「無知の暴露」としてのガメの嘘


「無知の暴露」とは浜田寿美男氏の供述分析において冤罪の兆候とされるものです。つい最近再審開始の決定が下った東住吉事件の場合、元受刑者の1人は7リットル強(一升瓶にして4本分!)のガソリンを撒いてライターで火をつけたと「自白」していましたが、そのような大量のガソリンを撒いたのでは確定判決の事実認定通りの火災にはならないことを弁護団が明らかにしました。これも「無知の暴露」の一ケースということができるでしょう。
ところで、昨日別館でとりあげたガメの嘘についても「無知の暴露」という観点からの分析が可能です。もし「裁判記録」を読んだという体験があったのならば、その体験内容とあからさまに矛盾する言い訳(「犯人を特定する気なんか初めからまったくなかった」)など思いつくこともなかったでしょう。「裁判記録」など読んだことがなく、一種の都市伝説として日本で流布しているエピソードの断片を利用しただけだったからこそ、自分の言い訳が自分の当初の主張を裏切っていることを見落としてしまったわけです。


Fondriest さんが指摘されている現象に私が最初に注目したのは、「南京事件は当時、報道されなかった」というウソを指摘されたワシ。が「ダーディンらの報道には信憑性がない」などと言い出したことがきっかけです(のちに百田尚樹も全く同じことをやらかしましたが)。こうした事例についても、「無知の暴露」という観点は少なくとも部分的には有効であるように思います。「南京事件は当時、報道されなかった」というのはワシ。や百田尚樹が当時の報道を自ら調べて出した結論ではなく、しょせんネットなどに転がっているコピペを援用したにすぎません。自分の体験記憶にしっかりした根っこを持つ主張ではないからこそ、それと矛盾する主張を平気で言えてしまうのではないか、というわけです。