イーダちゃんの「 晴れときどき瞑想 」♪

Gooからやってきたイーダちゃんと申します。よろしくっ!

徒然その247☆ ザ・マイケル・ブログのご紹介! ☆



 Hello、皆さん、いま僕は仲間らとともに、ネットジャーナリスト兼自称作家でもある、リチャードコシミズという男と戦争やってます。
 てなよなわけで、いま、こっちに呑気な日記あげてる余裕まったくないんだわ。
 いま的には、僕のせせこましい日記なんかより、そっちのほうが断然面白いと思う。

      ザ・マイケル・ブログ! http://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016

 マトリはでるわ、お巡りはくるわ、現実のアクションあり、陰謀合戦もある上記の記事に、よかったらどーぞー! (^0-y☆彡

徒然その246☆ 碧い眼の李太白 ☆




 李白、好きです----。
 高校のとき習った(中学だったっけ?)教科書のなかのこの一遍を読んだときから、僕ぁ、もう李白のとりこ……。


       黄鶴樓にて孟浩然の広陵に之くを送る   李白

   故人 西のかた黄鶴樓を辞し
   煙花 三月 揚州に下る
   孤帆の遠影 碧空に尽き
   唯だ見る 長江の天際に流るるを

 だってねえ、スケール雄大な、まさにドラマチックな別れの情景じゃないですか、これは?
 別れの相手が女じゃなくて、友人の詩人である孟浩然である、という一事もいい。
 いまとはちがって、交通機関なんて発達してない古代中国ですからね。
 いちど別れたら、今度はいつ会えるかなんてどっちも分かんない。
 ひょっとしたら永遠の別れとなってしまうかもしれない。
 そのような思いを互いに噛みしめながらの別れを、川べりに咲き誇ったいっぱいの桜が見守ってる。
 やるせない思いで遠去かっていく帆船をじっと見送っていたのだけど、やがてその帆影も空と長江のあいまに見えなくなってしまった……。

 せせこましい島国根性がすっかり精神の一部に染みついちゃった小人物の僕的視点からすれば、これは、なんたるスケールだべや! と呻るしかない規模のワイドスクリーンです。
 でかすぎるよ、何もかも。
 大陸的っていうのは、こういうのをいうのかな?
 帆影が見えなくなるまで見送るって時間的スケールも、また凄い。
 だって、半端じゃないっスよ----長江の彼方に見えなくなるまでって、少なくとも2、3時間は佇んでなくちゃいけない。
 この詩のなかには、うん、現代ニッポンを深く毒している、セコくてマメな経済的時間なんてまるきり流れておらんのですよ。
 まるで太古人が暮らしていたような、悠久の気配がじんじん滲んでる。
 しかも、この語り口ね----企んで編んだ気配が、まったくしていない。
 何気に息をするように言葉を吐いたらたまたまこんな詩になった、みたいな天衣無縫の息吹きがある。
 さすが「詩仙」と呼ばれてるだけのことはありますね。
 ヨーロッパや万葉、あるいはルバイヤートなんかとは、まったくちがう詩世界がここには、ある。
 で、この邂逅以来、僕は、この李白って詩人の大ファンになったようなわけなんです----。

 詩を好きになると、その詩を書いた詩人のことも当然想像しますよね?
 僕も、学はないけど、その語感から自分なりの「李白像」みたいなものを胸中にまあ思い描いてました。
 それは、だいたい下記の水墨画の如きものでありまして……




 古代中国人のイメージでいうと、大抵のひとの「李白像」は、上記墨絵のようなものに帰着することになるだろう、と思うんですけど。
 でもね、それ、ちがってるようなんだわ……。
 僕は、民族的偏見なんかかけらもないからどうでもいいんですが、あの李白氏、実は、西域の非漢民族だったんじゃないか、みたいな研究が、最近ぞくぞくとあがってきてるんです。
 日本の研究者の松浦友久氏なんかが、李白の父が「李客」と呼ばれ正式の漢人名をもった形跡がないこと、
 また、後年の李白が科挙の試験を受験しなかったこと 等を根拠にこの説をだしておられます。
 岡田英弘氏と宮脇淳子氏なんかも

----有名な詩人の李白はチュルク系といわれ、杜甫の詩にもアルタイ系の言語的特徴がみられる。

 なあんていってられるし、楊海英氏ときたら、

----そもそも詩仙と呼ばれた李白自身はチュルク系であった可能性が高い。また、詩聖の杜甫の項にも「遊牧民の天幕で酒を飲んで、チュルク風の踊りを楽しむのが大好きだ」という詩があるほどだ。

 とまでいっちゃってる…。
 この件に関して、ネットで面白い記事見つけたんで以下引用します。

           「中国に純粋血統の❛漢族❜は存在しない」
 13億人の中国人の92%を占めるという漢族が、実際には❛遺伝子学的には現存しない血統❜だという調査結果が出てきた。
 「漢族は血統概念ではなく文化的な概念」という通説が学術研究で明らかになったという点で、注目されている。
 中国甘粛省蘭州大学の生命科学学院の謝小東教授が「純粋な血統の漢族は現在いない」という研究結果を最近発表したと、中国メディアが15日報じた。
 謝教授の研究結果は、中国西北地域の少数民族の血液サンプルDNA研究などから出された。
 謝教授は「DNA調査の結果、現代の中国人はさまざまな民族の特質が混ざったもので、いかなる特定民族の特質も顕著には表れてこなかった」と説明した。また「かなり以前から『漢族は中原に暮らしている』と考えられてきたが、これは特定時代の漢族を周辺の他の民族と区別するために作った地域的区分にすぎない」とし、「漢族をこのように地域的に特定して定義することはできない」と指摘した。
 例えばBC12世紀の陝西省西安を首都とした西周は漢族政権に属するが、その後の春秋戦国時代に同じ地域に建てられた秦は少数民族の❛西戎❜が主流だったということだ。 (中略)
 さらに、中国人は自らを「炎帝と黄帝の子孫(炎黄子孫)」と主張するが、研究の結果、黄帝と炎帝の発源地も❛北狄(ほくてき)❜地域だったことが研究の結果から分かった。
 黄帝と炎帝の発源地はともに現在の甘粛省と陝西省にまたがる黄土高原地域で、ともに漢族の本拠地でなく、居住地域でもなかったということだ…。

