ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

失敗の本質・外交力の欠如(後悔先に立たず)

(本日の天候)今日は "寒の戻り"。ひな祭りの3月3日なのに、天気は崩れて全国的に冬の寒さが戻っている。昨日の日中がなんと4月や5月並みの20℃だったことを思えば、変化が極端である。朝から雨☔️ しかも気温は6、7度と真冬並み。午後には5℃にも下がるとか…。

(日本社会の不安)

 冷たい雨も恵みではあるか。乾燥注意報がこのところずっと長く続く。そして東北岩手県は太平洋側の大船渡地方で大規模な山火事が拡大中だ。避難しているご家庭も多い。火災収束の兆しは1週間経ってもいまだ見えず心配だ。

先週から今日、年度末の来年度国家予算への与野党攻防は続くが、自公維三党で成立する見通しだ。内外の社会に不安や期待、全体として不透明で妙な空気が漂う、そんな気もする。まったく気のせいばかりではあるまい。

花粉アレルギーの人に嫌な季節でもある。関東地方の戸外は灰色で雨に煙り暗い気が漂う。

 前から予定した歯医者の🦷チェックと診察を終え帰宅した。パソコンにスイッチを入れて、傍らの紙面で今朝の朝刊、新聞報道を読む。

(外交力の欠如、馬脚を現したトランプ)

 米国ホワイトハウス🇺🇸で行われ、物別れに終わり禍根を残したかに思える2/28。そのウクライナ🇺🇦ゼレンスキー大統領と、トランプ大統領・バンス副大統領の、言い争いの報道と評論が一面に2種類。

🥊毎朝のコラム記事『春秋』には、ゼレンスキー氏の言動に "胸のすく思いがした" との率直な感想あり。我が意を強くした。そこで、昨日書いて、冷ましておいた投稿をアップしたい。

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米ウクライナ首脳会談決裂、激しい口論 鉱物協定署名せず | ロイター
https://jp.reuters.com/markets/commodities/YXMT33REKJNZFBN6M4BHK32RHA-2025-02-28/

以前の投稿⤵️🔗

👂不揃いのトランプ2.0 (通商・外交・経済) - ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

…ということで、TVカメラの前で前代未聞、国家首脳同士の "美しくない" 口論の応酬。

特に目立ったのは身近な口論で、我々のレベルでもよく起きる形。つまり相手に被せて自分の発言を争うように急ぐひどい会話だ。お互いが同時に発言して言い争う姿を世界はまざまざと見た。

相手の発言をお互いに遮り、手の動きで相手を制しようとする。そんな冷静さを欠いたシロウト的な痴話喧嘩にも見立てられそうな、そんな美しくない光景がまさに世界を失望させた。

◉ その大元は何か。元凶にあるのは、むろんトランプ大統領の性格や対応のオレ様ぶりもさることながら、態度の無礼さでトランプに決して劣後しないミニ・トランプ的なバンス副大統領。その『お前はちゃんとお礼を言えよ』レベルの下卑で粗野な発言。

あそこから、あのような紛糾とひどく醜い言い争いは始まった。あり得ない発端は、バンスが開いたもので、それ以上でも以下でもない。

日経新聞朝刊(3/3付け)コラム『春秋』にこうある。⤵️

(途中からの抜粋) …会談中、いちばん違和感を覚えたのはバンス副大統領の次の発言だった。

▶︎「あなたの国を救おうとしている米合衆国大統領に感謝を示しなさい」。

助けてやっているのだから礼を言え。あからさまなマウンティング。トランプ氏もバンス氏も、小国の客人を見下して隠そうともしない。カメラの前で寛大・偉大な指導者ぶりを発揮しようと狙っていたのに、あてが外れて逆上したようにも見えた。

