横浜美術館の学芸員である南島興氏を特別編集員にお迎えし、新企画をスタートします。全国のキュレーターの方々にお声がけし、南島氏とともに対談・鼎談を行なっていただくというものです。そしてそのようすを、音声コンテンツの形式で配信していきます。今回は新企画立ち上げの経緯から意気込みまでをステートメント的にお書きいただきました。artscape30年の歴史をひもときながら企画される「ミュージアム外のインターネットラジオ」。ご期待ください。(artscape編集部)

今年の7月artscape編集部から「キュレーターズノート」への依頼が来た。キュレーターズノートは、普段キュレーターはどんなふうに情報や展覧会のネタを集め、勉強・研究したり、人脈をひろげたりしているのか、その頭のなかをのぞくことが趣旨で、テキストの中身は展評やアートシーンについての時評、また個人的なエッセイなど様々である。旧名称の「学芸員レポート」時代を含めると、2003年から20年以上つづく歴史ある連載で、現在は全国16名の学芸員・キュレーターなどが執筆している。ぼく自身もこれまで読んできた連載なので、とてもありがたい依頼だと思いつつも、率直に言ってキュレーターとしてぼくがキュレーターズノートに書くことには違和感があった。もちろん肩書上、美術館の学芸員であり、キュレーターとして休館中の展示プロジェクトを企画したり、横浜トリエンナーレにも携わっている、と言うことができる。また展覧会企画として、美術史における「憂鬱」や「メランコリー」の表象について書ければそれはそれで面白いとも思う。にもかかわらず、ぼくは、自分自身の活動がキュレーションという行為を中心にまわってるとはまったく思えていないのだ。

同世代の動きを見渡せば、ぼくは2013年に大学入学、修士課程の修了が2019年であるが、この世代から現われた新しい傾向として、はじめからキュレーターを志してキュレーションを大学、大学院で学んだキュレーターたちの存在がある。目立つところでは、東京藝術大学の国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻キュレーション領域(通称:GA)は2016年に修士課程、2018年に博士課程が新設されており、この数年で同領域からは美学、美術史研究とは異なる知見、方法論に基づいたキュレーターが多く輩出されている。事実、いま若手のキュレーターとしてまず名前があがるのは、彼らだろう。これは制度的な帰結にとどまらず、GAの教員らの国際的な人的ネットワークのなかで実地的な研鑽を積むことで、着実に世代交代が進んでいることを意味している。在学中に国内外のキュレーターのメソッドを研究し、自らのキュレーションの実践へと結びつける、いわばピュアキュレーターたちは、これからのキュレーションを担う重要なプレイヤーだと思う。キュレーターズノートであれば、真っ先に彼らが執筆するのが適任だろう。

それにぼくが、キュレーターズノートを担当するのであれば、個人の執筆ではなく、誰かと出会うことを核とした共作のかたちを取りたいと思った。なぜなら、それがぼくにとっての自然な制作スタイルであると同時に、これから数年で意識的に向かっていきたいと思っている方向でもあるからだ。

●

ぼくがコロナ禍ど真ん中の2020年から続けている活動に、全国の美術館の常設展をレビューするメディア「これぽーと」がある。これは、ひとびとが共有財産である美術館のコレクションに触れ、自分の考えを公表し、共有するための、とてもパブリックなメディアである。また120本超のレビューのほぼすべてをひとりで編集してきたが、これはコロナ禍のオンラインアートライティング講座としても、とても充実したものであった。これぽーとは完全無償、無料のメディアであるが、そのメリットはだれでも同じメディアを企画し、運営できることにあると思っている。非営利の活動であることは、コレクション展が本来そうであるように、だれでも使える機会を提供することを意味しているのだ。だから、これぽーとはそっくりそのまま別の場所で別のひとに始めてもらいたい。さらに言えば、全国の美術館を取り扱ってはいるが、ぼくが東京にいることで、どうしても集まってくる原稿の幅にも限界は出てくる。よほどの規模でない限り、オンラインメディアも土地からは逃れられないのだ。ぼくに許可をとる必要はまったくないが連絡をもらえれば、もちろん無償で応援したい。

この5年ほどはそんなことを思い続けてきた。個人的に関心のありそうな人にも会うたびに話してきたが、どうも実現には至っていない。もちろんコレクション展への注目やレビューはあるが、ムーブメントにはなっていない。つまり、その意味では成果は、いまのところゼロということだ。それで、ぼくはふと思った。ひとびとがやりたいことは何だろう?