 また、学校の教科書で一度は拝見したでしょう、だれもが知っている紀元前221年に中国最初の統一王朝秦の初代皇帝となった、始皇帝 政、彼もまた胡人(イラン系白人種)であったとの伝説があり、一説には金髪碧眼であったとも、赤い髪・青い目・高い鼻と白人種の特徴が顕著であったとも謂われています…。
                    (中国大好き 中川隆より抜粋  http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html  )


 メジャーどころでいうと僕の贔屓作家のひとりである、かの加治将一氏が、
     「失われたミカドの秘紋~エルサレムからヤマトへ----「漢字」がすべてを語りだす!(祥伝社)」のなかで、やはり同種の主張をされてます。

「もっと立ち入れば」
 西山が、歩きながらさらなる苦痛を提供した。
「唐の初代皇帝と言っていい李世民ですが、彼は漢民族ではありません」
「漢族の名門貴族、李家の出身ではないと?」
「誤解されやすいのですが、違います」
 きっぱりと言い切った。
「李というのは後付けの名で、出身は鮮卑族。これはもはや学者の間では定説です」
「鮮卑族って、満州族ではないですか?」
    ……(中略)……
「唐がトルコの国……」
 ようやくイメージが湧いてきた。
「トルコ側に史書が今に残っていたら、きっと唐ではなく、あちらの文字で『テング』と書かれていたと思います」
「……」
「唐の広東語の発音はテングです。トルコ語のテング、つまり天可汗の『天』を音写して、『唐』と表記した」
 頭がこんがらがった。それを察した西山が繰り返した。
「新しい連合国家の名を『テング』と呼んだ。それを非遊牧民の受けを狙って漢字で『唐』という一字で表したというわけです」
    ……(中略)…… 
「しかしそれが本当だとすると、ファーストエンペラー秦に始まり、モンゴル系の蒙古、つまり元、それに今お話しした唐、隋、さらにはラスト・エンペラー清に至るまで、有名どころの王朝のほとんどが漢民族でないことになってしまいます」
 望月の頭は、まだイメージの積み残しがあるのか、あしらい切れずに、再び置いてけぼりになっている。
「まだ、だめですか?」
 整えきれない望月に言った。
「漢民族優位政策をとる共産党にとって、騎馬民族の王朝などあってはならない歴史なのです。民族だけは超越できない忌々しき問題で、実は、それこそがこの国の最大の弱点と言っても過言ではありません」
「分かります」
「見え透いた嘘でも有形無形に偽りを流し続ければ、民の思いはそれで固まる。漢族の王朝を次々と置き換え、とにかくそれを教え続ける。そうすれば偽りの中に歴史が固まってゆくのです。一党独裁国家なら、教科書を作り話で固めるのは難しい話ではありません…」
                                         (加治将一「失われたミカドの秘紋」より:祥伝社)




 うーむ、恐ろしい話ですが、これは充分にありうる話だ、と僕は思います。
 そもそも混血してない純粋な民族なんて観念自体が、いまの学問常識ではリアルティーゼロのお伽噺でしかない上に、
 ましてや世界歴史でいちばん戦争が多かった軋轢大陸、地政学でいうところのハートランドの中央に位置するかの大チャイナですもん。
 あの悪名高いジェノサイド「易姓革命」が幾度となくくりかえされた、残酷極まりないお国柄。
 これで民族の混血がおこらなかった、と思うほうがどうかしてる。
 しかも、あらゆる栄誉と富がパンパンに詰まりまくっている、ラピュタみたいな超帝国です。

----あの威張りくさった帝国を落としさえすれば……。

 周辺の持たざる国々やあらゆる飢えた異民族がそんな風に思わないわけがない。
 嫉妬と憧れと怨みの対象でありつづけていたにちがいありません。
 理論的に考えて、混血は当然あったと考えるのが自然でしょう----最新のDNA研究の結果もそれを裏付けているわけだし。
 すると、今度は、歴代の中国王朝は、元、清等の少数の場合をのぞいて、漢民族の王朝であった、という現代の「政治的神話」のほうがゆらぎだす理窟です。
 で、いま先端の学問が追っているのは、そちら側の事実なんですね、つまるところ……。

 そうしたあっち側の「混血」情報としてもっともセンセーショナルなものの第一が、秦の始皇帝の陵墓に置かれた、多数の兵士像として有名なあの「兵馬俑」----
 あれの制作に古代ギリシア人が協力していた可能性がある、ということが英BBCが報道し、中国で話題になりました。

----シルクロードが開かれる前に秦始皇帝時代の中国と西洋の間で密接な接触があった証拠が見つかった。

 独自に文明を発展させたことに誇りを抱いているクラッシックな中国大衆には、これは面白くない話題だったようですが、この視点は結構学問的裏付けのあるもののようです。
 ウィーン大学の教授も最近発見された新たな兵馬俑の像の特徴から、

----ギリシアの彫刻家が中国人に技術指導したかもしれない…。

 と述べています。
 これなどは、「歴代王朝漢民族支配説」を覆す、有力情報の皮切りでしょう。




 さらにはこれね----中国東北部に位置する遼寧省で5500年前の紅山文化の遺跡から発見された 「青い目の女神像」----
 この女神さま、方円形の平たい顔で、頬骨がでてて、目は斜めに吊りあがり、鼻筋は低く短く、鼻孔はやや上に反っている。
 ま、標準的モンゴロイドの典型的なモデルケースでありましょう。
 でもねえ、それには瞳の色が問題なんだな----この女神さま、眼が青いんだわ……。
 鳥越憲三郎の著作より以下引用します。(これも上記、中国大好き 中川隆 よりの引用です)

