あたりませんように
「What is A?」に対して「B is something like this, C is something like that...」などという頓珍漢なやり取りをする人間が実際にいる、ということを以前に書いたことがある。この手の人間は、自分では気付いていないが、要はBやCについて語りたいだけなので対話など成立しようもない。これは聞き間違いや誤解とはまた別の次元の混乱であり、相手がそう言ったと勝手に思い込んでいるが、実は自らの頭の中にあるものを曝け出してしまっているだけである。「語るに落ちる」というのと似ている。
このようなことは、その人間が予めBとかCについて一家言持っていたりする場合に発生しやすく、普段からそれを披露したい誘惑に駆られていたり、あるいは言わざるを得ない状況に追い詰められていた状況下において、それと似たAについての言及があると、それ来たっとばかりにBやCであると早とちりして、話題の対象にもなっていない事項についてナンセンスな議論を展開するという滑稽を演じることとなる。
だから、相手の頭の中にあること(BやC)が最初から分かっている場合には逆に、よく似てはいるが実は別の話(A)を持ちかけることによって、簡単に相手を誤読へと誘導することが出来る。今回におけるそれは勿論、「差別者を発見して叩け!」というものであったので、不用意な読み方をすれば、たちまち己が抱えている差別や偏見を相手に貼り付けて非難しかねない文章を書いた。このトラップはブックマーカーに対して仕掛けたつもりだったのだが、「当事者」である元娼婦が引っ掛かってきたのにはちょっと驚いた。
当該エントリの冒頭でオレは「主婦が娼婦を軽蔑したという、別に珍しくもなんともない話」 と書いた。ここに仕掛けたトラップは2つ。ひとつは「差別」の代わりに「軽蔑」という言葉をもってきたこと。もうひとつは「珍しくもなんともない」というものの言い方である。まずは後者から。現に差別が広く存在していることは明らかであるので、悲しいことだが珍しくもなんともないのは仕方がない。もしもそれが極めて珍しい、滅多にお目にかかれないような稀に起こる現象であったら、それでいいとは言えないにせよ、それほど深刻な問題ではない。要は、相変わらず差別というものが世の中に蔓延しているよ、と書いただけである。
だいたい「珍しくもなんともないのに」と書いてあるが、珍しくもなんともない話しだから何だというのだろう。
差別とはすべからく人を対象としたものである/性差別の構造/売春は悪ではない - 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える
なんでもない。上に書いたとおりである。が、しかし「一家言持っている」元娼婦は「その現象が珍しくない」→「日常茶飯事」→「だからそれを是認しろと言っている」と解釈する。それはこの元娼婦にとってそのようなことを言う人間を想起することが「珍しくもなんともな」かったからに過ぎないが、こっちは珍しいことではないから問題はない、などとは書いてない。元娼婦が、普段から他人はそのようなことを言うと思っているからこそ、今回もそうだと決め付けただけであって、自分の想定をべったりと人に貼り付けているに過ぎない。
次に、「差別」の代わりに「軽蔑」という言葉をもってきたことだが、案の定、
「差別ではなく軽蔑」という冒頭のこの部分。ただの言葉のすり替えである。
差別とはすべからく人を対象としたものである/性差別の構造/売春は悪ではない - 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える
という反応が返ってきた。
「職業差別だって!? ペッ!!」というエントリのタイトルや後半部分の記述から分かるとおり、ここで対象としている「差別」とは「職業差別」である。あの主婦が差別の対象としていたのは娼婦だけだったのにも拘らず、同じくそこに従事する男が女ほど差別されていない点を忘れてこれを「職業差別」としていた人が見受けられたので、ちょっと違うんじゃない?程度の意味において、あの主婦がやっているのは「職業差別」ではないよ、と言ったに過ぎないのだが、「差別者を発見して叩け!」モードの人間にから見ると、これは格好の「差別めっけた!!」材料であって、「見よ、この発言自体が差別である!! ジャジャーン!!」てなこととなる。「その軽蔑を『卑しい』等の侮蔑をもってつまびらかにする」などということは一切していないのだが。
