独学で自身の作品スタイルを表現されて来た作家「 MAYA MAXX( マヤ・マックス)」氏が63歳という今時ではまだまだ現役で表現活動が出来る年齢でお亡くなりになられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
MAYAさんは、常々「子供のような絵を描かれる方だな」って思っていたんです。
そう言う風に書くと「子供のようなって…失礼だろ!」って嫌悪感満載で怒られる方も居られますが、僕にとって絵を表現する上で「子供のような」は敬意と尊敬を持って贈る言葉なんです。
「子供=ピュア」って言う評価の意味も有るのですが。人間社会のルールにまだ希薄で純粋に世界を観る事ができる「子供」という存在は芸術活動をする上で、大人よりも神に近い存在なんです。
だから大人になって社会規範内にいながら「子供の視点」で世界を観て、それを表現されている方々は神の視点を持たれた存在であり、人類が生きる上で都合よく作り上げられた「社会」そしてそのルールという人工的システムの外側、即ち森羅万象の万物世界を素直に見渡せる存在、それこそが芸術的な天才だと僕は思うんですよ。
だから「子供」或いは「子供に近い人」が表現した作品は神の啓示に等しい…みたいに僕は思っています。
ちなみに立場上、いろいろな方々や企業さんから有名芸術家の美術展などの招待状を頂く事が有るのですが。社交辞令で観に行く事も有れば、支障が無ければスルーする事も有るんです。
しかし、それらとは逆に、僕が率先して観に行く展示会も有るんですよ!…それはどう言った趣旨の展示会かと言いますと。
幼児や小学生が描いた児童画作品の展示会なんです。よく街中で見かけませんか?商業施設のフリースペースで展示される、自治体や学校や企業が子供を対象に作品を募って展示する展示会…
そう言う展示会には時間が有れば小一時間は居座って閲覧させて頂きます!
僕にとっての展示会と言うイベントは「愛でる」ためではなくて「勉強」の為に鑑賞するものなんです。
なので、海外から来る巨匠の名画などのような完成された作品にはさほど興味が無いんです、だって完成されたモノを見ても、それを上回るインスピレーションが湧いてこないんですよ。
それを無理に取り入れて何かを発想しても作品に対しての冒涜的なネガティブな感覚になるし…(私見ですが)
ただし!「ジャン=ミシェル・バスキア」などのように「子供のような視点」「子供のような感性」「子供のような表現」をスタイルとしている、こう言ったピュアな作家の展示会は例外です!
もちろん「MAYA MAXX」氏の作品なども同じく勉強させて頂く為に展示会などへは率先していきますけどねw
なにしろ僕にとっては作家さん達は尊敬すべきヒーローであり、とても学べる感性を提供をしてもらえる逸材作家さんなんですから。
ちょっと、話しがズレましたが。そもそも、MAYAさんの事を最初に知ったのは、僕が今とはちょっと違う「キモノ作家のアシスタント」をやっていた、若い時代の事でした。
僕などは美術系の学校を卒業して、ある程度クリエーティブでアーティスティックな進路を選択できる環境に有ったのですが、いま一つ表現活動の根本を余り理解してなかった時期でも有ったんです。
そんな時代にMAYAさんの画集を書店で発見して、インスパイアされて、あれやこれやと小奇麗なキモノ作品ばかり作っていた時期で、こなのではクリエイティブな表現はダメだし面白くない…って気付かせてくれた作家さんの一人がMAYAさんでもありました。
その出会いで初めて「悟り」…って言うか…クリエイティビティな芸術作品を評する上で「この絵は上手い」と表現、評価する事への違和感というか、深いな感じがして、それ以来、いろいろな作品を評価する場合は「この絵は面白い」っと表現するようになり、こう言った表現、評価の方が適切で「しっくり」来ることに実感を感じたんですよ。
美術系の学校を卒業して、絵を描く事を仕事を生業にしてきて、なのに漠然とした思いしか無くて、将来の進路を選ぶ時にもそれほど考えも無くて、ちょうどその時に募集が有った、キモノ作家アシスタントという職種へ付く事にしたんですね。
そんな安易な選択で選んだ職業ですから、日々淡々と師匠の作画の手伝いをし、本来、有るべき作家、或いはクリエイターの姿を見失って過ごしていた時期にでも有りました。
本来で有れば、学校やキモノ作家の師匠から学ばずの事を書店で一時見かけたMAYAさんの画集から学んだ…って感じなんですよw
本当に遠回りしましたよw 何気に入った書店でMAYAさんの画集を見て表現の真理を悟るという…w
本当に「人生は型どおりには行かないなね…」って感じですw
さて今回、僕が経験したMAYA MAXX 氏との出会いが、どれ程の方々に共感、共鳴していただけるかは分かりませんが。少しでも共感していただけた方々とMAYAさんのご冥福を祈る事ができれば幸いです。