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ヨルダン川西部の入植地に「分離壁」を建設し、不法な占領を永続化するとともに被占領パレスチナの人びとの生活権を奪い、分断・孤立化させようとするこの暴挙に対し、国際司法裁判所は二〇〇四年に違法と判断し、二〇〇五年にはパレスチナ内部からイスラエルの「ボイコット・資本の撤収・制裁」(BDS)を国際社会に求める訴えを行った。
東京でも二〇〇八年十二月から二〇〇九年一月にかけたイスラエルによるガザ侵攻に抗議する運動にかかわった人びとの間で「BDSキャンペーン」への取り組みが開始された。そして「無印良品」への出店計画の中止を求める運動として、二〇一〇年十月にSTOP!無印良品 in 東京実行委員会がスタートし、オンラインサイトで「無印良品」へ
の署名を集め、ツイッターでメッセージを広げる活動が進められた。そして十二月十二日には「無印良品」各店舗や本社にむけて「同時アクション」を呼びかけることが計画された。
その中で十二月一日に(株)良品企画は、「経済的理由」によりイスラエルへの出店計画を中止することを発表した。「経済的理由」といいながら、イスラエルへの出店が「無印良品」の商品イメージを損なう結果をもたらしかねないことを危惧した結果であることは明らかだった。「STOP!無印良品キャンペーン」は勝利したのである。
十二月十二日、それでも「STOP!無印良品」の仲間たちは、「無印良品」有楽町店の前で「朗報 無印良品、イスラエル出店中止を発表! 出店計画の中止を歓迎します。しかし……」というチラシを撒きながら宣伝活動を行った。「しかし……」の中身は「純粋に経済的理由による出店の中止なら、経済的事情が好転した時、また出店が計画される可能性があります。私たちが良品計画に送ってきた意見は、どうなってしまうのでしょうか?」と問い、「地球上で起こっている不正義から目をそらさず、毅然とした態度を示す」ことを求めるものだった。
有楽町店への客をふくめてチラシの受け取りはなかなか良好。宣伝活動の終了後、店長と会い、申し入れの趣旨を説明した。店内にも多数の公安刑事が入り込み、行動参加者たちを取り巻いている。なおこの日夕刻、新宿でも「アーティスト・アゲンスト・オキュペーション(占領に反対するアーティスト)」の人びとが、ビルの壁にイスラエルのパレスチナ占領に抗議するメッセージを映し出す活動を行った。
十二月十七日には実行委員会が池袋の良品企画本社を訪れ、話し合いを行った。会社側の対応は出店理由の中止について「複合的な経営的判断」という以上ものではなかったが、同時に「経済状況がすぐに好転できるとは考えていません」と事実上、当面イスラエル出店計画はないことを表明し、また「皆さまはじめ、いろいろな方から勉強をさせていただく中で……そういったことも含めて、今後の経済活動について考えていく」とボイコットキャンペーンが「出店中止」の要因であったことを認めたのである。
同日夜、PARC(アジア太平洋資料センター)で「STOPしたよ!無印良品 記者会見+報告集会」が開催された。記者会見には朝日新聞、週刊東洋経済などが参加、集会では大阪の役重さん(パレスチナの平和を考える会)とスカイプで結びながら、今回のキャンペーンが成功した意義を語りあった。
田浪亜央江さんが運動の経過を説明し、オンライン署名を立ち上げた印鑰(やく)智哉さん、この運動に注目していたイル・コモンズさんらが発言し、インターネットでのキャンペーンと街頭行動の結合の必要性や、「無印」を悪者にするのではなく無印良品の顧客もいっしょに参加できる運動となっていったことがよかった、などと評価された。(K)
5月31日、トルコからパレスチナのガザに向けて、イスラエルの不法な封鎖による「人道的危機」に直面している住民への支援物資を届けるために公海上を航行していた「自由ガザ船団」にイスラエル軍の特殊部隊が、空と海上から襲撃した。イスラエル軍は乗り込んだ船上で実弾を発射し、非武装の支援活動家九人を射殺し、多くの人々を負傷させるという許すことのできない暴挙を行った。
イスラエル政府と軍は「支援活動家たちがナイフなどで襲いかかったため、正当防衛だ」などと誰も信じるはずのないウソをまき散らしている。イスラエルは拿捕したガザ支援船をイスラエルの港に連行し、乗船していた支援活動家たちを拘束した上で「不法入国」のかどで「国外追放」した。公海上を航行していた船舶に襲いかかって殺人を犯し、強制連行した上で「不法入国」だなどというのは、「盗人たけだけしい」と言うしかない。
ガザは2007年以来、イスラエルの完全封鎖により住民の生活は困窮の極みに陥っている。そのガザに2008年12月から2009年1月にかけたイスラエルが激しい空爆を連日繰り返し、千数百人の人々が殺され、市街は完全に破壊された。封鎖に加えたこの破壊によって住民の窮状はさらに絶望的なものになっている。瓦礫の山の片づけも進まず、復興は全くおぼつかない。
イスラエルのこうした封鎖は、市民への「集団的懲罰」を禁じたジュネーブ協定違反であり、ガザ侵攻が「戦争犯罪」「人道に対する罪」であることは国連人権理事会が設立した「独立調査団」報告(ゴールドストーン報告)によっても確認されている。昨年11月の国連総会は同報告と勧告を承認、安保理に提起することを決議しているのだ。
その上に今回の暴挙である。全世界でイスラエルに抗議する闘いが巻き起こっている。東京でも6月1日から連日のようにイスラエル大使館への抗議が続いている。
6月6日、別の支援船「レイチェル・コリー号」がイスラエル当局によって公海上で拿捕された。この日、首都圏でパレスチナ連帯運動や反戦・反基地運動に取り組んでいる人々が緊急のイスラエル大使館抗議運動を呼びかけた。午後二時から始まった大使館前抗議行動には、八十人以上が参加した。
新しい反安保行動をつくる実行委員会の国富建治さんは、「イスラエルの暴挙に抗議し占領、ガザ封鎖、入植地の拡大などをやめさるとともに、イスラエルの戦争犯罪・『人道に対する罪』を放置し、事実上イスラエルを免罪している日本政府のあり方を変えさせる必要がある。米国の意向に沿った『普天間』問題の対応と米国・イスラエルに『配慮』した国連での非難決議への棄権は、表裏一体の関係にある」と指摘した。
「ミーダーン:パレスチナ・対話のための広場」の岡田剛士さんは「他国の領土での戦争」を「国防」の原則としているイスラエル国家のあり方を紹介しつつ、日本の中東問題への対処のあり方を厳しく批判した。パレスチナ支援のNGOで活動している北林岳彦さんもパレスチナ被占領地の状況とイスラエルによる人権侵害を報告、「核とミサイル防衛にNOキャンペーン」の杉原浩司さんは「無印良品」のイスラエル進出など、イスラエルに協力する企業への抗議・ボイコットを呼びかけた。
「SHAME ON YOU(恥をしれ)」という独自のバナーを掲げた在日アラブ人も発言。さらに「国連こどもの権利条約」運動に取り組んでいる人が平和の歌を披露し、「桃色ゲリラ」の増山麗奈さんは、イスラエルのブルドーザーに轢き殺されたレイチェル・コリーさんについての絵本を書いていたことを紹介した。
その間、イスラエル大使館に向けて日本語、英語、アラビア語、ヘブライ語で「占領やめろ」「封鎖をやめろ」「入植やめろ」「人種差別やめろ」などのシュプレヒコールを繰り返した。イスラエル大使館の屋上では大使館員とおぼしき男がカメラを構えていたが、すぐに姿を消してしまった。
最後に「まずは即刻、無条件にガザ封鎖を解いて下さい。東エルサレムでの入植地の建設を凍結し、パレスチナ人の土地収用と家屋破壊、国外追放を止めてください。そしてヨルダン川西岸地区全域にわたる分離壁を撤去してください。占領続行をあきらめ、中東地域の隣人と共存する道を、本気で模索して下さい」と求めるイスラエル大使宛の要請書を送り届けることを確認した。
(K)
この絶対に許すことの出来ないイスラエル政府の犯罪に対する、第四インターナショナルの緊急声明を掲載する。
▲イスラエルの虐殺に抗議するニューヨークでのデモ
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ガザ支援船団への襲撃:イスラエルの犯罪に対する不処罰に終止符を!
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1881
第四インターナショナル執行ビューロー
2010年6月1日
ベンジャミン・ネタニヤフとアヴィグドール・リーベルマンの極右政権は、国際法と基本的な人間的振る舞いを足元に踏みにじった以前のイスラエル政府をはるかに超える悪辣きわまる能力を再び見せつけた。自由ガザ船団に対する国際水域でのかれらの殺人的襲撃は、パレスチナ民衆に対するイスラエルの侵略の新たなエスカレーションである。こうした行為に対しては、連帯運動と国際世論からの強力な反撃のエスカレーションが加えられなければならない。
ネタニヤフの極右政権に労働党が参加しているおかげで、シオニストの全政治体制がこの新たな犯行の共謀者となっている。労働党員の国防相エフド・バラクは、政府はこの行為の帰結を知りぬいた上で受け入れたのだ、と宣言した。つまり世界各国の政府はたんに言葉だけで反射的な対応を見せるだけ、ということだ。つまりいくつかの外交的コミュニケ、イスラエル大使へのいささかの舌打ち、といったものだ。いつものことである。しかし今回の場合は、それとは違ったものにならなければならない。今回は、抗議の噴出によって各国の政府を言葉から行為へと押しやらなければならない。
すでにバラク・オバマと潘基文(国連事務総長)は調査について語っている。調査の結果はどうなるのか。イスラエル政府は、国際水域で不法な襲撃を始めたことを否定していない。イスラエルはそれを公言している。イスラエル軍自身が、十人以上の活動家が殺されたと述べている。イスラエル軍のスポークスパースン自身が、この虐殺の情状酌量のために、四人に満たないイスラエル人が負傷したと主張している。先頭の船にいた「アルジャジーラ」の記者は、白旗が掲げられていたが、なんの挑発もなかったのにイスラエル軍は襲撃とともに発砲した、と報じている。これらすべての点からして、イスラエルの攻撃は2008~9年の時と同様に、計画的に「不釣り合いな暴力」に訴えたものであり、決して「自衛」と言えるようなものではない。
事実、自由船団への襲撃は、船団が抗議し、挑戦していたガザ封鎖の論理的延長線上にある。イスラエルを除けば、市民に対する不法な集団的懲罰のあからさまなケースであるこの封鎖の防衛などという言葉を語る政府は、世界にほとんどない。しかし、それを止めるために指を動かす政府も、世界にはほとんどないのである。そしてイスラエルの恥知らずでシニカルなPR作戦は、ガザの豪華なレストランをジャーナリストに勧めて、封鎖の影響を軽視させようとしている。
確かに記者発表文の作成者は、屋外の街頭でユダヤ人たちが餓死していたワルシャワ・ゲットーでも豪華なレストランが営業し続けていたことを記憶している。現在ガザで大規模な飢餓が発生しているわけではない。イスラエルによる封鎖は専横で気まぐれなものであり、これまでのところ荒廃の水準が餓死にまで達するのを回避することに焦点が当てられている。封鎖は、広範な栄養不良、幾万人もの子どもたちのトラウマ、ガザ地峡の150万人の住民の80%を救援物資に依存させる大規模な失業、2008~9年のイスラエルの侵略による廃墟――あらゆる修復手段の提供を拒否されている――の中で生き延びている住民のどうすることもできない状態、緊急に必要な医療のために出国許可を求めて待機していた28人のパレスチナ人の死、といった事態をもたらしている「だけ」だ。
封鎖への抗議に加えて船団への襲撃に対して抗議することは、全く正当である。イスラエル大使館、領事館へのピケット、デモを続けるべきだ。しかし抗議の運動はもっと先に進む必要がある。イスラエルの暴行を可能にしてきた、あるいは現に可能にしているわれわれが住む国々のそれぞれの政府をターゲットにすべきである。
●オバマ政権の下で依然としてイスラエルの主要支援者である米国での抗議活動は、イスラエル政府の犯罪に資金を供給している年間三十億ドルの援助の即時停止とその確証を求めなければならない。
●ほんの数カ月前に、イスラエルとのより密接な結びつきを決定したEU諸国の抗議活動は、イスラエルの経済的生命線に与えられた商業的特権を停止するイスラエル―EU自由貿易協定の人権条項の即時発動と確証を求めなければならない。
●イスラエルとの関係を維持しているアラブ諸国においては、民衆の怒りにおののいて、イスラエルとの共謀を停止させるところにまで、政府を追い込むべきである。とりわけエジプト政府を追い詰め、かれらが果たしているガザの犯罪的な封鎖に不可欠な役割を終わらせるようにすべきである。
●抗議活動はイスラエルでも行われている。ここでは、極右政権に対する抵抗のステップアップがなされるべきだ。
●連帯運動が、いまだ政府に対してイスラエルとの関係を実際的に断絶させるほど強力ではない諸国では、大規模なボイコット・投資引き上げ・制裁(BDS)キャンペーンを