----少なくとも女神像の目が青いのは、中央アジアの人種の血を受けていることを示している。しかし、容貌は明らかにモンゴロイド人種である。そのことは、混血の女性をモデルにしたといえるが、当時の社会に混血が多く、違和感がなかったからであろう。それだけに混血の時期は遠く遡るものとみてよかろう。中国東北部の女神像の分布からみて、その信仰は広域にわたっていたといえる。しかも地母神としての女神像の信仰が新石器時代早期からみられるので、そのことから中央アジアからこの地への渡来は、その時代まで遡らせる可能性もあるであろう。というのは、女神信仰がメソポタミアに起源し、それが中央アジアに広く波及したからで、アナウ文化に女神像を部屋に祀る習俗がみられるのもそのためである。そこで、コーカソイド種族がこの信仰をもたらしたと考えることもできるだろう……。

 まあ、文章はまずいと思うけど、このセンセイ、いいこといってます。
 ああ、でも、まずは肝心なその女神像のフォトをあげておきましょうかねえ----




 漢民族中国王朝支配説を覆すこのような証拠物件は、いまや次々とでてきてるんですよ。
 してみると、毛沢東のあの闇雲な文化大革命も、この「漢民族」の政治的優位を世界に示すための、異民族の遺跡・痕跡に対する政治的ジェノサイドだったといううがった見方ができないでもない。
 まあ、僕としてはそこまで大局的に話を運ぶつもりはないんだけど。
 李白は、701~762年まで生きた8世紀生まれのひとです。
 彼がもしかしてチュルク系のひとで、さらには金髪碧眼であった可能性があるってだけでも、僕的にはそれ、とても風流な話題だなあって思えるわけで……。
 だって、金髪碧眼、長身の李太白なんて、水墨画風にしみったれた過去の李白イメージよりはるかに「粋」じゃないですか----!
 うん、僕は古典的な漢人・李白より、こっち側の新・蛮族風李白のが好きだなあ……。
 そのような夢想を編み個人的に楽しむためだけに、このような記事を書いてみ申した。
 学問的省察も証拠固めも、したがって大変にいい加減であります。
 でも、いいのよ----学問的正しさより、李白の詩で酔うほうが僕にとってははるかに重大事なんだから。
 またしても長い、勝手な記事となりました----今夜はこのへんでお開きにしたいと思います----最後までつきあってくれてありがとう----もうちょいで午前0時です----それでは皆さん、お休みなさい……。(-o-yzzz







 
 
 


  

徒然その244☆ 岐路においては「鮒鮨」を食す ☆

                

 Hello、皆さん、お達者かえ?
 今回は、喰いものの話であります。
 僕は裕福じゃないんで、食通を気取るわけにはいきませんが、いわゆる美味いモノには目がありません。
 やうやう考えると、これは、いままでつきあってきた女性らのもたらしてくれた、啓蒙であり好影響なんじゃないのかな?
 感謝してますね、ええ…。
 彼女らがいなければ、僕は恐らく、いまだ似非坊主地獄をさすらう、物知らずでありつづけたことでせう。
 高校生時の僕は、インスタントでもなんでも辛いカレーさえあれば満足で、むしろ「食の如き下賤なものに興味を持つほど落ちぶれちゃいねえ!」的な啖呵が売り物の偏屈小僧でしたから。
 可愛くないったら、ねえ!
 で、まあ、五十路の今日に至るまで、いろんなものを食してきたわけでありますが……
 
 本当の意味で、心の底からの美味絶景に驚愕した経験は、そう多くありません。
 その数少ない幸運な出逢いのひとつとして、印度カリーの体系がまず挙げられますね。
 ありったけの豊穣なスパイスを仏典に見られるあの無限の想像力でもって調合して仕上げた、南風のにおいの香る、あの珠玉の珍味たち---!
 マハラジャのもてなしのための、重厚な王道・スパイスのシンフォニーたる北印度カリー----
 ベジタリアンが多いため、野菜と豆----ツール豆、ムング豆、ロビア豆----なんぞをたんと使う、ややあっさりめの印象のある西印度カリー----
 カルカッタに象徴される、マスタードシードとフェネグリーク(メティ)を多用して、わけても川魚なんかに絶妙な仕上げを見せる、東印度のカリー----
 どこのカリーも素晴らしく、食べるたびにため息がもれるばかりです。
 ただ、僕がいちばん心魅かれるのは、やはり、マドラスに象徴される、「ナン」でなく「ライス」を食すひとたちの住む(南印度の人たち多数は北とはちょい民族もちがうようです)、あのとびきり辛くてフルーティーな、個性豊かな南印度のカリーたちですね。

 嗚呼、ぺしゃぺしゃと水っぽく、しかし、妥協なき激辛の、南の国の裸女のような、あの愛しの米喰いの南印度カリーたち----!

 これは単純な自慢に相当するんでせうが、僕・イーダちゃんは印度料理に関してはそこそこいけるコックでもありまして、
 特にオクラ、キャベツ、カリフラワー等のサブジ類、ラッサム、ムング豆、マスール豆、海老に渡り蟹のカリーなんかやらせたら結構うまいんスよ。
 うん、フルコースの南印度カリーを知己のために調理してる時間ほど、充実した時間ってそう持てないですね。
 いつかパスタ屋をやってる役者の知人に喰わせたら、大変仰天され、さっそく青空食堂の開店話をもちかけられたことなんかもありましたっけねえ…。
 
 いかん、自慢話にスペース割きすぎた----そうじゃない、語りたい道筋はちがうんです。
 印度カリーも浅草の「駒形どぜう」もいいけれど、今回僕が語りたいのは、

         あの近江伝統の発酵食品「鮒鮨(ふなずし)」!