(差別が必ずしも意識的な軽蔑を伴わないこともあり、むしろそっちの方が恐ろしい。自分の差別に無自覚であったり、差別という前提そのものを疑うことなく差別をしていたりする場合である。この場合には、被差別者が反駁したりするとたちまち差別者には軽蔑心が意識上に上がってくる。あの主婦がそのいい例で、最初は「興味深い」と言っただけであったが、元娼婦が敏感にそこに差別意識を感じ取って攻撃を始めると、直ぐに娼婦に対する軽蔑をあらわにした。)
次の文章は、「キレた娼婦がいくつもエントリ立てて過剰反応」というものであるが、ここでのトラップは勿論、「過剰反応」という、過剰な反応を引き起こしやすい言葉である。
差別された本人がエントリを立てるのは当たり前のことであって、過剰反応などではない。「打たれ弱い」とかそういう問題でもない。傷つくのが嫌なら沈黙した方がいいが、あえて発言を続けるのはそれが尊厳にかかわることだからだ。にもかかわらず、過剰反応だなどと書くのは「娼婦なのだから侮蔑を受け入れろ。いちいちそれに異議申し立てをするんじゃない」というこれまた侮蔑であり、差別だ。
差別とはすべからく人を対象としたものである/性差別の構造/売春は悪ではない - 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える
ここは分かりやすい。「娼婦なのだから侮蔑を受け入れろ。いちいちそれに異議申し立てをするんじゃない」という文章はオレのエントリにはないので、この元娼婦による決め付けであることは明らかであろう。確かに「過剰反応」とは書いたが、だからどうせいとは一言も言っていない。「侮蔑を受け入れろ」「異議申し立てをするな」という、自分の頭の中にあるセリフを他者に押し付ける行為が「過剰」なのである。書かれた言葉を発した人間の意図を読んでいくのはまっとうな行為だが、いささか性急に過ぎる。
そして、「程度の差はいろいろあれ、商品なんだから(通常の)人間扱いされないのは当然」という部分。こいつは刺激的だ。あまりにもあざといので、流石にここには誰も引っ掛からないであろう、と思ったらしっかり引っ掛かってくるので、またびっくりした。
それを読んだ結果が「商品なんだから人間扱いされないのは当然」「よくあるただの侮蔑なのに過剰反応をしている」との侮蔑的発言、女性蔑視なのならば恐れ入る。どういう読解力をしているのだろう。
差別とはすべからく人を対象としたものである/性差別の構造/売春は悪ではない - 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える
「商品なんだから人間扱いされないのは当然」であるのは当然であって、もしも娼婦という「商品」がその他の人間と全く同等に扱われているのであれば、差別は存在していないということになり、そこには何の問題もない。あの主婦が差別発言を行うこともなかったであろうし、今回のような騒動も起こらなかったであろう。最早「娼婦だって人間であるのに、商品としてしか扱われないよ。差別が存在している以上は起こりうる事態だよ」という素直な解釈が出来ず、「商品なんだから人間扱いされないことを当然のこととして受け入れよ、と言ってるぞ!!!」としか受け取れないのは、最初から自分の中にそのような論理展開の仕方しかないからである。頭の中にRed Alarmが鳴り響き、攻撃モード全開で飛行中であるこの元娼婦にとって、Radarに映った機影はすべて敵機とか見えないので、「目標補足 - Lock on - FIRE!! - 目標破壊」となり、「Yeah!!!! I got it! I got it!」なのである。
不思議である。
当該エントリを書いた時点でもそう思って「過剰」と書いたが、その思いは更に深まった。既に複数の人が指摘しているが、匿名のblogなのだから黙っていれば分からないものを、わざわざ自分から売春をしていたことを明らかにして(黙っていろと言っているわけではない)、ガキじゃないんだから、それに対していろいろとネガティブな反応が出て来ることもあり得ることも十分に予見できた筈だが、早速出てきた主婦からの「侮蔑的発言」に対してのみならず、目に付くものに片っ端から攻撃していく、その様子のあまりの激しさが不思議だ。
