ゆっくり時間をかけて見ることは
現代社会では難しいことです。
多くは素早く見て判断しないといけないので
すぐに見て分からないものは
分からないもの、
何の意味も無いガラクタと、
通り過ぎてしまうか、
無視されるか、
保留にされたまま
決して再検討されることもなく捨てられます。
ゆっくり時間をかけることは
今の社会では難しいことなのでしょう。
だからあえてゆっくり時間をかける見て欲しいと思うのです。
今の流れとは逆を試して欲しいのです。
そうすることで何かを感じることができると思うのです。
そうすることで見えてくる何かがあるはずです。
それが何かは
人それぞれです。
何に見えるかも
人それぞれです。でも、
それでいいんです。
それだから面白いし
そこから何か新しい発想や視点が生まれると思うのです。
それが、芸術の役割ではないかと私は思うのです。
内側で完結していると思い込んでいる人にとって
内側の様子はどうでもいいのです。
つまりそれが絶対であるから
比較するものが無いから
自分が決めたものがそうなります。しかし、
外側の世界では
全く違う物を定義しているかもしれないのです。
しかし、実際にその違いが分かるのは
内側外側が互いにその様子がわかった時だけです。
外側にとって期待される中身が何も認められないと
内側を見てそう感じたなら、
虚ろな状態と言わざるをえないでしょう。
しかし、認めるか否か
それは外側がそう決めているわけであって
内側にはどうでもよいことになります。
内側にはどうでもよいことを
外側はどうして言及するのでしょうか。
そこには外側の優位性があるのでしょうか。
外側は常識としての世界を全面に出して
ここぞとばかり正義ヅラをします。
内側のことはおかまいなしに
押し付けてしまう感じもします。
外側が「これが常識です」とすれば常識になり
内側も必然的に従わざるをえないのに、
内側が『これが常識です』と言っても
“何が常識だ”
と反発され受け入れてもらえないと思うのです。
私が思っている庭というものは、
ある意味一つの閉じた空間のように捉えています。
一つの世界というか
外に出ない限り守られた安全な空間であると同時に
安定しているがゆえにそこから出ることが出来ない
魔力の様な力を持つ空間であるとも言えます。
安定しているがゆえに まるで
時間が止まっているように見えます。
例えば、先入観的に
初めに内側はこうで外側はこうだ
と思い込んでしまうと
そのイメージから抜け出せず
自分が内側にいても実際に
内側なのか外側なの実はそんなものはなく
区別など存在しなく
見ているものが唯一事実だと思ってしまう。
自分をとりまく世界と考え方は
一旦そう思うとそれが事実か否か関係なく
それを疑うことすら考えも及ばなくなる。
今見ているものが全てであろうか、
何か疑えるものはあるか
単に見ているだけで何が起こっているのか
本当に自分には見えているのか、
しかし、どこまでそれを追求できるのか、
自分でどこまで考えることができるのか、
答えを早く出すということではなく、
そのことを考える上で
どれだけ時間を費やすことができたか
その過程や内容がむしろ貴重なのだと思うのです。
まずは目になじませ
そこからゆっくりと
時には誰かと話しながら
考えを進めてみましょう。
考えて、時には行動して、
行為の中に発見があり、
新たに沸き起こる何らかの疑問に
また再度見て、そして考えてみましょう。
そこから出る答えは、
その時点では自分自身確かに正しい答え
というか、
これが一番気に入っている答えが出ています。
その時はそれでいいでしょう。
しかし、考えは止めてはいけません。
何らかの答えを日々だしならが
生きていくのでしょう。
同じ対象について考えていても
日々答えは違ってきます。
自分の作品について言及しているけれど
これはあくまでも自分の話であって
解釈はそれぞれあっていいと思うのです。
考えを巡らすのはゆっくりでいいです。
素早くしなくていいです。
見たものを素直に受け止め素直に考えます。
しかし知れば知るほどそれが簡単に思えなくなったり
何もかも信じられなくなっている人は、
素直な行為に対して疑いの目で見てしまうこともあります。
何か新しいことをしようとする時
少し不安になります。しかし、
安易に自分で考えることをせずに
他のスマートな考えに何の疑いもなく
のっかってしまうとなぜか楽です。
人はどうしても楽な方に行きます。
時間のかかるものはさけられます。
生活のリズムが早くなって
ゆっくり考えることが
美しいとみられなくなっています。
全ての行為に早さが求められ
早ければそれは評価される。
そんな中では
もちろんゆっくり考えられないし
多くの場合、疲労でクタクタになっている人もいます。
ゆっくり考える時間をつくっても
常に睡眠不足だと
テンションが下がるし考えもまとまりません。
同じことに何度も何度も思いを巡らすのは無駄ではありません。
しかし、多くの人は無駄だと思うでしょう。
同じことでもいいんです。
常に答えは一つではないです。
何回も何回も考え、そして見てみる。
一つ一つ見えてくるもが増していきます。
それでいいんです。
それをもとにまた考え、
そうして一歩一歩前に進んでいくのです。
その繰り返しなのです。