取りこまれる放射性ヨウ素が少なくて済む、ということになる。

ですけれでも、それはタイミングが重要で、放射性ヨウ素が来た、来る、とわかって-

 

-「24時間以内、それも24時間前から4時間くらい前に飲めば、
90%以上阻害することができるんですけれども、もう取り込んでしまって
24時間後だと、もうほとんど阻害効果がないんですね。

ですから、ヨウ素剤というのは飲むタイミングがひじょうに重要だということ。-

 

-「なんかあったということが分かったら、すぐ飲んだほうが
いいということなんです。ですけれども、実際に飲んだ、飲ませたのは
ほんとうに少ない。約1万人くらいしか飲んでないですね。

で、今度の事故で、、ええほとんどの日本中にあるヨウ素剤は福島に来たんです。-

 

-「だから福島にはすごい備蓄があったんですけれども、
飲まれた方は1万人ぐらいしかしかいない。そういうことなんです-」崎山氏の話は続く。-

 

※次回に続く

 2017/2/1(æ°´)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】驚くなかれ、これだけの裏ガネがほとんど遊興飲食費に使われていたのである ※61回目の紹介

2017-01-30 22:00:30 | ã€å‘Šç™ºï¼æ¤œå¯Ÿã€Œè£ã‚¬ãƒä½œã‚Šã€ã€‘

*『告発!検察「裏ガネ作り」』著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。61回目の紹介

~口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P181~

 その荒川氏が、私が逮捕される約3か月前に渡眞利らと会い、マンションの交渉経過などを描いたメモを受け取っていたというのである。これが、後に大仲検事の捜査報告書の元になる渡眞利の「情報メモ」なのだ。この”接触”の背景については、後の公判でさらに詳しい事情が明らかになるが、そのメモは「マンションの買戻し交渉」を依頼するためにまとめられたもののはずなのに、なぜか私の人脈関係や、私に対する渡眞利の飲食接待の実態などが虚偽・虚構をまじえた情報として記されていた。

 いずれにしても、これは重大発言だ。原田明夫検事総長は私の逮捕直後の会見で、事件の端緒は外部からの「匿名の投書」だったと話していた。その”匿名”の投書の主が、詐欺師で、元暴力団員の渡眞利忠光だったことがわかったのだ。しかも、この事件の出発点で、関西検察の大物OBが直接関与していたことが暴かれた。このことの意味は非常に大きなことだった。

 私は当初から、本件謀略の背後に関西検察の大物OB人脈の関与を疑っていた。なぜなら、私と”敵対”していた加納駿介氏の福岡高検検事長就任をゴリ押ししたといわれる土肥元検事総長、私の内部告発の動きを察知して圧力をかけてきた逢坂元大阪高検検事長、そしてこの荒川元大阪高検検事長ら大物OBはすべて、現役の法務・検察首脳と同じく調査活動費名目の裏ガネの恩恵にどっぷり浸かっていたからだ。

 私が掌握しているだけでも、土肥元総長の裏ガネの推移は、平成5年度が596万円(大阪高検検事長)、同7年度1023万6000円(東京高検検事長)、同8年度3599万6000円、同9年度3431万7000円、同10年度3940万円(検事総長)で合計1億2590万9000円。(中略)驚くなかれ、これだけの裏ガネがほとんど遊興飲食費に使われていたのである。荒川氏はアルコールは飲まないが、他の2人の豪遊ぶりは有名だ。1週間に4~5日は夜の帝王さまである。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/2/1(æ°´)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


1月29日(日)のつぶやき

2017-01-30 02:20:45 | ã¤ã¶ã‚„き

1月28日(土)のつぶやき

2017-01-29 02:19:14 | ã¤ã¶ã‚„き

1月27日(金)のつぶやき

2017-01-28 02:21:07 | ã¤ã¶ã‚„き

1月26日(木)のつぶやき

2017-01-27 02:18:07 | ã¤ã¶ã‚„き

【フクシマ見聞録】爆心地から460m東にあるその小学校は爆砕により木造校舎がすべて吹き飛び、焼けた ※69回目の紹介

2017-01-26 22:03:56 | ã€ãƒ•ã‚¯ã‚·ãƒžè¦‹èžéŒ²ã€‘

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。69回目の紹介

【フクシマ見聞録】

爆心地から460m東にあるその小学校は

爆砕により木造校舎がすべて吹き飛び、焼けた

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月11日のツイートから

 