取り上げるべきである。
最後に、このイスラエルの新たな犯罪は、不可侵のシオニスト・イスラエルに沿った1967年の占領地域にパレスチナ「ミニ国家」を建設するとされる「平和プロセス」の破産について討論と熟考の新なうねりをもたらすべきである。現在イスラエル政府は、パレスチナ自治政府との間接的会談の無力なプロセス――既成事実を確立する作業から、ときたま便利に気をそらせるだけのものと見なされているプロセス――を中断しつつ、船団への襲撃に対して「不処罰」のままである。
平和と連帯をめざす運動は、今こそいっそうの明確さを鼓舞し、オルタナティブの必要性について解決すべきである。それはパレスチナ人の完全かつ無条件の自決、1948年の難民(それはガザ地峡の住民の5分の4を占める)の帰還の権利、シオニスト国家の解体、パレスチナ人とイスラエルのユダヤ人が完全に平等の権利を持って共生できる政治的解決策を伴った真の平和に向かうオルタナティブである。(「インターナショナルビューポイント」10年6月号)
この会議では、昨年の大統領選挙における「不正疑惑」への抗議から、大衆的に継続されている革命的闘争に関して、「反米」的立場から現イラン政権を「批判するべきでない」とするような左派の一部にあるような政治的立場を拒否して、第四インターナショナルがイラン民衆の闘争に連帯する意志をあらためて示すものである。
【第四インターナショナル第16回世界大会決議】
イラン民衆との国際的連帯を
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1831
アメリカ帝国主義の攻勢、国連の経済制裁、そしてイスラエルが中東にまきちらすイランに敵対する好戦的な宣伝の洪水という状況の中で、イスラム共和国の独裁的体制からのイラン民衆の解放は、イラン民衆の大衆的動員によってのみもたらされることを第四インターナショナルは宣言する。われわれは帝国主義の戦争・占領・介入政策を非難し、自らの自由と独立をめざして闘う民衆の側に立つ。
2009年6月13日の不正きわまる選挙以後、イラン・イスラム共和国は前例のない体制的危機に投げこまれた。それは青年、女性、労働者が自らの民主主義的願いを大衆的に表現するスペースを切り開いた。イラン民衆は、この八カ月間、「独裁打倒」の叫びをもって大衆的な怒りを表現してきた。選挙への挑戦からイスラム共和国の基礎そのものへの拒否にまでいたるこのプロセスは、成長し、ラディカル化し続けている。
1979年以来権力を共有してきた異なった分派間の対立が醸成され、公然たる戦争となった。最高指導者のアリ・ハメネイ、アフマディネジャド大統領、そしてパサダランの指導部は、石油収入を完全に支配し、自らの経済的・金融的利害を確固たるものにすると決定した。ムサビ、カロウビ、ラフサンジャニが体現する一派は、権力からの追放を拒否しているが、彼らは危機をきわだたせたイスラム共和国の血まみれの収支決算に多くの点で関与している。
この重圧を取り除き、権利のために闘う青年、女性への日常的弾圧に終止符を打とうとする民衆の決意は、労働者の固有の要求とますますからみあったものになっている。
青年、女性、そして労働者は、この八カ月間、あらゆる機会を捉えて軍事的・神権的体制を拒否した。かれらの勇気ある決起は、政府内の分裂を際立たせ、イスラム共和国を弱体化させた。
ハメネイ、アフマディネジャド、パサダランは、イラン民衆の正当な社会的・民主主義的願いに暴力的弾圧で応えた。イラン・イスラム共和国は、抗議の運動を大量逮捕、見せしめの公開裁判、拘禁者のレイプ、死刑執行で踏みにじろうとしてきた。しかしそれはうまくいかなかった。現政府への反対は深く根を下ろしている。弾圧は、現政権への反対派の怒りと決意を消し去らないだろう。
政治的危機が経済的危機と結びつく状況の中で、イランにおける新たな闘争の局面が始まった。失業、レイオフ、民営化、制御のきかないインフレに直面する中で、とりわけ未払い賃金の支払い、労働組合結成の権利を求めて多くのストライキが起こっている。体制の側は、王制打倒に大きな役割を果たした一九七九年のストライキの波を忘れなかった。したがって政権は、労働者階級の闘争を残虐に鎮圧している。
われわれの支援は、女性、労働者、青年、そしてイスラム共和国を拒否するすべての人びとに向けられている。民主主義への願いと労働者の社会的要求の結びつきが、決定的要因となるだろう。労働者階級がこの闘いに加わるにつれて、現在の運動は、イスラム共和国を打倒し、帝国主義とシオニズムに真に反対する社会的・民主的・政教分離の共和国を樹立するために必要な結束と力を獲得するだろう。
真の民主主義意的権利、政治囚の釈放、死刑の廃止、結社とストライキの権利、自由な選挙、民族的少数派の諸権利、社会的公正、男女の平等を求める闘いには、強固な国際的連帯が必要である。
かれらの闘争はわれわれの闘争だ!