この一年で、ぼくは美術を志すひと、生業とするひとたちに率直にいまやりたいことを聞いて回りたいと思うようになった。ぼくの場合はツイッターに書き連ねているので、その必要はないが、このインターネット、SNSの時代になってもなお、というより、それゆえにひとびとの持つ何かへの熱意や動機は見えづらくなっていると思う。また、それはそのひとの作ったものに現われているかといえば、そうでなかったりもするし、職場やタイムライン上では自ら発せられることのない言葉だったりもする。みなさんも経験があると思うが、たとえば働いていると、それまで言わずに考えていたはずのことが、いつのまにか何か分からなくなって、自分のアウトプットだけが自分の考えていることだと思えてきてしまう瞬間がある。そして、それが常態化していく。でも本当は考えていたことがあったはずだ。ぼくは、この機会にあるひとが言わずに考えていることをお節介にも聞いていきたいと思う。

あなたのやりたいことはなんですか?

就職面接のようだけど、まったく違う。面接で聞かれていることは、あなたがこの会社でやりたいことは何か? であって、ベクトルはあなたに向いていない。この企画では、あなたのやりたいことをざっくばらんに聞いていきたい。

もちろん、これはキュレーターズノートの域を超えてしまっているため、ぼくと編集者で相談し、artscape内にまったく新しい連載企画を立ち上げることになった。ゼロからアイデアを練り直して、企画案を作り、編集会議を通してもらい、今日こうしてこの記事の公開に至っている。具体的に何をするのかといえば、ぼくとゲストとの対談や鼎談の音声とともに、そのダイジェスト版をテキストでも公開するかたちを考えている。音声を取り入れたのは、ぼくがそうしたスタイルに慣れているからというのもあるが、もうひとつartscapeというメディアの特性ともかかわっている。

●

今回の依頼を受けてからartscapeの成り立ちについて調べてみた。まずartscapeの源流となった「美術館メディア研究会」(1993年11月発足)は、「作品の集積場としてだけでなく、情報の集積場としての美術館を考えよう。その時、美術館はメディアになるはずだ」という仮説から始まっている。95年のインターネット元年以前の話であるが、ヴァーチャルミュージアムのビジョンがあることがはっきりと読み取れる。ちなみに同研究のアドバイザーは当時、多摩美術大学教授の伊藤俊治が務めている。その後、94年に美術館紹介と展覧会情報をCD-ROMに収めた「美術館インフォメーション」(パイロット版)の製作を経て、95年には前身のひとつとなる「Museum International Japan(MIJ)」が開設。また96年にはインターネットマガジンの「network museum & magazine project(nmp)」を発行し、このMIJとnmpが融合し、98年に始まったのが「アートスケープ(artscape)」である。

artscapeの10年史をまとめた『アート・スケープ・クロニクル 1995-2005』によれば、「サイトを放送局に見立て、掲載情報を独立した番組としてとらえるマルチ・チャンネルの着想」から、artscapeは始まった。つまり、放送局をモデルとしたマルチチャンネル化したヴァーチャルミュージアムがartscapeの原型と言えるのだ。またマルチ化の方向性として、同書所収の鼎談(椿昇、八谷和彦、森司による)では、ボイスメールやインターネットラジオの導入をあげている。例えば、八谷はこんなイメージを語っている。「大学生が2人ぐらいで、いろんな展覧会を見に行って、カフェでおしゃべりするイメージでやればいいと思う」「今日どこいったとか、どこが良かったとかね。今日は暑かったからあの清涼感のある作品が良かった、とか。ひとりでしゃべるのは難しいけれど2人だとしゃべりやすいし」★。

さて、いまはどうだろうか。ぼくの観測では、じつはもっとひとはネット上で日常的に話したり、制作や活動の経過についてリアルタイムで発信するかと思っていたら、そうはなっていないという実感がある。むしろ2020年代になって、ネットで言葉を発信することは、シリアスで重苦しいものになってしまった。だから、この企画では八谷が20年前に語っていたような何気ない会話も大切にしつつ、もう一回、artscapeの原型に立ち帰って、マルチメディアによるマルチチャンネル化を目指したいと思っている。

