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2009/03/10

少年たちの歌〜音楽の中のこどもたち

Title こどもは好きですか?  ・・・と聞かれたら、たぶん5分くらいは考え込んでしまう。  抽象的な「こども」という概念、あるいは静かに佇んでいるこどもなら、それは「好き」とすぐに言えるけれど、目の前できゃあきゃあ言っている生のこどもは(特にその声が)苦手だ。  そうでなくても、音楽を始めてから「こども」とは無縁の世界を生きている。家庭も子供も持っていないせいもあるけれど、自分がそもそも「こども」と大差ないせいもあるのかも知れない。  ただ、音楽を40年もやっていると、若い人に向ける視線も当然ながら出てくる。そのせいか、ここ数年、こどもたちのための音楽を書く機会が増えてきた。  きっかけは2003年にTVアニメ版「アストロボーイ/鉄腕アトム」の音楽を担当したことだろうか。そのオーケストラによる組曲版を中心に「こどもためのオーケストラ・コンサート」がシリーズ化され、東京(Bunkamura)を始め、名古屋(愛知万博)、大阪(大阪城ホール)などで多くのこどもたちを集めている。今年も東京での開催を企画中とか。 Osaka_2 これは、基本的には子供たちに生のオーケストラを聴いてもらうコンサートなのだが、最後に子供たちの合唱で「アトムの歌」が歌われるのが恒例になっている。  これがまた心に染みるのだ。  何のことはない。ただただシンプルなユニゾンで(普通の小学校に通う)子供たちが(♪「空を越えて〜ららら星の彼方〜」と)歌う。それだけのことなのだが、毎回、その声が聞こえてきた瞬間、背筋がぞくっとするのを抑えられない。  技術の粋を尽くし大人の手練手管を施したフル・オーケストラのサウンドが、無垢の声で一瞬のうちに消し飛んでしまう。まさに「声」の威力である。  ちなみにこのシリーズは、室内楽版(ピアノ、フルート、ヴァイオリン、チェロという編成)でも関西(宝塚)で開催されていて、こちらもこの夏(8月)に二回目が開かれる予定。 Tokyo そして、もうひとつ、NHK-BSの「おーいニッポン」という番組で、児童合唱・混声合唱にフル・オーケストラ(プラス太鼓や民族芸能からロックバンドまで加わる!)という編成のアレンジを4作ほど書く機会があったことも大きい。    これは全国の都道府県のその地ゆかりの音楽をメドレーにする企画で、私が担当したのは、茨城、埼玉、宮崎、そして東京。  これも毎回その地方の「子供たち」がコーラスで登場するのだが、大人たちの男性女性たちによる200人近い混声合唱に混じった30〜50人ほどの「子供たちの声」が、不思議な威力を発揮して音楽を「異化」してしまう。  確かに、作曲家として「子供の声の合唱」というのは、オーケストラやコーラスあるいはパーカッションや邦楽器などと並ぶひとつの貴重な「音の素材」である。  しかし、「子供の声」というのは、そういった「素材」の域を超えた、何か人間という生物の魂の根幹に触れる、そして自らの記憶の襞をかき乱す、そんな独特の響きの「魂」がある。そんな気がしてならない。           *  Boysch ただ、それにしては、クラシック音楽というのはあまり「子供の声」というのを使わずに長い歴史を経て来た。  オーケストラや混声合唱に混じって「児童合唱(少年合唱)」が登場する作品・・・というと、なぜか近・現代の作品に限られるのがそのいい証拠だ。  もちろん古来、教会では少年合唱が賛美歌を歌っていたし、私的な演奏会の場では、無伴奏合唱やピアノ伴奏の小品は少なからず書かれていたはず。  そのわりに、クラシックの作曲家たちが自分の「作品」の中で児童合唱を積極的に使うようになるのは、なぜか19世紀末から20世紀以降というのはちょっと不思議だ。    例えば、マーラーが交響曲第3番の第5楽章「天使たちが私に語ること」で、極めて印象的な児童合唱の楽章を設定したのが1896年。  マーラーは、このアイデアが気に入ったのか、1907年に完成した第8番でも「天使たち」として児童合唱を登場させている。 Janne そして、おそらく児童合唱としてもっとも効果的な使用例は、1935年にオネゲルが書いたオラトリオ「火刑台上のジャンヌダルク」だ。  要所要所で繰り返し歌われるシンプルなメロディは、「マタイ受難曲」のコラールのように効果的かつ印象的に心に刻まれる。(彼は、1953年に「クリスマス・カンタータ」でも天使の声として児童合唱を使っている)  さらに(これは児童合唱ではないけれど)、1921年に書かれたベルクの歌劇「ヴォツェック」で、幕切れがこどもの声で終わるのも演出効果抜群。不条理で暗い殺人劇の最後に聞こえる子供(少年)の声は、悲劇のコントラストを際だてていてきわめて印象的だった。  いずれも「無垢な魂」そして「天使たち」のイメージとして「少年合唱」を用いているのが特徴と言えば言える。  確かに、女声(ソプラノ)では、清浄な感じは出ても「無垢」なイメージは難しい。「少年たち」による「天使たち」の歌声というのは、オーケストレイションという点から考えても、まさに最上の「天上のサウンド」ということなのだろう。           *  Amgels とは言え、それ以前も音楽の世界に「こどもたちの声」がなかったわけではなく、バッハやモーツァルトの時代から、教会における「合唱」だけは「こども(少年)」の歌が重用されていた。  理由は簡単。「女性禁制」の教会で高音パート(ソプラノとアルト)を歌うため…である。(だから、「児童合唱」ではなく、「少年合唱」に限られる)  そのため、教会や宮廷では、管弦楽団や合唱団と並んで、少年たちを集めた合唱隊を持っていた。 Wiens 中でも有名なのは、少年時代のシューベルトが入っていた「宮廷礼拝堂児童合唱団」(現在のウィーン少年合唱団の前身)だろう。彼は、ウィーンの寄宿学校(コンヴィクト)で音楽を学び、11歳の時にそこから選抜されて入団している。  ここの先輩にはハイドン兄弟(兄ヨゼフと弟ミヒャエル)がいて、この合唱隊はモーツァルトやブルックナーとも共演している。(そのせいで、ウィーン少年合唱団は、ブルックナー組、ハイドン組、モーツァルト組、シューベルト組、という4つのグループに分かれているそうな)  この「少年合唱団」、簡単に言えば「女性の高音を少年で代用したコーラス」のわけなのだが、少年はやがて「大人の男」になる。どんな美しい少年の声も、12歳前後になると声変わりして「大人の声」になってしまう残酷な未来が待っているわけである。  それを避けるために、去勢手術を行ってボーイソプラノの声質を保持するのがカストラート(Castrato)。  17〜8世紀には全盛を誇ったが、人道上の問題で19世紀には廃れ始め、現代ではまったく姿を消してしまった。  つまり、いかに美しい声を持った「少年」も、その歌が機能するのはほんの数年。「少年合唱」というのは、極めて短い期間だけ花を咲かせる(まるで「桜」のような)存在なのである。(その点が、緩やかに女声合唱に移行可能な「少女合唱」との決定的な差ということになるだろうか)  その期間限定の「儚さ」が、同じ「高音の美声」でも、女声とは全く違う魂の響きを醸し出す。  そんな「ぎりぎりの美しさ」に、作曲家たちは「天上の世界」の声を聴いたのかも知れない。          * Renoir ところで、作曲家が「子供ための」というコンセプトを前面に打ち出してきたのも、19世紀末〜20世紀初頭以降のような気がする…のだが、どうだろうか?  それ以前は(音楽の世界に限らず)、そもそも「こども」というのが社会の前面に登場することなどなかった。モーツァルトやロッシーニのような「早熟の天才少年」が話題になる以外、「こども」が音楽界に関わる例は皆無だったと言っていい。 Manet もちろんどんな大音楽家も最初は「こども」だったし、良家の子女は「こども」の時から音楽の鍛錬にいそしんでいたわけだから、ハノンやツェルニーやブルグミュラーなどによる「練習曲」や、シューマンの「子供の情景」(1838)、あるいは「おもちゃの交響曲」(1770頃)のような「こども(初心者)のための音楽」という需要はあったはず。  しかし、それはあくまでも「家庭用」あるいは「プライベートな場」での音楽であって、大人の観賞用音楽とは無縁の世界だった。  そもそも「音楽」の世界は大人のものであって、コンサートやオペラは大人が行くもの。子供は(大きくなるまで「一人」という勘定には入らず)家でおとなしく留守番…というのが決まりだったわけだ。  それが、19世紀末あたりから市民生活そのものに変化が始まり、(それはおそらく、乳母や使用人が多い貴族や上流家庭に代わって、夫婦に子供数人というような中流階級の市民が音楽会の聴衆の中核になっていったせいだろう)大人が行くコンサートに「こどもの世界」が乗るようになった。  そう。「子供」が「お子様」になったのである!  その先駆けは、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」(1892)、そしてフンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」(1893)あたりだろうか。あるいは、もう少し前のサン=サーンスの「動物の謝肉祭」(1886)?。(先のマーラーの交響曲第3番も1896年だからこのあたりだ) Nutcracker この傾向は20世紀を迎えると顕著になり、ドビュッシーは愛娘のためのピアノ組曲「子供の領分」(1908)やバレエ「おもちゃ箱」を書き、子供がいない独身のラヴェルまでも童話マザー・グースを元にした組曲「マ・メール・ロア」(1910)や子供が主人公の歌劇「子供と魔法」(1925)を書いている。  以後、「こども」は、音楽家たちにとって未来の大事なお客となり、教育的な観点からも、こどもたちのために上質な音楽を作り聴かせることが、試みられるようになった。(このあたりは「不思議の国のアリス」(1865)から「ピーターパン」(1906)に至る当時の「児童文学(劇)」の隆盛とも呼応しているのだろう)  その最高の成果は、プロコフィエフの「ピーターと狼」(1936)とブリテンの「青少年のための管弦楽入門」(1945)あたりだろうか。共に、作曲家が持てるすべてを動員した、音楽的にもまったく遜色のない子供向けクラシックの代表的名品である。          *  さて、ここらで話を少し変えて、我が国(日本)の「こども」たちの音楽に目を転じてみよう。  日本も、第二次世界大戦後、西洋諸国からは少し遅れたものの、「子供」から「お子様」への変化が始まったのは御存知の通り。  それまではせいぜい「わらべうた」くらいしなかった「こども」の文化が、雪崩のように社会の前面に登場するようになる。  代表的なのは、手塚治虫に代表される「マンガ」文化の台頭だが、その話を始めると長くなるので別のところで。  しかし、「マンガ」あるいは「アニメ」の登場で、その主題歌を歌う「児童合唱」がめきめきと音楽界の前面に登場し、独自の世界を築くことになったのは事実。   もちろんそれ以前にも、童謡や民謡などを歌う児童合唱の団体は(レコード会社の専属などで)存在したが、戦後、こども向けのラジオ・テレビ番組の主題歌を歌うことをきっかけに、数多くの少年少女合唱団が登場し始め、60〜70年代に一つのピークを迎える。 Nhkuta 例えば、その頃(私が作曲家を志し始めた高校生の頃である)、NHKに「歌はともだち」(1968年4月〜1977年3月。土曜日の夜18時から放送)という子供の歌番組があった。  牟田悌三、芹洋子、ボニージャックス、ペギー葉山、今陽子(ピンキーとキラーズ)などが司会で、伴奏のオーケストラの指揮が南安雄氏。合唱は、NHK東京放送児童合唱団、西六郷少年少女合唱団、杉並児童合唱団、荒川少年少女合唱隊、ひばり児童合唱団などなど。  土曜日のゴールデンタイムに児童合唱がメインの音楽番組というのは、今ではちょっと考えられないが、単なる「お子様向け音楽番組」ではないクオリティの高さを感じていたのは私だけではないはず。  ちなみに、私はその中では西六郷少年少女合唱団(指揮と指導:鎌田典三郎氏)のファンで、児童合唱組曲を二つほど送りつけたことがある。(もちろん、無名の高校生の書いた作品。確かお礼の手紙は来たと記憶しているが、演奏されることはなかった)  そして、優秀な児童合唱団が林立し、テレビで活動が紹介されて人気を博していたこともあって、その頃は児童合唱の傑作が結構生まれていた。  個人的には、間宮芳生「子供の領分」(合唱のためのコンポジション第4番)、南安雄「チコタン」(詞:蓬莱泰三)、三善晃「オデコのこいつ」(詞:蓬莱泰三)が三大名曲か。    間宮芳生「子供の領分」(1963年)は、東京のわらべうたや囃子歌(棒が一本あったとさ…とか、でぶでぶ百貫でぶ…とか)をオーケストラ伴奏で組曲メドレー仕立てにしたもので、どこかフランス近代風の軽やかなオーケストレイションも印象的な逸品。  歌を素材としてコラージュした点では(バルトークにも通じるような)現代作品(のはず)なのだが、普通に「音楽的」で「聴いて楽しい」名品である。1960年代という前衛音楽全盛の時期に、「そうか。子供を使えば〈調性〉も〈リズム〉もまだまだアリなんだ!」という感激が強烈だった。 Chikotan 南安雄「チコタン」(1969年)は、前記の「歌はともだち」で指揮とアレンジを担当していた氏による、全編関西弁で歌われるコミカルなタッチの合唱組曲。少年である「ぼく」が同級生の「チコタン」に恋をするのだが、彼女が突然交通事故で死んでしまう。そのため後半はかなり(社会派的な?)シリアスなトーンになる不思議なバランスの曲。  もとはピアノ伴奏の作品だが、室内オーケストラ伴奏によるレコードが気に入ってずいぶん聴いていた。ミニ・オペラ的な趣のある作品である。  対して、三善晃「オデコのこいつ」(1973年)は、児童合唱の限界に挑戦するかのような変拍子&不協和音を炸裂させた衝撃作。少年である「ぼく」の頭の中に、アフリカ(ビアフラ)内戦の飢餓にみまわれた「オデコばかり大きな黒人の子」が入り込み、言葉も通じず、わけの分からないまま最後はいつの間にか死んでしまう…というシュール&ショッキングな(怖い)内容が、それこそ「春の祭典」なみの難しい譜面で歌われる。  しかし、その現代的な書法があってこそ、現代社会の暗部を抉る内容を伝えられるのも事実。「子供向け」と甘く見ると怪我をする?辛口の名品である。  もうひとつ、一柳慧「ヴォイス・フィールド」(1974)という作品も、谷川俊太郎の「ことばあそびうた」を使ったなかなかの逸品。合唱曲というよりは「かっぱかっぱらった/らっぱかっぱらった/とってちってた」というような言葉のサラダの羅列によるシアターピースなのだが、言葉と音楽の「前衛」が「こども」の歌でありえるのか…と、かなり感心した記憶がある。  それ以後も、日本の現代音楽の作曲家たちは、結構本気で児童合唱曲を書いている。「こども」が演奏するので極端な複雑さは薄いせいか、いわゆる「現代音楽」的な難解さとは一線を画した、なかなか音楽的に面白い曲が少なくない。      * Boyssong 最後に…余談になるが、私が最初に「こども」を意識して作ったのは、NHKの電子音楽スタジオで制作した作品で、「マーマレイド回路」(1983)という曲。  作曲家としてデビューした直後の(結局、作品番号も付けなかった)習作だが、これは「こどものための」ではなく、子供(少女)の声…を使った「こどもによる」テープ音楽である。  この曲、そもそもは、シュトックハウゼンの初期(28歳ころ)の名作「少年の歌(Gesang der Jünglinge)」(1956)」へのオマージュとして発想したもの。  「少年の歌」は、電子音やテープによる変調音という「極めて無機的な」音響の中に、旧約聖書(ダニエル書?)の一部を呟くこども(少年)の声をちりばめコラージュして作った13分ほどの作品で、テープ音楽の古典的名作として知られている。  しかし、実を言うと当時は「幻の名作」として断片的に聞いていただけだったのだが、「少年の声をコラージュして作ったテープ音楽」というのが魅力的に思えて、それをさらに変調した自分流「少女版」少年の歌…を編み上げたわけである。 Marmalade_2 ちなみにタイトルは、当初「電動式アリス」というものだったのだが、ちょっと妖しい響きがあるので(ちなみに、吾妻ひでお氏などの影響でロリコンがオタク文化に浮上する前夜のことである)、放送直前に改題してしまった。  これは「オレンジ(生音)を入力すると、マーマレイド(加工された音響)が出力される」という架空の音響回路。要するに電子音楽スタジオそのものを、そういう変な音を作る「回路」に見立てたわけだが、なんで「マーマレイド」だったのか?は記憶がない。  素材は、女の子3人(知り合いの子とその友人たち。小学校高学年から中学生くらい)の声。「ん〜」とか「あ〜」とか「ぷるん」とかいう擬音や「あはは」とか「きゃっきゃ」という笑い声を片っ端からテープ(当時はオープンリール)に録音して、変調したりピッチを変えたりエコーをかけたりループにして繰り返したりしたものを作り貯め、それを切り貼りして16分ほどの作品に構成していった。(今ならさしずめ〈初音ミク〉で作るところだ…)  曲の途中では、「ぷるん」を8チャンネル合成してケチャにしてみたり、最後は周期律表(水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素…というやつ)を読み上げたり。日本初(そして唯一)の「ロリコン・テープ音楽」とマニアの間ではひそかに囁かれている(とかいないとか)  えーと、何の話をしていたのだっけ(笑)。    今回はここまで。            * Wienj ウィーン少年合唱団日本公演 2009年 5月2日(土)14:00 サントリーホール 5月3日(日)14:00 サントリーホール 5月16日(土)14:00 東京オペラシティ 6月6日(土)14:00 東京オペラシティ 6月12日(金)19:00 東京オペラシティ 6月13日(土)14:00 東京オペラシティ 6月14日(日)14:00 東京オペラシティ ほか 曲目:アンジェラ・アキ「手紙〜拝啓15の君へ」ほか

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コメント

はじめまして。
私も音楽が大好きで、吉松さんをテレビで見たことがありました。
ただ、今は台湾に滞在していますから、ずいぶん日本のテレビとも縁遠くなっています。
このブログにはたまたま行き着いたのですが、、面白い記事がたくさんあって、驚いています。
私は数学者なのですが、趣味は作曲です。
現代的な曲など作れませんが、しこしこと楽しんでいるわけです。
自分で作った曲がどんな程度であるかというのは、作った以上知りたいものですが、音楽家の友人は少ないものですから
なかなっか聞く機会がありません。
「228」というのは気に入っているので、多くの人に押し付けて聞いてもらっています。
台湾の二・二八事件からとった音楽のつもりです。
Number18というサイトに掲載録音していただきました。
といっても、専門の作曲家からすれば、おかしなものかもしれません。
このブログは面白いので、また来させていただきます。
今日もスマイル(←は私の決まり文句なんです。)

投稿: kawazukiyoshi | 2009/03/21 13:37

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