 についてなんですわ……。

 あの国民的漫画「美味しんぼ」でも紹介されたことのあるこの鮒鮨は、滋賀・琵琶湖にのみ生息するニゴロ鮒を何年も漬け樽に漬けこんでなれずしにしたものでして、
 なんちゅうか、一言でいって、とても「臭い」食品なのであります。
 その臭みはあの有名な臭ウマ食品であるクサヤほどではないものの、あれとはまた別種の一種異様な凄味を帯びたものでありまして、
 これに比べたら水戸納豆なんて可愛いもの、滋賀県人のなかでも苦手にしてるひとはいまだ数多く存在しているくらいです。
 現に大垣駅前のスーパーで僕に「鮒鮨」を紹介してくれたレジのお兄さんなんかも(徒然その150☆イーダちゃん、加賀温泉に夢破れ、近江で鮒寿司を喰らい、その仇討ちとす!☆参照)、

----いや~ 他県のひとがうちらの伝統食品に興味を示してくれるのは、本当、嬉しいです…。ただ、お客さん、勧めといてなんですが、わたし、鮒鮨ダメなんですわ。もう、受けつけないっちゅうか…。特に発酵した漬け米のあのツーンとしたにおい、あれが苦手ってひとは鮒鮨党のひとにも案外多くってね……。ですから、鮒鮨の美味しい食べかたとしてお茶漬けにしてっていうのはたしかにアリなんですが、あれ、かえって匂いが際立ちますから、慣れるまではやめたほうがいいですよ……。

 ただ、3年前の温泉旅行の際、僕、この鮒鮨はじめて喰べて、即、ハマリました……。

 正直いうと、この鮒鮨、世界一ウマイ喰いものだと思ってます。
 特に、伝統のニゴロ鮒(ほかの鮒で鮒鮨にしちゃう例なんかも残念ながら多いんですわ)で漬けこんだ鮒鮨は、これ、もうホロヴィッツ級の絶品!
 けれども、関東じゃ、このクラスの鮒鮨って、やっぱ手に入りにくいんです。
 だもんで滋賀方面に行く際には、必ず食すようにしてたんですが、つい先週、横浜の高島屋で開催された「味百選」という催しで、なんとこの鮒鮨、扱われてたんですわ。
 メジャーな食種とまじって、こんなクセの強い食品が扱われるなんてね。
 もち、即、入手----で、さきほど食したばかりなんですが、なんでせうかねえ、この極楽美味は(悶えて)……!
 冒頭UPの写真によく目を据えられてください。
 この鮒さん、子持ちなんですよ。いわゆる上等品ってやつ。
 で、骨まで発酵してなれずし状になってるの----噛むとやや硬なんだけど、噛みきれぬほどの硬さじゃなくって、
 しかも、噛みきるとき、鮒鮨ならではの玄妙な、えもいわれぬつーんとした奥深な芳香が口腔内にめいっぱい散りひろがって……
 入れたてのお茶の香とともに、それを噛んで飲みくだすときの悦びときたら、もう、これは表現する術がありません。
 遠いむかしの過去生で、ひょっとして僕は近江人であったことがあるのかなあ、と疑いたくなるほどのこの懐かしい滋味深き味わいときたら……。
 あれから4時間たったいまでも、ボディーの各部がまだ「美味しい、美味しい」と悦びつづけてるのが分かるもん、マジ。
 食通のフランス人に喰わしたら、上等なチーズと同クラスの味わいだと絶賛されたって逸話にもなるほどの納得印です。
 そう、超上等のブルーチーズなんかにも匹敵する、一種別格の、幽玄なまでの繊細さを宿した味わいなんですよ。
 
 ええ、近江の鮒鮨の名をどうかご記憶ください----僕はこれ、世界に誇れる味だと思ってます。


                                        ✖             ✖             ✖




 ここで話はぜんぜん飛んで、なぜか稲垣足穂の話----。 
 超・傑作「一千一秒物語」と「弥勒」の作者である天才・稲垣足穂氏のことは、ご存知でせうか?
 このひと、川端と同時代人のくせに、まったくそういった感じが香らない、なんというか、金属でできた巨峰のようなイメージさえ浮かぶ、
 時代臭から屹立した、というより時代性というものにまったく無関係な時空の軸に、哲学的かつメルヘンチックな独自すぎる形而上学的文学世界を構築したという----あまりにも孤立した、印度の聖者のような、あるいは夢見るスードラのような、特異極まる天才でありました。
 この稲垣足穂氏が有名になったのは、彼を尊敬し、かつキャリアのあいだずっと崇めつづけていた故・三島由紀夫の後押しが大きかったんです。
 機会があるごと、三島さんは、この先輩であるマイナーな足穂を誉めつづけてましたから。
 ただ、足穂は、三島さんの文学をまったくといっていいほど認めてなかったんですね。
 徹頭徹尾、認めてない。
 僕も三島さんは嫌いですから、そのへん共鳴できる点は多かった。
 あと、足穂はね、やっぱり批評のコトバの切れが通常人とまるきりちがう。

----あなた、いったいどこの宇宙に居住してんのよ? と、ついつい茶々を入れたくなってしまうほど。

 その足穂の、三島自決後の文章をちょっと抜き書きしてみませう。

§ 三島星堕つ 「とこしえのしじまをを出でて/とこしえのしじまに消えし みしま星/いずこに行きし?」

§ 三島の文章は「男系的硬質に貫かれ」てはいるものの、やはり一種の「花飾り屋」にとどまった。

§ ナルシズムは藝術の母胎だが、三島はナルシズムを内面化することができず、外形的に伸び放題にし、三島流ナルシズムは放任に任されて、ついに御本人を滅ぼしてしまった。

§ 彼の書くものには郷愁が欠けている。なつかしいものが少しもない。書けば書くほど作り物になり、こうして特に「金閣寺」以後、彼の作品は荒涼無残な仇花に成り果ててしまった。

