(2002年、NASAの不良インターンが時価何億円相当の月の石を盗む事件が起こった。知られざる事件の全容に迫る! )
深夜零時。北31号棟(Building 31 North)の白い廊下に人影はない。NASAインターンのサド・ロバーツ(Thad Roberts)とティファニー(Tiffany)の2人はトイレに身をひそめ、服を剥ぎ取ると、ダッフルバッグの中身に着替えた。
厚さ2mmのネオプレンのボディースーツ。まるでB級映画みたいないでたちだが、これで金庫内への不審者侵入を探知する熱センサーは回避できる。高まるアドレナリン、誘惑、むせ返るようなゴム製スーツの臭い、失敗への恐怖に押しつぶされそうになりながら2人は熱遮蔽のギアを引き、それから廊下に戻り、目的の物を守る回転式ロックに歩み寄った。目的の物、それはNASAが隠し持つ月の岩石だ。
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北31号棟は、ヒューストンのジョンソン宇宙センター敷地内に建つ。NASAはここに、総重量600ポンド(272kg)の月の岩石を保管している。過去6回の月探査で回収した岩石はすべて政府の独占所有物。国宝として厳重警護が敷かれている。
北31号棟は、米連邦「クラス100」の規格で建てられた世界にも稀なビルだ。1000年の水没にも耐えるのをはじめ、アルマゲドンでも起こらない限りテスト不能な耐久性を種々備えている。
普通の人には侵入できない構造だが、シャトル組み立てや、火星への探査用ローバー上陸法を考えるのに比べたら容易い。NASAが雇うのはまさにこういった気の遠くなるほど大きな課題に解決策が探せる人材。その点、サド・ロバーツは誰もが思い浮かべるNASAインターンを絵に描いたような人沕だった。
25歳。大学では物理学、地質学、文化人類学の掛け持ちで複数の学位取得を目指している。
が、サドには成績優秀な反面、ほぼ抑制不能なアドレナリンを追い求める衝動もあった。エクセル表に人生目標を書き出すと、まるで伝説の冒険野郎イーベル・ニーベル(Evel Knievel)とロケット科学者の両方を同時に目指すような節操のなさである。
・無重力を経験する ←チェック(済み)
・極度の脱水症を経験する ←チェック
・恐竜の足跡を見つける ←ノー・プロブレム
長いリストをひとつ、またひとつとクリアするたびにサドは傲慢になり、おそらく、自分に不可能はないと過信するようになったのではなかったか。
もっとも犯行はサド単独ではなかった。サドは当時、離婚に向かっていた。きっかけとなったのは、インターンの同僚ティファニー・ファウラー(Tiffany Fowler)との不倫だ。
このティファニーも負けず劣らずの豪傑だった。ダイナマイトボディの元チアリーダーで、ベッドではフランス語、NASAでは幹細胞研究。気のあるサドは、月の石を盗む案を教えてくれとせがまれるままに教え、ティファニーが自分も一緒についていくと言い出した時点でロマンティックでエキサイティングなものから犯行計画が孵化した。いつもやっている科学の答案探しのようなものだった。が、これは場合によっては一攫千金か人生の破滅を招く。
ほどなく好奇心旺盛なもう一人の共謀Shae Saur(19)も犯行グループに加わった。こうして何ヶ月も周到に準備を重ね、3人はいよいよ無断の任務遂行の日を迎えた。日暮れを待って北31号棟に車で向かう。防犯装置の情報はすべて押さえた。―それをかわすプランも。
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サドの話に移る前にいくつか断っておかなくてはならないことがある。インタビューの談話は直接引用が許されていない。また、犯罪に関わった他の人たちはサドの供述を事実と認めるのを拒んでいる。これから述べる話は、彼が私に語った通りの内容を再現したものである。彼もこの強盗については小説を書いたが、あれは"実話をベースに脚色を施したもの"だ。そのつもりで読んで欲しい。