まったく私も同感である。

  • この外交会談の酷さ加減には、これまで一度もなかったことで珍しく個人的な憤りを強く覚えていたのだが同志ここにあり。 

特にこのバンスの発言は副大統領の立場を弁えない醜悪かつ、出過ぎた上から目線の発言。

外交経験が浅い議員出身者の地の性格丸出しの浅はかな言動は、論評に全く値しない。

👉この両者の言い争いの裏にあることどもについてはすでに国際政治専門家たちがさまざまに知的でバックグラウンド的解説をしてくれるので、その全てをよく理解しているが…。

◉2/28の失敗こそ、アメリカ🇺🇸の国際政治と外交の劣後さを映し出したもの。世界を貶める、余計なバイアスと "事件" だろうと思うのだ。

 

✳️ スターマー英首相はすぐにゼレンスキーと会談。英仏がリードして欧州首脳は即座に動きつつある。ここから本来の西側友好国たるNATO加盟の米国トランプ大統領との、この亀裂の修復を含む、大局的な外交の連鎖が再度最大限に必要となろう。そこに一縷の期待を持つ。

 

✖️侵略した側であるロシアにますます優越した立場を与えるという、最悪の結果をもたらしていく (現在進行形の) 今回の米国🇺🇸現政権2トップたちの世界平和に対する責任。これこそは歴史の教科書に10年後記載されるほど、とても重いものである。

 

✴️ 今の世界を懸念し、憂え、そして考える。報道されるT大統領のあり得ない不規則発言に日々、触れている。楽しいはずがない。私にはいま世間は黒に近い灰色に見える。さらには取り巻きで、政府外DOGEトップとして傍若無人に振る舞うイーロン・マスクの最近の政府職員を解雇せんとする一連の一貫しないいい加減な言動もまた苦々しいを越え、腹立たしい。

不本意極まる世界。これらはストレッサー以外のなにものでもない。もちろん、それこそ心の底には変わらぬウクライナ🇺🇦への共感。何か手助けをしたい、という世界の平和と直近の和平への希求と期待があってこそ、のものだ。

だがしかし、そもそもわたしたち "一般人" は外交交渉の当事者でもなく、またこの世界を揺るがしている事象への責任もない。

ガラリと変え、楽しくていい話にしたくなった…。例えばこれ⤵️

「壁」こそ成長の証(女子卓球選手早田ひなさん)…出所 : 日本経済新聞第二部 (3/1) 2025新卒採用広告特集A1面・巻頭言 からの抜粋と引用⤵️

『個』の芽 磨く!

(記事)卓球は頭脳戦だと言う。高速ラリーの最中にも敵を観察し、攻守を考える。パリ大会の3位決定戦は、幾多の試合経験とその学びで、"読み合い"を制した。(中略)

「卓球は2メートル先の相手との読み合い。表情やしぐさから、どう攻めるべきか常に考えています。同じ対戦相手でも環境、ボール、台、互いの体調など一つでも変われば『同じ』ではなくなります。試合後は脳が一番疲れていますね。『読む』は、試合を振り返って分析するだけじゃ足りない。試合中リアルタイムで変化に気づき、対応する。その経験が必要だと思っています」

1メートルしか離れておらず、顔と顔を突き合わせている。間にテーブルはなく、🏓ラケットもない。大統領執務室という自身に完全有利な場所。交渉相手は自分より小さな国。被侵略国。立場は弱い。そこに『お前には交渉のカードなんか無いぞ』とする、その相手からの反論を喰らって、アップセット。これがdealを得意とするビジネスパースンの成す技なのか??

  • 最後に個人の備忘メモ📝としてのここには、こう書いて記しておきたい。

▶︎謙虚さに欠けるリーダーは国の舵取りを誤る。

  • 外交に『喧嘩両成敗』はあるか⁉️ 否。

そもそも外交にはそのプロトコールがあり、儀礼的なお互いの配慮も働く。つまりは (良い意味での) 予定調和に近いもの。であるからして元来、失敗など起こさない安全装置的な渉外活動であるはず。♠️トランプとJ.D. が悪...。