福島行-深夜一時を過ぎたひとけのない通りに一人立って、
その小学校、袋町小学校の案内板を見ていた。

爆心地から460m東にあるその小学校は爆砕により木造校舎がすべて吹き飛び、焼けた。
70名数名と教職員は地面に叩きつけられて即死したという。コンクリート造りだった一棟も-

 

-外郭だけを残したという。その西校舎にやがて人が集まり始め、
床にちらばったチョークで、行方しれずになった身内の者、
同僚にあてて自分の居場所を書き残した、その壁が一部保存されているという。

床にちらばったチョークで-。日をあらためてその袋町小学校にむかい、
件の壁を見にゆくと、-

 

-アクリル板で保護された壁面が幾枚か陳列してあった。もうそれ自体は
判読できるかできないかの状態で、名前と、住所が書き残されていた。

案内板にそうして向き合っていると、地獄そのもののような状態のなかで、
白墨を拾い、もし生きてたならばと、自らの消息を書きつける者の顔と
、壁を横から-

 

-息がふれるほどの距離で近接して覗き込む幻視に入ってゆき、
ひたすら幽霊のように居て、声も手出しもできずに壁に書きつけている
男の衝迫をひたすら取り巻いているしかない状態に嗚咽がこみ上げてきた。

翌日、その小学校に向かうと、こどもの一団がおり、二三の大人が引率していた。-

 

-案内役をしているのは初老の男で、自分はひとり、子供にまぎれて
その初老の男の話を聞いてゆく格好になった。

「-もう、ぼくの友人、知り合いもみな亡くなっちゃった。」
それが、彼がこどもたちに発した最初の言葉だった。

戦争と原爆のことを話す間にじぶんは件の壁のある部屋に一人入り、-

 

-壁のある部屋から出あこちこち見て出てきた時が、初老の男の話が終わる頃合で、
男はこどもに言っていた。「-だから、自分の命だけはぜったいに粗末にしちゃいけない。

自殺だけはしちゃいけない。ぼくは話したみたいなこんなに大変な目にあっても、
でも、それでも生きてこれた。-

 

-「これからあなたたちも、色々なことを経験すると思うんだけれど、
でも、死んじゃだめだよ-。」こどもは初老の男を見詰めていた。

下駄箱で靴を履き替えようとすると引率の大人がやってきて、
聞くと千葉の小学校で来たのだと言っていた。毎年、こどもを連れてくるのだという。-

 

-それはちょうど昼前のことで、自分と同行してきた人間たちは、
デモンストレーションに皆参加していた。自分はどうしても
そこに身をおくことができなかった。

ひたすら、一人であたりをうろついていた。
デモが出発する前、原発に反対する同行の者たちが
演説を打っていると、8時15分になり、-

 

-街の全ての人のいとなみが静止した。それまで反原発の団体にはげしく声をぶつけ、
集団の中に乗り込んでくるようにしていたウヨク団体も、静止し、
路面電車も運行を止め、路上の車のすべてが、やはり静止した。

じりじりとした真夏の日差しと、蝉の声ばかりが取り残されたようにあったのを覚えている-

 

-自分にとって、広島はそんな場所だった。
「-で、これなんですけど、これはヨウ素剤(白い錠剤を示す)、、。
また何かがあった場合には必要になる可能性もあると思うんですけれども、
ヨウ素剤家庭で用意されている方いらっしゃいますか?」
崎山氏の話は3.11後の被曝医療体制の話になっていった-

 

※次回に続く

 2017/1/30(金)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】正直あきれた。検察官の憶測だけで被疑事実が構成されていたのである ※60回目の紹介

2017-01-26 22:00:06 | ã€å‘Šç™ºï¼æ¤œå¯Ÿã€Œè£ã‚¬ãƒä½œã‚Šã€ã€‘

*『告発!検察「裏ガネ作り」』著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。60回目の紹介

~口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P180~

 最初の重大証言が飛び出したのは、12月6日の検察側尋問のときだった。同日の公判は朝10時から始まり、途中休憩をはさんで午後4時30分まで続けられた。その後半、午後4時を過ぎたころ渡眞利は立会主任である大島健司の尋問にこう答えたのだ。