9/11テロ攻撃を境にスペースセンターには24時間の監視体制が敷かれた。が、NASAが慎重に選り抜いたインターンは昼も夜もなく働く。各入り口に張り付いた警備員も普段は、時間外の残業でビルに入るインターンをいちいち呼び止めたりはしない。
「新車、買ったのかい?」と、警備員は話しかけた。
「いえ、友だちの引越しを手伝うために借りたんです」と答えるサド。
警備員が片手を振り、Shaeとティファニーとサドは入場を許された。サドはジープ・チェロキーを転がし、ロケット・パーク(Rocket Park/現役を退いたロケット・宇宙船の野外墓地)の先まで進み、31号棟の入り口そばに停めた。
お宝の圏内に入るなり3人は、31号棟内部のカメラ複数をリンクし、ループに繋ぎ直す作業に取り掛かった。カメラ監視担当職員のシフト交代の合間を縫って予め装置の寸法は測ってある。発想自体は強盗映画から抜け出たようなものだが、そんなことをやるのに必要な情報をサドと仲間がどう入手したかは分からない。Shaeは車に残り、配線し直したカメラをモニターし、何か異変があればティファニーとサドに教える見張り番だ。準備中、深夜勤務の同僚がいないか目で確かめたが、サドが到着時刻をうまく設定したお陰で館内には他に誰もいなかった。これまでのところは上首尾だ。
サドとティファニーの2人はジープから這い出し、ダッフルバッグを引っ掴むと、入り口に向かった。正面ドアから入るのは簡単だ。ドアを開けるコードは、サドの元同僚がメールであっさり送ってくれた。内部の犯行なんて大体こんなもの。しかし、NASAもさすがに月の石はそう簡単には盗ませてくれまい。―パズルはまだ、ここから先が難しい。
建物の中はブロックに仕切られた大学っぽい地味な造りで、きれいに消毒した真っ白な壁が辺り一面を埋め尽くしている。サドとティファニーは煌々と灯りに照らされた廊下を歩いていった。ミルクのように白い廊下は、過去のミッションの写真が温かみを与えている。これはNASA正職員の執務室の間を縫う通路であると同時に、北31号棟の最奥の神聖な場所に至る通路でもある。2人は立ち止まり、準備に取り掛かった。
サドとティファニーはトイレでウェットスーツに着替える際、酸素マスクの点検も行った。月の岩石は酸化による腐敗を防ぐため、酸素を抜いた保管庫に安置されている。エアロックを通過し、窒素が充満した保管庫に入ったらタンクの空気供給が続く2人の持ち時間は15分。
31号棟の内装がホワイトなら、北31号棟の内装は漂白ホワイトとでも言うべきものだった。--四六時中消毒浄化するためシミひとつ、血痕ひとつない。日中はこの真珠のようなビルも、館内唯一のラボで白衣の世界最大級の頭脳たちが作業する音でにぎわうが、夜間は、研究員たちが出入り口を固める浄化ルームを通過してしまったら、あとは白い面、冷たいメタル、ガラスのパネル、この世のものならぬ窒素タンクがあるだけの殺風景な空間となる。サドとティファニーはパスを使って浄化ルームを真っ直ぐ通過し、ひと気のないラボを横切り、短い廊下のはずれに出た。この突き当たりのドアが、保管庫の扉だ。
金庫侵入には、複雑なコードの連番が要る。これは方解石・ホタル石・石膏の粉末を振り掛ける手口で一部解読した。この3つを混ぜた粉末は、ブラックライトで照らすと光る。パウダーの染み具合を念入りに見ると、どの指が先で次が何か判別できるというわけ。サドがそんな原始的情報を手がかりにコード連番を全部ピッタリ当てたというのは若干腑に落ちないところもあるが、ともあれ最後はサドがドアに全体重をかけ、2人とも中に入った。
保管庫はラボそっくりの、広々とした部屋である。重要な標本と月の石はガラスとメタルのケースに収まり、ミッション別に番号が記されている。-悠長に眺めを楽しんでる暇はない。計画通り進めるには―生きて帰ることの方が先決だが―サドとティファニーの持ち時間はたったの3分である。時間内に金庫を破らないと、室外に出るまで空気がもたない。