§ 三島文学は、初めから見当外れの文学、「空回りの文学」である。こんなニセ物ではどの片隅においてもわれわれを解放してくれることがない。

§ 三島の目は、物に怯えている目である。どうあっても「悪人の目」である。悪人の特徴は、何よりも死を厭うことにある。死などは初めから相手にしなければよいのに、彼らにはそれが出来なくて、いつも死に追い付こうと焦っている。三島由紀夫の場合は、怖さの余りに我から死に飛び付いたようなものだ……。

 恐ろしいですねえ…。
 このひとのコトバ聴いてると、僕、どうしたわけかいつでもあの一休禅師の有名な肖像が脳裏に浮かんでくるのよ。 
 女のあそこは水仙のかほりがする、なんて詩を書いてた、あの破戒僧の一休禅師のね。
 とかくこの世はうそだらけ。
 うそと騙しに疲れた心に、前述した「鮒鮨」といま語った「稲垣足穂」などはまたとない清涼たる御馳走ではないかな、と思って、こんな記事を長々と綴ってみた次第であります。
 おお、あと最近知りあいから教わったテナー奏者のハンク・モブレーってジャズマンもよいよ。
 窓の外で春の夜風がごうごう吠えてます----それでは皆さん、お休みなさい……。






 
 

 

徒然その243☆ イーダちゃん、バッテイングセンターでホームランを打つ! ☆

                           



 ひと月ほどまえから、なぜか近所のバッティングセンターに通ってます----。
 このひと月ほど、なんちゅうか、身体動かしたい衝動にずっと駆られてたんですよ。
 ほんとはボルダリングがやりたかったんだけど、それ用の施設は、ちょっと横浜から離れた町田にしかなくて、
 仕事しながら通うには、いささか便がわるい。
 だもんで、その代理みたいな感じで、前から存在が気になってた、新横駅近くの「ブンブン」ってバッテイングセンターにたまたまいってみた。

 いや~、バッテイングセンターなんてきたのは、正直、25年ぶりくらいです。
 酔って、大阪の解体屋のバイトの仲間といったのが最後だったんじゃないかなあ?
 僕、運動は好きなんですが、球技やチームプレイはどちらかといえば苦手な口でして、
 ま、昭和生まれの「巨人の星」世代のニンゲンだから、人並みに空き地で草野球とはよくしましたが、
 才能は、うーん、まったくなかったっス……!

 いやね、でも、いざやってみると、これが意外に面白いんだわ!
 最初は空振りばっかで、翌々日に二日遅れの全身筋肉痛なんかに見舞われてたりしたんですが、
 2回目、3回目になるとだんだんミートのコツが分かってっていうか思いだしてきてね……
 ヒット性のあたりが徐々に増えて、空振りもへってきて、

 4回目の今日、はじめて念願のホームランを打つことができましたーっ!!(ジャーン:A HardDay's Night イントロ鳴る)

 いや~、下らないけど嬉しかったなあ。
 うん、子供みたく嬉しかった。
 あのね、バッテイングセンターのホームランって、セカンド上空のこのへんにあるんです。


        


 この丸印に打球が命中すると、音楽と姉ちゃんのアナウンスが寒天にドラマチックに流れはじめてね、
 いやー ほんっと、バカバカしいけど個人的に、メッチャ嬉しかったです。
 ティーンのころは僕、あんまパワーなかったけど、30代にウエイトでパワーつけたから、
 ミートがうまくいけば飛ぶんですよ。
 それに、古武道で覚えた「脱力」と「背中で打つ」を意識しながらいけば、
 あらら----これ、格闘技じゃない、球技の野球でも結構使えるではないですか----。

 ちなみにホームラン打つと、コイン6枚(これで千円相当、120球分の6ゲームが行えます)が賞品としてもらえ、
 施設のボードに名前が載ります。
 嬉しいんでフォト撮っちゃいました。下のがそうね。


                     

                     
                      上:賞品の6枚メダル。1枚は使っちゃった。 

 友人に聴いたら、後楽園には、なんでも変化球まで投げてくるバッティングセンターが存在するんだとか……。
 僕の腕じゃまだまだだけど、できたらボクシング観戦のついでなんかで、いつかいってみたいですねえ。
 あと、念願のボルダリングにも近々トライしてみたいなあ、なぞと考えてもいる、梅咲きはじめの季節の夕のイーダちゃんなのでありました……w






                         

                     

                                                




 

徒然その242☆ ドストエフスキーの「悪霊」について ☆



 音楽狂であるイーダちゃんが心底畏怖してるミュージシャンは、ウラディミール・ホロヴィッツとチャーリー・パーカーとジョン・レノンのたった3人きりなんですが、
 文学の世界においても、やはり、この種の僕内「別格ベストスリー」というのはありまして、
 その面子はね、ドストエフスキー、A・ランボー、柿本人麿の3人なんです----。

 なかでもドストエフスキーには、したたかブチのめされたもんです。
 ただ、ドストエフスキーに出会ったのは、僕、ずいぶん遅かったんですよ。
 大学在学中、露文の有名なY先生の授業とかも受けてたんですが、その当時、僕、あんまり文学に興味もてなくってね…。
 卒業後1年してから先輩の勧めで、はじめてあのぶ厚い本のページを、嫌々めくりはじめたって感じだったんです。
 ロシア文学は、ドストエフスキーにかぎったことじゃないけど、とにかく登場人物の名前が覚えにくい。
 ただでさえ記憶力の性能の欠けている僕にとっては、小説の背景である登場人物のロシアンネームとそれぞれの関係を飲みこめるまでに、
 だいたい百ページあまりが要り用になります。
 それって僕的にいうと、とっても面倒くさい作業なんですよ。
 でも、150ページあまり読み進むにしたがって、先輩の強引な勧めがやがて感謝の念に変わりだし、
 200ページこえるころには、その感謝の念さえ脳裏から綺麗さっぱり消失し、
 怒涛の如く展開する白日夢のようなドストエフスキー・ワールドのなかで、僕、完全な茫然自失状態でした----。