◎今回の大きな失敗 (←露のよろこびようを見よ、その意味だ)  がさらなる想定外の米欧間の混迷を呼ばぬよう、日本は祈るしかない。

インド太平洋地域の平和を脅かすリスクの一つをいつか構成しないか? ここから・これから進むであろうウクライナ停戦合意和平への道筋はどうなるのか。ウクライナと欧州をないがしろに進める米露の決断が仮にもあるとしたならば、世界平和の歴史上の悪しき先例と絶対ならないことを、いまは強く願うばかりだ。

👇2025/3/3 Reuters at Internet 🛜 👇

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「午後の曳航」 三島由紀夫

三島由紀夫の小説「午後の曳航」は文章が旧文体(というのは正しいか?) 、今は使われない漢字の言い回しのある古風だが、人間それぞれの心のうち、観念的な世界観を描いた作品である。

構成的には、第一部 夏、第二部 冬、という単純な区切りの装い。それに章立てが続く。

だが解説者によればこの作品は、二重の構造なのだという。登 (のぼる) という名の13才の少年と、その母・黒田房子、その相手となる商業貨物船の士官・二等航海士、塚崎竜二が家族を新たに構成せんとするのがこのものがたりの中心である。だが、そこに「首領」という "三日月まゆげ " の怪しげな少年とその取り巻きたちという登場人物が絡んで介在する。しかしだからと言って、江戸川乱歩ものや、少年探偵団の話のような謎解きものとは程遠く、優れて文学なのだ。

怪しげな、というよりも明らかに危険思想と思える登と同年のこの少年を筆頭に、呼び名が一号から五号までの、六人の少年たち。そのグループが、生きることの意義や世界のあり方などを見下す第二の主題の話が重なり合って、全体ストーリーに覆いかぶさってくる。ちなみに登は、"三号" と呼ばれている。

解説者によれば、少年・登や『首領』も、二等航海士の男も、どちらも三島由紀夫自身の心の投影だろうという。確かに三島本人の現実の最後を知れば、彼はまさにそういう思想の持ち主だったのかも知れないなと合点と納得がいく。

 遠い昔、もしかしたら自分が登場する「登」と同じ13才の頃に読んだことがあったか。あるいは読んではいなかったか。この作品が今回初めてなのか、もはやその記憶はない。

 この作品は始まりの情景と心象の描写のとても強い力と美しい書きぶりの文章により、読み手を惹きつける。ものがたりの次はどうなる?と心が躍る。先へ先へと気が急いて、早く次を読み進めたくなる。ストーリーが秀逸であり、それに加えて個人的にも馴染みのある「 横浜の港」を舞台にした点で、親しみを感じる。しかも当時の社会と人々の生き方の様子がリアルに感じて読み取れるところが微細なのだ。

今やコンテナ貨物が普及し、当たり前の国際貿易の時代から想像すら難しい当時の貨物船。荷下ろしの情景が、船の構造に空や海の色を交えてこれほどまでに微細で丁寧に、観念的な描写で描き出す三島由紀夫とは、いったい何者だろう。

いまもあるのだろうかと気になる現実の名を出した昭和の時代、前半の、当時の横浜港・港湾施設。リアルな情景を自然と、心の動きとを絡めてものの見事に描いている。

世界を股にかけた海上交通をベースとする貿易。"舶来もの" で、ハイカラな衣類。そのブランドデザインものの海外からの輸入取引やその商売の様も語られ、興味深い。国際的な海運と今でこそこういう言い方になった "サプライチェーン" の昔の当時を彷彿とさせる稀有な小説である。

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彼の生み出す文と力のある言葉による風景の描写のきめ細やかさが、すごい。文体の美しさは素晴らしい。そして、ものがたりの構成としてストーリー場面の展開がなされるが、さながら映画の映像が、現在場面から効果的に切り替わる。主人公やその他登場人物の心の中にある過去と現在とが行きつ戻りつし、回想するシーンはなんとも効果的に織り交ぜられる。初めから映画の脚本を意識しているわけでもなかろうが、心象風景をその場そのときあった場面の映像として見事に描き、ものがたり展開の形を読者の眼前に映像的に紡ぎ出す。技法なのか?