 -君は亀谷(直人)組長のマンション買戻し交渉で弁護士を通そうとしたことはなかったのかね。

「ええ、今年(平成14年)の1月下旬ごろ、亀谷会長のある知人の紹介で、その知人と会長と私とが大阪のアラカワ先生をお尋ねしたことがあります」

 -それからどうしたのかね。

「私が知り合いに頼んで清書してもらった交渉経過などを記したメモを、アラカワ先生にお渡ししました」

 -それで、アラカワ弁護士はなんと言われたのかね。

「『まあ三井さんとは、一応、プライベートのような形で話してはみるが…』と言われ、それで終わりです」

 ここで登場する「アラカワ」とは、大阪弁護士会に所属する荒川洋二弁護士である。大阪高検検事長を最後に退官した、いわゆるヤメ検弁護士の大物だ。関西検察OBでは、土肥孝治元検事総長、逢坂貞夫大阪高検検事長らと並ぶ実力者の一人で、私も、荒川氏が大阪地検検事正、高松高検検事長、大阪高検検事長のときに部下といて仕えた。そういえば、私が加納峻亮氏との確執から人事的に冷遇されたときに相談した相手でもあった。

 

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2017/1/30(月)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


1月25日(水)のつぶやき

2017-01-26 02:19:40 | ã¤ã¶ã‚„き

【フクシマ見聞録】理解できない。私からすると街をぜんぶ吹っ飛ばして人を殺した国ですから ※68回目の紹介

2017-01-25 22:09:36 | ã€ãƒ•ã‚¯ã‚·ãƒžè¦‹èžéŒ²ã€‘

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。68回目の紹介

【フクシマ見聞録】

理解できない。私からすると街をぜんぶ吹っ飛ばして人を殺した国ですから

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月9,10日のツイートから

 

福島行-広島へ向かった時のホテルの同室は陰気な年配の男で、
話しの交通がどうにも図れなかった。

自分は集団でホテルを予約してもらいながらもっぱら
一人で広島の街をぶらついていた。

原爆ドームのある川のほとりから、広島の市街地へむかう途中は
夜の街になっている。午前1時、深夜の平和公園へ-

 

-向かうと、翌日の式典で空へ放たれる白い鳩を満載した木箱のなかで、
無数の鳩たちが夜のなかで呼吸しているのを認めた。

『安らかに眠ってください もう過ちは繰り返しませんから』
と刻まれた石碑の周りには深夜にもかかわらず僧形の一段がおり、
読経を捧げ続けていた。席の周りには篝火が焚かれ、-

 

-鳩のたてる音、僧侶の読経がいりまじって聞こえていた。
この広島へ向かう旅程に自分は身を軽くするために

(絵本を販売するためにもろもろ荷が増えていた)
録音機材もカメラも持参しておらず、
そのあたりの音を拾えずに後悔していた。-

 

-碑文にある『安らかに眠ってください もう過ちは繰り返しませんから』
という言葉を巡り、騒動があることを聞いていた。

この言葉の主語をめぐる混乱だった。米国による原爆投下という事態があり、
日本も戦争に没入していった事実もあり、『過ち』という言葉が
日本政府にかかると捉えると、-

 

-右翼側からすると日本政府のなした過ち、となる。
彼らにはそれがゆるせず、この碑の損壊を図る事態もあったという。

深夜の公園に向かう際に利用したタクシーの運転手は被曝3世の男性だった。
爆砕直後、市街が灰燼にされて呉の海までが原爆ドームの脇から見えたのだという。-

 

-そんな亡くなった母御の見聞を語りながら自分を送ってくれた。

「でもまったく理解できないのは、今の人がアメリカの歌とかを
平気で聴いたりすることですよ-」彼は言っていた。

「私からすると、街をぜんぶ吹っ飛ばして、ひとを殺した国ですからね。
理解できない。わからないんでしょうね-」-

 

-「伝えようとしないから、忘れらてしまうんでしょう-」彼は言っていた。

広島の街にはほかにはない静けさがある。多くのことを聞いたあとに
タクシーを礼を伝えており、海の見えたというあたりから見てみると、
高層ビルがそびえていてビルの角々にある赤い小さな光が明滅しているばかりだった。-

 