 いまでも僕、世界文学の最高峰なんて話題があがると、迷わず「カラマーゾフの兄弟」と「白痴(イジオート)」とをあげるもん。
 むろん、我が国の最大叙事詩である「万葉集」、さらには印度・中国圏の古典である多くの仏典「観無量寿経」とか、プラトンの「ソクラテスの弁明」……
 あるいは、20世紀文学の最大の成果と目されているジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」、プルーストの「失われた時を求めて」なんて巨峰もあるにはあるんですが、
 やはり……やはり、最強横綱の称号は、フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーのものでせう。
 これは、ちょっと譲れない。
 「ユリシーズ」、「失われた時を求めて」、あるいはセリーヌの絶望文学の極右「夜の果ての旅」----
 ジャン・ジュネの「泥棒日記」、神々の末裔みたいなランボーも忘れちゃいけない、あと、チリのガルシア・マルケスの「百年の孤独」なんかも、凄い…。
 みな、後世の作品だけあって、モダニズムや心理描写の巧みさなどにおいては、たしかにドストエフスキーも及ばない妙技というか巧みさを有しているかも、とは思います。
 けど、「巧みさ」は、しょせん「巧みさ」でしかないんだよね。
 ボクシングにおいてもそうだけど、テクニックがそのまま強さに結びつくとは、かぎらない。
 たとえば、いまから200年くらいたったのちの世に、なんにも作品当時の世相を知らない未来人がたまたまこれらの本を読んだとします。
 そしたらね----僕、ジョイスよりプルーストより、絶対にドストエフスキーのほうを面白がる、と思うんだ。
 ジョイスもプルーストも、近代人特有の悪徳「分析信仰」ってのに犯されすぎてるっていうのが、僕の私見。
 両人とも高踏派で、非凡極まる博識で、おっかなくなるほど繊細で……。
 でもね、そのぶん古代人のもってた「野蛮さ」というものからあんまり遠去かってしまってる、と僕的には感じます。
 あのね、「物語」っていうのはね、基本「野蛮」なんですよ。
 あかずきんは「残酷」、マッチ売りの少女は「酷薄」、いなばの白ウサギは「皮剥ぎ拷問」。
 三者に共通するのは、「嗚呼、無情」----!
 似非ヒューマニズムが入りこむ隙も、フォローできうるとっかかり自体も、どこにもなくて。
 残酷で救いのない、無情極まりない、乱暴狼藉な「おはなし」----それが、物語ってもののそもそもの骨子だ、と僕は思うわけ。

 その見地からいうと、物語中にやたら精緻な分析がはめこまれているおふたりの作品は、物語の流れをずいぶん滞らせてるようにも感じます。
 というより、そうやって物語の流れを粗相させるほうが、むしろ20世紀的には、お洒落な語り口として受け入れられたのでせう。

----あんな残酷な物語をなんの衒いもなく享受するなんて慎みがなさすぎる。卑しくも文明人なら、思想や分析のオブラートでもって、物語そのものがもつ呪力を一端和らげてから服用すべきだ…。

 なあんて流行が上流階層のうちにあったんじゃないのかなあ? と、思わず疑いたくなるくらい。
 20世紀は、ひたすらの分析を重んじる「客観信仰」の時代でした。
 主体からとにかく距離を置き、客観のルーペで覗いてはじめて「藝術」も「音楽」も「科学」も世にでることができる----そんな風潮がずーっと蔓延してました。
 クラッシック音楽において、この流行は特に顕著に表れていたように思います。
 たとえば20世紀前半に活躍した主観的詩人の代表的ピアニストであった、フランスのアルフレッド・コルトー!
 彼のあのロマンの残り香にむせぶようなルバート満載のピアニズムを破壊すべく現れたのが、あの精密機械のようなイタリーのマウリツッオ・ポリーニだったとは、僕はこれ、非常に象徴的な権力移譲劇として受けとめています。
 抒情の巨匠フルトヴェングラーからアルトゥール・トスカニーニ&カラヤン連合への権力移譲に関しても、ほぼ同様のことがいえるでせう。
 そう、20世紀の中盤において、「藝術」の中核に一種の革命がもたらされた、というのが僕の意見です。
 ここで権力の座を奪還したのが、いわゆる「客観派藝術家」の連合だったのです。
 アメリカの新星トルマン・カポーティー、映画でいうならヌーベルヴァーグのジャン・リュック・ゴダール、日本の文学界なら三島由紀夫----彼等、キラ星のような新しい「分析派」たちが台頭してくる下地は、そこにありました。
 いずれにしても、かつての「抒情」と「ロマン」とを重用する、藝術の伝統はここでいちど途絶えたのです…。

 と僕がこのあたりまで語ると、

----おい、ちょっと待てよ。君はどうやら分析的な芸術が気に喰わないらしいが、君が一押しするドストエフスキーはどうなんだ? 彼の芸術こそ、まさに異様な分析の極地、つまりは彼こそが、抒情殺しの先駆的作家なんじゃないのかい?

 そういわれると反論はとっても難しい。
 たしかにドストエフスキーの小説には、薄気味わるいほど鋭い分析が、物語自体がパンクしかねない質量でもって、圧縮され、ギガ盛りにされています。
 「分析は藝術を破壊する」という古典派藝術のテーぜからいうなら、これほど異端な作家はない。
 そう、ドストエフスキーの場合、あらゆることに度がすぎていました。
 小林秀雄流にいうなら「限度をこえていた」ですか?
 分析も、ほかの作家なら藝術上の流行のモードとして、あるいは自身の感受性の保護壁として外世界の脅威を無力化するために使用するのが常なのに、彼の場合は、なんのための分析か見分けることははなはだ困難です。
 普通なら、分析は、作家の手下であり下僕であるべきです。
 ところがドストエフスキーの小説内では、分析は誰にも仕えていない。
 むしろ分析は、猛り狂って、小説という自らを閉じこめる枠組を破壊して、指揮者である作家自体にまでその凶刃で貫き通そうとしているかのようにも見えてきます。
 神の破壊、観念の破壊、思想の破壊、日常的なあらゆる自己弁護への徹底的な侮蔑と憎悪…。
 最初に彼の小説を体験して僕がまず戦慄したのは、その点です。

