ビジネス本マニアックス

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大学/資格試験に受からないことの意味と「冒険の終え方」

コメント欄で質問をもらって答えているうちに、そうだったなー、と思い出したので。


大学/資格試験に受からないことの意味と「冒険の終え方」


実はそれについては、何年か前に書いたエントリで書いています。

大学受験5浪したときのこと。そこから得たこと。(前編)

僕は、世間を知らない、自分を過信する、他人の言うことを聞かない、という問題があってそれが不合格ということに象徴的に現れていた。

試験というものは、出題側が決めた正解にどれだけ習熟できているかというものを問うわけだが、世間の常識(正解の知識)もなしに自己流の解答を貫くと採点基準で落とされるということなのである。

つまり、世間においては世間的な常識に無知なオレ的正解など何の価値もない、ということなのだ。今からすると当たり前のことだが、当時の僕は原付免許で何回も落ちたり、大学に何回も落ちたりすることで、やっとそういうことに気が付かされたのだった。


■試験とは素直さを問う

要は、試験というのは、他人の言うとおり出来るかを問うもの、なんですね。

だから、求められるのは、第一に素直さ。素直さというのは、「他人の見解(教科書や勉強法・トレーニング法など)を素直に受け入れられる」ということだと思います。

試験というのは、世間的に正解があることしか尋ねてこないですから。教科書が必ずあります(または主流となる学説)。世間的に正解とされていることを身につけているかどうかを問われているのです。

もちろん試験によって難易度の差はあって、東大とFランク大学では難易度は大きく違いますけど、素直さが問われるのは同じです。ただ、その求められる素直さを達成する技術力・体力が違うだけです。

他人の言うとおり出来るかの達成難易度が違うだけなんです。例えるなら、フルマラソン(42.195km)を走れという設問に対して、東大なら完走タイムを4時間切れというような話で、Fランク大学なら、ハーフマラソンを時間問わず完走すればいいよ、みたいな話だと思います。

他人の言うとおりやるにしても、求められるレベルが高いと、それを実現する体力や技術力などは必要になってきます。それを鍛えるのが受験勉強だったりするわけですね。


■受からない人は素直さが足りない

というわけで、受からない人は素直さが足りないんですよ。

偉そうに言うわけではなくて、まさに僕がそうだったんですよね。不良ではないので、自分では良い子と思っていたくらいですが、言うことが聞けなかったですね。ともかく身体と頭が受け入れなかったんですね。受からない人は自分に素直さが足りないというのは考えてみる必要があります。そういう人は本人自身の自覚はゼロでしょうけど、受からないってことは素直じゃないってことですよ。「そんなことない!」なんて思った人は、まさに「素直」じじゃないんです。


■素直さつけるにはどうすればいいか

では、素直さが足りないのはどうすればいいか。答えはそんなに難しくないです。とにかく、「教科書の文章をまるごと覚える」「問題集を解き、答えあわせをしたら、答えを覚えて、もう一度解いて正解が書けるまでやる」、「先生の言ったとおりやる」、です。これをぐだぐだ言わずに、黙々とやる。やらないから出来るようにならないんです。


■もう一つ必要なのは、根気強さ

素直さが第一に必要なのですが、次に必要なのが、根気強さです。

他人の言うとおりやるというのは1回じゃ身につかないんです。身につくまで練習を繰り返す必要があります。これが勉強であり、トレーニングです。身につけるまでトレーニングを繰り返す、という根気強さが必要なんです。

他人の言うことを素直に聞いて、身につくまで根気強くトレーニングすれば試験は受かります。


■「受からない」について

ただ、何年やっても受からない試験というのもあります。難しい試験ですね。

「まだ本気を出していなかったから」というのは無しにしましょう。普段の取り組みで何年やっても受からないというのは、あなたにとっては難しい試験なんです。出来る人は受かるわけですから。

たとえですが、フルマラソン3時間切らなければいけないような超高難易度の試験も世間にはあります。それは自分の体力と相談しつつ、無理そうなら、自分の出来る範囲の難易度で目指せばいいんです。Aランク目指したけど、自分はBランクが精一杯だったとか、Eランクが受かるところだったのであれば、それでいいんですね。

ただ、困ったことに、難関国家試験だと、Aランクしかなかったりするのですね。受からないと、ほかに進みようがないし、ずるずると受験の深みにはまってしまいます。

僕は思うんですが、5年くらいやって受からないというのは、エベレスト登山を目指して途中で失敗して死んでるくらいの状態だと思います。資格試験なので命までは取られることがないので無事生きてますけど、エベレスト登りに行ってたら俺は死んでるよなーとか思って、命あってこそと思いなおして、別な人生へ転身するとか考えるのも良いように思います。

ま、私はそうしました。それだけのことです。


■受験はリスクのある人生の冒険

どちらにせよ、受からないのであれば、他の道を探すしかありません。死ぬまで受験することなんて出来ません。受験失敗で命がとられるわけではないのです。命だけは助かっているのだから、別な道で別な人生を歩むのが幸せだと思います。


要は、受験は、リスクのある人生の冒険です。「冒険の終え方」について私たちは学んでおく必要があると思うのです。誰も教えないですからね。RPGゲームではやらない部分ですしね。


■冒険は続く

一つの冒険が終わっても、私たちには人生は続きます。失敗した後は、当初目指していたのとは違う道を歩むことになりますが、その別な道には、また別な冒険があるわけで、失敗して終わりじゃありません。一つの冒険が終わっただけです。成功しようが失敗しようが、生きるかぎり続く冒険の山をこなしていくのが人生です。


そして、かならず冒険は成功か失敗かで終わるのです。皆が皆成功して終えるわけじゃないんです。冒険は半分以上が失敗して終えるのです。

大事なことは、冒険をして失敗するのは当たり前であることから始めることです。そうすれば成功させるために本当に必死になるでしょう。また、失敗したら、今度は成功させようと必死になればいいんです。より勝率の高い勝負はどれか、自分が強い(勝ちやすい)勝負は何かを知るようにしていって、そうやって人生の冒険の成功率を高めていくんです。


僕が受験で学んだというのはそういうことでした。