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最後の方になるが、海の情景描写が美しいので、ひとつの実例として書き出してみた。(P.187〜188) 第二部 冬、第七章

沖には真珠いろの雲が浮び、その投影は、まだ春の遠い茄子(なす)紫の海面に、そこだけ仄白い(ほのじろい)却って寒々しい色を与えていた。他には雲はなかった。午後三時をまわった空は、裾のほうほど色褪せた、洗いざらしの、不本意な青の一いろだった。

 海は、しかし、汚れた岸から沖へ向って、代赭(たいしゃ)の濃淡の巨大な網のような汚水をひろげていた。岸ちかくには船の影は乏しかった。沖を数隻の貨物船が動いていた。いずれも小さな、遠目にもいずれも古びた、三千噸(とん)程度の船ばかりが。

第二部のクライマックスは、ハラハラさせる展開だが、終わりかたがまたなかなかである。

ここから先は、この流れで三島由紀夫の作品を続けて読んでいくことになる予感が強い。

・新潮文庫

なお、Amazon Kindle の電子版で三島を読みたい。だが調べたがラインナップになかった。どうも三島由紀夫の遺族の意向で、電子版へのデータ化には後ろ向きなようだ。また新潮社が版権を今も抑えているなど、という話をどこかでみた。

◉ 【補足説明】小説「午後の曳航」 三島由紀夫・著。そしてなんとこの作品の解説が、小説を遥かに超えて、実に文章が難解なのだ。こういう文が "文学" や文芸評論の常?なのか。特に気難しい評論家なのか?…で、凡人の私が読んだがすこぶる難しい。まったく哲学なのか、はたまた文学の一部の形か、という印象だ。一部を切り出してみよう⤵️

以上のように、簡単な象徴と骨組みに分解されてしまう小説に、頭のよい読者は、不満を洩らすかもしれない。しかしそういう人々は知らないのだ。有毒な現実を、清潔な記号と図式に解体させる視線以外に、この世界には語るべきものなどありはしないのだということを。

(解説: 文芸評論家・田中美代子)

" 昭和三十八年九月、長編書下ろし作品として、講談社から出版されたものである。" ( 昭和四十三年七月、文芸評論家)

 

 

(続々)無くした後に得るもの

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👆なぜか天地が逆さまだ。テーマに合っているからか⁇

『コレ知っていると絶対得をします。
ホリエモンも唸る驚きの習慣化術。』 
リンク🔗はここをクリックして https://youtu.be/_OcgbxFFGe8?si=JRNyEoLS76hWSbkC @YouTube⤵️
👉20分もかからない内容だけど、まぁ聞いて損はなかった。簡単にサマれば、ヒトの脳の🧠仕組みに即した考え方と行動の習慣化の実例の話ではあるから、聞いて損することはない。

・だけど自分がこの人と同じようなことをマネしてほぼそのままできるか?といえば、それは絶対に違う。あり得ない。それで問題ない。

✳️ ただ参考に取り入れたい内容がいくつかある。学びになる。そこは間違いなく確かだ。

✖️ところで比較する対象は昨今の地上波。企業のコマーシャルばかりが頻繁にたくさんかかる。視聴者に魅せたい / 見せたい内容をMCが言った直後それを出さず、すぐにCFに行く…などという、見ている人を完全に小馬鹿にしたswitching。そんな姑息な番組構成のやり方に落ちた各局。とっくに見透かされてますよ

CFのあとの中身も薄く、出てくるのはお笑いの人ばかり。バラエティ手法をこれでもかの多用。そしてコンテンツとしては、お店の側とのwin-winで、コストがかからないからなのか、『食べ歩き』ものばかり多く特集。

今のニッポンの "実にくだらない地上波TV" よりも、こんなYouTubeが◎

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マグロの赤みは旨いが、『ヅケ』はさらに好きだ。素材の上に付加価値を付けた "工夫の跡のわかる" モノ だからかもしれない。

 

