ららら星のかなた つづき

対談集-ららら星のかなた (単行本)

 つづきです。

 

P176

伊藤 大変失礼なことを百も承知で言わせていただくと、日本の高齢の男性って、感じの悪ーい、昔のオヤジ的な人が多いんですよ。でもね、谷川さんと話していて何が面白いって……そういう、オヤジのオヤジ臭さがないんですよ。

谷川 ああ、それ、私の中の幼児性ですね。年齢というものを直線じゃなくて年輪で考えているんです。で、その中心にはゼロ歳のオレがいるっていう感じ。

 

P193

伊藤 ❝nature❞、自然っていうシステムのすみっこに自分がある。宇宙も山や海もあって、動物がいて植物も生えて、地球があって……というシステムが存在する。命が生きて死ぬ、それを繰り返している。その中に自分がひとつの要素として入ってる、と。

谷川 その中に、というのはちょっと違うよね。それだと部分みたいな感じに聞こえる。それそのものが自分だ、って言えないとダメなんじゃない?

伊藤 なるほど!自然そのものが自分。自分が自然。華厳経ですよ。

谷川 そうそう。だからオレ、華厳経って好きなんですよ。

 ・・・

伊藤 自然が自分で、自分が自然、と思っていれば、生きるも死ぬるも、ないんですね。

谷川 ないよね。ないけど、老いとか死とか、経験するのが面白い、というのはありますね。

 

P205

伊藤 谷川さん、やっぱりもう少し、「老い」それから「死」について、お話を聞かせてください。・・・

 谷川さんもやっぱり感じるんですか?「老い」というもの。

谷川 もちろんですよ。でもねえ、七十代で使っていた「老い」ということばと、八十代後半から使う「老い」とは全然中身が違いますね。

 ・・・

 ・・・七十代くらいだと、自分の体感として「老い」ってものがあんまりないんですよ。概念としては老いていくものだってわかってはいるけど。それが今は、「老い」が完全にからだに結びついているね。

 ・・・

伊藤 私、谷川さんの「私は、ナントカの老人です」っていうのがすごい衝撃的だったんですよ。あ、こういう風に書けばいいんだと思ったの。すっごい有名な詩。

谷川 「私は背の低い禿頭の老人です」。「自己紹介」っていう詩ですね。

 ・・・

伊藤 これまでお話をうかがってきて、谷川さんという方は際立って健やかでいらっしゃる。その本質というのは健康性にあるのかも、っていう気がしてきました。

谷川 それはもう、DNAのなせるわざです。うちの父は九十四歳まで生きて、頭はしっかりしたまま、一日も入院せずに死んだんです。九十一歳のときには、オレが付き添って、バルセロナまで行ったんですよ。

伊藤 え、お父さま、九十歳過ぎてヨーロッパですか。観光で?

谷川 彼は美しいものを愛する風流人でしたから、美術館に行くっていうのが目的でした。自分の骨董か何かを売って旅費を作って、わざわざ飛行機は一等のキップを買ってさ。オレもついて行って、バルセロナに着いた。ロマネスク美術館の前まで来たと。そしたら「行かない」って言い出したわけ。

伊藤 ええ?目の前まで行ってるのに。

谷川 そうなんだよ。オレはカッとなって、こんなにカネ使って、オレが一生懸命気も使って介護して、連れてきたのになんで行かないんだ!ってもう、ものすごく頭にきたんですよ。―でも今、彼の心情がすごくよくわかるの。

伊藤 え、どういうこと?その心情とは?

谷川 疲れたんですよ。

伊藤 疲れたんですか!

谷川 そう、簡単に言えばね。あんなに楽しみにしてたものでも、ちょっともう、美術館なんかを見て回る根気がないって感じになったんだと思う。

 ・・・

伊藤 父がね、四月に死んだのですけど、その年の桜の頃、満開できれいだから、クルマで見に行く?って誘ったら、「いや、いい」って。「去年見たから」って。

谷川 いやあ、よくわかります、その感じ。

伊藤 ハロルドもね、夕陽のものすごくきれいだった夕方に、「見に行かない?」って誘ったんですけど、「いや、いい」って。なんで見ない⁉って、やっぱり思いました。

谷川 あのねえ、全体にね、この世が退屈になってるんですよ。主には人間社会が退屈なんだけど、自然もね。美しい自然を見ればいまだにやっぱり心は動かされるけど、それも九十年間見てると、ちょっと退屈なんだよね。・・・

 ・・・

伊藤 そしたら谷川さん、生きるって、どんな欲望があってのことですか。

谷川 別に、欲望で生きてないですよ。惰性で生きてるの。

伊藤 だとすると、じゃあ、もし今死んだとしたら……。

谷川 (微笑)別に何の問題もないけど。あなたの本の題名通りですよ、『いつか死ぬ、それまで生きる』って。

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