この稿は、あの伝説のロックバンド、はっぴいえんどの全曲解説集です。
いろんな本や雑誌に書かれていた、各曲の評論やコメントをあつめてみました。
音楽評論家やライターの方たちの表現は、ときに難解な面があります。
しかし一方で、ストンと腑に落ちる言葉も多々あります。
自分の好きな音楽と、想いを共有する人たちがいることは、とてもうれしいことです。
この歓びが、本稿作成の動機です。
引用させていただいた、執筆者のみなさまに感謝します。
さてまずは、ファースト・アルバム、通称『ゆでめん』です。
ご存知のように、日本語ロック黎明となる記念碑的な作品です。
その各曲の創作背景などなど、貴重な文字資料をお楽しみください。
加えて、ゆでめんジャケットの裏面を中心に、メンバーの当時の写真も引用させていただきました。
二十代前半とはとても言い難い、細野晴臣の老成感たっぷりの姿には、思わず笑ってしまいます。
あわせて「お楽しみ」ください。
なお、2nd『風街ろまん』や、3rd『HAPPY END』もアップしています。
そちらも続けてお読みいただければ幸いです。
引用元リスト
『定本はっぴいえんど』
『音楽社会学でJ‐POP !!!』福屋利信著
『レコード・コレクターズ増刊』 2000年刊 はっぴいな日々
『ユリイカ』 2004年9月号 特集はっぴいえんど 35年目の夏なんです
『レコード・コレクターズ』 2015年1月号 特集はっぴいえんど
『レコード・コレクターズ』 2017年10月号 作詞家・松本隆の世界
春よ来い
大瀧詠一 松本隆が遊びに来ていて、部屋にあった永島慎二の漫画読んで『春よ来い』を書いたけれど、詞をもらってもむずかしくて、どうやったら曲になるんだろう、みたいなことで、ものすごく悩んでね。霞町のアマンドにいた時に、何の話だったかなあ、何か誰かの噂話をしてて、ふっと思いついたんだなあ。みんなは話をしてるんだけど自分一人の世界に入っちゃって。それでこれは松本にもらったやつに合うんじゃないかなあ、とか思って、その詞を持って歩いていたから、あっこれ合った、なんてできたんだよ。
篠原章 初期の代表作にして衝撃作。4トラックという不十分な録音環境ながら、奇跡的ともいえるロック・サウンドを生みだすことに成功している。ニール・ヤング『ザ・ローナー』などを下敷きにしているが、ブリティッシュ・ロックの影響力も小さくない。
ヒロ宗和 岩手県出身の大瀧詠一と東京出身の松本隆。共通言語を見出せなかった二人が永島慎二の漫画を巡って意気投合。松本が大滝のアパートで永島の漫画を読みながら浮かんだイメージを歌詞にした。はっぴいえんどの1枚目、その冒頭を飾る曲だが、大学までいったのに親の反対を押し切りプロのバンドに入って将来は一体どうなってしまうのだろう?という不安感をストレートに描写したバンドマン版青春残酷物語であり、アウトサイダーとして生きていくことを示したマニフェストでもある。お正月、炬燵、お雑煮、歌留多、除夜の鐘など、日本人の琴線に触れる言葉が望郷の想いを剌激し、機動隊に囲まれた全共闘が輪になり合唱したという逸話も。疎外感をテーマにした日本語ロックの名品だ。
小川希 はっぴいえんどといえば、日本語の歌詞云々と偉い評論家の方々はよく言われるが、私にとってはそんなんどうでもいいのだ。はっぴいえんどといえば、ギターだよ、ギター。鈴木茂のギター。ほんとヤバイ。ヤバすぎである。『春よ来い』うわあー、歌ってる。これは、もうギターが完全に歌っている。イントロからこぶしをきかせて、グイ~ン、ダインダインダイン、ググイン、グイ~ンと。ファズという、ギターの音を変えるエフェクターを使って、歪んだ音でいらだっているかのように。大瀧詠一のヴォーカルが入ってくると、そこからは、声とギターの両方一歩も譲らぬ打ち合いである。交互に力強いパンチの応酬。最後は、鈴木茂のギター猛ラッシュである。
福屋利信 詞的には永島慎二の漫画、音楽的にはニール・ヤングの『ローナー』の影響が色濃いこの『春よ来い』は、アメリカの60年代カウンターカルチャーのロックが有していた攻撃的なサウンドに、これまで如何なるロックの歌詞とも違った、東アジア的な湿り気を帯びた日本語がのっかていた。アメリカに憧れつつも、そこから抜け出し、アメリカン・ミュージックに負けない音楽性を身に纏うには、歌詞は日本的なものへ回帰し、洋楽的サウンドと日本語の間で起こる化学反応に活路をみいだそうとする意気込みがひしひしと伝わってくる。(中略)この大いなる意気込みを、「だけど全てを賭けた、今は唯やってみよう、春が訪れるまで、今は遠くないはず、春よ来い!」と叫び、自分たちのロック・スピリットを表現して見せたのであった。
細馬宏通 はっぴいえんどはお正月から始まる。炬燵に雑煮。しかしこの曲で注目すべきは、これら判で押したような日本的アイテムの方ではなく、お正月「といえば」という言い回しであろう。この歌い出しによって、歌は、「思い出」という記憶のパッケージではなく、「といえば」という思い出しのパフォーマンスとなった。鈴木さんのファズ(お手製!)に乗って、何かを思い出そうとするとき特有の、粘りつくような時間が流れ出す。「ものです」ということばが大瀧さんの声によって引きちぎられるにいたって、このパフォーマンスは絶頂にいたる。もやのようなオルガンの向こうで吐き出される青春残酷物語。都会/田舎という対比は、のちの松本さんの詞によく見られるもので、とりわけ、太田裕美に提供された詞には、この図式が男/女の対比と重なりながら多用されている。ただし、男女の交わす手紙によって明らかにされるのは、『春よ来い』とは別の残酷物語である。そこでは、彼を待ちかねた彼女は、『木綿のハンカチーフ』で涙を拭く間もなく『シベリア鉄道』を駆け去ってゆく。彼女の旅立ちは十二月。あてのない彼のお正月。背中合わせの季節。
志田歩 はっぴいえんどのデビュー・アルバムの記念すべき1曲目。グループの楽曲としては、「12月の雨の日」に次いで生まれた楽曲で、いずれも松本、大瀧のコンビにより書かれている。ただし 「12月の雨の日」が曲先だったのに対し、こちらは松本の詞が先だったというから、作詞作曲については、初期から様々な方法を試行錯誤していたに違いない。彼らは日本語によるロックという命題を前提にスタートしたわけだが、では日本語の歌詞のテーマをどんなところに求めるかというのは、前例のない当時においては非常に大きなテーマだった。そこで興味深いのはこの曲が漫画家の永島慎二に捧げられているということだ。彼らもまた60年代にマンガの可能性を大きく切り拓いた偉大なパイオニアの一人。そして『春よ来い』の歌詞は永島の代表作である『シリーズ黄色い涙 漫画家残酷物語』という連作の中の『春』という作品に触発されているのだ。実際に『春』を読んでみると、主人公の独白のセリフが、歌詞になっている部分もあり、かなり影響を受けていることがうかがえる。『春』は元々は永島の所を訪ねてきた漫画家志望の河合繁という青年が描いていた作品。マンガに打ち込みたいという意志で実家を出て、喫茶店のボーイをしながら下宿生活を送る青年が、ひとりで過ごす正月の寂しさに耐える様子などを淡々と綴ったドキュメント的な内容である。永島はそのテーマの斬新さや生活感から生まれたリアリテイに感銘を受け、なんとかこの新人の作品を発表したいという思いで手を加え、自分のシリーズに加えたという経緯を解説で書いている。おそらく当時のメンバーは、仰々しい反体制的な言説を連ねるのでなく、自分の生活とその生活感を反映した作品で自分の意志を貫いていこうという『春』の姿勢に、ミュージシャンとして誰もやっていなかったことをこれから始めるのだという張り切った気分を重ね合わせる部分も大きかったのではないだろうか。一見穏やかな作品の中に強固な意志を込めたはっぴいえんどに相応しい名曲である。なおはっぴいえんどの歌詞の特徴として指摘されることの多い「ですます体」が、『春』の独白で使われていることも指摘しておきたい。
大瀧詠一
かくれんぼ
『定本はっぴいえんど』解説 初めは『足跡』という詞で、曲ができた時点で『ちっちゃな田舎のコーヒー店』というまったく別の詞に替えられた。さらにすこし変えて、この詞とタイトルとなった。出だしの歌詞は「曇った冬の~」だったが、大瀧が間違えて「曇った空の~」と歌ってしまった。しっとりとしたサウンドで、ちょうどタイトルから想像されるわらべ歌のような雰囲気を感じさせるサウンドになっている。鈴の音が印象的。
小川真一 初めてはっぴいえんどのアルバムを聞いて、一番耳に残ったのがこの曲であった。タイトルの「かくれんぼ」という言葉は歌詞の中には出てこない。はっぴいえんどの70年のデビュー・アルバム、通称『ゆでめん』の2曲目に収録されていて、作曲とヴォーカルは大瀧詠一が担当。この曲には作詞家、松本隆の野望が存分に盛り込まれていると思う。冒頭の歌詞はオリジナルでは「雲った冬」だったが、大瀧が「空」と間違えて歌ってしまったという。この言葉にしろ、「雪景色は外なのです」という言い回しにしろ実に野心的だ。それまでにはない歌詞を作ってやろうという意気込みが感じられる。これらの言葉の中にあってこそ、「きみが欲しい」というストレートなフレーズが突き刺さってくるのだ。
篠原章 クロスビー・スティルス&ナッシュの『ウッデン・シップス』や、バッファロー『エヴリデイズ』の影響を受けたと言われる楽曲だが、その日本的情緒は今聴いてもなお独自。松本独自の都市論を楽曲として具現化する大瀧の力には、並々ならぬものがある。
能地祐子 『春よ来い』『十二月の雨の日』などと並び、初期はっぴいえんどを代表する1曲。クロスビー、スティルス&ナッシュの『ウドゥン・シップス』を下敷きにした曲とも言われるが、16ビートを基調にしたリズム隊のアプローチのせいか、「ウドゥン・・・」よりも、ぐっとファンキーなグループが聞かれる。にもかかわらず、曲全体から伝わってくる情緒はとても日本的だ。そのウラハラ加減こそが、はっぴいえんど。多重録音された大瀧詠一のコーラスも、後半から登場してくる鈴の音も、大瀧のリード・ヴォーカルの裏側でクールに呟くようなフレーズを繰り出し続ける鈴木茂のギターも、すべてがどうしようもなく日本っぽい風景を感じさせる。歌詞の一人称が「私」だったり、「雪融けなんぞは」という古めかしい表現が使われていたりすることも、そうした印象を強めているのかも知れない。ここで歌われているのは、なんとも微妙な男女の一瞬の心情なわけだが、音楽シーンも含めた当時の状況を考え合わせると、この曲にそれ以上の意味が感じられてくる。わたしは同時代的に体験しているわけではないから、偉そうなことは言えないが。70年ごろの日本にはアメリカのロック・シーンの動向がずいぶんと歪んだ形で伝わっていたと聞く。69年のウッドストック・フェスを頂点に盛り上がった熱いロック共同幻想と、60年以降のシンガー・ソングライター・ブームが象徴するクールな内省回帰により、アメリカでは、共同幻想に破れた多くの若者が内省的/個的になっていった…という流れをたどったわけだけれど。当時の日本ではその両方の情報がいまだ有効なものとして錯綜しながら渦巻いていて。そんな混乱の現われが中津川のフォーク・ジヤンボリーや日比谷野音のロック・フェスだったのだろうと思う。そして、様々なライヴ盤に記録されている通り、はっぴいえんどはそんな混乱に満ちた場でこの曲をよく歌っていたのだ。「風はすっかり凪いでしまった/私は熱いお茶を飲んでる」と。なんだか、すごくカッコいい。まだまだ混乱に満ちていた日本において、時代の真の姿を鋭敏なアンテナで的確に言い当ていたはっぴいえんど。その証とも言うべき名作だ。
飯田豊 高度経済成長を経験した日本(人)にとって、生活のさまざまな局面において、「同一化すべき他者」たる「アメリカ」への憧憬とコソプレックスは、(国鉄がディスカバー・ジャパンと代弁したように)いつしか「日本」それ自体を他者化するまなざしへと転化していった。この楽曲か醸し出す日本的な情緒は、今でこそ、そうした社会状況の変化を鋭敏に看取しているかのようだが、しかし当時はまだ、あくまで周縁的な感性だったことに留意しておかなければならない。「ぼくはこの精気を感じさせない不思議な曲を、老夫婦の生活をうたったものだとばかり思いこんでいた」(『はっぴいえんど伝説』)という萩原健太氏の告白は、このバンドが駆け抜けた時代の空気感を逆照射している。
大瀧詠一
しんしんしん
立川芳雄 アルバム『はっぴいえんど』のなかで、細野晴臣は、アルバムの核となるような曲を作っているわけではない。けれども彼の曲は、アルバム全体に複雑な陰影や多様性を与えている。この『しんしんしん』などがあったせいで、当時「はっぴいえんどは、ロックではない」などと言われたのだが、しかしこういった曲がなければ、アルバムはかなり単調なものになっていたはずである。生ギターのカッティングと変則的なドラムを生かした、フォークーロック風のアレンジが絶妙。メンバーが西海岸サウンドやカントリー・ロックなどをしっかり咀嚼している証拠だ。ベース音をあまり動かさず、コード感を希薄にしているのも淡々とした曲調に合っている。細野はまだ自分のヴォーカル・スタイルを確立しきっていないようで、彼らしからぬ声の張り上げ方をするところがあったりするのが面白い。URCのライヴ盤では、大瀧詠一の歌うヴァージョンが聴ける。
小川希 アコースティック・ギターの印象的なカッティングで始まる、フォークロック調の名曲。都会に生きる孤独な若者の心情を、街に降る雪の風景をバックに見事に描いている。淡々としたヴォーカルと生ギターの見事な共演のバックで、歌詞の内容と呼応するかのように奏でられる、ものさびしい感じのするエレキ・ギターの音も、心にグッときて見逃せない。この曲のヴォーカルは細野晴臣なのだが、今では、音楽の神様(いや、仙人?)のような存在の同氏にも、この曲で歌われているようなナイーヴな若者特有の、寂寥感を抱いていた時代があったのかなぁなどと考えると、音楽の神様も少しだけ身近に感じられたりする。
細野晴臣
飛べない空
志田歩 ファースト・アルバムの中で、細野晴臣が歌詞も楽曲も書いているのは、この曲のみ。歌詞は「亜米利加から遠く離れた」という言葉から始まるが、曲調はむしろクラシカルなキーボード・サウンドで、一世を風靡したイギリスのプロコル・ハルムからの影響が感じられる。演奏時間は3分に満たないものの、バッファロー・スプリングフィールドや、モビー・グレープの影響を大きく受けていたはっぴいえんどのレパートリーの中では、本作の重厚な雰囲気は異色といっていいだろう。歌詞は様々な解釈が可能な書き方がなされているが、冒頭のフレーズなどは、日本語のロックを始めるにあたって、風土における欧米からの距離感を認識していこうという、宣言であるかのように響いてくる。そもそもはっぴいえんどの結成に先立ち、テレビで「日本語とロックの融合」という宣言を発していたのが細野だったのだから、その重みも当然かもしれない。
細馬宏通 『はっぴいえんど』『風街ろまん』の中で唯一、細野さんが作詞を担当している。細野さんはこの曲について「アメリカから遠く離れて、はっぴいえんどという暗いバンドで、日本語でこういう曲を作っている悲しさをね、歌っているね(笑)」と、『HOSONO BOX 1969-2000』の「楽曲解答」で語っているのだが、この虚無感は、のちに『さよならアメリカ さよならニッポン』という感覚を用意することになる。歌詞もさることながら、音楽としてのききどころはなんといっても、全体を黒く塗るように圧しつぶしているオルガン。その、移動遊園地かサーカスの音楽を思わせながら、戯画的と呼ぶにはあまりに重たい響きは、なぜかヒッチコックの『見知らぬ乗客』の惨劇を思い起こさせる。
細野晴臣
敵タナトスを想起せよ
立川芳雄 この時代の松本隆の詞には、歌詞というより現代詩みたいなものか多い。その一因は音数が不揃いである点にあり、この詞はその典型なのだが、そんな、曲にしにくい歌詞を細野晴臣は、一つの言葉を繰り返したり、間延びさせたりしながら歌うなどして、なんとか曲に仕立てている。詞・曲ともにエイプリル・フールを引きずっているようなところもあり、どこか「試作品」といった印象を拭えない一曲だ。けれども、そうした中途半端な雰囲気を救っているのが、ソウルフルでスピード感のあるリズム・セクションと、鋭く切れこんでくる鈴木茂のエレキ・ギター。とくにギターに関しては、歌の邪魔をせずに強く存在感を主張しており、本当に見事だと思う。普通ならばまとまりのないものになってしまいそうな楽曲を、演奏によって強引にまとめあげているわけで、こんなところからも、メンバーたちの演奏者としての非凡さがうかがえる。
飯田豊 音数が不揃いな松本のシュールな歌詞を、楽曲に昇華させる細野の卓越したリズム感に改めて瞠目させられる。サンクス・クレジットに明記された、バタイユや澁澤龍彦の影響とみられる曲名のインパクトも相まって、はっぴいえんどの作品群のなかでひときわ異彩を放っている。もっとも、独特のイントネーションと間延びしたヴォーカルが、歌詞そのものの語感とは異なる情感を生み、それに鈴木のエレキ・ギターが彩りを添えているという点では、このバンドの本領が忌憚なく発揮された作品であることは間違いない。彼らの濃厚な個性が互いにせめぎあい、いびつに結晶化した実験作といったところか。
細野晴臣
あやか市の動物園
湯浅学 小倉栄司(小倉エージ)ディレクターの貴重な一声が聴ける(ブログ注:冒頭の「テストお願いします」)。曲タイトルは、夢野久作の『あやかしの鼓』にあやかってのものであろう。語呂合わせで畳掛ける歌詞のドライヴ感が、細野のファンキーなベース・プレイによって強化されている。ちなみ「ぱいろっとのからから」は、大橋巨泉の「ハッパフミフミ」のCMシリーズでも有名な、万年筆の名。大瀧による「ひいふうみいよお」のカウントと「どぅるっとう」のスキャットから始まり、細野大瀧のデュエットが快調なので、主唱と作曲が、細野だという印象があまりしないめずらしい曲。『風街』版『はいからはくち』に通じる曲調。「じゆうをかたりあいかべにぬりこめあう」というフレーズに、恐ろしさと虚無まじりの姿勢を感じてシビレた。ドラムスが右でマラカスが左、生ギターがセンターというミックスも特異。バッファローの「ウノ・ムンド」からの影響あり。
篠原章 大瀧のヴォイスから始まり、細野と大瀧がデュエットするというのが最大の特徴である。細野と大瀧という相互作用が、はっぴいえんどの音楽的原動力だったということを示唆する楽曲である。
小川希 非常にビートの利いた、軽快なナンバーである。ゆでめんではどの曲も、ギター・サウンドか前面に出ている。この曲もそんな曲の一つで、もう茂ギターが縦横無尽に飛び回って、大忙し。「ひい、ふう、みい、よお」の大瀧詠一の掛け声から始まって、いきなりアクセル全開である。「からだをまさぐりつながろうとしたんだ キュイーン、キュイーン、キュイーン、キュイーン」って、雄叫びをあげている。間奏なんてもうノリノリ、ブっちぎりである。
細馬宏通 日本語のロックは、カウントも日本語。とはいえ「テストお願いします」という声に続けて、すでに演奏が始まってからなされるそのカウントは、あらかじめ幾重にも失われており、いっそ「皮膚見よ」と聴きたくなる。見るだけで触れることのできないからだが、ことばあそびで転がされ、そのからだは都と市に分かたれる。「だぜ」「んだ」と欲望をちらつかせながら、能面のような「です」の連続で武装するあやかし。海の幽霊が歌われているにもかかわらず、詞の乾燥度はひときわ高く、かつ「無風状態」。歌詞はほとんどひらがなで書かれており、つるりとしている。おそらく松本さんの使うあの画数の多い漢字たちは、水を保つスポンジ、風をはらむ帆であり、ここではその力が封じられているのではないか。乾燥した大気をびりびりふるわせる鈴木さんの、電気的なギターワークが聴きもの。
松本隆? 大瀧詠一 細野晴臣
12月の雨の日
小山守 松本隆と大瀧詠一コンビが初めて作った曲のひとつ。松本が大瀧の自宅を訪ねていく途中の雨の風景を描いたもので、傍観者として街を「見ている」という、松本独自の視点がすでにここで確立されている。だからこその孤独感が全体に漂い、「雨に憑かれた」「雨に病んだ」といった、雨をモチーフにした独創的な言い回し、また「立(おこ)る」「飢(かわ)いた」と読ませる実験的試みもあり、彼のみずみずしく、鮮烈な文学的センスが炸裂。言葉数の少ない簡素な構成なのに壮大なイメージを醸し出す手腕は、今もってすごい。鈴木茂はこの曲の原曲を聴いて、バンド加入を決意したというが、出だしから弾きまくるギター・ソロの湿り気を帯びたトーンが、曲の完成度をいっそう高めている。
福屋利信 ここでの大瀧詠一のヴォーカル・ワークには、目から鱗だった。ロックのヴォーカルと言えば、「シャウトが基本」と信じて疑わなかった筆者は、「ああー、こういう浮遊感漂うフワッとしたヴォーカルで、言葉の意味性を越えた強いインパクトが出せるのだ」と知って、衝撃というより感動したのをいまでも鮮明に覚えている。サウンド的には、バッファロー・スプリング・フィールドあたりの影響がなくはないだろう。『12月の雨の日」をはっぴいえんどの最高傑作にあげる人は少なくない。
真保みゆき 松本隆の手になる歌詞に、寄り添うように歌う大瀧詠一のヴォーカルが、強く印象に残る。続く『いらいら』では、大瀧自身が書いた繰り返しの多い歌詞を、あくまでリズム本位に歌っているのが聴かれるのだ。アプローチの違いは歴然としていると言っていいだろう。ファースト・アルバムにあって唯一、「街」や「風」といった、次作『風街ろまん』でキー・ワードを演じることになる単語が登場する作品でもある。松本詞の場合、まず歌詞ができてから、他のメンバーが曲をつけていったそうだから、イメージ上のこうした発見は、グループにとっても重要な節目だったに違いない。試行錯誤のあとが目立つファーストにあって、ほとんど完成型と言っていい演奏が聞かれることを含め、『風街』を予告する1曲、という気がしてならないのだ。1曲目、『春よ来い』でのとげとげしさがうそのように、みずみずしく、叙情味満点に歌い上げている大瀧でもある。このあたり、現代詩とつげ義春のマンガを抱き合わせたような『敵タナトスを想起せよ!』を歌いながらも、どこか他人事みたいな細野晴臣とは、文字通り好対照。松本詞のこなれ方の違いもさることながら、後年『ロング・バケイション』で再び発揮されることになる絶妙なパートナーシップは、この時点ですでにめばえていたということにもなる。東北出身という大瀧のバックグラウンドにあえてスポットを当ててみせた、『春よ来い』のような詞は、大瀧自身にしてみれば、「面白くない歌だったと思う。こたつに入る暗いイメージは現実そのものだったからね(笑)」(細野晴臣『、The Endless Talking』より)。そうした反動が、『いらいら』やその続編とも言える『颱風』といったノヴェルテイ調の曲を生む原動力となっていったわけだが、ファースト・アルバム録音時には、まだ試行錯誤の段階にあった松本詞が、東北的な「暗さ」と同時に、叙情性にも光を当てていった事実は、見逃すべきではないだろう。余談ながらこの曲は、73年の解散コンサートの模様をおさめた『ライブ‼はっぴいえんど』のハイライトとして登場。アンコールの『春よ来い』とともに、客席からの大歓声で迎えられている。
小川希(1) まだはっぴいえんどが四人で正式に動き出す前に、松本家に遊びに行った鈴木茂が、細野晴臣の生ギターに合わぜてあの印象的なイントロを一発で弾いた、というナンバー。ここから、このイントロから、すべての伝説が始まったのである。まさに伝説の始まりに相応しい、このイントロ、いつ聴いても、本気で震える。こんなのいきなり弾かれた日には、世界の細野晴臣でなくとも「バンド一緒にやらないか」って、そりゃなるだろう。ギターの声がまるで泣きなから歌っているかのよう。美しくそれでいて叙情的。感情が、どくどくと曲から溢れでている。聴いてるこっちが号泣である。その涙の向こうに、雨上がりの街の情景がぼんやりと見えてくる。嘘ではない。見えない奴はちゃんと聴いてみてくれ。ほら、見えただろう。このイントロは、ホントーに感動モノで、かつてのギター少年ならば誰しもが、あんな風に力ッコ良く弾きたいと願い、一度はコピーを試みたことであろう。ちなみに私も、この「ギター少年(微熱気味)の慣性の法則」に従って、一生懸命、無我夢中でコピーしようとしたのだが、そして、誰しもがそうであったと思うのだが、挫折した、膝から崩れ落ちて。あんな風に弾けるわけない。かつてのギター少年達よ、みんなも膝から落ちたはずだ。当然である。
小川希(2) はっぴいえんどの曲の中で、この『12月の雨の日』を、彼らの最高傑作に挙げる人は少なくないであろう。そんな名曲中の名曲。しかも、これかデビュー曲なのである。スタートダッシュもいいとこで、そりゃ歴史も変わります。日本語ロックのはじまり、はじまり。大瀧詠一が作曲した曲に松本隆が詞をのせ、その曲を松本家に細野晴臣と鈴木茂が遊びに行った際、細野が生ギターで弾き、その場で鈴木茂があの感動のイントロを弾いたという、はっぴいえんどファンなら、息継ぎなしで一気に語らなければいけない伝説が、この曲には洩れなくついてくる。四つの奇跡が、このしっとりとした雨あかりの街で出会い、そこから新しい風が吹き始めたのだ。ちなみに、この『12月の雨の日』は、相当数のバージョンの違いを聴くことができる。『はっぴいえんどBOX』での収録数は、オリジナルを含め8バージョン! ずらっと全部並べて聴き比べてみるのも、マニアな楽しみ方としてお薦め。
鈴木茂
いらいら
福屋利信 ビートルズの『カム・トゥゲザー』の影響を感じる、動的なロックが唐突なエンディングを迎え、静的な『朝』に引き継がれていく。この辺りには、ビートルズっぽいサウンド構成を感じて、ニンマリとしてしまう。
能地祐子 ヘヴィなハモンド・オルガンと、ファズ・ギターをともなったハード・ロック・チューン。はっぴいえんどのメンバーの中で、大瀧詠一はもっともドリーミーなメロディを紡ぎだしていた。が、同時に、もっともハードな作品を生み出すのも、また大滝詠一だった。そんなことを証明する1曲だ。その作風の「幅」はたぶん、大瀧が当時からどんなタイプの曲にも順応できる、ヴォーカリストとしての力量をもっていたからなのだろうが、ぐっと喉を締め付けたような声で、「いらー、いらー」と呪文のように繰り返すさまは、のちのグランジの登場を予見しているかのようにさえ聞こえる。若き大瀧詠一の日々は、よほどツライことだらけだったのかなあ…などと、少々まとはずれな感情移入もしがちだが。思うに、これは本人が「まったく情景を感じさせない」と評する、大瀧流歌詞作りの真骨頂。その記念すべき、オフィシヤルーリリース第一号としても重要な楽曲だ。
石川茂樹 『はっぴいえんど』の中で、唯一大瀧詠一が作詞・作曲も担当した楽曲。後のソロ・アルバム中の四音シリーズ、『五月雨』『「びんぼう』に通じる、日本語を意味ではなく音で解釈した走りの作品。『いらいら』という本来のイントネーションが、「いらーいらー」と伸ばすことによって、違ったワーディングに響く「意味なしソング」となっています。この手の処理は大瀧詠一の得意とする言葉使いで、作詞家、大瀧詠一の意図と才能を感じざるを得ません。はっぴいえんどは日本語に固執しているようで、実は日本語でもない独特の言語空間を多用していたという点で、正に先駆的なグループといえるのではないでしょうか。
細野晴臣 松本隆
朝
萩原健太 前曲の混沌を断ち切るように登場するのは、洗練された和音を多用したアコースティック・チューン。イントロはGのキーでスタートするのだが、歌が入ったとたん、1小節後にはCに転調。曲折を経て、サビ前にはDへと落ち着く。そして、サビで再びCのキーヘと戻り、必殺のFメイジャー・セヴンス…。ひとつところにおさまることを避けるように、くるくると様々なキーを行き来する。この落ち着きどころのないメロディが、恋人たちの日常のふとした瞬間を切り取った歌詞と交錯しながら、得も言われぬ浮遊感を演出しているわけだ。細野晴臣による生ギターは、次作で聞かれるようなジェームス・テイラーふうではなく、まだポール・サイモンふうのフィンガリング・ヴォイシングで演奏されている。メイジャー・セヴンス系の響きを多用していることも含め、はっぴいえんど以前の細野、大瀧らによる作曲勉強会の雰囲気を追体験できるようだ。
細馬宏通 いっけん素直な歌詞だが、じつはその意味は、メロディによって前後に揺さぶられている。歌詞カードだけ見れば、「横たわる」のは君であり、「なんて」は感動詞的な表現だとしか思えない。ところがじっさい歌われ始めると、朝が横たわり横たわる君、遊びなんて眠りに過ぎず、そのくせなんて君を綺麗にするのか。通り過ぎたことばのうしろから、意味を揺り返す大瀧マジック。それにしても、その意味の揺れに対して、子音や母音のひとつひとつがなんと確かに、美しく発音されていることだろう。ヴィブラートは冬の陽にふるえる。大瀧さんの声の魅力を堪能できる一曲。
松本隆
はっぴいえんど
福屋利信 はっぴいえんどというバンド名には、「ハツピーな終わり方」の定義が、「画一的なものではない」とするメッセージが込められていると感じる。「幸せなんて、どう終わるかじゃない、どう始めるかだぜ」や「幸せなんて、何を持ってるかじゃない、何を欲しがるかだぜ」といったフレーズは、はっぴいえんどには珍しくストレートなメッセージで、「オー、これで締めくくるのか」とのけ反り、やはりロックの社会的メッセージは、はっぴいえんども微かながら潜めていたのだなと再確認した次第。ちなみに、ここでのみ「ですます調」を崩し、「だぜ」という「ロック調」の言語使用となっている。
和久井光司 プロコル・ハルムの影響が顕著なことでも知られるナンバー。こういうブリティッシュ・ロックっぽさやヘヴィな感覚は、『風街』以降の作品にはほとんどないし、細野、大瀧らのソロ作や、松本のプロデュース作にも見られないテイストだ。しかし、ユーミンの『時のないホテル』を例に出すまでもなく、ある世代の音楽家にとってプロコル・ハルムという存在は、一度は接近したい壁、越えてみたい山河だったりしたのである。「英国産では何か好き?」と訊かれて、ビートルズと答えるのを「ダサイ」としたのは60年代末~80年代初頭組の独特な美意識だが、そこでキンクスやフーじゃなかったところが、この人たちの「肝」なのだ。アコギによる導入部から、ヘヴィな口ックへの展開はプログレッシヴだが、歌詞は日本のフォークっぽい。そのアンバランスな感じ、ドメスティックな風情が。はっびいえんどそのものという気もしてくる。
飯田豊 この曲が発表された70年と言えば、言うまでもなく、「人類の進歩と調和」を謳った大阪万博への大衆動員によって、政治の季節が経済の季節へと、ドラスティックに移り変わるとともに、テレビでは「モーレツからビューティフルへ」(富士ゼロックス)という広告コピーが流行した年である。60年代を通じて、社会のあらゆる局面で「戦後」という言葉が風化し、欠如感に駆り立てられた「理想の時代」が終わりを告げた。「しあわせなんて何を持ってるかじやない 何を欲しがるかだぜ」というメッセージには、理想に向けて克服されるべき欠如の不在が、決して幸せな結末としてではなく、むしろ言いようのない喪失感として立ち現れてくるという、季節の変わり目に翻弄された世代のアイロニーが込められている。
細野 大瀧 松本 鈴木
続はっぴいえんど
和久井光司 「はっぴいえんどならいいさ」と歌うのと、「はっぴ″いいえ″んど」と語る気持ち。彼らの真意はどっちなんだ? そんなことを中学の同級生と議論したことがある。バンドの名前と同じ題の楽曲と、その続編をアルバムに入れてしまう遊び心は、単に遊び心としてだけ捉えてしまうには、あまりにも深い意味を内包しているように思われたもので、ぼくらはこのバンドの作品を語り合うことで、文化的・精神的な遊戯の方法を覚えたような気さえする。元ネタは、ビートルズの「レヴォリューションNo.9」やザッパの諸作あたりなのだろうが、表現形態としては、それらよりはるかに単純だ。しかし、これを日本語でやってしまったのは革命的だったし、この手法はいまなら、ポエトリー・リーディングと呼ばれたかもしれない。仕上がりはそれはどのものにはならなかったが、時代の気分の先を行っていたノンボリっぽさにも感覚の鋭さを感じるべきだろう。
飯田豊 細野の提案によって急遽、レコーディング最終日に制作されたというこの曲は、即興的な演奏形態のなかに、「はっぴいえんど」の七文字が内包する、ユーモアとアイロニーを垣間見せる。アルバムの発売に先立って、はっぴいえんどと呼ばれるロック・バンドは、「ぱっぴい」でも「えんど」でもない「はっぴ『いいえ』んど」であり、のっぺりとした都市化現象の底を、潜かに進行、最も悲劇的な都市仮装民の一群なのだ」(『ミュージックーライフ』70年8月号)と述べている松本。都市化現象ひとつをとってみても、経済成長の影の部分が次第に顕在化していくなかで、彼の同時代的な問題意識はやがて、都市の日常空間に心象風景を仮託する「風街」のヴィジョンを発想する。
ジャケット裏面
はっぴいえんど全曲評論集『ゆでめん』編
了