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2019年10月21日(月)、朝の8時半頃、パナマシティ(Ciudad de Panama)からパナマ運河鉄道(Panama Canal Railway)で大陸横断し、カリブ海(Mar Caribe)側のコロン(Colon)に到着。ツアーの車に乗り換えて、運河に掛る大西洋橋(Puente Atlantico)を越えてサンロレンソ砦(Fuerte de San Lorenzo)へ向かう。<br /><br />大西洋橋を西に渡って、パナマ運河のカリブ海側の入口となる防波堤で囲まれた広いリモン湾(Bahia Limon)の西岸を北上し、スエルマン砦(Fuerte Sherman)から南西に進む。スエルマン砦はパナマ運河を守るために1912年から米陸軍が基地を構えていた(下の写真)ところで、現在もパナマ軍の管理下にある。砦の名前はアメリカ南北戦争で活躍した北軍のシャーマン陸軍司令官(William Tecumseh Sherman)から。<br /><br />スエルマン砦を過ぎると、道の両サイドはジャングルで、道はかなり酷い。いくら四駆のRV(SUV)でも、全くスピードは出せない。スエルマン砦には米軍のジャングル戦訓練センター(JOTC; Jungle Operations Training Center)も置かれていただけあって、ジャングルは本格的。道にも結構たびたびカピバラ(Capibara)やハナグマ(Coati)が出没する。ハナグマは2年前に行ったイグアスの滝(Cataratas del Iguazu)でたくさん見掛けたが、野生のカピバラを見るのは初めて。<br /><br />1時間ほど掛かって9時半過ぎ、コロンの南西約15㎞、カリブ海に注ぐチャグレス川(Rio Chagres)沿いの小高い丘の上に位置するサンロレンソ砦にようやく到着。元々はスペイン植民地時代の1597年から1601年の16世紀末に、外敵の攻撃に備えてスペイン人が現在の砦よりも低い位置に砦を建造した。当時、パナマシティとカリブ海を繋ぐルートは2つあり、コロンの北東約50㎞のポルトベロ(Portobelo)を起点とする乾季の横断ルート、王の道(Camino Real)と並んで、チャグレス川は王の航路(Camino Real de Cruces)と呼ばれ、雨季の横断ルートとして大変重要だった。その河口を守るために建造したものだが、17世紀から18世紀にかけてはイギリスの、海賊などによる襲撃を度々受けた。<br /><br />1670年にはヘンリー・モーガン(Henry Morgan)一味に占拠され、この砦がパナマビエホ(Panama Viejo)攻撃のベースキャンプとなった。その後1680年代に入って砦は現在の位置に再建されたが、引き続きイギリスによる攻撃が続き、18世紀半ばにスペインはパナマ経由でなく南米大陸の最南端、ホーン岬(Cabo de Hornos)経由ルートを本国とのメインルートに変え、以後この砦は1821年のパナマ独立まで、刑務所として使われていた。<br /><br />1848年のカリフォルニアでの金の発見によってチャグレス川は再び重要なルートとなるが、1855年には鉄道が開通し、貿易の中心もコロンに移った。さらに1914年に完成したパナマ運河(Canal de Panama)の工事でガトゥン湖(Lago Gatun)が造られ、チャグレス川にもダムが出来、航路としての終焉を迎えた。<br /><br />この砦はポルトベロの砦と対になる要塞跡として歴史的価値が高く、1980年にポルトベロの要塞群とともに「パナマのカリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサンロレンソ(Fortifications on the Caribbean Side of Panama: Portobelo-San Lorenzo)」として世界文化遺産に登録された。ただし、2012年には保存面での不備が懸念され、危機遺産リストに登録されている。<br /><br />砦は南から流れ込むチャグレス川の河口を守るように西に突き出した小さな半島に造られている。砦の背後にはジャングルが広がり、荒れはてているものの、砲台や大砲、砦、跳ね橋などが当時のままの姿で残っている。半島の入口に内堀が掘られ、半島部に進むには堀を越えて行かなければならない。入口を抜けると砦部分となり、半島部分は一段低くなっている。ガイド氏について、砦部分や内堀を歩く。確かに結構残っている感じ。最後は、砦の東側、一段高くなった砲台に上がる。ここにも堀越しに大砲が筒先を向けている。<br /><br />小1時間ほど砦で過ごし、10時半過ぎに帰路に付く。また、ジャングルの中を1時間ほど掛けてコロンに戻る。ハナグマだと思うが、後ろ足で2足立ちし餌をねだってくる。さらには写真は撮れなかったがオオアリクイ(Oso hormiguero gigante)も出没する。オオアリクイはガイド氏もめったに見られないとのことだった。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3480969778639688&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />大西洋橋からガトゥン閘門を見下ろしてコロンに戻ると高速に入り、一路パナマシティを目指す。高速に入ると1時間も掛からずにパナマシティに戻って来る。12時45分頃、ホテルではなく、昨夜食べたカスコビエホ(Casco Viejo)近くの水産市場(Mercado de Mariscos)前で降ろしてもらう。これでツアー終了。<br /><br /><br />昼食からの話は続く

パナマ サンロレンソ砦(Fuerte de San Lorenzo, Panama)

