藤本健のDigital Audio Laboratory

第970回

小岩井ことりさんの生ASMRパーティ舞台裏。高音質な仕掛けマシマシだった

左から、小岩井ことりさん、安済知佳さん、上田麗奈さん

1月22日、声優の小岩井ことりさんが東京・青山にあるAOYAMA GRAND HALLで「kotoneiro2周年記念イベント ASMR Tasting Party♪」なるイベントを開催した。このイベントは、小岩井さんのほか、声優の安済知佳さん、上田麗奈さんの3人が出演し、3体のバイノーラルマイク(Neumann KU100)に話しかけるという、なんとも不思議な光景のものだった。

会場に設置された、3体のバイノーラルマイク

しかも、会場のPA・スピーカーは一切使わず、来場者は自身の席に用意されているヘッドフォンアンプに、持参したヘッドフォン・イヤフォンを接続して聴くという、前代未聞のイベントだったのだ。

昼の部・夜の部と2回の公演だったが、100席×2はほぼ瞬殺で完売。一方で、その客席で聴く音をロスレス96kHz/24bitにエンコードしたものとフルHD映像でリアルタイム配信するサービスも、KORGのLive Extremeを用いて行なわれた(2月22日までアーカイブも視聴可能)。

実はこのイベント、筆者も企画段階から参加しており、セッティングの手伝いをする傍ら、配信現場など舞台裏を取材することができた。当日、何が行なわれていたのかレポートしてみよう。

小岩井ことりさん

前代未聞の“生ASMRパーティ”開催までの顛末

小岩井さんサイドから、「マイクで収音した音を、レイテンシーなく目の前にいる多くの人に届ける方法はないか?」という相談を受けたのは昨年7月のことだ。

どういうことか、小岩井さんのサウンド&配信チームに聞いてみたところ「kotoneiroの2周年に合わせ、“ダミヘ”(ダミーヘッド型バイノーラルマイク)を3~4台ステージに置いて、100人程度の来場者に対して、持ち込みのイヤフォンでリアルタイムに音声を聴いてもらうイベントを企画しているが、何かいい方法はないだろうか? できる限り高音質で、しかもワイヤレスだとベスト」との内容だった。

最初に頭に浮かんだのは、新規格のBluetooth LE Audioだ。

LE Audioであれば、ブロードキャスト接続で100人程度にリアルタイム送信することができそう。ただ、ハイレゾというところではちょっと厳しそうだし、50msec以上のレイテンシーはありそう。そして何より、まだ対応製品がほとんど普及しておらず、これを来場者に持って来てもらうには無理があるため、却下となった。

もうひとつ思い浮かんだのが、仙台のミューシグナルが開発したWi-Fiでロスレス・ハイレゾを伝送する技術「ミュートラックス」だ。

プロトタイプ的な機器の存在を見ていたし、行けるのでは? とも思ったが、100人が聴ける環境を構築するのはまだ無理がありそうだし、それなりの広さの空間で100人が安定して聴ける実績がなかった。

であれば、超ローテクではあるけれど、2021年に藤田恵美さんが「Headphone Concert 2021」で行なった“アナログ方式”が一番安心で、確実で、高音質なのではないか…と思った。

同コンサートを主催したレコーディングエンジニア兼HD Impression社長の阿部哲也さんに聞いてみたところ、「2021年のときはコロナ禍真っただ中で40席限定だったけれど、2022年10月に第2弾を実施する予定で、それに合わせてヘッドフォンアンプを100人分に増やしたばかり。10月のライブ終了後であれば、それを貸し出すことは可能」という返事が得られたのだ。

一方で、せっかく高音質なイベントを行なうなら、会場だけでなく、高音質な配信もできたら、会場に来ることができなかった人にも同じ楽しさを届けることができる。

「ハイレゾ配信であれば、KORGのLive Extremeがよさそう」という思いは小岩井さんも持っていたようで、たまたま筆者が別件でKORGに取材に行った際に打診したところ、それは面白そう、と協力してくれることになった。

実際、藤田恵美さんのHeadphone Concert 2021はLive Extremeでも配信しているので、相性はよさそう。そのときは輝日のeContentを使うのが確実だろう……と、この連載で取り上げたネタで話が広がり、つながっていったのだ。

そんなこんなで、だいぶ大がかりなイベントになったため、結局、アイディアスタートから実施まで半年以上かかったが、1月22日に「kotoneiro2周年記念イベント ASMR Tasting Party♪」を開催することになった。冒頭でも触れたとおり、会場のPAは一切使用しないので、スピーカーからの案内はなし。席についてヘッドフォン・イヤフォンを接続すると、影アナの小岩井さんによる、本日の案内や注意などが聴こえてくるという仕掛け。

小岩井ことりさん、安済知佳さん、上田麗奈さんという、人気声優3人でどんなことが行なわれたのかは、ぜひアーカイブをご覧いただきたいのだが、声優だからこそできる、ユニークなメニューが満載だった。