-僧侶たちの一軍から離れて記念公園一帯をぶらつくと、
公園のはずれに朝鮮人被害者の石碑があった。

大きな亀を土台にハングルで名が刻みつけられて並んでいた。

一帯にあるそれぞれの慰霊の集まりは、それぞれの石碑の周りに
パイプ椅子がおかれ明かりが点っていたが、
-そのハングルの刻まれた石碑のあたりだけ、明かりが備えられていなかった。
色々なものが明瞭になっている場所だった。

 

-飲み屋や夜の店が並ぶあたりで深夜営業のお好み焼き屋があり、
そこで食事をして、ホテルへもどることにした。そのあたりからホテルへもどる途中、
ひっそりと静まり返った住宅街を行った。自分の大叔父のことを思っていた。
戦後右翼で、関西の団体をとりまとめていた祖父の弟は、-

 

-1945年に死んでいたことを聞いていた。ピカの噂を聞き、
8月6日爆砕から三日後に広島に入っていたという。

「ただ見にいった」とだけ聞いている大叔父は、広島からもどった
数日後から体調不良を訴え、まもなく死んだ。理由はわからない。

自分の祖父がやさぐれた生活をしたすえに野垂れ死んだ-

 

-ようなことからすると、荒っぽくその死因も片付けられ、時は過ぎ去ったはずだった。

顔も、写真も残っていない。広島へ着いた時から、大叔父の話を思い出していた。

深夜の道を歩いてゆくと、大きな施設があり、
なにかと思って案内板を見てみると小学校だった。-

 

-爆災直後、ゆくえしれずになった家人、知人にむけて、生き残った人間たちが
その学校の壁にじぶんの消息を書き残していたことが書いてあった。
その書き残しが保存されているという。-

 

※次回に続く

 2017/1/26(木)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】正直あきれた。検察官の憶測だけで被疑事実が構成されていたのである ※59回目の紹介

2017-01-25 22:00:00 | ã€å‘Šç™ºï¼æ¤œå¯Ÿã€Œè£ã‚¬ãƒä½œã‚Šã€ã€‘

*『告発!検察「裏ガネ作り」』著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。59回目の紹介

~口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P179~

 通常の検事事件は、まず捜査機関が端緒をつかみ、内偵捜査を進め、関係者の任意の事情聴取などからある程度の証拠固めを終えて初めて、身柄を取る(逮捕する)などの強制捜査に着手するものである。その際、刑事訴訟法に定める令状主義にのっとり、それまでの捜査結果をまとめた報告書を添えて、裁判所に逮捕令状を請求し、「被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある」と判断されると、ようやく逮捕状が発付されるのである。

 ところが、私の”事件”は「罪を犯したと疑うに足りる相当な理由どころか、詐欺師渡眞利の”与太ばなし”以外、正真正銘、何の証拠もなかったのだ。内偵もなし。調書もなし。検察官の憶測だけで被疑事実が構成されていたのである。しかし大阪地裁の令状担当判事は、よくもまあこんな報告書で逮捕状を出せたものだと正直あきれた。

 私が現職検事ならこんな危ない操作は絶対にしない。いや、まともな検事だったら私でなくてもしないだろう。しかし大仲健司は無理を承知で逮捕状を請求した。なぜか。

 その日(平成14年4月22日)、どうしても私の身柄を拘束しなければならない理由が検察側にあったのだろう。内偵や証拠固めをする暇もなく、とにかく「はじめに逮捕ありき」の捜査だったということだろう。

 しかし、検察が私を逮捕したことは明らかに失敗だった。一時的な口封じはできても、私を一生勾留することはできない。しかも反対尋問が始まれば、渡眞利証言がボロボロになるのは火を見るより明らかだった。そのとき検察が負う傷の大きさを考えれば、素直に裏ガネ作りを認めたほうがよかったのだ。しかし、もう遅い。

 すでに私は逮捕、起訴され公判も始まっている。そして、公判を重ねるたびに「謀略の構図」が次々と明白になる。公判の中身を知ったら世間も驚くであろう。これからそれをじっくり説明することにする。

 

 â€»ç¶šãã€Žå‘Šç™ºï¼æ¤œå¯Ÿã€Œè£ã‚¬ãƒä½œã‚Šã€ã€ï¼ˆæš´ã‹ã‚ŒãŸã€Œè¬€ç•¥ã€ã®æ§‹å›³ï¼‰ã¯ã€