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2019/10/21 - 2019/10/21

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ちふゆ

ちふゆさん

2019年10月21日(月)、朝の8時半頃、パナマシティ(Ciudad de Panama)からパナマ運河鉄道(Panama Canal Railway)で大陸横断し、カリブ海(Mar Caribe)側のコロン(Colon)に到着。ツアーの車に乗り換えて、運河に掛る大西洋橋(Puente Atlantico)を越えてサンロレンソ砦(Fuerte de San Lorenzo)へ向かう。

大西洋橋を西に渡って、パナマ運河のカリブ海側の入口となる防波堤で囲まれた広いリモン湾(Bahia Limon)の西岸を北上し、スエルマン砦(Fuerte Sherman)から南西に進む。スエルマン砦はパナマ運河を守るために1912年から米陸軍が基地を構えていた(下の写真)ところで、現在もパナマ軍の管理下にある。砦の名前はアメリカ南北戦争で活躍した北軍のシャーマン陸軍司令官(William Tecumseh Sherman)から。

スエルマン砦を過ぎると、道の両サイドはジャングルで、道はかなり酷い。いくら四駆のRV(SUV)でも、全くスピードは出せない。スエルマン砦には米軍のジャングル戦訓練センター(JOTC; Jungle Operations Training Center)も置かれていただけあって、ジャングルは本格的。道にも結構たびたびカピバラ(Capibara)やハナグマ(Coati)が出没する。ハナグマは2年前に行ったイグアスの滝(Cataratas del Iguazu)でたくさん見掛けたが、野生のカピバラを見るのは初めて。

1時間ほど掛かって9時半過ぎ、コロンの南西約15㎞、カリブ海に注ぐチャグレス川(Rio Chagres)沿いの小高い丘の上に位置するサンロレンソ砦にようやく到着。元々はスペイン植民地時代の1597年から1601年の16世紀末に、外敵の攻撃に備えてスペイン人が現在の砦よりも低い位置に砦を建造した。当時、パナマシティとカリブ海を繋ぐルートは2つあり、コロンの北東約50㎞のポルトベロ(Portobelo)を起点とする乾季の横断ルート、王の道(Camino Real)と並んで、チャグレス川は王の航路(Camino Real de Cruces)と呼ばれ、雨季の横断ルートとして大変重要だった。その河口を守るために建造したものだが、17世紀から18世紀にかけてはイギリスの、海賊などによる襲撃を度々受けた。

1670年にはヘンリー・モーガン(Henry Morgan)一味に占拠され、この砦がパナマビエホ(Panama Viejo)攻撃のベースキャンプとなった。その後1680年代に入って砦は現在の位置に再建されたが、引き続きイギリスによる攻撃が続き、18世紀半ばにスペインはパナマ経由でなく南米大陸の最南端、ホーン岬(Cabo de Hornos)経由ルートを本国とのメインルートに変え、以後この砦は1821年のパナマ独立まで、刑務所として使われていた。

1848年のカリフォルニアでの金の発見によってチャグレス川は再び重要なルートとなるが、1855年には鉄道が開通し、貿易の中心もコロンに移った。さらに1914年に完成したパナマ運河(Canal de Panama)の工事でガトゥン湖(Lago Gatun)が造られ、チャグレス川にもダムが出来、航路としての終焉を迎えた。

この砦はポルトベロの砦と対になる要塞跡として歴史的価値が高く、1980年にポルトベロの要塞群とともに「パナマのカリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサンロレンソ(Fortifications on the Caribbean Side of Panama: Portobelo-San Lorenzo)」として世界文化遺産に登録された。ただし、2012年には保存面での不備が懸念され、危機遺産リストに登録されている。

砦は南から流れ込むチャグレス川の河口を守るように西に突き出した小さな半島に造られている。砦の背後にはジャングルが広がり、荒れはてているものの、砲台や大砲、砦、跳ね橋などが当時のままの姿で残っている。半島の入口に内堀が掘られ、半島部に進むには堀を越えて行かなければならない。入口を抜けると砦部分となり、半島部分は一段低くなっている。ガイド氏について、砦部分や内堀を歩く。確かに結構残っている感じ。最後は、砦の東側、一段高くなった砲台に上がる。ここにも堀越しに大砲が筒先を向けている。

小1時間ほど砦で過ごし、10時半過ぎに帰路に付く。また、ジャングルの中を1時間ほど掛けてコロンに戻る。ハナグマだと思うが、後ろ足で2足立ちし餌をねだってくる。さらには写真は撮れなかったがオオアリクイ(Oso hormiguero gigante)も出没する。オオアリクイはガイド氏もめったに見られないとのことだった。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3480969778639688&type=1&l=223fe1adec

大西洋橋からガトゥン閘門を見下ろしてコロンに戻ると高速に入り、一路パナマシティを目指す。高速に入ると1時間も掛からずにパナマシティに戻って来る。12時45分頃、ホテルではなく、昨夜食べたカスコビエホ(Casco Viejo)近くの水産市場(Mercado de Mariscos)前で降ろしてもらう。これでツアー終了。


昼食からの話は続く

  • 米軍兵舎跡

    米軍兵舎跡

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