パートナーとの良いセックスはかなり重要事項であるという考え方をしていた。直近付き合った3人は全員マッチングアプリで知り合い、誰とも満足できるセックスができなかった。ので、それぞれの交際期間中に既セク良ちんぽに会ってたりした。背徳感を楽しんでるわけではないので、浮気行為後には付き合ってる人間のおちんちんとの将来はないと考え直し、別れを切り出している。性生活の不満をきっかけに恋人を大切にできず、直近4年のお付き合いがすべて短命で終わっていることは恥ずべきことだと心から思っている。でも実際、気持ちの良いセックスで体が満たされることは大切だと思っていた。
好きだったし好きになってもらいたいと思っていたセフレがいた。叶わなかった。お互い不自然に恋愛の話題を避け都合の悪いことから目を逸らし、長々と恋人ごっこをしているような関係性だった。
決別した後、考えた。"恋人"にしたくないような女のことも何度も何度も抱けるような人間がいるのであれば、パートナーとの性行為に意味や高い価値を見出してる私は間違っているのではないか?と。何よりも大事なのはきっとお互いのことを愛情をもって見つめ合える関係で、どんなに性行為がよくても相手の目線がこちらに向いていないものは虚しさを伴う、と失恋を機に思考を整理しなおした。ただ、自分の直近のセックスがこのお気にちんぽセフレとのものだと必然的にいいセックスが比較対象となってしまうため、今後お付き合いする男性のちんちんがイマイチだった場合にこれまでと同じことを繰り返してしまうのではないかとも思った。
そんな時にタイミングよく、1回だけ流れでセックスした男友達からおちんぽビンビンLINEが届いた。(実際は言うほどではなく、付き合いが長いのでなんとなくヤリたさを感じた程度。)こいつとのセックスは気持ちよくなかったし、ブツも小さかったはず。「男女関係においてセックスが最も大切ということはない。それに穴と棒をこすりあう行為が本来気持ちいいわけもない。」という思考に矯正するために、こいつとのセックスは案外ちょうどいいのではないかと思った。のでヤッた。案の定退屈な時間だった。彼のちんこのポテンシャルが私の理想とズレていたということもあったと思うが、私のことを大切にしたいとか好きだとかそういう感情が相手になかったというのも当たり前に大きい要素だと思う。私自身も彼自身のことを全く見つめていないし、彼のちんこを自分のカス思考荒治療スティックと認知していた。そんなありがたい棒が入り口の方だけでちまちま動いてくれたお陰様で上記の思考にスイッチできた。
いつからか簡単にセックスをしてしまうようになった自分は愚かだと思う。穴として求められることで承認欲求を満たしていたんだろう。一般的には大学生あたりでこういった思考は卒業するんだろうが、田舎の箱入り娘だったもので、社会人5年目になってようやく男女間において体より心が満たされることが大切であり自分はそれを求めていると気付けた。穏やかな愛情を育めるパートナーと出会いたい。
気づけて良かったね