2010年 01月 04日
ドク談シリーズ(2) なぜ日本ではドクターの就職が難しいの? |
日本の企業は博士号取得者を採りたがらないとよく言われますが、こと製薬企業に関しては、特に大手は昔から相当数の博士号取得者を採用しています。中堅どころでもそれなりに採用されていました。しかし採用人数という全体の枠が狭められる中、厳しいのは何も博士だけではなく、修士や学士だって全員が希望する企業に入れるわけではないのが現状ですから、数ばかり増えて求人が減っている博士にとってはなおのこと厳しい時代でしょう。
日本の企業が博士号取得者を採用したがらないのは、彼ら彼女らが人材として使いにくい、あるいは扱いにくいからだとよく言われますが、これは上記に加えてさらにという部分になります。採用側からすると何がどうあれ結果的にそうなるという側面はあるのかも知れませんが、これだけが理由ではないような気がします。
アメリカのことを持ち出すと不愉快な方もいるかも知れませんが、ともかくアメリカでは、製薬会社の研究員となるのに、Ph.D.はごくわずかな例外を除いて必須です。しかも多くの博士取得者は数年間のポスドク生活を経た後に入社します。使えるも使えないも、原則として博士でないと研究員としてのスタートさえ切れないというのが現実なわけです。一方日本では学士でも修士でも博士でも、製薬企業内ではアメリカの博士取得者に与えられるScientistというタイトルに相当する研究員として同じように扱われます。したがってアメリカの研究職はドクター卒が中心、日本の研究職はマスター卒が中心ということになります。この日米間の違いが、日本でのドクターの就職を難しくしている理由そのものではないか、と思います。
私の仮説はシンプルで、「採用側は単に自分たちと同様な人を採ろうとするだけ」というものです。博士号を取らずに会社に入った人は、自分は経験していないドクターコースの経験を経て入ってくる人たちに対して、完全にフェアーな評価をするのは難しい部分があると思います。コンプレックスというのは適当ではないかも知れませんが、心のどこかに対抗意識が生まれ、学位なんかなくたって自分の方が企業研究には精通しているのだと、はなから身構えてしまうところは多かれ少なかれあると思います。その結果、無意識のうちに博士号取得者の粗探しをしてしまうということもあるのではないでしょうか。そして修士卒でもうまくいっているのだから修士を採用すればいいと考えます。
この修士卒でもうまくいっているという部分は重要で、これに関連して博士を目指す方にあらためて認識していただきたいことがあります。修士を終えて就職した同期の人たちは、あなたが自分の研究に打ち込む3年間、企業内でとてもたくさんのことを、文字通りオン ザ ジョブ トレーニングで学んでいるということです。特に大企業の場合、企業の研究所というのは一般的にアカデミアよりも潤沢な予算がありますので、設備面でははるかに恵まれています。そのような環境で、また大学の研究室よりもずっと大きな組織の中で、彼ら彼女らは揉まれ、また競い合っています。ドクターは入社時に、そうやって3年間鍛えられた修士卒の研究員以上の何かが求められるということです。同じ3年間で彼らには学べない何か、しかも企業にとって有益な何かを身につけている。そうでなければ採用する意味がないですよね。
角度を変えて見ると、アメリカの製薬会社は博士卒中心にまわっていますから、その中にできる人できない人等いろいろ出てくるのは当然のことです。しかし日本は修士中心でまわっていますから、その中にあってあえて博士という場合、周囲からもトップレベルと認められる人以外はかなり容認されにくいことになってしまいます。このような構造的な面から見ても、日本での博士の就職はアメリカよりもハードルが高くなってしまいます。ですから、たとえ日本で博士として就職できなくてもアメリカでならやっていける、とりあえず英語力を横に置いておけばですが、そういう実力の人はたくさんいるのです。
ちょっと脱線しますが、本社人事部に最終権限がある日本の新入社員一括採用システムは、そろそろ見直すべきだと思います。本社配属になる人は本社で面接すべきでしょうが、研究員候補者は該当研究所の該当部署がスクリーニングし、面接をし、決定した方が、あとあとのマッチングも含めて無駄な失敗がなくなります。さらに博士が使えるとか使えないとかいった十把ひとからげの議論ではなく、個人単位で評価、検討できますから、この問題の根本的な解決策のひとつにもなると期待できます。