(続編) "なくしたものたち"…連想の泉

少し前の話ですが…まずはここから。

北陸新幹線の延伸開業と福井藩。

そこからの連想で "なくしたものたち" ( 失われたもの )の話を書き残しておきたい。

(前編) 北陸新幹線 敦賀延伸 3.16.開通❗️ - ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

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#北陸新幹線 の金沢から敦賀への延伸 ( 本日3.16.開通 ) のお祝いを申し述べておきたい。

それとともに、今回は #福井藩 の足跡👣…、かつて東京都は台東区の浅草橋にあった    #福井中学校 その立地場所は #福井藩邸跡地 だったとの掲示が今もある (はず) だ。

✴️ 幕末と日本の歴史上、文字通りの "内戦" (ときの政権末期の幕府軍。対する、明治維新の新政府とその傘下の軍による戦い) を経て成立した明治維新。わたしたち日本人のそれぞれのルーツは必ずこの歴史の中に何某かつながる。

日本の歴史の道筋を辿って振り返り、といっても簡単に調べ、即興で書ける程度のものですけれど、記憶整理してみたい。

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松平春嶽と福井藩が目指した新しい日本~幻となったもう一つの明治維新 WEB歴史街道
松平春嶽と福井藩が目指した新しい日本~幻となったもう一つの明治維新 | WEB歴史街道|人間を知り、時代を知る

福井藩の名君や藩を支えた人材は、学校の歴史の教科書で中心的には取り上げられていないと思う。内容は上のWebサイトに譲るとしよう。

「福井藩」といえば…でいずれまたの機会があるならば、その話を膨らませることにして…。

「福井藩」といえば…👉テーマは自身の人生で『失われた歴史』

"なくしたものたち" ( 失われたもの ) をこのブログで『私が関わってきたものごとの中で消滅、無くなった、失われたものたち』について記録しておこうと思う。

その数は実に、ふた桁に達する。

経済が発展すれば世の中でさまざまなものごと、特に組織とか場所というものやことが、世の中の進化進展につれて変わっていく。これは必定。ときの流れには抗えない。

新しくできるもの。そのために廃止、撤去されるもの。消滅の美学 といえるか?

それは世界と日本とそして "自分の生活空間" が日々変化を伴い変転していくがゆえに、変わってしまう (進化する) という、当然かつ不可避的な "できごと" だ。不可逆とも言えよう。

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"なくしたものたち"…それを列挙してみる。

暦年順、✍️メモ

  1. 西荻荘 (父の会社の社宅 No.1 ) @杉並区
  2. 北斗荘 (父の会社の社宅 No.2 ) @流山市
  3. 台東区立福井中学校 ▶︎ 廃校(少子化で統合
  4. 目黒キャンパス ( 大学の多摩地区移転 )
  5. 会社「横浜事業場」緑区鴨居 ▶︎ 土地売却により。現在は "三井のららぽーと"
  6. NECエレクトロニクス・ローズビル工場 ( カリフォルニア州サクラメント近郊 )
  7. 米国調達輸出拠点🇺🇸ボストン事務所
  8. 埼玉 : 携帯基地局と携帯電話の生産工場
  9. (府中事業場) コンピューターハードウェアのビジネスユニット(BU)と、ソフトウェア2事業本部を有するBUとが合体、再編
  10. 「海外アライアンス・海外事業推進」ソフトウェア事業分野での新設組織。2年で発展的に解消されて、その機能は分散
  11. スタッフ部門を切り出したマネジメント会社へ複数のコーポレートスタッフ部門がスピンオフ。自分も所属が変わるとともに「グローバル調達グループ」が発展解消
  12. 松戸市のマンション・実家仕舞い…👉これが近年 (2022〜23年) の大きなできごと。◉ ほぼ1年半かけ、少しずつモノを整理。廃棄と引取りや売却などの処理行為を少しずつ積み重ねて来た。無事に "しまう" ことができて本当によかった。ときどき夢に出て来ます。しかも片付けではなくて両親が夢に。歌にあったな。

