深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「喋りたい女と聞きたくない男」に関するメモ(未完)

痛いニュース(ノ∀`) : 「オンナの話はオチがない」…なぜ男性は“しゃべらない女性”が好きなのか? - ライブドアブログあたりから始まっている、「喋りたい女と聞きたくない男」の話。いろいろとふらふら考えたことはあるが、まとまらないので、箇条書きにしてメモしておく。

  • 自分のこれまでの印象として、「すべての女がお喋り好き」はもちろん×。「お喋り好きに女が多い」も×な感じ、意外と口数の多い男性もいる(実際に知人で何人もいるし)。しかし「特に内容のない、あるいはなにかを伝えるという目的のないお喋りが好きな人は男性より女性が多い」というのはなんとなく○。男性でよく喋る人は喋るというより"語る"または"教える"という印象。言い換えると、お喋りすることそれ自体を目的として喋ることが好きな人は、男性にはあまり見かけず、女性に多いと個人的には感じる。
  • リンク先の記事でとりあげられているのは主にパートナー間の話だが、パートナー間では結局は相性問題に帰すると思う。互いにお喋りを特に好まない同士なら家庭は静かなまま安定する(例として夫婦の会話 - S嬢 はてな)。片方がよく喋り、もう片方がうまく聞ける(あしらえる)なら、それも問題にならない。http://d.hatena.ne.jp/quiznos/20070703/p2に書かれているケースは、文脈として「妻は本当はしゃべりたいが夫が聞きたくない」という背景(痛いニュースの話を前提としている)がある。ならばやはりこれは冷えきっている、または妻が我慢している、という意味合いではないだろうか。
  • 一般的な人間関係(パートナー外)において、お喋りが鬱陶しい、と感じられるタイプの人がいる。このタイプは相当女性の割合が多い印象。というか、具体的には、内容のない長電話をするタイプや、買い物の途中や道端でつかまってしまうといつまでもお喋りが続いて大変困るご近所さん、というタイプ。これらの共通点はTPOを考慮しないこと。内容がないお喋りであること自体を鬱陶しがられるのではなく、内容がないお喋りを他にやらなければならないことがある時にされることで時間を浪費することが鬱陶しがられる。こういう時は、仮に傾聴に値する内容があるお喋りだったとしても、やはり鬱陶しがられるのではないだろうか。
  • 私自身、やくたいもないお喋りは正直好きだけど、男性相手にお喋りしようという発想はない。なぜならあまり楽しくないから。お喋りを楽しむためのお喋りというのは、互いにそういうつもりでないと楽しめない。男性相手にそういうつもりを期待してはいかんような気がしている。というより、そういうつもりを期待できる相手は同性を含めてもかなり限定される。
  • ただ、必ずしも親しい友人相手でなければ、ということもなく、まずは「ただお喋りをしましょう」という前提をそこにいる人間が把握しているかどうかか重要なんだろうと思う。例えば、いわゆる井戸端会議や、PTAの集まりでランチ、なんてのはそういうもの。大して親しくない間柄でも、それなりに楽しい時間を過ごすことは可能である(内容がないからこそ)。しかし、ああいう集まりは、「ただお喋りする」こと自体が嫌いな人には地獄のようなんじゃないかなあ。虚しいとか腹立たしいとか、時間が無駄になった、とか感じるのかもしれない。


とりあえず、時間切れにてここまで。続きを書くかどうかはわからない。