当事者なんだから頭にくるのは当然だ。 必至で抵抗するのも全く構わない。しかし自分の賛同者でないと判断した者には、まるで狂犬みたいにヒステリックになって、片っ端から噛み付いていく様はちょっと異様。脊髄反射的にひとつコメント書いては、まだムカムカ、もひとつ書いても未だ書き足らなくてムカムカ、文章の他の部分が再度目に付いてキーッ、てな具合に何度もコメントするその過剰さに違和感を覚える。「文章力を逆手に取られて強者扱い」されているくらい頭がいいのに、こんな下らないトラップに引っ掛かるほどupsetしているのは妙だ。「インバイと罵られる前に、自らインバイだと言ってしまった方が楽なのだ。」と書いているが、blogなのだから過去を知る誰かに暴露される可能性はリアルに比して遥かに少ない筈であり、予想外の事態に慌てふためいているようにしか見えない。口が悪いのはdefault、冷静です、というかもしれないが、「必死で抵抗した」とか書いているところを見ると、そうとも思えない。
今書いているこのエントリに対して付くと予想されるコメントは、「陳腐な後解釈」とか「言い訳もここまでくると芸術的」とか「しねばいいのに」とかであろうw (面白がってそのまま付けるバカも出てくるかもしれないww)。万人が自分の言っていることを信じてくれるなどというコドモじみた考えは持っておらず、現実はむしろその逆で、大抵の人間は簡単に信じてくれはしないし、自分だって他人に対してはそうであることくらいは分かっているので、コメントで何を言われようがオレは別にupsetしたりはしない。当該エントリが差別表明ではなくトラップであったことを信じてくれた人がいたとして、その人でさえ「差別の再確認とか、職業差別に男性側が入ってなかっただとか、お前の言っていることなんてどーでもいいことばっかじゃんかよ!」と言うであろう。まったくその通りである。そして、そんな「どーでもいい」エントリにすら、「人畜無害のバカ」氏のように「一日も経たないうちにブログを閉鎖したり、閉鎖はしなくても都合の悪くなった記事は削除」して逃げ出さないよう、前文引用して絨毯爆撃を仕掛けてくる、この元娼婦の「必死さ」が腑に落ちない。何故なら、先程も書いたとおり、娼婦であったことを明かしたのはこの元娼婦自身であったからである。
この元娼婦は差別主義者だった自分の母親に復讐するために娼婦になったんだそうだ。効果的なやり方である。気の毒に、娘が普段から自分が行っていた差別の対象になってしまったのでは、さぞかしショックを受けたであろう。狙い通り元娼婦の母親の差別意識がなくったのかどうかまでは知らないが、とにかく「復讐」という目的は達成したのだから、その後は娼婦となったデメリットを甘んじて享受し差別と戦っているのであろう。
ここから分かるのは、この元娼婦は自分の意思で娼婦という被差別の対象となる道を選択したのであって、人種や出身地といった、自分自身では選択しようもなかった運命による差別と戦っている人とは異なっているということである。自分で選択したから抗議をしてはいけないなどといっているのではない。自らの選択であったなら、反撃の仕方がもう少し落ち着いているのが普通ではないか、ということである。大勢の者が言及するようになった今はともかく、あの主婦に対する最初の反撃からして激烈だった。覚悟の上で娼婦になったんだろうし、なったのが昨日今日の話であるならまだしも、そうでないなら考える時間はたっぷりとあった筈であるのに、オレが仕掛けたこんな下らないトラップに引っ掛かるほど冷静さを失っているのは奇異に思える。
(自分で引っ掛けておいてこんなことを言っているのはおかしいが、正直、この元娼婦が引っ掛かってくるとは思ってなかったのである。Track Backは送ったが、それは他の人の目に付き易いようにという意図からだ。)
「復讐」に成功し、その必要がなくなったので娼婦を止めたのなら、別に黙っていても良かった筈であるが、わざわざcoming outしたのは、「押し黙る幾多の娼婦のために」、自分の母親のみならず他の人間に対しても差別を止めるよう説いていくつもりなのであろうか。でもこの口汚さは、「啓蒙活動」といった類の活動に対する一般的なイメージからはあまりにもかけ離れている。他のbloggerに対する反撃ばかりであるところをみると、具体的に中長期的な戦略を持っているわけでもなさそうだ。オレが岸田秀を引用しているのを見てこの元娼婦は「表面をなぞっているだけ」と言っているが、まったくその通りで受け売りばかりだ。でもそれはこの元娼婦も同じで、違うというなら岸田理論を越える何かを構築して訴えていったほうが効果的だとも思うのだが、別段そのような素振りも見せていない。