2017/1/26(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


1月24日(火)のつぶやき

2017-01-25 02:20:08 | ã¤ã¶ã‚„き

【フクシマ見聞録】例え0.1μSvでも1μSvでも、ぜんぶ足した線量を、その人のリスクと計算する ※67回目の紹介

2017-01-24 22:10:25 | ã€ãƒ•ã‚¯ã‚·ãƒžè¦‹èžéŒ²ã€‘

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。67回目の紹介

【フクシマ見聞録】

例え0.1μSvでも1μSvでも、ぜんぶ足した線量を、その人のリスクと計算する

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年12月24日のツイートから

 

福島行-崎山氏は続けた。「-ですから、放射線作業従事者は
必ずあのバッジをつけて、線量計をつけて作業していらっしゃいますけれども、
そういうのもあの、例え0.1マイクロシーベルトでも
1マイクロシーベルトでも、ぜんぶ足してゆくわけですね。-

 

-「で、最終的に何ミリシーベルト、何十ミリシーベルトになった時、
たとえばそのええ、最終的な全部合算した線量を、そのひとの
リスクというのを計算するわけです。

で、これをたとえば1マイクロシーベルト以下だったら
全部無視していいということになれば全部足さないことに、、。-

 

-「0はいくら何回やっても0ですから。そういうことで、
ある線量以下は影響ないというふうに言いたい人はですね、
”足さない”わけです。そういうことがあるわけです。

ですから、でもじっさい世界的に作業従事者は必ずバッジをつけて、
ぜんぶ線量計をつけて作業しているということは、-

 

-「放射線のリスクが加算されるものだということを、
世界的に共通認識になっている”から”、そういうことをやっているわけです。
で、まとめますとけっきょく、発癌への段階というのは、
DNAの損傷がおこって修復ミスが起こる原因が起こる。

そして、遺伝的不安定性というのが起こるんですけれども-

 

-「こういう変異をおこしやすいという性質ですよね、
そういう性質を獲得する。で、そういうことで突然変異の蓄積によって発癌が、、、
発がんに結びつく、と。で、放射線というのは一本通っても
この複雑損傷というのが起こる可能性があるということで、
放射線の線量には安全量というものがない-

 

-「というのが理論的な裏付けになるわけです、今までは。
で、彼らが言うにはですね、『彼ら』というのはまああの、いろんなひとがいるんですけれども
(ここで崎山氏は多くのものまじった苦いわらいをし、会場も同じ反応で返す)、
ええ、100ミリシーベルト以下は安全だとかですね、-

 

-「低線量はあの、、リスクが無いだとか言うひとですね。そういうひとたちが言う、
あの、何を根拠に言っているのかというと、それは科学的な議論ではないわけです。

疫学調査ですね-」。じぶんが中学まで時を過ごした福島の喜多方市に、
コンサートホールがあった。喜多方プラザ、と言った。-

 

-自分の父が読売新聞の記者として喜多方にやってきた間の1983年に開館した
その施設は赤煉瓦で覆われていて、およそ千人が入る音響の整ったホールがあった。

こどもの頃の自分は耳の聞こえない不良の友人とそのあたりに向かい、
道を挟んだ所にあった駐車場の砂礫を掘り返していた。-

 

-砂礫を棒でほじくってゆくと水が出てくるのだった。なにが楽しかったのかはわからないが、
自分たちはそこへ向かい、ある時には年配の不良に因縁をつけられ、
じぶんは強制的に習わされていたピアノを、そこのホールで弾いたことを覚えている。
何を弾いたのかは覚えていない。-

 

-ただそのホールにはスタンウェイのグランドピアノがあり、まだ若かった母親が
こけらおとしにそのピアノを一般に開放して自由に弾かせたおりに自分を連れて弾きに行った。

そのホールで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一氏が講演をしていた。
2011年、福岡での避難生活を-

 

-引き上げてきた東京で、その動画にたどりついたのだった。満席とはいかない席を
埋めた人間たちに対して彼は言っていた。「にこにこしているひとには放射能は来ません。

くよくよしている人には放射能は来ます-」その言葉を受けて、
自分との会話をすこし載せた網膜剥離を患った女性が-

 