当初、個人的に疑問に思っていたのは、ステージ上にダミヘを3つ置くことの意味。ここは小岩井さん自身のこだわりでもあったのだが、当初、「それはステージ上に1つおいて3人で喋ればいいのでは……」と思っていた。が、当日のステージを見て、初めてその意義を理解。確かに3台あるからこそできる、不思議な体験が得られるイベントだった。

1月22日に開催された「kotoneiro2周年記念イベント ASMR Tasting Party♪」
2月22日まで、アーカイブ配信が行なわれている

ダミヘ3台による、高音質イベント&96kHz/24bit配信の仕組み

では、ここからは、その世界初であろうダミヘ3台を使った高音質イベント&96kHz/24bitでの高音質配信がどんなシステムになっていたのかを紹介していこう。まずは、そのシステムをザックリと現したのが、以下のシステム図だ。

会場に設置された、3台のダミーヘッド
システム図

画面下のオーディオ信号の流れから見ていこう。まずステージ上にあるダミヘ(KU100)はXLRのステレオ出力で、それが3台あるため計6chがホール一番後ろにあるコントロールルームへと送られる。そして、その信号は2台あるRME Fireface UFXへと入っていく。

コントロールルーム
2台のRME Fireface UFX

なぜ2台なのかと思ったら、UFXはマイクプリが4つしかないのが理由。同じ品質のものを6つ用意するために、2台設置しており、UFX②に入ったものはそのままUFX①へライン変換して送られている。つまり単なるマイクプリとして使っているわけだ。そしてUFX①で2chにミックス。エフェクトを全く使わず、そのまま純粋にミックスしただけの生音がステレオ信号として会場へと送られる仕組みになっていた。

当日は、前出の阿部さんにも協力を仰ぎ、ヘッドフォンアンプ関連のセッティングをしていただいた。

レコーディングエンジニア兼HD Impression社長の阿部哲也さん

流れとしては、こうだ。ステレオ2chで受け取った信号をFOSTEXのPH-50というヘッドフォン分配機を使って分配し、それをさらに別のPH-50で受けて分配し、それを阿部さん自家製の数珠繋ぎケーブルを利用してヘッドフォンアンプへ。

ヘッドフォン分配機を使用

ホール前方の48席には、M-AudioのBass Travelerに接続。さらにホール後方の52席+来客用4席=56席にはオーディオテクニカのAT-HA2を設置。来場者には、このヘッドフォンアンプに持参したヘッドフォン、イヤフォンをつないでもらった。

M-AudioのBass Traveler
オーディオテクニカのAT-HA2
会場の様子

一方で、これをLive Extremeを使って高音質配信したわけだが、実は会場で送った音とは違い、少し加工をしていた。会場は「基本的にレイテンシーゼロかつ無加工の音」というコンセプトであったのに対し、配信は、どうしてもレイテンシーは起きてしまうが、配信で問題が起きないようサウンドチーム&配信チームでブラッシュアップしていたのである。

サウンドチーム&配信チーム

具体的には、Fireface UFX①がWindows PCとUSB接続されており、ここに起動したCubase Pro 12にダミヘ×3=6chが立ち上がってくる。これをiZotope RX8の音声ノイズ除去機能のVoice De-noiseでノイズを抑え、さらにマスターアウトにOzone 10を入れて音圧調整。

Voice De-noiseでノイズを抑制
音圧はOzone 10で調整する

その信号をKORGのLive Extremeチームへ渡しているのだが、その渡し方もしっかりしている。Live Extremeチームでは、もしものトラブルを回避するためにメインシステムとバックアップシステムの2台体制で配信を行なっており、メイン用にABSのデジタル信号を渡し、バックアップ用にアナログのXLRケーブル×2で渡していた。

KORGのLive Extremeチーム
バックアップ用のアナログXLRケーブル

小岩井さんのサウンド&配信チームは、オーディオだけでなく、映像系もすべて取り仕切っている。

映像用のカメラは会場後方に5つ並んだカメラ。同じ場所に5つ並べて何をしているのだろうと思ったら、うち3台が小岩井さん、安済さん、上田さんをそれぞれ狙い、1台が少し引いて3人を映し、もう1台が自由に動き回れる形になっていた。

会場後方に用意された、5台のカメラ

これが先ほどのシステム図の上部のとおり、ATEM Mini Extreme ISOへ入力されるとともに、OBSへ。さらにOBSには会場のスクリーンに流す画像、映像を出すためのPCが接続されていて、それらをSTREAM DECKのコントローラなどを使いながら切り替えを行なっていた。

ATEM Mini Extreme ISO
OBSでコントロール

そのOBSの出力をHDMI分配器を通じて、Live Extremeチームへ。これもやはりメイン用、バックアップ用2回線を送る形になっていた。ちなみに、今回の配信はとにかく音が主役。そのためオーディオは96kH/24bitであるのに対し、映像はカメラの時点からフルHDで作られているというのもユニークなところだ。

さて、メイン用、バックアップ用で入ってきたオーディオ・ビデオをどのように処理しているのか。

KORGのLive Extremeチームに確認したところ、メインシステムもバックアップシステムもほぼ同等のものとなっていて、CPUは第11世代Core i7-11800Hという2.3GHzのノートPC。メインマシンにはRMEのADI-2 PROが接続されており、これがAESの信号を受けている。

