あままこのブログ

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これってもしかして新しいビジネスチャンス?

活字中毒R。 - よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと
まあ事件自体には「不幸な巡り合わせでしたね」としか言いようがないですな。居酒屋チェーンというものが持ち込み禁止という制度を敷いた上でそのビジネスモデル(持ち込み禁止により、より利益を得て、その利益によりチェーン店をどんどん拡大していくということ)を確立している以上、持ち込みを許可する訳にはいかないわけだけど、でもそういうマニュアルに縛られた場所で良い酒が飲めるかっていうと、マニュアルに気づかないうちは良いのかもしれないけど、一旦こうやってマニュアルがあって、それによって泣いている人が居るってことを分かってしまうと、もうそこでは、酒を飲んでいるにも関わらず「縛られている」感覚がしちゃって、良い酒は飲めないだろうし。そういう点で、チェーン居酒屋って言うのは「酒を飲む場」として間違っているというよしもとばなな氏の主張も分かるしねぇ。
多分、ミクロな場面、つまり具体的にこういう場面に遭っちゃったら、僕は「持ち込み禁止なんだからそこら辺は分かれよ」って思うんですよね。まぁ、だからといってバイトの女の子を怒鳴るっていうのもなんか不愉快だけど、それもまぁあの人らが持ち込んじゃったせいなんだから、やっぱり「悪いのはあの持ち込んだ客だ!」ってなると思うんですよ。
一方で、そういう具体的な場面から一歩引いて、マクロに見ると、やっぱり「マニュアルに縛られた酒場」っていうのは、嫌になる。っていうか規則があるから、その規則に反する行為が排除の対象になってしまって、それ故その規則に反する行為に対しての不快感が生み出される(不快な行為だから規則で取り締まられるんじゃないのよ。だって別に持ち込み自体は不快な行為じゃないんだから、「持ち込み禁止」という規則があるからこそ、それに反する行為を不快に思ってしまう)のだから。そういう「マニュアルに縛られた酒場」というビジネスモデルが何故生まれたかといえば、それは結局、チェーンっていうのが利益だけを考えていて、そこで働く従業員・客みんなの幸福ということを考えてないからなんじゃないのって思ってしまう。
そしてそういうマクロの状況が悪いとするならば、そのマクロを変えられるのは、ミクロな場でそのマクロに対して反乱を起こしていくしかないというのもまた事実。つまり、みんなでもっと主張する客となり、チェーン居酒屋でもそういう文句を言っていくことにより、チェーン居酒屋というものが長期的に変わっていくという可能性もある。しかしそれも短期的に見れば、それは結局「楽しい酒飲みでいざこざが起きる」っていうやっぱり不愉快なことでしかないわけで。
うーん、むずかしい。
……一つ思ったのが、今のチェーン居酒屋っていうのは「もちこみ禁止」である代わりに、その店の酒であったりつまみがより売れるようにして、より利益を上げているわけだけど、その反対のビジネスモデルっていうのも、ありえるんじゃないかな?ということです。
ちょうど、元の記事でも「結局私たちは道端で飲んだ」なんて文章があるけれど、まぁ確かに道端飲みというのは楽しくて、僕も本当だったら居酒屋なんかで飲むよりずっと好きな方法なんだけど、でもやっぱりそれを許容できる人っていうのは少ないし、「周りに迷惑がかかるから」っていう点で、大多数の日本人にとっては拒否感があるのだろうと思う。
だから、そういう「道端」的に自由で持ち込みが出来るけれど、一応壁で区切られている、そういうスペースを売り出せば、結構人気が出るんじゃないだろうか?
要するに「持ち込みOK、というかうちでは酒とかつまみとか売らんから、てめーら勝手にスーパーやコンビニで買ってこい。うちでは場所だけ提供する」っていう、そんな店が出来れば、結構需要はあるんじゃないのかなーということです。
だってそれなら、酒とかつまみとか用意する設備もいらなくて、ただお座敷or椅子とテーブルさえあればいいんだから、設備投資も安く済むんであって、そんなに料金も高くならないと思うんですけど、どうでしょうかねぇ?やっぱ、酒とかつまみとかの付加価値がないと、都市部では採算合わないのかなあ。