♪ 夢でもし逢えたら素敵なことね、あなたに会えるなら眠り続けたい ♪

さて、ここまでカウントすると12の物件や組織が、なくなったことになる。発展的解消もあれば、改革や改善の結果もある。その背景と理由はさまざま。そしてこれらの途中、こんなポジティブな変化もあったんだ。

  • 資材第二部国際購買部 (これは会社の部門内の"2段部" という) が昇格して、"国際資材部" という1段部へ発展的に拡充された

これらを知って書き残す人も、他にはおそらくいまい。古いものは数十年、新しい話からも少なくとも八年が経った。人事異動など公開での新聞紙上や、企業ホームページや会社広報から知ることができる(公開したくない)組織名称など、もはや比較すら意味がなくなった。競合他社他による情報価値は古くてもはや意味のないものになった。

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振り返れば、真に "いい意味で" これらの "リストラクチュアリング (事業における構造改革、再構築、組織再編成)" の波を乗り切って来た。

  • その都度・そのとき・新たな方向へと、次々に変化・進化、異動や物理的な移動 (転勤、転居) を積み重ねて来た、といえる。その積み重ねの上に『今』がある。

だから、これらのことを前向きにとらえる。

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👆残念なチラシがわが家に入って来た。

2024/5/3 (金) 

二子玉川駅から少し離れていて以前、自転車🚲の店 ( Y’s Road 二子玉川店 ) に仲間と寄らせてもらったりした。その店がなくなった後にプロトリーフという植物や植木の🪴実にどでかいお店や、山用品のブランドsnow peakなどが入居していた。

玉川髙島屋へはマイクロバスで “戻れる” = つまり送迎バスがある🚌とは、後に知りました。ここ東急田園都市線すぐ横の傾斜地 / 小山の中腹の土地に立っていた場所が閉鎖になるという。5/19(土)で閉館。
🚴 Y’s Road の記憶も失われていく。1998-2024 までの27年に、さようなら👋

(追伸)ここはどこでしょう⁇

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🌟庶民は公的機関の食堂で昼を安く済ませる。
(👉港区赤坂在、職場のいつもの半額で定食)
都心東@人形町で午後打合せあり。午前中は読書三昧▶︎石原慎太郎・三島由紀夫の評伝とNHK大河ドラマ・藤原氏の解説を”歴史街道”雑誌で読み、まだ空いてる時間に眺望付きランチ(^^)

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時間のバリューを満喫…といいたいが、帰宅すると日中の移動と会議はいつもとペースが異なり結構疲れました。年齢感じるのもやむなし。

👉失くしたもの、若いエネルギー。いい意味での "無鉄砲さ" とか "無手勝流" はもうないかも

慎太郎氏の「Noと言える日本」が懐かしい。

(6/2,2024 令和6年梅雨入り前)

ブラックフォーマルスーツ|オーダースーツ
長く愛用できる礼服・喪服がオーダーでこの価格/コンビプランご利用で限定特典も|オーダースーツならGlobal Style(グローバルスタイル)

ブラックスーツのシングルはシンプルで「いかにも葬儀向けでない」イメージの普段使い◎。(以前略礼服でないブラックスーツで葬儀参列の友人を見てカッコよく映った…)

私の喪服。ラベルがこのメーカーで前ダブル夏用。何年まえの衣服なんだろう、昔のデザインは、肩幅広くパット入り。シルエットが古くさいことが気になる。

明日は友人のお通夜。数日前の訃報に大ショックを受けた。同じ年齢。そして意識変化中…

誰もがその命は、有限。私だっていつまで健康年齢でいられるのかは分からない、予測などできない。

せめて、精一杯の悔いのない日々をと願うのみ

 

 

溝ノ口から溝の口へ (歴史的パネル展示)

(2025/1/26 日曜 ノクティ11F フロアの改装途中だろうか、パネル展示されていたので足を止めた。いくつかshotを撮影しておきました。) 

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👇東急線溝ノ口駅ホーム。奥を左に行くと国鉄への乗り換えだった。
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✴️ 旧・南武鉄道と、東急の多摩川電車の線路は昔は並行していた!のだとか。それを現在の直角に交わる形に変えたのか。さすれば、昔のカーブは今のどの辺に当たるのだろうか?
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↑昭和57年。1982年。