ところが秒針はジワジワ進むのに、コード解読はにっちもさっちも進まない。そこでサドは素早くプランBに変更した。地べたから重い金庫のかんぬきを外し、小さな台車に積んで、車まで押して運ぶプランだ。簡単ではないはずだが、残り時間で2人はなんとか保管庫を抜け出し、ラボを横切り、廊下を下って個室を抜け、ドアを出て、勘付かれることなく敷地を後にした。―その間ずっと重さ4分の1トンを超える岩石と金属を引きずって、である。小さな手柄ではない。いくら台車を使ったとは言え、これだけの荷物を男ひとり女ひとりで全部どう動かせたと言うのだろう。
金庫が跡形もなく消えたことにNASAが気づいたのは丸2日経ってからだ。が、容疑者のリスト作成は遅々としてはかどらなかった。それというのも現場には手がかりが一切残されていなかったのだ。―指紋はおろか髪の毛1本―--。従って出来上がったリストの名前(真犯人の名前は無い)を見ても、NASAの糞人名簿以外の何物でもなかった。
彼らが盗んだ標本には、歴代すべてのアポロ・ミッションで回収したサンプルが含まれていた。窃盗から事件解決までの間のいずれかの時点でティファニーとサドの2人は、ベッドの上に月の石を並べ ― その中でセックスした。
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NASAが地球に持ち帰った月面の岩石の一生は、えてして冴えないものだ。石の小さな欠片は、膨大なペーパーワークで承認が下りると、建物から外に出て、研究者の手に渡り、そこで一定期間、月の秘密の自供をこってり迫られる。期限がくると防災設備完備の実家の保管庫に返されるが、今度は永久に突き刺されて化学薬品漬けとなる。そこから先は語るほど意外な結末になることは滅多にない。
もうその時点で石はかなり傷み、それ以上の使用は不可能と判断されるのだが、石は北31号棟の他の所蔵物同様、集中的な警備の対象となる。再び人手に触れることもなくなった石は、サドが盗んだのと同じ金庫で、テスト未実施の月の岩石と一緒にガラスパネルに収まり、月面をシミュレートした無酸素の環境と厳重な監視の下に置かれる。
ひとつ気になることがある。保管庫内でサドとティファニーはいつでもガラスカッターを取り出して、パネルの中から人手に触れない月の石だけ盗むこともできた。それなのに、わざわざ運ぶのもひと難儀な金庫を丸ごと盗んだのは、何故なのか?
テスト済みの岩の扱いをめぐってはNASA職員の間でも不満の声が大きかった。傷んでも展示ぐらいしてあげたっていいじゃないかという職員も多い。それに使いようによってはNASAの資金難解消になるのは明らかだ。科学者にとってゴミでも収集家にとってはお宝ということもあるわけだし、月のひとかけらには薬品着けかどうかに関わりなく、他の銀河間の残骸並みの値段が見込める。こうした事情もあって、ジョンソン宇宙センター敷地内で保管庫の石と言えば、毎日の宇宙飛行業務の問題と同じぐらい、よく話題に上るトピックだった。NASA従業員たちは解決を望んでいた。サド・ロバーツにしたところで、ろくろく使われてないのに価値だけはある月の岩石をどうするかという問題に対する回答は他の職員と似たようなものだった。彼は私にこう言った。「科学者にとって利用価値がないんなら盗んだって構うもんか」。―入手が容易なむき出しの石ではなく金庫を丸々盗んだという事実は、この考えを裏付けているようにも思える。
が一方、FBIの捜査記録には、彼の言い分と食い違う記述もある。:
...彼ら(実行犯)は石の質を劣化させた。--そのせいで科学コミュニティにとっては文字通り利用価値のないものになったのだ。さらに、NASAの科学者たちが手書きでまとめた30年分の研究ノートも鍵をかけて金庫に保管していたのだが、彼らはこれも破壊した。
あなたなら信用できないのはどっちだろう? 窃盗の確信犯? 米政府? ―この物語はしかし、まだここで終わりではない。
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サドの友人Gordon McWhorterは、窃盗の事の重大さにほとんど気づかず、大胆にもインターネットで石の買い手探しを手伝った。
こんにちは。
フロリダ州タンパのOrb Robinsonという者です。レアな数カラットの月の岩石が手に入ったので、買ってくれる人を探しています。この種の売買を取り締まる法律もあるのは分かってるので、ストレートに飾らずに言っちゃうと、非公開の買い手を探したいと思ってます。それか誰かこういう取引きに関心のある方をご存知の方はご連絡ください。
