多胎とは「2つ以上の胎児が同時に子宮内に存在する状態」(『産婦人科用語集・用語解説集』)のこと。二児の場合は双胎という。双生児、双子のことだ。ここまでは聞いたことがあるかもしれないがその先も実は名称がある。三胎は「品胎」、四胎は「要胎」、五胎は「周胎」というものだ。たしかにこの語を使った症例報告の論文は散見するが、現在これらの用語は産婦人科用語集には標準として載っておらず(「品胎」は三胎に併記される)、素直に三胎、四胎、五胎というようになっている。はたして「品胎」「要胎」「周胎」がいつどのように使われた用語なのか疑問に思い調べてみた。
1.「品胎」について
2.「要胎」「周胎」について
3.「𡥦胎」「㗊胎」について
1.「品胎」について三胎を品胎というのは、漢籍に典拠を求めることができる。南斉の褚澄『褚氏遺書』に以下の箇所がある。
陰陽均至、非男非女之身、精血散分駢胎品胎之兆、父少母老、産女必羸
駢胎は双胎=双子のこと。それにつづいて書かれている「品胎」は三胎のことと推測される。早稲田大学古典籍総合データベースのものには「品胎」に「一産五男」と注が書いてあるが、さすがに双子の次に五つ子はないだろう。『続夷堅志』『元遺山集』『本草綱目』などに同様の用例がある。『本草綱目』には三胎以上の記録について書かれてはいるが、「一産三子」というように書かれており、「~胎」というのはほかには見当たらず、「要胎」「周胎」の用例は見つからなかった。おそらくこれまではわざわざ名前をつけるほどのものではなかったのだろう。ただ百度とかで検索してみても「要胎」「周胎」といった語はヒットしない。とすると近代に日本で作り上げた語ということになるのか。
また、なぜ「品」なのかについて明確な説明を与えているものが見つからない。「品字様」という語があるように三つなにかを並べるのに「品」が使われるのかもしれない。「品=口×3」であろうということは想像がつくし、そう説明している現代の辞書もある。しかしその出典が見つけられなかった。
・南斉ころから三胎=品胎だが、その由来を明記しているものは見つけられなかった。
2.「要胎」「周胎」について「要胎」「周胎」の用例を探すために、まず四胎五胎というものそのものについて知る必要がある。Hellinの法則というのがあり、n胎の頻度は89の(n-1)乗分の1となるという。これは1895年にまとめられたものだ。その当時のはやりなのかわからないが、三胎や四胎の頻度の報告が各国でありそれが教科書に記載されていた。そのころの教科書をちょうど和訳して取り込もうとしていた日本の産科学、産婆学からこういった用語が作られたのではないかという予想がつく。
まずは幕末から明治・大正・昭和にかけて、産科学、産婆学の教科書類の記述をたどってみる。以下の表の空欄部分は記載なし。現在一般に使われるもの以外には色をつけたが、色分けにあまり意味はない。
表1. 産科学、産婆学書中の多胎の名称(-1906)
表2. 産科学、産婆学書中の多胎の名称(1906-1943)
大まかな傾向を述べると
・双胎は「孿胎」「孖胎」「駢胎」など、漢籍に用例がありそうな用語がはじめつかわれたが、次第に「双胎」に落ち着く
・三胎は「三胎」「品胎」が拮抗するが「三胎」優位であり、昭和中期以降は「三胎」に落ち着く
・四胎は明治中期ころから「要胎」が登場するがあまり定着せず、大正以降に「四胎」と併記されるようになるが昭和中期以降は「四胎」に落ち着く。
・五胎は大正以降に「周胎」が出現するが、あまり定着しないまま「五胎」に落ち着く
「要胎」について