RMEのADI-2 PRO

バックアップシステムのほうには、KORGオリジナルのオーディオインターフェイスでPrimeSeatを運用する際に作った非売品MR-0808Uを通じて取り込んでいる。映像のほうはHDMIの信号がUltra Studio Recorder 3Gを介してThunderbolt経由でメインシステムへ、もうひとつはUltra Studio 4K Miniを通じてバックアップシステムへと入っている。

MR-0808U
Ultra Studio Recorder 3G
Ultra Studio 4K Mini

ここで気になるのはリップシンク。これについても、Live Extremeのシステムで非常にうまく合わせることができる仕組みが作られていた。事前にマイクの前でパンと手を叩くシーンを録音&撮影し、それをシステム上で映像と波形を見ながら調整するので、とっても簡単。これでドンピシャでリップシンクを実現してくれる。

事前にマイクの前でパンと手を叩くシーンを録音&撮影する
システム上で映像と波形を見ながらシンクを取る

こうして作られた映像と音を、これらのノートPCでリアルタイムにエンコードしているのだが、映像のほうは

・1,920×1,080p 60.00 6,000kbps
・1,280×720p 60.00 3,000kbps
・854×480p 60.00 1,000kbps
・640×360p 60.00 300kbps

……の4種類で、H.264 High Profileにエンコード。そしてオーディオのほうは96kHz/24bitおよび、48kHz/24bitのそれぞれで、非圧縮のまま配信している。

H.264 High Profileでエンコードする

この会場では、まったく別系統のネット回線を2回線用意できたため、メイン、バックアップそれぞれ同時に、輝日が用意しているeContent用のサーバーへ打ち上げ。この際、プロトコルとしてはWebDAVが使われている。

輝日に確認したところ、WebDAVはHTTPベースなので、ほとんどどこの現場の回線でも通らないことはないし、このLive Extremeの場合は、現場でエンコード、複数のビットレートに分けたものを打ち上げてくれるから、そのまま送り出せばいいだけで、システム的にも非常にスマートである、とのこと。

あとは、視聴者が接続すれば、そのシステム、回線に合わせた最適なものが届くという形であり、Chromeなどのブラウザを使う形で、高音質配信が得られるというのも、使いやすくて便利なところだ。

筆者も昼の部は会場後方の席でヘッドフォンを使って鑑賞した一方、夜の部は、控室で配信のほうをリアルタイムで見ていた。

漏れ聴こえる会場の拍手などから数えると40~50秒遅れての配信となっていたようだが、非常に高音質で、画像も綺麗に見ることができたので、これなら自宅で配信を楽しむ形でも、ほぼ100%会場の雰囲気は伝わると感じた。もっとも高音質・高画質でハイビットレートの配信だったため、スマホのテザリングでの消費通信量が気になったところだが…。

小岩井さん「思い描いてきたことが実現できた。今後も新しいことをやりたい」

イベント終了後、小岩井さんにミニインタビューができたので紹介しておこう。

――今回のイベント、どのような経緯で実施することになったのですか?

小岩井さん:ASMRレーベルであるkotoneiroが2周年となったので、応援していただいているファンのみなさんに何か恩返しできないか、考えていました。せっかくなら新しいことをやってみたい、イベントはどうだろう? せっかくイベントをするなら、今までにないようなイベントを……という思いから、生でASMRをというのを考えました。

――それにしてもKU-100をステージに3台設置するというのは、かなり異様な光景でもありました。これはどういう発想だったんですか?

小岩井さん:スタッフのみんなとイベントについて雑談を重ねながら、どんなことをしよう……とアイディア出しをしていたのです。そうした中、「3人の演者がいたら、それぞれの前にダミヘを置いたらどうだろう?」と言い出し、それは面白そう! と話しが進んでいきました。ただ、あまりにも普通ではない方法だったので、いろいろ問題点もありました。どうやって会場に音を送るのかというのもそうですし、SEはどこからどうだせばいいのか、それを出演者側はどうやってモニターすればいいのか……。

――どんな問題点があるのかを考えるだけでも大変そうです。

小岩井さん:たとえば、ゲストの方をステージにお呼びする際はテーマ曲など、きっかけの音がステージで鳴るので、それに合わせて入っていただくわけですが、全部イヤフォンなのでそれも無理だし、配信の音ではタイムラグが出てしまいます。そこで、呼び鈴で、チリンチリンと鳴らすとか……。すごくデジタルなハイテクイベントではあるけれど、とってもアナログな運用をしていたりするんです。

――実際に2回のステージを終えていかがですか?

小岩井さん:ASMRは今とても流行っているので、いろいろなレーベルも出てきていますが、ASMRイベントを開いたのは私たちが初めてだと思います。多くの方からご期待いただいたみたいで、本当にうまくいくのか、トラブルが起きないかなど、不安はいっぱいでした。でも、みなさんの表情を見るとともに、配信状況なども確認し、思い描いてきたことがうまく実現できたんじゃないかな、と思っています。ぜひ、今後も何か新しいことをやっていきたいですね。

藤本健

リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。 著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto