「たかが選手」発言が再編の流れ変えた 球界を牛耳った渡辺恒雄さん

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堀川貴弘

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆で、元プロ野球読売巨人軍取締役最高顧問の渡辺恒雄さんが12月19日、肺炎で死去した。98歳だった。

     ◇

 ある時期、毎晩のように巨人の渡辺恒雄オーナー(当時)を追いかけていた。2004年、球界再編騒動のまっただ中。行きつけのホテルのロビーで待ち、食事を取った後のほろ酔い加減の渡辺オーナーを囲んだ。後に再編の流れを大きく変えることになる「たかが選手」発言もそんな状況での言葉だった。

 良くも悪くも1990年代以降のプロ野球界を牛耳った人物だった。渡辺氏が巨人の最高経営会議のメンバーとなったのは89年。「僕は野球を全く知らなかった。どちらに走るのかさえわからなかった。だから必死に勉強して、野球協約にも精通した」。自著にそう記している。

 しかし、野球界にかかわったのは、実はもっと前からだったようだ。78年、日本中を揺るがした江川卓投手獲得をめぐる「空白の一日事件」。「あのシナリオを書いたのは僕だったんだよ」。先輩記者はそんな言葉を聞いている。

 旺盛なサービス精神の持ち主…

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    稲崎航一
    (朝日新聞大阪スポーツ部長)
    2024年12月19日12時39分 投稿
    【視点】

    渡辺恒雄さんの「失言」と言えば、この球界再編時の「たかが選手が」がよく取り上げられますが、わたしが取材で立ち会った現場で忘れられないのが、東日本大震災直後の「開幕延期は俗説」です。 2011年3月11日に起こった大震災。未曽有の大惨事、被

    …続きを読む