ビジネス本マニアックス

内藤による働く人のためのビジネス本紹介サイト⇒自身の30歳の就職活動についても書いたり。10年くらい更新止まっています。⇒「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へ移転しました

動物の生き方の潔さに学ぶ

動物って凄いなあと思うことがあって、みな生まれたときから生き方が決まってる。例えば、オオアリクイなら、蟻を食うぜ!って決まってるし、それに適した身体だし、蟻の巣を見つける技術もある(と思う)。ライオンなら、狩りの技術を子供のころから学ぶし、生肉ばっかり食って一生を終える。

もうすぐ42歳になるけど、今になって分かることがある。人間の人生も動物全般の生き方とたいして変わらない。むしろ、動物の生き方のほうが参考になるなあと(以下「動物」は人間以外の動物の意味で使う)。

もちろん、さすがに動物のように生まれたときから、職業が決まってるというのは人間では少ない。でも、なるべく人生の早いうちに自分が一生を捧げる職業を決められたら、そのほうが良いということ。

僕が若い頃は、なんでも自己決定できると思いこんでいたけど、才能や環境はあまり選べるわけではないから、自由に選べるわけじゃないんだよね。

また、自己決定するための時間といっても、人間は動物の中では長生きだけど、数倍から10倍くらいでしかない。肉体的な若さでいうと、10-20代が全盛期だから、肉体系の訓練が必要な職業に就くなら10代前半までには決めておかないとダメだ。

だから、料理人になりたいとか、パイロットになりたいとか、医師になりたいとか、そういう場合は高1のころには決めて、それに向かって動いていないとダメだよね。

僕はまったく逆に考えていた。何になるか決められているなんてまっぴらだ、と。親の職業を継ぐというのは前時代的なことなんだと。だんだんと自分に向いているもの分かってきて決まってくるんだと。自分で決めるんだと。逆に決められていて、それがイヤだったらどうするんだとか、向いてなかったらどうするんだとか、その職業が無くなったらどうするんだ、とか、そんなことを考えて先延ばししていた。

動物なら、例えば、蟻がいなくなったらオオアリクイは生きていけないだろう、でも、人間なら他のものを食べて生きていける、人間は選べる自由があるんだ、という考え方をしていた。

しかし、今から考えると馬鹿げた考えだ。確かに、蟻がいなくなったらオオアリクイは生きていけないだろうけど、蟻がいなくなることが起きる確率なんて無視できるほど低い。むしろ、特化していることで自滅するより、その特化した技術で生き残れる可能性のほうが高い。汎用的な無能より、特化した有能のほうが価値が断然高い。そんなことが分かるようになったのはだいぶ後のことだった。


僕はモラトリアム人間に過ぎなかった。何が出来るというわけではないのに、30歳近くまで自己決定を先延ばししていた。何にでもなれる状態を残していた。要は、これで生きていくという一つに決めてしまうことが恐かったのだ。何が出来るというわけではなかったし。決められなかった。

当時の恐れというのは、何か職業を選んでも、向いてなかったらどうしよう、その職業がなくなったらどうしよう、というものだった。

しかし、向き不向きなんてある程度までは関係がないのだ。向いてるじゃなくて、自分を訓練して熟練することのほうが大事なのだ。熟練すれば出来るようになる。それだけのことなのだ。また、その職業が完全になくなる可能性は高くない。大抵は何かはあるものなのだ。多くの場合、汎用的な無能より特化した有能のほうが生き残れるのだ。

人生で大事なことは、自分にぴったりのメニューが出てくるのを待つよりも、目の前に出されたメニューをどうするかを考えるほうが現実的なのだ。

自分の目の前に出されたメニューをイヤだと拒否していると何も進めない。選ぶことで他の可能性はなくなることが恐かったのだ。

しかし、繰り返すが、何も選ばず汎用的な無能でいるよりも、何かを選んで特化したほうが生き残る可能性が高い。


だから、漁師の家に生まれて漁師になる、というのも素敵なことだし、親の職業を子供も目指すことに、昔はそういうのに反感を持っていたけど、なんだか悪いことではないんだなあと今は思う。

結局、何を選んでも自分であることは変わりないのだ。どれを選んでも自分の人生になる。それぞれがまったく違う人生であっても、それはどれでも自分の人生として十分なものになるんだろうなと今は思える。

例えば、僕は商船大学の動力システム工学科に受かったことがあったけど、そのときは船なんてまっぴらだと思って行かなくて浪人を重ねた。でも、今から思うと、そちらはそちらで楽しい人生だろうなと思う。船の機関士で船であちこち行くのも楽しいだろうし、造船や発電所などの仕事もあったろうなあと。もちろん、今やってる仕事も楽しいから、結局、どれでも良かったのだと思う。


今ならわかる。自分で決められることなんて大したことはない。無いものねだりをしても、チャンスが降って来るわけじゃない。高校1〜2年生のときに良く考えて、自分の目の前にある選択肢の中から選び取ってしまうこと。他の可能性を捨てて、それに向かって邁進すること。真剣に長い間取り組めばスキルは身につく。まずは動物のように、これで生きていく、という特化したものを持ってしまうことだと思う。



動物は偉いなあと思う。生まれたときから、それで生きると決めているわけだから。ほかの可能性を捨てることで、生き残る可能性が上がっている。僕はなかなか潔く生きられなかったので、動物の生き方の潔さは偉いなあとつくづく思う。