----なんだ、こいつ? 悪魔みたいにアタマの切れるオトコだな…。こんな、薄気味わるいくらいアタマの切れるオトコがいるなんて、さっすが露西亜は広大だわ……。

 はじめてポーを読んだときも戦慄したけど、ドストエフスキーとの邂逅はそれ以上のものがありました。
 人知の極限地帯で、ほとんど気化した人間たちが、生命を削りながらバトルしている……。
 ギリシア神話やシェークスピアにも匹敵する、血みどろのドラマツルギーが凶悪な分析と両立しているのです。
 わが国の国民的作家であったあの川端康成、フランスの絶望詩人セリーヌ、僕の大好きな坂口安吾までが彼を別格視するのも当然せう。
 近代作家は、あの「ボヴァリー夫人は私だ!」のフローベルに見られるように、古典ではなしようもなかった繊細さを「分析」という手法で身につけることができましたが、そのかわりに太古の物語にぎっしり詰まっていた、あの「物語」だけがもっていた野蛮かつパワフルな躍動美を失ったのです。
 近代の通弊であるこの「病」からの稀有の例外者として、19世紀帝政ロシアのツンドラの荒野にすっくと屹立したのが、かの天才ドストエフスキーなのでありました……。




 このドストエフスキーがその晩年、「悪霊」って作品を書いてるんですね----。
 僕的にいうなら、こちらの作、「カラマーゾフの兄弟」や「白痴(イジオート)」なんかから比べるとやや落ちると思っているのですが、物語自体にいくらかの破綻は見られるものの、こと現代への予言性という見地に立って眺めるなら、この「悪霊」、ひょっとして前2作より上かもしれません。
 「悪霊」は、ロシア革命前夜の、過激派のセクト闘争の物語です----。
 いまだマルクス主義やコミュニズムの思想がポピュラーになるまえのロシアに、これだけ濃密な「打倒帝政ロシア」や「革命思想」の空気が行きわたっていたという事実に、まずはびっくりさせられます。
 なんちゅうか、もう読んでるだけで、僕等が学んできたうすっぺらな「教科書の歴史」ってなんだったのよ、と呻ること必然。
 箇条書きの歴史知識なら1917年、ボルシェビキにおいてロシア革命勃発という一言でしかないんですが、そんなのはただの紙の上だけの知識。
 それが実現するまで、庶民のリアルな暮らしむきはどうだったのか? 
 当時の庶民は「それ」に対して、いかなる思いをもっていたのか?
 「それ」が待望される世相の空気(ニューマ)に対して、ロシア正教はどんなまなざしを注いでいたのか?
 そのような当時のロシアのインテリゲンチャたちの生きたつぶやきが、ページを繰るごとに次々と読み手に襲いかかってくるのです。
 尋常な小説じゃないですよ、これ----!

 § 革命のために冷血なマキャベリズムを弄する俗物、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキー。

 § 特異な人神論をぶち、その思想のために自殺に至る、革命家崩れアレクセイ・ニールイチ・キリーロフ。

 § そして、なんといっても、世界文学史上最大のアンチヒーローともいうべき、人称化した虚無の国の王子ことニコライ・スタヴローギン----!

 このような暗い、陰謀まみれの物語を編みながら、なかんずくドストエフスキーが凄いのは、登場人物の誰ひとりとして理想化して見ていない点でせう。
 登場人物と同様、ドストエフスキーは、若き革命家らが夢に描く「革命」というものに対しても、いささかなりとも幻想をもっていません。
 すべてを酷いくらいに突き放して、もの凄く無慈悲なタッチで綴ってる。
 似たようなテーマを扱った作家に、SFの平井和正氏なんかがいますが----「アダルトウルフガイシリーズ」の後期とか、あの全20巻の「幻魔大戦」とか----彼の場合は、なんちゅーか救いがあるんですよ。
 果てしなくつづく宗教論争と裏切りと寝返りの連続と。
 ですが、彼の場合、小説内世界は、比較的単純な<神vs悪魔>の二元論に還元できるんです。
 だから、陰惨な裏切り合戦も、ゲームみたいなスリラー感覚でもって読みとばせもするの。
 けれども、ドストエフスキーに関して、それはやれません。
 彼の生みだしたキャラクターは、あまりにも造形の深度が深く、ひとりひとりがあるタイプの権化・精髄といっていいほど完成されているからです。
 ゲーム感覚で好きなように操るだなんて、とんでもない。
 作者が気まぐれに、思いつきの恣意でキャラクターのふるまいを変えようとしたら、作品全体が瞬時に瓦解するでせう。
 それに、ドストエフスキーは、人知が編みあげる「政治的な革命」といったものをまるきり信じていません。
 が、だからといって、彼等、革命家予備軍を軽蔑するじゃなく、特に否定しようという腹づもりでもない、
 あげつらったり戯画化してからかったりしてもいいのに、それすらやらない----ただ黙って、無心に、彼等の動向をじーっと見てる。
 その不気味な目線が、物語の後半に入ると、物語の前面にだんだんと表れてきて、それがこの物語のアンチヒーローであるニコライ・スタヴローギンをいよいよ語りはじめるときの不気味さときたら、ちょっと形容する言葉が見当たりません。
 革命の鋳型にあわせてさまざまな自己正当化をはめこんでいく、未熟でわがままな、たとえようがないほど権力志向でエゴイスティックな若者たちと、彼等の織りなす幻想革命劇の勃興と挫折とを、ドストエフスキーは隣人の葬儀でも見ているような、一種独特な陰りをおびたまなざしで、いつまでももの静かに見つづけていきます…。
 物語の終焉まで、このまなざしの質は、なんら変わらない。
 おかげで僕等・読者は、ドストエスキーの目線の高さにあわせて、なんら理想化をほどこされていない、陰惨で残虐な革命ごっこと殺人とに立ちあわされるはめになる。 
 背景は、荒涼とした冬のロシアの片田舎の一角----。
 革命のための殺人も、美しい幻想も、彼等が夢見た幻想の共和国もすべてが潰えて、その上に無情の雪つぶてが平等に降りしきるという恐るべきエンディング……。
 なにより恐ろしいのは、物語が終わっても、作品中に降りしきっていたこのボタ雪が、読後も読者である僕等の胸中に長いこと降りつづくという一事です。
 こーんな後味のわるい小説ってないよ----たぶん、空前絶後じゃないのかな?
 仕上げに、出版の際に道義的見地から切除された「スタヴローギンの告白」の1章を読みあげれば、あなたの「悪霊」旅はそれでようやく完了です。

