米民主党は、トランプ大統領の弾劾を求めて熱心に騒いでる。ちょうど1年前も弾劾で大騒ぎをしていたのだが、みんな覚えてる?
米民主党のペロシは、議事堂の騒乱はトランプが教唆したもので、これは民主主義の敵、トランプが二度と出てこれないように排除するんだ、と60minutes(というテレビ番組)で話したそうだ。
Eliminating Trump from being elected again one motivator in impeachment push, Pelosi says
二度とトランプが出てこないようにするために弾劾を、ってそこまで言ってしまっていいのだろうかと驚く。トランプに投票した人の立場をまったく考慮しない素敵な民主主義ですね!
だがしかし、議事堂のまわりを群衆が囲むというのは、世界的にも歴史的にも珍しい話ではない。その中で一部が暴徒化するというのもよくある話。
というか、世界各国でアメリカが積極的にやらせまくってる。そのたびに、群衆の背中を押して、彼らの民主主義を我々は支援するといっていたのがアメリカ。RTがコンパクトにまとめてた。
ベネズエラでグアイドとかいうあんちゃんを支援してたペンスの姿が実に醜い。
'Banana republic' comes to US | America gets a taste of its own democracy
同じことがアメリカで起こることは許せないらしい。
このダブスタはどう理解されるべきなのか。
ここに見えるのは絶望的な差別主義だと思うな。
「自分たち」はエライ人たちなので、群衆が騒ぐような真似はしない。だが、他国の原住民は馬鹿なので、始終政変を起こしてやってちょうどいい、みたいな感じでしょう。
だがしかし、今般明らかになったのは、一般アメリカ人はこの「自分たち」には入ってないということ。
一般アメリカ人は、「自分たち」が指示する通りに動くべき存在だった。ところが、疑義を示したもので、「自分たち」に誅された、みたいなところか。
皮肉な言い方をするのなら、自分もまた「自分たち」だと思っていた一般人、特に共和党支持層は、そうではなかったわけよ。だけど、気づいているかというと、多分気づいていないところが嘆かわしくも、しかしながら善良な人々を思えば涙が出そうな話ではある。
■ ステルス支配
結局、アメリカの現状というのは、どこからどう見ても、ステルスの寡頭支配と呼ぶべき何かだと思うな、私は。
しばしば、アメリカに対してEmpire(帝国)という語がつかわれるけど、帝国じゃないでしょう。帝国は、皇帝と民の間に一定の紐帯があるもの。そして、帝国の最も目覚ましいところは、皇帝がいて、皇帝がしっかりとした権力と権威を持つことでしょ。ロシア帝国はその意味で最後の帝国だったと思う。
支配の頂点がリーダーとして顔を見せるのが帝国よ。

それに対して、アメリカには仰ぎ見られるような皇帝は存在しない。支配者は支配グループとして隠れている。
ここにあっては、選挙を通じた民主主義というのは、恰好の隠れ蓑になってる。選ばせるよう教唆しまくって、選択肢を小さくして選ばせて、お前が選んだんだと言わせる。
政党が2つしかなくて、どっちに転んでも大差がない状況で選んで何になるの?って話ですね。
これまでも何度も第3の政党の試みはあったけど、結局つぶされてきたところを見ても、支配層の選択肢以外は認められていないと言っていいでしょう。
ってことは、これの一体どこに考える自由、発言する自由、集会する自由があるの?
今回、どうしてトランプを支配層が警戒したかというと、トランプ自身は普通にアメリカのブーマーのじいさんだけど、現象として、アメリカの一般国民の中に、我々の国は変えなければならない、という意思を持った人たちを多数輩出させたからでしょう。我々こそ主人公みたいなムードを本当に出現させつつあった。
支配層にとっては超えてはならない一線を越えた、みたいな感じだし、実にまったく、壮大な、ステルスの寡頭支配の完成形があったんだなぁって感じよ。
■ 多分、新しいフェーズ
で、今般は、寡頭支配グループが「ピュロスの勝利」を収めるんだろうけど、中長期的には西側世界は大変だわな、って思う。
西側でないところは、それなりに各国が歴史を鑑みて独自色を残しているので、漸次修正していって国民の満足度の高いシステムを作ればいいだけ。
肝は、アメリカのペロシに何を非難されようが、お前に関係ないだろという構えを堅持できる国民を持つことでしょう。
そう考えると、2020年に憲法改正をしたロシアは先を見てるなって思う。
帝国末期にストルイピン、ヴィッテのあたりにこういう感じにしたかったと思しき設計だろうと前にも書いたけど、緊急時のための大きな行政府とそこに君臨する大統領府を持ちながら、市民の代表者が集う議会に大きな権限を持たせてる設計が将来に向かってロシアにとって良いというのが現政権の判断なんだろうと思う。そして、そりゃもう、50年に1回ぐらい必ず西側が攻めてくる土地柄なんだから緊急時対応は絶対必要というのが、むしろ市民の願いでしょう。
で、上のロシアの(多分100年越しの)憲法改正の中で書いた「血なまぐさい話を書き換えたアメリカ人 」たちこそ、現在、ステルス帝国の寡頭支配の継続に懸命になっている人たちと同じ人たちだろうと思う。
100年のナラティブ支配は終わりつつあるんだなと改めて思う。
ますます、自説に拘りたくなる。2020年はthe Westのナラティブ管理の崩壊の年だったのだ、と。
■ オマケ:日本に昔あったシステム
日本にも昔帝国を名乗った時代があったわけですが、あれは内実を伴った帝国ではないでしょう。そもそも、別に帝国を志していたわけでもない。成り行きで天皇をemperorなんて訳したことと、シナの皇帝を慮って名乗るに名乗れなかったコンプレックスの裏返しとして、シナの凋落と共に、そ、そだ、ウチは帝国だと言い出したい心情がないまぜになって、あのような結果になっていったのだと思う。
そもそも、千年このかたひっそりと大して顧みられず、むしろ、隠れていたからこそ生き延びられた一族を帝王であるなどと言いだしたのは制度設計上大きな誤りだったと思う。この無理を押しとおしたためにカルト化するしかなかった、ってところか。
■ オマケ2
日本のこの先の課題としては、「着替えがない」ってのがキーになるでしょう。これですよ。
日本は、明治維新からこっち、基本的に西欧人の作ったフレームこそ至上だという主義でやってきている。ざっくりいえば、英国教会に似せたへんちくりんな天皇至上主義とリベラル・デモクラシー至上主義。この2つしかない。
で、日本のお利口な人たちはここを開けるのが鬱陶しいから、100%アメリカ様にお任せで行こうとしているんだろうと思うが、それはそれで難儀。