話を現在のシステムに戻しましょう。日本企業には新入社員を即戦力とはみなさず、社内でトレーニングして一人前に育てるというカルチャーがあります。そして○○イズムのように、それぞれの会社の社風に沿った人材になることがよしとされます。そういう点で、専攻分野に関する基本的な知識と実験技術は持ちながら、しかしまだ一人前の研究者とはいえない修士卒あたりを採用するのが、最も利にかなっていることになります。
一方ドクターの側も、自分は修士卒とは違うというプライドもあるでしょうし、高い期待値に応えようとして、最初からハッスルすると、今度は生意気だとか(^^;)言われることになってしまいます。ドクターとはいっても新入社員ですから、「新人は黙ってろ」という日本社会の掟(笑)に反することになってしまいます。加えて同年代に当たる、3年前に修士で入ってきた4年目の社員がすでにしっかり調教され社風になじんでいるのと比較して、新人ドクターは異質で、その上会社のことを何もわかっていない奴のように思われてしまいがちです。
アメリカの研究員はほとんどが博士だからこの次も博士を採用し、日本の研究員はほとんどが修士だから次も修士を採用する。これならばスムースなのに、修士が博士を部下として採用しようとし、修士が多い現場に投入しようとするから、何かと問題が生じるのです。博士の有効活用のためには、「採用してみたけど期待はずれ → もう採用したくない」の悪循環が「採用してみたら期待以上 → もっと採用したい」の好循環に反転しなければなりません。
これには双方の努力が必要になりますが、その結果として企業の側が博士割合を高めていこうとする時には(するかどうかわかりませんが)、その過渡期においてはお互いが反発するのではなく、協調して仕事を進める雰囲気を、職場のリーダーが意識して作っていくことが重要になると思います。それには上記の部署別採用システムも有効なはずです。
さらに採用側、つまり迎える企業側では、上記のようにドクターに対する期待値が高くなるのは当然としても、それを不条理に上げすぎないことも必要でしょう。集団というものの本質で、いくらドクターといってもすごく優秀な人からそれほどでもない人までレンジがあるわけです。理想的な即戦力的人材もいれば、花開くのにもう少し時間がかかる人だっているはずです。
今回は、日本で博士の就職が難しい理由を考えました。厳しい状況ではありますが、それでは博士の側としてはどうすればいいのでしょうか?次回はこれを考えてみます。
日本の企業が博士号取得者を採用したがらないのは、彼ら彼女らが人材として使いにくい、あるいは扱いにくいからだとよく言われますが、これは上記に加えてさらにという部分になります。採用側からすると何がどうあれ結果的にそうなるという側面はあるのかも知れませんが、これだけが理由ではないような気がします。
アメリカのことを持ち出すと不愉快な方もいるかも知れませんが、ともかくアメリカでは、製薬会社の研究員となるのに、Ph.D.はごくわずかな例外を除いて必須です。しかも多くの博士取得者は数年間のポスドク生活を経た後に入社します。使えるも使えないも、原則として博士でないと研究員としてのスタートさえ切れないというのが現実なわけです。一方日本では学士でも修士でも博士でも、製薬企業内ではアメリカの博士取得者に与えられるScientistというタイトルに相当する研究員として同じように扱われます。したがってアメリカの研究職はドクター卒が中心、日本の研究職はマスター卒が中心ということになります。この日米間の違いが、日本でのドクターの就職を難しくしている理由そのものではないか、と思います。
私の仮説はシンプルで、「採用側は単に自分たちと同様な人を採ろうとするだけ」というものです。博士号を取らずに会社に入った人は、自分は経験していないドクターコースの経験を経て入ってくる人たちに対して、完全にフェアーな評価をするのは難しい部分があると思います。コンプレックスというのは適当ではないかも知れませんが、心のどこかに対抗意識が生まれ、学位なんかなくたって自分の方が企業研究には精通しているのだと、はなから身構えてしまうところは多かれ少なかれあると思います。その結果、無意識のうちに博士号取得者の粗探しをしてしまうということもあるのではないでしょうか。そして修士卒でもうまくいっているのだから修士を採用すればいいと考えます。
この修士卒でもうまくいっているという部分は重要で、これに関連して博士を目指す方にあらためて認識していただきたいことがあります。修士を終えて就職した同期の人たちは、あなたが自分の研究に打ち込む3年間、企業内でとてもたくさんのことを、文字通りオン ザ ジョブ トレーニングで学んでいるということです。特に大企業の場合、企業の研究所というのは一般的にアカデミアよりも潤沢な予算がありますので、設備面でははるかに恵まれています。そのような環境で、また大学の研究室よりもずっと大きな組織の中で、彼ら彼女らは揉まれ、また競い合っています。ドクターは入社時に、そうやって3年間鍛えられた修士卒の研究員以上の何かが求められるということです。同じ3年間で彼らには学べない何か、しかも企業にとって有益な何かを身につけている。そうでなければ採用する意味がないですよね。
角度を変えて見ると、アメリカの製薬会社は博士卒中心にまわっていますから、その中にできる人できない人等いろいろ出てくるのは当然のことです。しかし日本は修士中心でまわっていますから、その中にあってあえて博士という場合、周囲からもトップレベルと認められる人以外はかなり容認されにくいことになってしまいます。このような構造的な面から見ても、日本での博士の就職はアメリカよりもハードルが高くなってしまいます。ですから、たとえ日本で博士として就職できなくてもアメリカでならやっていける、とりあえず英語力を横に置いておけばですが、そういう実力の人はたくさんいるのです。
ちょっと脱線しますが、本社人事部に最終権限がある日本の新入社員一括採用システムは、そろそろ見直すべきだと思います。本社配属になる人は本社で面接すべきでしょうが、研究員候補者は該当研究所の該当部署がスクリーニングし、面接をし、決定した方が、あとあとのマッチングも含めて無駄な失敗がなくなります。さらに博士が使えるとか使えないとかいった十把ひとからげの議論ではなく、個人単位で評価、検討できますから、この問題の根本的な解決策のひとつにもなると期待できます。
話を現在のシステムに戻しましょう。日本企業には新入社員を即戦力とはみなさず、社内でトレーニングして一人前に育てるというカルチャーがあります。そして○○イズムのように、それぞれの会社の社風に沿った人材になることがよしとされます。そういう点で、専攻分野に関する基本的な知識と実験技術は持ちながら、しかしまだ一人前の研究者とはいえない修士卒あたりを採用するのが、最も利にかなっていることになります。
一方ドクターの側も、自分は修士卒とは違うというプライドもあるでしょうし、高い期待値に応えようとして、最初からハッスルすると、今度は生意気だとか(^^;)言われることになってしまいます。ドクターとはいっても新入社員ですから、「新人は黙ってろ」という日本社会の掟(笑)に反することになってしまいます。加えて同年代に当たる、3年前に修士で入ってきた4年目の社員がすでにしっかり調教され社風になじんでいるのと比較して、新人ドクターは異質で、その上会社のことを何もわかっていない奴のように思われてしまいがちです。
アメリカの研究員はほとんどが博士だからこの次も博士を採用し、日本の研究員はほとんどが修士だから次も修士を採用する。これならばスムースなのに、修士が博士を部下として採用しようとし、修士が多い現場に投入しようとするから、何かと問題が生じるのです。博士の有効活用のためには、「採用してみたけど期待はずれ → もう採用したくない」の悪循環が「採用してみたら期待以上 → もっと採用したい」の好循環に反転しなければなりません。
これには双方の努力が必要になりますが、その結果として企業の側が博士割合を高めていこうとする時には(するかどうかわかりませんが)、その過渡期においてはお互いが反発するのではなく、協調して仕事を進める雰囲気を、職場のリーダーが意識して作っていくことが重要になると思います。それには上記の部署別採用システムも有効なはずです。
さらに採用側、つまり迎える企業側では、上記のようにドクターに対する期待値が高くなるのは当然としても、それを不条理に上げすぎないことも必要でしょう。集団というものの本質で、いくらドクターといってもすごく優秀な人からそれほどでもない人までレンジがあるわけです。理想的な即戦力的人材もいれば、花開くのにもう少し時間がかかる人だっているはずです。
今回は、日本で博士の就職が難しい理由を考えました。厳しい状況ではありますが、それでは博士の側としてはどうすればいいのでしょうか?次回はこれを考えてみます。
by a-pot
| 2010-01-04 09:35
| アメリカでの就職、キャリア関連