今回の「障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド」は、静岡県立大学国際関係学部教授で東京大学先端科学技術研究センター特任教授の石川准教授をお迎えしました。
石川教授の専門・研究分野はアイデンティティ論や障害学などの社会学と、点字携帯端末やGPS歩行支援システムなどの支援工学で、研究、技術開発の傍ら国連障害者権利委員会委員として国際的な舞台でも活躍されています。
初瀬:私が大学時代に視力を失ったときに、母親が親戚の家に下宿されていた東大生だった石川先生のことを思い出して「眼が悪くても東大に入った人がおるけんね」と言って、石川先生へ電話をすると「眼が見えなくなってもそんなに悪い世界じゃないよ」と勇気づけられたことがあるんです。
石川:お母さんから電話をもらってね、思い出しました。なんというご縁なのでしょう。あの時の大学生が初瀬さんとは驚きました。
初瀬:大学在学中でこの先どうしてよいかまったく前が見えないときだったので石川先生の言葉はありがたかったです。なんとか、ここまで頑張ることができたので石川先生と対談できる機会が生まれたのだと思っています。
今日ようやくお会いすることができてとても嬉しいです。
障害者が将来を見通せない不安
初瀬:石川先生は全盲で初めて東大に入学された方とお聞きしているのですが、そこから研究を続けてこられたわけですが先生の主なお仕事はなんでしょうか。
石川:社会学ではアイデンティティとか存在証明といったテーマを研究してきました。最近は障害者政策の実務にかかわっています。現在、内閣府障害者政策委員会という障害者政策の計画策定や評価に関与する委員会の委員長をしています。今年で6年目です。国連の障害者権利条約の障害者権利委員会という各国が批准した政策の実施状況を評価して勧告を出す仕事もしています。ジュネーブには年に2カ月間、春と夏に1カ月ずつ滞在します。それから、仕事の中で一番楽しいのが視覚障害者の支援機器開発です。
初瀬:多岐にわたっていらっしゃいますね。現在は視覚障害者向けに便利な機器があって、僕も音声でパソコンやスマホを使って情報を得たりコミュニケーションを図ったりしています。こうした機器がなかった時代には様々な困難があったと思うのですが、当時点字受験は行われていたのでしょうか。
石川:点字受験を認めている大学が数校あった、そんな段階です。その頃はまだ共通一次試験もなかったころです。
僕は高校生のころに2年弱入院しまして、当時の東京教育大学附属盲学校(筑波大学附属盲学校)の高等部に入学しました。
その附属校の2,3年生のときに初瀬さんのご親戚の家に下宿させていただいていたのですが、あの当時、客観的にみると東大を受験したことは無謀だったと思います。
同世代の健常者の高校生は進学校で充実したコンテンツで勉強して、模擬試験や予備校の夏期講習なども受けている人たちで、かたや僕は盲学校で点字の教科書だけで勉強しているわけですから、同じ土俵で競争して勝てるわけがないと思っていました。
初瀬:でもその環境の中で勉強をして点字受験で東大に合格。それだけでも大変な努力をされているのですが、合格してからも様々な困難があったと思うのですが。