4時半起床、5時出発。
15. 朝のアブ・シンベル神殿観光
何でこんなに早い出発。気違い沙汰?それは、旅程に「日の出観賞」とあったから。日の出など見たくはないのですが、ここでホテルに残ると、アブ・シンベル神殿の内部の観光ができないので、しかたなく行きました。
案の定、曇りで朝日は拝めず。。
朝に行ってみれば、昨日暗がりで見えなかったアブ・シンベル神殿の周囲がわかってきました。神殿の前はナセル湖の水なんですね。
もうひとつの関心事項は、昨日入場のとき、係り員がいましたが、夜の7時から8時。本日は朝の5時。どんだけ公務員はすごいんだ?あるいは公務員でない?いずれにしても、トルコやエジプトは、時間で閉まってしまうギリシャと違います。
左側の大神殿。19世紀に発見されるまで砂に埋もれていた。
ここも、ダム建設により水没。ユネスコが世界からお金を集め、別の場所に岩山に見立てた人口ドームを作り、そこに元の神殿を貼り付ける形で移設したそうな。
2番目の像の顔が崩れて足元に転がっている。。。。これも崩れたまま移設したんだそうで。 ふーん。
大神殿はラメセス2世が北のヒッタイトと南のヌビアとの戦いの偉業について記録したものだという。戦車。戦いの場面が多い。
右側の小神殿。ラメセス2世が王妃ネフェルトアリのために作ったとか。戦いの絵ではなく王宮での生活が描かれているとか。
ホテルに戻り7時20分には朝食、9時発。9時半には砂漠にさしかかり、10時半頃には砂漠で蜃気楼が見られました。
12時20分頃には再びアスワンに入りました。
16. アスワンハイダム
ナセル大統領がスエズ運河を国有化し欧米を敵に回しながら、建設を開始し、次期大統領の時代の1970年に完成したアスワンハイダム。イギリスが1900年代に作ったアスワンダムは治水用でしたが、ハイダムの方は発電用。
当時私は中学生から高校生。アスワンハイダムの単語は覚えていました。
当時、劇場やテレビで活躍していた喜劇役者が「為せば成る、為さねばならぬ何事も、ナセルはアラブの大統領」といったセリフで笑いを誘っていたのを昨日のように思い出します。
このアスワンハイダム、今でも軍が警備しており、撮影スポットだけが観光客が立ち寄ることができ、写真を撮ることができます。ダムから向こう側は延々と500キロに渡り人造ナセル湖が続きます。
しかし、見渡す限り、水が満々と溜まり、という景色ではなく、砂や赤土で乾ききった大地に少し水が溜まっている、下流側など大地は干からびている、といった風景に感じました。
ナイル川の氾濫期に来れば別の印象だったかもしれません。クソ暑い9月ではそんな感想でした。
17. 未完のオベリスク
アスワンは花崗岩の大地、ナイルの石切場だったそうで、ここからルクソールまで石材が運ばれたとか。長い尖った石柱(オベリスク)もここから切り出したそうで。
そのオベリスクの切り出し跡が街中に残っており、観光地となっています。ここは例によって塀に囲まれており、入場券をみせて保安検査を受けて入ります。日陰がない岩山。
炎天下、岩山を登り、切り出し途中でヒビが入り、諦めたオベリスクを見ました。
石で丸い穴を開け、その穴に木製の楔を入れ水を注ぎ膨張させて、岩を切っていくのだそうです。ふーん。。。3000年も前にそんなことをやっていたなんて。すごいですね。
その後、イシス遺跡のある近くの川中島のレストランに船で渡り昼食、もどって街の香水瓶の店に寄り、アスワンの空港へ。空路カイロへ。そしてギザへ
アスワン空港1855、カイロ2020、荷物入手、出発に時間、カイロ市内の混雑の中、ギザのホテルに到着。10時頃夕食。我が部屋からピタミッドが見えるー。
食事、明日は帰国なので深夜のパッキング、1時半頃寝ました。1時半、ベランダから見ると表のプールでは我がツアーの若い学生さん、お兄ちゃん2名とお姉ちゃん2名は、最後の日なので?プールで泳いでいました。何と元気なんだー。
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