よろしくお願いします。
ベルギーに住むAxel Emmermannという名のアマチュア鉱物学者は、私蔵の珍品コレクションに月の石を加えたいものだと予てから切望していた。値段さえ良ければ買おう、Emmermannはそう考えた。が、蓋をあけてみると、重量4分の1ポンドの月につけたサドの言い値は、NASAが事件後に弾き出した推定3000万ドル超というラインの遥か下だった。あまりにも安いのでEmmermannが勘ぐり出し、ひょっとして最初思ったほど白黒はっきりした取引きではなのかも...と心配になるほどだった。
2002年7月20日―アームストロングが人類初の月面着陸を果たしてからちょうど33年の節目に当たる日、"Emmermann"はフロリダのレストランでサドと落ち合った。軽くしゃべってホテルに向かう。そこが正式な引渡し場所になる予定だった。全員車から降りる。Orlando Sentinelの記事によると、ロバーツはこう冗談を飛ばしたそうだ。「まさかあなた盗聴器仕掛けられてないですよね。心配と言ってもそれぐらいだなあ」。いや、仕掛けられている。サドがそれまでEmmermann氏と思い込んで話していた人物は実は、FBI捜査官だったのだ。
たちまち一行は捜査官40人、銃40丁、頭上ヘリの爆音に包囲された。万が一の逃走に備え、高速道路も封鎖する厳戒態勢だ。まんまと一杯食わされた。
ティファニーとサドは共に24時間拘留されたが、それを最後に判決言い渡しの日までふたりが顔を合わせることは二度となかった。
法廷でサドは、自分の席から後ろの彼女を振り返った。ティファニーは目を伏せた。処罰は不公平な面白いパッケージで言い渡された。女の子は2人まとめて執行猶予、男の子は2人まとめて数年の懲役刑である。ゴードンには犯罪の計画・実行を行ったなどで懲役100ヶ月。―ほぼサドと同等近い厳罰だった(後に減刑)。それでもまだ足りないとでも言うかのように、サドにはユタ州の発掘現場から恐竜の化石を盗んだ余罪も持ち上がり、本件と統合された。
刑務所内で過ごした時間は、元NASA職員らしいこと...例えば受刑者の仲間に量子物理学について教えたりして過ごした。が、ティファニーに会えない悲しみに塞ぎこむ時間も相当長かったようだ。2008年8月4日懲役を終えたサドは、彼女がもう次の人生を歩んでいる事実を知り愕然とする。が、その頃には彼ももう別のものを手にしていた。『Einstein's Intuition: Visualizing an Eleven-Dimensional Framework of Nature, An Introduction to Quantum Space Theory』というタイトルの書き下し本だ。本の説明では、アインシュタインの真理論、自然の合理的かつ完全な形、見えるものと見えないものの相互作用を網羅した書、とある。まだ出版化はされていない。
今も未解決の謎にまつわる噂は囁かれている。曰く、NASAの歴史上、重要な意味を持つ品物が2点、この犯行の渦中で行方不明となり、未だに見つかってないというのだ。ひとつは1969年月面着陸を撮影したオリジナルのビデオテープ、あとひとつは例の金庫に保管したと思われる、もっとミステリアスなコンテンツの入ったフォルダー6つ。そんなものは一度も見た覚えがないと、サドは言い張っている。
(*宇宙の今を探るギズのウィーク企画「Get Me Off This Rock」。本稿執筆者はリアルタイム検索エンジン「OneRiot」でボールズ飲み干してPCに瓶投げつける毎日のCarmel Hagen女史。オフは睡眠とサンフランシスコ探訪の傍ら、アーバンカルチャー&トレンド&ハイテクのニュースを執筆されてる方です)
Carmel Hagen(原文/訳:satomi)
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UPDATE: 年号訂正しました、ご指摘ありがとうございます!