アバター鬱?!?と、日本の役割

米CNN電子版は「3Dの映像があまりにもリアルで、その美しさにあこがれるあまり『鬱状態になった』『自殺を考えた』といった訴えがインターネットに相次いでいる」と報道。「アバターを見た翌日、目覚めると世界が灰色に見えた」など、現実世界に失望し、鬱や自殺願望を抱くようになった人たちの声を紹介している。

米国で、そういう反応があるのは、わかるような気がする。


インディアン文化の破壊と迫害、9.11テロの世界貿易センタービル崩壊を、追体験させるし、
生命尊重の生き方にシフトしないと、世界がやがて破滅することを、言い訳の余地なく認識させるし。


でも、その生き方のシフトは、今米国社会がよりどころにしている経済力と軍事力とを、根っこからぶっ壊してしまう・・・かのように感じられてしまうひとも居るだろう。

アメリカでこのテーマを描くには、こんなふうに寓意にするしか無いだろうなぁ。

未来のファンタジーにして、美しくマイルドに描いて、それでもなお。
バンジージャンプのような、恐ろしさを感じても不思議ではない。
今生きてる世界の醜さがはっきり見え、
でも、美しい生き方へとジャンプする勇気は湧かない・・・。
立場によっては、絶望すら感じるかもなぁ。


でも、日本人はすんなり、この映画が描く”美しい生き方”を受け入れられる。


”和”の国・日本。
僕たちが当たり前だとおもっている、この文化は、
いま、とても貴重なものなのかもしれない。


日本は、”持続可能な社会”のモデルになるには、とても適している。
乏しい天然資源・狭い国土・過密な人口。
だから、諸問題も色濃く起きるし、対応策の効果も明確に出る。


日露戦争前のように、智慧と資源を”持続可能な社会”構築に、戦略的に注力すれば、
きっと世界に貢献できる。もちろん日本の未来も開ける。
生命尊重・高品質・高効率・コンパクト。創造性とリスペクトと調和に基づく、平和な進歩。日本の得意技じゃないか!


答えなんか無い映画です。

僕は逆に、完璧に計算通り、唯一の”答え”を描き出し、体験させる映画だと感じてます。
そこが、タイタニックやターミネーターと似てる。


その対極が、阪神大震災15年当日のドラマ、その街のこども。
ひとの”正解”のなさを、とりとめもなく描き切ってた。
迷った人が、迷いっぱなしだったり、歩みだしたり、また立ち止まったり。
そのありのままの迷いっぷりに、救いを感じました。
これは、日本ならではの描き方かもしれない。
そして、この描き方にこそ、アバター鬱の深い谷をいつのまにか消し、気づけば共生を生きてしまってる、そんな力があるような気がします。