-はげしく異議をぶつけていた。「-このひとはほかの会場の時にも来ましたね。」
山下氏は彼女をそうくくって発言を拒否した。その会をコーディネートしていた男が、
悶着の種のようにやはり彼女たち(もう一人若い男性がはげしく反対していた)
を鎮めにかかっていた。その会の質疑応答で-

 

-ひとりのスーツ姿の三十代前半と思われる男が挙手し、質問していた。

「私は喜多方市で中学校の教員をやっています。今、インターネット上には情報があふれていて、
偏った情報を見てしまうとこどもたちがおかしな心配をしてしまうということがあります。」-


-網膜剥離を後に患った農家の女性がその場にいた集団によって異端者と
くくられるようにして制せられる、その対極に自らがあることを誇示する口調だった。

「そうした偏った情報にこどもを近づけさせないためにはどのようなことを
したら良いでしょうか-」ゆがんだものを感じた。-

 

-根本が狂っていようが、その秩序に嵌りこんで、その秩序の安定を図る。

自分が一体となっているものだから、それは自分の立ち位置の安定が主眼になっている。

結果として、彼自身も狂いそのものになっている。(そうだ、この感じだ-)
自分はなにか苦いものをなつかしく思いだした。-

 

-校庭な校庭で、裏地が赤、おもてが白い帽子をかぶり、小学校の生徒すべてが
均等にちらばる。手を伸ばすように強迫的に言われて、位置をただしてゆく。

細かなそうした出来事がひとかたまりになって一つの感慨になっているのだった。
母がホールで弾いたのはメンデルゾーンの『ベニスの舟歌』だった。-

 

-崎山氏が多くのものを含んで言った『彼ら』。2013年9月の時点で、
福島市の会場にいた人間たちもそれを嗤いとして片付けられるくらいに時は過ぎていた。

だが、2011年の夏頃、自分がパソコンの画面で見たのと同じようなやりとりが
2013年12月20日の東京で繰り返された。そのやりとりの発端には自分の発言があり、
目の前でそのやりとりが展開されたことになる。-

 

※次回に続く

 2017/1/25(æ°´)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】この捜査報告書が根拠となって逮捕状が発付。しかし、見て驚いた。弁護団も目を丸くした。 ※58回目の紹介

2017-01-24 22:00:29 | ã€å‘Šç™ºï¼æ¤œå¯Ÿã€Œè£ã‚¬ãƒä½œã‚Šã€ã€‘

*『告発!検察「裏ガネ作り」』著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。58回目の紹介

~口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P178~

 さて、公判は年末から渡眞理利忠光の証人尋問が始まっていた。渡眞利証言は検察にとってただひとつの証拠である。これが崩れると、検察の敗北になるだけでなく、口封じのでっちあげ逮捕が”逆立証”されることになる。それだけに、検察も必死だ。

 大阪地検は公判部副部長の大島忠郁部長を立会主任検事とし、私の事件の捜査主任検事だった大仲土和副部長の特捜部副部長に昇進させて、それに若い相馬博之検事を加えて3人で本件裁判に専従させる、万全の態勢を組んで公判に臨んできた。

 そして第5回公判(平成14年12月6日)から、いよいよ渡眞利に対する検察側の主尋問をはじめたのである。

 予想されたとおりだが、渡眞利は検察官の主張に沿った証言を立て板に水のように述べ立てた。それは、まるでシナリオのあるドラマのような証言だった。検察は渡眞利証言を唯一の証拠に犯罪を立証しようとしているのだ。

 実はこの第5回公判の直前に、弁護団が執拗に要求していた大仲検事の「操作報告書」がようやく開示された。この捜査報告書が根拠となって逮捕状が発付された。その意味ではきわめて重要な資料である。しかし、見て驚いた。弁護団も目を丸くした。私も30年近く検事をやってきたが、このような捜査報告書はみたことがない。端的にいうとこの報告書は、後述する渡眞利の「情報メモ」に、これも後述する大嵩高裁から取り寄せた競売マンション落札に関する「民事記録」をつなぎ合わせて作文しただけのものなのだ。証拠らしいものはないもない。関連調書も、ただの1通もないというシロモノだった。

 いやはや、これでは検察側が弁護側に開示したくないのも当然だろう。

 これがいかにすごいことか、一般の人にはよくわからないかもしれないが、法曹関係者にはご理解いただけると思う。

 

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2017/1/25(æ°´)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」