調べた限りでの初出は濱田玄達『産婆学』である。特に説明なく「要胎」の語が登場するため、おそらくまだ古い用例があると考えられる。『産婆学』の参考文献は以下の通りだが、これらのうち参照できるものには記載はなく、あとは参照できなかったため初出文献がこれ以上たどれていない。なぜ「要」なのかも記載なくわからない。
エ、マルチン氏『産婆学』
クレデー及レチポルト氏『産婆学』
ベ、エス、シュルチェ氏『産婆学』
榊順次郎氏『産婆学』
スピーゲンベルグ氏『産科学』
ウィンケル氏『産科学』
シュロイデル氏『産科学』
ツワイフェル氏『産科学』
ベ、ミュルレル氏『産科全書』
ヘルトウィヒ氏『胎生学』
「周胎」について
こちらも酒井春吉『近世助産学』以前は見つけられていない。参考書目の多くは参照できるものであったが中には山崎正薫『近世産科学』、エ、ブンム氏『産科学』など内容を確認できていないものがある。もしかしたらそこに記載があるかもしれない。なぜ「周」なのかわからない。
このころになるとHellinの法則も教科書に載り、1904年に福島県で五胎妊娠の報告があるなど、五胎についての記述は見かけるようになっている。しかしそれでも四胎、五胎の頻度は少ないことには変わりがなく、また分娩にも困難が伴うため記述はほぼない。(そのころの産科教科書の図には四胎や五胎の胎児の標本写真が掲載されているので、困難さや生存率の低さは察しがつく)。昭和に入ると珍しい多胎の報告を載せるよりも双胎の鑑別(一卵性双生児か二卵性双生児か)に紙面を割くようになり、記述が減っていく。
「要胎」「周胎」の衰退
産科婦人科学会は日本に数ある医学分野の中でも早期から用語に関心を持ち、学会内の用語統一に自信を持っている学会だ。その活動の最初期に1936年『産科学婦人科学学術用語彙』がある。これは第2版なのだが、初版の内容を確認できないためこれで代用する。この用語集は「聞いてわかる」簡単平易な語とすることを方針に据え、体裁も横書きで分かち書きもしてあり、カナもカナモジカイっぽい感じで、国語改良運動の影響を色濃く受けている。当時中心にいたのは木下正中で、医学用語全体の問題も扱う存在だ。さらに産婦人科内のメンバーも磐瀬雄一、白木正博、緒方十右衛門など教科書に名を連ねる人が多い。その上この用語集は学会員に使用を「徹底」させるというくらい強制力を持たせる意図のある用語集だった。事実これ以降の教科書からは「要胎」「周胎」は旧用語として消えていく。
・「要胎」は明治中期、「周胎」は大正期から文献上に登場するが、用語整理により衰退した。
・日本製と思われるが初出・由来に不明な点が多い
3.「𡥦胎」「㗊胎」について上の図で特に目を引くのは『産科要訣』、『実用産科学』の「㗊胎」、『産科図譜』の「𡥦胎」だ。
𡥦も㗊も見た目でそれぞれ𡥦=3、㗊=4と想像がつくがこの字にそのような意味を持たせた記述を見ない。
孖⇒𡥦、品⇒㗊といった類推による一時的な造字だろうか。『実用産科学』の「㗊」を使用している版では「品」字の活字に違和感がある。というのは純粋に「品」の活字ではなく「□×3」のような字を作字しているからだ。これは「㗊」についてもいえることで、余計に図形的、視覚的にとらえていることを示唆するものと思われる。『実用産科学』は版を重ねるうちに「㗊」を消していることからも定着しなかったのだろう。それこそ視覚的にはわかりやすいが「聞いてわかる」ものではない。
図1.「㗊胎」の用例(1896年佐藤勤也『実用産科学』p.51 数胎妊娠 国立国会図書館デジタルコレクションより)
・「𡥦胎」「㗊胎」という用語が一過性に出現した。
・これは視覚的に多胎を示そうとしたことの傍証になるが、定着はしなかった。
なぜ「要」「周」なのか、いつからなのか、もし情報あればご教示ください。
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