 川端さんの「散りぬるを」なんかも僕は恐ろしいと思うけど、ロシアの片田舎でおきたネチャーエフ事件をとりあげたドストエフスキーのこの「悪霊」なんぞは、それを超えるくらいの、超・破格の物語として成立しているんじゃないでせうか。
 語られた事件や殺人が陰惨なんじゃなくて、それを見て書いている著者の残酷目線がそれ以上の「地獄」なの。
 ああ、世界は広い、こんな川端級の異常な「眼」をもってるニンゲンが世界にはごろごろいるのか! と体感するためには、ドストエフスキーの「悪霊」、またとない稀有の教材でありませう。
 もっとも、フツーの幸せな暮らしに安住したい方々には、こちら、危険な麻薬みたいな書物かもしれませんが。
 ですから、僕としては、この「悪霊」を無作為に皆さまに薦めるわけにはいきません
 おっとろしい本ですもの!
 ニンゲン間の約束事を嘲笑うために書かれたようなこのアクマの書物を、うし、がっぷり四つに組んでやろうじゃんか! という蛮勇に満ちた方にのみ、お勧めしちゃおうかなあ、と、ほくそ笑みながら思う、相模の国・横浜の冬のきざはしに佇む、如月中旬のやや眠イーダちゃんなのでありました……(-o-)zzz。



                             上図:スタヴローギンが「黄金時代」と呼んだ絵。C・ロラン「アキスとガラティア」
 
 
 



 
 
 

徒然その241☆<Spring IN 金沢 (金沢に春がきて)>by イーダちゃん ☆




 Hello、音楽熱中時代のイーダちゃんデス----。
 今回またオリジナルあげまっス----ただ、今回のはね、超・ふるい歌。
 たしか17才、高3のときの作だったと思うんだけど。
 僕、諸々の事情で高3の5月に、神奈川から金沢に移ったんです。
 で、かの地で受験の1年をすごしたの。
 その年ものごっつい豪雪でね----いやー、あんだけ毎日雪づくしがつづくとは心底カルチャーショックでありました。
 秋の後半から春まで、快晴の日が一日たりともないんだもん!
 さらに毎朝、まず屋根と玄関の雪おろししないと、外にも出られないんだもん。
 
----なんでこんなとこに、ひとが居住するかねえ…!

 とボヤキながら、スコップと長靴で雪下ろしにいそしんでいた記憶があります。
 しかも、こちとら雪国は素人だかんね、気をつけてないと滑ってひさしから落ちるのよ。
 さらに、雪おろし中に屋根から転落して、雪とともに埋もれたせいで発見されず凍死しちゃって、翌春になってやっと発見されるひとが、毎年必ず何人かいるんだわ、これが。
 いや~ まいったまいった隣りの神社…!
 これ、そのときにつくった曲であります----モロ、ド・フォークだし、いかにも拓郎節なんだけど、僕ぁ、この歌けっこう気に入ってんの。


            youtube iidatyann
           <Spring IN 金沢>by イーダちゃん


 この歌をかの地に生息してる旧友、かつ介護の仕事の大先輩でもある MITOMI 氏とその娘さんに捧げたく思います。
 いや~、ほんと、長いこと陸上生活お疲れさまでした。m(_ _)m
 陸上とかのスポーツは、アートとちがって結果が数字でバッチリでるからね。
 甘えの介在できない、厳しい世界なんじゃないかな----もっとも、そのぶんやり甲斐はあるんだろうけど。

 2013年に僕、ひさびさかの地を訪れ、香林坊でこのM氏とじっくり飲みました。
 なあ、MITOMI、あれ、もう4年前だってさ。
 光陰矢の如し、とは、古人もうまいよなあ。
 と、つい話が内輪話に流れましたが、それはそれ----聴いてくれたら嬉しいデス!(^0-y☆彡



徒然その240☆ <キッチュなぶきっちょラヴソング❤>by イーダちゃん ☆




 Hello、皆さん----あっという間にやってきた如月の風すさぶなか、いかがおすごしでせうか?
 今回、また曲つくりましたんで、よかったら聴いてください。
 曲のモチーフ自体は非常に古いオリジナルで、これ、なんと学生時代の作品なの。
 うん、結構人気とかもあったんだけど----内山、元気かぁ!?----
 ヴォイシングとかコード展開があんま難しすぎて、当時の技術じゃ、僕、弾けなかったんですね。
 で、歌詞も、メロも、コード展開も、ヴォイシングも大改造して新たに仕上げたのがこれ----

          youtube iidatyann
      <キッチュなぶきっちょラヴソング❤>by イーダちゃん


 えらいナンパな雰囲気の曲調なんだけど、なんちゅうか、思ってたよりずっとビターな曲になっちまいました。
 去年1年で経験したいろんなことが、つい曲に染みついちゃったのかなあ?
 
 ま、能書きはこんくらいでいいか?
 曲は曲にして語らしめよ----Key は B----変則のテンションコードいっぱい使ってる。
 Gee、Dear friend、聴いてくれたら嬉しいデス----(^0-y☆彡