「過剰反応」と書いた理由は、仮に売春という職業に誇りを持っている娼婦がいたならば、もっと堂々としているだろうとか、witに富んだ粋なやり方で差別する者ですら魅了してしまう頭の良い女もいるかもしれないな、といった具合に、同じ娼婦でもいろいろな反応の仕方があるのかも知れない、と考えを巡らしただけであって、それに比べた場合の、この元娼婦の言葉の激烈さに吃驚したからに過ぎない。「お前に何が分かる、お前に何が分かる」と独りで拳を振り回しても、周りはその過激さに吃驚して、これではお仲間の「幾多の娼婦」でさえ、呆れ返って「押し黙らざる」を得なくなってしまうのではないか(勿論、頑張れと声援を送っている者もいるであろうが)。
このように書くと、またこの元娼婦は自分の世界観による想定で人を差別者と決め付けるであろうから言っておくが、娼婦が自らの職業に誇りを持たなければならないとか、これこれこういう反撃の仕方をしなければいけないとか言ってる訳ではない。ただ、「侮蔑」されてから慌てているのように見えるのが不思議なだけだ。突然の差別攻撃に対する必死の抵抗であればそれも分かるが、何度も言うように、娼婦であったことを披露して、あの主婦の差別を呼び寄せたのは自分自身であるのだから、傍目にはその理由がよく分からない。あのエントリだって、非「当事者」の単なる感想に過ぎず、この元娼婦の抵抗になんか何の関係もない。そして、そんなどうでもいい反応だってblogに書いた以上出てくることは十分予想できた筈なのに。
このような状態で、懸念されるのは、以下のような状況が発生しはしないか、ということだ。
例え話として、あるオフィスに被差別部落出身者が一人いたとする。最近の企業は採用時に出身地や住所を確認することが差別に繋がりかねないことを認識しているので、ここでもそのようなことは行われておらず、その人間が被差別部落出身であることは誰も知れない。ある日、何かの折に、誰もそんなことを聞いたり誘導したりしなかったのに、突然その人間が自ら被差別部落出身であることを打ち明けた。周りの人間はそれに対して別に何の反応も示さなかったが、一人だけ差別的発言をした者がいた。当然、被差別部落出身者は抗議し、差別的発言をした者は沈黙した。その間、他の人間は差別的発言をした者を咎めたり、被差別部落出身者を慰めたりしたが、彼は「すかしてんじゃねえよゴミが。よく聞けこのクズども。」と猛烈に声を荒げて次々と周囲の人間に喰ってかかっていき、言葉尻を捕らえては片っ端から差別主義者であると言い放って攻撃し始めた。
周りの人間は思う。差別は良くないことであるし、そのような発言をした者が非難されるのは当然だ。自分も心の奥底に差別がないとは言い切れない。しかし、少なくとも直接的には差別的発言や行為は行っていない。そうであっても尚、差別していないということにはならないのかもしれない。しかしそれならば、いったいどうしたらよいというのだろう。和気藹々としていたオフィスの雰囲気が一変してしまった。ああ、いやだいやだ。そもそも彼は、その必要があったとも思えないのに、なぜ自分から被差別部落出身であることを披露したのであろうか。
そして、そのうち最悪の事態が訪れる。被差別部落出身者ってのはこういう人間ばかりなのだ、だから差別しても良いのだ、と勘違いするバカが現れるのである。
[ 追記 ]
「こういう理由により売春者に対する蔑視発言は差別とは言えない」なんて発言が見当たらないんです。探し方が悪いのか?強いて言えば、二人。(引用箇所省略)まずalbinoalbinismさんは論外でしょ。「こういう理由」が「売春婦は人間扱いされないのは当然」です。
自己選択した結果の差別について -くるさりんど
あっひゃっひゃwww 種明かしが終わってから引っ掛かって来られてもwwww
[ 追記2 ]
トラックバック先の「あたりませんように」を読みましたが、嬉しそうに釣り宣言していますが、誤読ですよ。私の本記事を読めば明白だと思いますが、該当部分は「takisawaが3/22にどう読んだか」ではなく「macskaさんが3/18時点にどう読むかの可能性の推察」に過ぎません。
自己選択した結果の差別について -くるさりんど
同じじゃん、それwwwwwww
[ 追記3 ]
岸田 じつは僕は、先日、聞く人の程度によっては女性差別発言と取れないこともない発言をしまして、(笑)ある女性にえらく怒られたんです。たしか「女として許せない」といっていました。
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