あままこのブログ

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炎上のコモディティ化――はてな村反省会2015に参加して

はてな村反省会という、はてなでブログとかダイアリーとかブクマとかをしている人達のオフ会に参加してきました。
全体的にどんな話がされたかは下記のオフレポ等を読んでみてくださいな。

で、オフ会で話を聞いている最中に僕が思ったのは、「今のインターネットって、もう何の話題なら炎上するか、初心者にはわからない世界になっているのではないか」ということでした。

「こういうことに言及すれば炎上する」の「こういうこと」が多すぎる

もともと、「飲み会で政治と宗教と野球の話はするな」という言葉があるぐらい、その話題に触れるときは、ある程度理論武装をしておかなきゃいけないというのは、ネット上にかぎらずリアルでもあったわけで、たとえば歴史認識のはなしをするなら、ある程度炎上は覚悟しなきゃならないぐらいの心構えがあったと思うんですよ。
ところが最近は、その「触れるのに覚悟が必要な話題」というのが、一体どこにあるかわからなくなっている。ネットの大勢からすれば問題なくても、ある一部のコミュニティの逆鱗に触れれば、あっという間に盛り上がり、リアルまで影響をおよぼす炎上につながるわけです。
もちろんじゃあ今までの様に少数派コミュニティが黙らされている状況が良かったかといえば、そうでもなく、むしろそれによって今までは異議申し立てすらされてこなかった話題が異議申し立てされるという点で、僕もむしろそういう異議申し立てとしての炎上は、率先して油を足してきた人間だったわけです。
ただそんな身からしても、今のこの「地雷がどこに埋まってるか分からない状況」というのは、ネットで発言する場合に、あまりに大きい参入障壁になっているのではないかと、そんなことを考えたりするのです。
じゃあどうすればいいかというと、正直「不用意な発言で燃えそうと感じたら、早めに謝罪なりで沈下しておく」というぐらいしか思い浮かばないのですが。

その他思ったことの断片

  • 「非モテ論から恋愛工学へ」というのは、なんかセカイ系からサバイブ系へという文化潮流が遅れて波及してきたような感じがしたり。
  • 「個人が書いたもの」から、「そのものを書いた個人」へと、注目が移り変わっているというのは、Youtuberや生主等の台頭を見てもそう感じたり。ただ僕はどっちかというとそれに危うさを感じたりも。描くものが先鋭化していっても、それを俯瞰して分析できる個人が居ればある程度の歯止めは聞くけど、個人そのものが先鋭化していった時、それを律することが出来るものは何かあるのかなぁ?と

まとめ

色々インターネットに関して否定的なことを書いたけど、やっぱりなんだかんだ言って「これまで声を挙げられなかった人々が声を挙げられるようになった」という風に、ネットが無かった昔と比べれば、社会的には進歩しているんですよね。
ただ、ではどこでどういった立ち振舞をして発言すればいいかというハビトゥス(振る舞いについての文化的作法)は、まだなかなか確立されてないわけで、今思えば、モヒカン族とかいうのも、そのハビトゥスを確立しようとして、失敗したプロジェクトだったのかなーと、思ったり。