遡ること大学四年、昭和54年。私は自宅が千葉県松戸市だった。その頃どこか・いつか一度、当時の "溝ノ口" に来た。その記憶がある。

その頃、東急から国鉄(当時。今は "JR") へ路線を乗り換えるときには上の写真にあるような、確かこんな感じ。地面の、平面の普通の "下を歩いて" 国鉄に乗り換えた記憶がある…。
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上の一枚は、歴史的な変遷を物語る。

👉2017年は溝口駅北口再開発20周年とある。1997年に再開発が終わって、人工地盤的な2階建てのプロムナードが出来上がったのだとすると、私がBostonへ旅立っていた頃になる。

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二階建ての人工地盤により、東急の駅舎から丸井 ( ○ I ) へとつなげる前は、地元の商店街が、線路の横にひとつひとつの店が連なり、それなりに活気をもって賑わっていたのだろう。
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南武鉄道は、軍需や工業生産のための鉄路と聞く。要するに海外から輸入して川崎港で陸揚げした資材や物資をその鉄路を使って立川方面へ。この鉄道沿線に点在する内陸の各工場群へと運搬していたのだろう。また逆に多摩川の河川敷で採った砂利を京浜工業地帯へ運んでいたとか。それが自ずと現在のJR東日本の南武線の鉄路と、南武線沿線道路や府中街道になり、多摩川の流れとほぼ並行し北西へと進んでいる。
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国鉄の貨物で、荷物を親戚に送るなんてことが当時はあった。それをかつては「チッキ」と呼んでいた。語源は知らない。昔、両親が故郷からチッキが云々などと話していたことがあったかなぁ…などを少し思い出すのであった。

 

空き地の変遷 (街が造られていく様)

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(個人の記録メモ🤳)いつごろ何ができるか…

建築許可から撮影者本人はわかってますが。
元は広大な果樹園だったと思しき、果実のならない木がそのまま、下草も生えたこの場所。

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土地に向かって右側の隣接地には某製造メーカー工場(白い建物で横に赤いラインがある)と社の事務棟がある。ここは1980年よりずっと前から存在していた。おそらくその頃、この空き地は果樹園として稼働していたのではあるまいか。

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左は普通の住宅が立ち並ぶが、道路に面した一軒は3階建ての大きな邸宅。そのほか別の路地から入れば普通のサイズの一軒家が複数ある。遊休地になり何年が経ったのか?広大な土地。

ここで動きが見られたのが2024年。

👉半年くらい前に突然始まった整地。アスファルト道路を新たに作って奥へ、土地の中へと引き込み、それに加えて下水路、その道路脇に全く新たに造作して排水口を新規に整備。その結果きれいな、かなりの広さの更地になった。

そこから、しばらくは何も起こらず。結構な期間、間が空いて…。それがついこの間、工事する領域を白い壁で囲われた。

そしていまこの状態。工事の変遷をチェック。

一部は、地面をボーリングしていた。

工事の囲いの隙間から覗いてみた。
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⤵️工事事務所になるプレファブの小屋がいくつか前面道路に近い方の空き地に設られた。
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空き地の向こう、奥には街の建物がある。
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前面の公道に面して車の侵入止めの金属バー型の柵があり、自転車やバイク🛵ならそこを抜けられ、敷地左奥へと舗装路を進める。整地済みのアスファルト道路が奥へ、途中までは続いているからだ。その先は下草の生えた空き地のままに見える。

この建物の建設時代がこの一角の大型の街造りになる。上下水道と下水、電気とガス管もいずれ完備するだろう。風景は大きく変わるに違いない。来年の今頃くらい?にどこまで建物が出来ているのだろうか。それを見ていきたい。

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多摩川の流れがある風景(大田区下丸子から多摩川に架かるガス橋を渡り新丸子や小杉側の川崎市へ渡るときの2枚🤳) 2025(令和7年) 2/11 祭日

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