●

とはいえ、いきなり、あなたのやりたいことは何か? と聞かれても、それはそれで答えづらい気もするので、ぼくが直近でやりたいことを思いつく順に列挙してみたい。

まずアートツアーを開催したい。学生時代にツイッターで募集して、韓国・ソウルアートツアーを企画し、実際に7名現地集合して、三泊四日の旅をしたことがあった。分刻みのスケジュールを組んでしまったけど、とても楽しい旅行だった。ソウルで出来たのだから、国内で出来ないはずはない。例えば、近々DIC川村記念美術館をめぐる佐倉-成田空港ツアーを一泊二日で企画してみたいし、その旅の栞(しおり)を作るだけでも、十分に楽しいと思う。ぼくが編集部員として7年ほど携わっている「LOCUST」という同人誌は、旅行誌を擬態した批評誌をコンセプトにして、編集部員で各地を旅行し批評してきた。いま振り返れば、LOCUSTは時間と労力をかけた最上の旅の栞なのではないかと思っている。2010年代の「芸術祭の時代」はもちろん観光の時代であり、コロナ禍を経て、またその観光熱は戻りつつある。それぞれの旅の栞をもとにみなさんにもアートツアーを企画してほしい。

つぎに図書館を作りたい。以前、自宅の引越しの際には本棚の写真をツイッターに公開して、希望者に本を直接手渡しで、無期限で貸し出す企画をしたことがあった。いわば個人的なヴァーチャルなライブラリーである。いまも100冊ほどを貸し出した状態にあるが、本を介して出会うと、ちょっとした縁ができる。かつ、もっと現実的な話をすると、ぼくのまわりには、かたや本が買えなくて困っている学生と、かたや本の置き場に困っている年長者がいる。そんなときはヴァーチャルライブラリーをそれぞれで企画してほしい。くわえて、来年から世界一小さな芸術学校というコンセプトで芸術学校を始める準備を進めているが、学校にも図書館の機能が必要だと強く感じている。ヴァーチャルだけでなく、リアルな空間としても本のある空間を構想したいと思っている。

また人文系一般の若手の批評家・研究者等が一堂に会するトークイベントもやりたい。今年の2月に文化庁アートクリティーク事業の一環として、若手の美術批評家・研究者を10名集めた「レクチャーシリーズ:批評と芸術」が開かれた。それは2008年の「批評(創造)の現在」を引き継ぐという意図もあってのことだが、ふだんはネットの向こう側にいる書き手同士で実際に対面して話すことの意味をとても感じ、こういう会を継続していきたいと思い、塚田優さんと「美術批評を読む」というレクチャーシリーズを始めた。来年の春あたりは、この発想を拡大させて、人文系一般の若手の批評家・研究者などを20名ほど集めたイベントをやりたいと思っている。時間でいえば、4名+司会1名で、五つのトークが連続する、10時間コースのイベントだ。こういうのは毎年やっても仕方ないけど、10年に一度ぐらいはお互いに姿を現わして話してみることは大事だと思う。

●

こんな具合で、やりたいことはひとつでなくていい、方向性もバラバラでいい、他人が望んでいないことでもいい。自分が自分としてやりたいことを、大小問わず、商売になるかも問わず、ぼくはいま聞いてみたい。椿、八谷、森の鼎談は95年から2005年までの10年を振り返るにあたって、阪神淡路大震災後のインターネットへの注目を語るところから始めているが、94年生まれのぼくは、東日本大震災以後のSNSへの期待のなかで育った世代である。そのSNSも2016年前後か、もしくは現在進行形で壊れかけているという実感をもつひとは多いだろう。かといって、SNSの先に新しいメディア、プラットフォームがあるとは現時点では思えない。けれどインターネットのなかに個人単位であれ、組織であれ、別のコミュニケーションスペースを作り出すことには、まだまだ可能性があると思う。今回、artscapeの歴史を少し調べて、そんな気持ちを改めて強くした。ぼくはこのartscapeという放送局を借りて、つまりミュージアム所属の学芸員がミュージアムの外から、インターネットラジオを発信したいと思う。

★──『アート・スケープ・クロニクル 1995-2005』(椿昇、八谷和彦、森司、「artscape」編集部編)、DNPアートコミュニケーションズ、2005、29頁