サッカー選手が味わった栄光の日々と暗い影 「境界から」㉝イタリア、若手に差し伸べる手

2024年12月22日 11時00分

 

 ユベントスの有望選手たちの練習を見守るのがジャンルカ・ペソットの日課だ。一人一人に声をかけ、心身の調子を確かめる=2024年5月、トリノ(撮影・ダニエレ・バドラート、共同)
 ユベントスの有望選手たちの練習を見守るのがジャンルカ・ペソットの日課だ。一人一人に声をかけ、心身の調子を確かめる=2024年5月、トリノ(撮影・ダニエレ・バドラート、共同)

 

 

 7万人の歓声が響く。息詰まるようなPK戦。狙い澄ましたシュートがゴール左隅に決まった。1996年5月22日、ローマ。イタリア北部トリノの名門サッカーチーム「ユベントス」に入団して1年目、主力選手として欧州制覇に貢献した。

 あの日がジャンルカ・ペソット(54)にとって「唯一無二の人生最高の瞬間」だった。10年後に現役を引退すると、栄光の日々が奪い去られるような恐怖に襲われた。記憶のない空白の一夜を過ごし、気付けば病床で重傷の体を横たえていた。

 今は立ち直ってチーム幹部として若手選手に寄り添う。第一線の舞台で浴びた光が強いほど、その後に訪れる影は暗く感じる。「ただ、そこから必ず抜け出せる。それを後輩たちに分かってほしい。心を通わせ、手を差し伸べたい」と話す。

 

 ▽スター軍団

 ベネチア近郊ラティザナ出身のペソットは、夢を追って14歳で強豪「ACミラン」の門をたたいた。5チームを渡り歩いてプロの階段を上り、24歳でスター軍団ユベントスに名を連ねた。

 堅実なプレーが身上。「卓越した能力はなかったので、見限られないように必死だった」と人一倍、練習に励んだ。ローマでの決勝で蹴ったPKも、試合前日に何度も感触を確かめていた。「だから不安はなかった。1ミリもずれず、同じコースに飛んだよ」

 

 2003年、米国で開かれた親善大会でプレーする現役時代のジャンルカ・ペソット。世界中に熱心なファンを持つユベントスはどこでも大観衆が詰め寄せた(ゲッティ=共同)
 2003年、米国で開かれた親善大会でプレーする現役時代のジャンルカ・ペソット。世界中に熱心なファンを持つユベントスはどこでも大観衆が詰め寄せた(ゲッティ=共同)

 

 その自信が、やがて折れる。出番が激減した2005~06年シーズン終了後、ユニホームを脱いだ。功労者としてフロントに椅子が用意され、進路には困らなかった。

 だがスーツに身を包む新生活に違和感が募る。時を同じくして、史上最大規模の八百長疑惑が持ち上がった。チームの運営会社や関係者が訴追され、暗鬱(あんうつ)とした毎日を送った。「魂を盗まれたようで正気を失っていった」。引退から1カ月もたたないある日、ユベントス本部ビルの窓から、ロザリオを手に身を投げた。

 車の上に落ちて衝撃が抑えられ、一命を取り留めた。入院生活で家族や友人の愛情に救われ、心身とも回復。退院後は職場に復帰し、日常が戻った。

 それから18年、後輩たちの心のケアに尽力してきた。当時を振り返る表情は穏やかだ。「妥協できない性格が災いした。自分の世界に閉じこもり、孤独な日々に疲弊していたんだ」

 

 ▽悔恨

 一方で影から脱せなかった選手もいる。


 1994年、イタリア屈指の人気チーム「ローマ」の全盛期に主将として活躍したアゴスティノ・ディバルトロメイが、自らの命を絶った。「穴に閉じ込められた気分だ」と短い書き置きを残して。

 手が届きそうだった欧州王者の栄光を逃した日から、ちょうど10年が過ぎていた。本拠地ローマでの決勝で惜しくもタイトルを逃した。傷心のディバルトロメイは翌シーズンに移籍。1990年に妻の故郷の地元チームでキャリアを終えた。

 生まれ育ったローマには戻らなかった。決勝を共に戦った元チームメートで、同郷の後輩でもあったオドアクレ・キエリコ(65)は「彼の異変に気付けなかった。幸せなんだろうと思い込んでいた」と述懐する。

 「現役時代の彼は友人が多かった。ただ選手なら誰でも、引退すると人が離れていくんだ。晩年の彼は何を思い悩んでいたのだろうか」。悔恨の念を拭えない。

 

 華々しい舞台から降りた後、抑うつなどの精神症状に苦しむ元選手は多い。現役時代に味わった興奮や快感が忘れられず、引退して酒や麻薬、ギャンブルに依存する傾向も指摘される。

 

 ▽浮世離れ

 国際プロサッカー選手会が2021年に発表した調査結果によると、現役選手の67%は引退後の明確な将来展望を持たない。また、元選手の30%は引退に伴う変化への対応に苦慮している。

 ペソットは、早くから一般人と感覚が引き離される選手の現状を憂慮する。「サッカー界にも現代人の生活環境が反映されている。メディアや急速に普及した交流サイト(SNS)の影響で、芽が出たばかりの選手が過度にもてはやされる」

 

 グローバル化の進展でサッカーの投資価値は急騰した。広告塔となるスター選手が得る富も異常なほど膨らんでいる。

 20年前、年間収入額のトップはデービッド・ベッカムの2800万ドル(約41億円)だった。2024年の最高年収はクリスティアノ・ロナルドの2億6千万ドルとほぼ10倍で、他にも1億ドルを超える選手が4人もいる。キエリコは「現代サッカーはおぞましいほどビジネスに乗っ取られている」と嘆く。

 世界中に4億人のファンを持つユベントスの選手は、毎日が浮世離れした輝きを放つ。その先の闇を知るペソットは、進退のはざまに立つ選手たちに目を配る。「幻想を抱きやすく、それが危険だ。彼らが生き方を見失う前に救い出さなければ」

 

【取材メモ/八百長問題の余波】

 イタリア・トリノ
 イタリア・トリノ

 

 ペソットが引退したシーズンの終盤、ユベントスは八百長問題で捜査された。ペソットは「努力や献身の証しだと信じていた勝利が、不正の産物だとなじられた」とショックを振り返った。イタリア代表はシーズン後に開催されたワールドカップで優勝。主将のカンナバロやブフォン、デルピエロらユベントスのスター選手たちは大活躍して鬱憤(うっぷん)を晴らし、当時は彼らの姿に感動した。だが名誉回復の機会もなく表舞台を去った選手も多い事実に、改めて考えさせられた。

 

(敬称略、文は共同通信編集委員・戸部丈嗣、写真は共同通信契約カメラマン・ダニエレ・バドラート=年齢や肩書は2024年8月21日に新聞用に出稿した当時のものです)

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