たぶん個人的な詩情

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【読書感想】佐藤優『獄中記』――一級の知識人は獄中で何を考えたのか。知的活動のカンフル剤として摂取すべき一冊。

はじめに

先日、キンドルアンリミテッドに入っていた『女子刑務所へ入っていました』という漫画を読んだ。こちらは、かつて刑務所に二度入り、現在は主婦として暮らす著者の体験を漫画家の東條さち子氏が描いた漫画。

今後体験する機会はないだろう世界だけに――万一道を踏み外したとしても、私が「女子」刑務所に入ることはないので――非常に興味深く読んだ。

作中、娯楽の一番人気は「食」とのことだったが、エピソードの一つとして、獄中の読書事情も描かれている。図書館における一番人気は料理本で、やはり食欲繋がりで人気があるらしい。

また、雑誌などを自費で購入する際の人気順は関西ウォーカー(刑務所が和歌山であったため)、女性週刊誌、実話ドキュメント系とのこと。三つ目は場所柄のようだが、他二つは外の世界に出た際、流行遅れになりたくないという気持ちからとのこと。これは女子刑務所らしい傾向なのかも知れない。

さて、こうして刑務所などの話を読んだり聞いたりする度に、私などは、もし逮捕されたとしたら俗世を離れ、模範囚として過ごしながら自由時間は読書をして過ごす、なんてことを夢見てしまうのだ。

そして、このような連想の果てに、今回感想を書いていく本のことを思い出した。

佐藤優の『獄中記』。

この本のことは、随分と前から知っていた。恐らく文庫版が出た頃から書棚で見かけていたのではないかと思う。岩波現代文庫に親しむような人間ではなかったが、今はなき某書店のラノベ、ノベルスコーナーの向かいがこの手の文庫の棚だったのだ。

鈴木宗男氏が捕まっていたことは子どもながらに知っていた気はするが、佐藤優のことは知らなかった。だから、面出しで置かれたこの本を初めてみた時、タイトルと写真のインパクトに、何か極悪犯(失礼)の日記なのだと勝手に思っていた記憶がある。

年を取るにつれ、自然と彼のことを知るようになった。ただ、対談本などに軽く目を通したことはあったものの、自分の中での佐藤優の印象は、長いこと新書で腕組みをしている胡散臭い人(失礼)、という印象の域を出ていなかった。

ただ、当時から彼の経歴には惹かれるものがあった。同志社の神学部から外務省へ。しかも、当時神学の研究をすることが難しかったチェコに留学することを目的に入省したという経歴には、非常に興味関心を持っていた。

だから、良い機会なのでこの本を買った。

Amazonで紙の本を買うことはほとんどないが、書店に寄る機会がない時期だったため背に腹は代えられず、Amazonで買った。それぐらいすぐに読みたかったのだ。

しかも、届いてからは毎日読み進め、積むことなく読み終えた。それは、この本が面白かったからに他ならない。今日は、本書の魅力を自分なりに語っていきたいと思う。

感想

この本がまず面白いのは、極限状態にある一人の知識人の内面を追体験できるということに尽きる。しかも、佐藤優と言う人物は、ただの知識人ではない。

日本人としては珍しいクリスチャン、しかもプロテスタントであるということは佐藤優を形成する非常に大きな要素である。西欧人ではなく、同じ日本人の中に内面化したキリスト教精神を追えると言うのは、それだけで非常に貴重な体験だ。

また、外交官としてのものの見方が非常に面白い。固有の事象である鈴木宗男の逮捕といった出来事の周辺事情の解説ももちろん興味深いが、何より、彼に根付いた外交官としての世界の捉え方、国益に対する当事者性の高さが非常に面白いのだ。

そして、これは彼がキリスト者でありかつ外交官であったことと不可分ではないと思うのだが、彼は血肉として吸収した思想をただ「思想」として留めおくことをしない。

彼は言う。「どのような素晴らしい理念があっても、それが現実に具体化しないならば意味がない」と*1。この実践的な知の在り方は、恥ずかしながら私にはない。

正直、哲学も思想も、どこかで現実とは無縁のもののように感じていた節がある。机上の空論。ある意味で、私は理論の力を信じていないのかも知れない。

それはさておき、この本は一種の思想書であると同時に、ビジネス書的な側面も持ち合わせている。著者が読む本を現実に照らし合わせて咀嚼していく様子は、やり手社長があらゆる情報を自分の仕事に活かしていくバイタリティを彷彿とさせる。例えば、『太平記』を自分の状況と照らし合わせて読み進める様は、思わず舌を巻いてしまった。

しかし、この本は世のビジネス書とは異なり、目線はあくまで著者自身の内に向かっている。だからこそ逆説的に、これを読んだ読者は自己啓発のきっかけを与えられることとなるのだ。

拘置所にいる時間を無駄にせず、勉学に当てる。

頭で理想を描くことはできても、その難しさはきっと並大抵ではない。ヘーゲルやハーバーマスといった思想を学ぶことはもちろん、学生時代から錆びついた語学の復習にも時間を費やす。

このストイックさは、努力を欠いた人生を送ってきた自分にはとても新鮮で、「やらねば」という気持ちが自然と内から湧いてくる。まさにカンフル剤なのだ。

先日書いた今年の抱負も、どこかこの本に当てられている気がしないでもない。それくらい、この本を読んで意識が変わった。下手な自己啓発本を読むくらいなら、私はこの本を強くお勧めする。

bine-tsu.com

また、彼は残りの時間についてもシビアに考えている。あと私は何冊専門書を読めるのかを考える。具体的に計算をすると、恐ろしいほどに時間がないことを痛感する。時間は有限なのだ。何をせずとも手に入るものだけに、この貴重さに普段目がいかない。

そして選書のセンスも良い。専門書については門外漢なので善し悪しを語れないが、著者が岩波国語辞典や広辞苑を差し入れてもらう部分は痺れる。ここで日本語に立ち返って語彙を鍛え直す選択に、個人的には脱帽。そうだ。そうなのだ。と肯いてしまった。

その他、国策捜査、ひいては国家と暴力装置の関係性など、著者なりの視点からの解説も面白いし、取り上げられる本も興味深いものが多いので、読書案内としても良い。拘置所の食事メニューやルールなども、獄中らしい面白さがある。

おわりに

書いていけばキリがないが、面白い本であったことは間違いない。今後は節目ごとに本書を開き、気持ちを一新する契機としていきたいと思う。

そして最後に一つ。この本を読み、逮捕された時に本を探して差し入れてくれる友人の大切さを強く感じた。果たして、私にはそのような友人がいるのだろうか、と不安になったところで今回はこの辺で。


▶獄中記
▶著者:佐藤優
▶ジャケット写真:ジャン松元
▶ジャケットデザイン:桂川潤

▶発行所:岩波書店
▶発行日:2009年4月16日初版発行

*1:佐藤優『獄中記』、岩波書店、2009年、p.310