第四インターナショナル第16回世界大会
2010年2月27日
アメリカの対テロ戦争に徹底追随した自・公政権の追放が実現した今、この問題での政策転換を新政権に具体的にどう迫るか、「テロとの戦争」とそれへの日本の加担に反対して活動してきた運動の側にも、新しい局面での課題が提起されている。
この問題を具体的に考える上で、ほぼ四半世紀、医療支援から農業再建支援へと、アフガニスタン現地での当地住民に密着した民衆レベルでの活動を積み重ねてきたペシャワール会の実践は、欠かすことのできない位置を占めている。今回の報告会はその意味で、先の課題に応えるきわめて核心的な内容を中心に据えたものであり、しかも後に見るように重要なタイミングで開かれた。その大きな意味はおそらく多くの参加者にも共有されていたように見える。それを物語るように、参加者は事前に案内されていた開場時刻(午後1時半)の三十分以上前から受付に列を作った。主催者も急きょ開場時刻を三十分繰り上げ、開会時刻には、会場は満席となっていた。参加者は730人。
そして開会挨拶に立った「基地はいらない!女たちの会」の芦澤礼子さんもまた、WPN発足以降の闘いを振り返った上で、WPNは“武力で平和はつくれない”とのスローガンで運動してきたが武力によらないその平和をどのようにつくるのか、と端的に問題を提起した。中村さんの報告から何をくみ取り今求められている課題につなげるか、会場に充満するこの問題意識に、中村さんの報告とその後の質疑応答は、期待にたがわず実に豊かな示唆を与えるものだった。
用水路完成で復活した農地
会場の注視の中、中村さんは時にユーモアを交え、これまでの活動とそこで知った事実を中心に、静かに淡々と報告を進めた。語られた内容は幅広い。
▲7月17日の金曜デモ
パレスチナ・ヨルダン川西岸でのイスラエル領とパレスチナ自治区を分ける分離帯での抗議行動は、毎週金曜日の老若男女のパレスチナ人とイスラエル人平和グループ、世界から来たパレスチナ連帯の活動家たちによって続けられている。
ビリン村では、「アパルトヘイトの壁」に対して、非暴力直接行動によるパレスチナ人とイスラエル人の共同闘争が2003年頃から開始され、2007年9月にはビリン村を分断する壁のルートを変更するようにとイスラエル最高裁の判決を勝ち取る成果を上げている。
▲7月24日の金曜デモ
しかし、村は分離帯によって分断されたままであり、またヨルダン川西岸でのイスラエル人入植地は現在も増殖され続け、この6月にはヨルダン川西岸だけで入植者が30万人を突破している。この入植地拡大に対する国際的非難に対して、イスラエルのネタニヤフ首相は「自然増だからとめられない」などとうそぶき、さらに入植地拡大を目論んでいる。
このような状況下で、ビリン村では毎週金曜日に分離帯での抗議行動が持続している。行動はあくまで非暴力であり、分離帯のフェンスをゴールに見立ててサッカーをするなどの形で分離帯の撤去と平和をアピールしている。イスラエルの治安部隊は、そのような平和的抗議行動にも悪臭を発する催涙弾を浴びせ、放水によって蹴散らしている。また、「アパルトヘイトの壁」のルートの変更先であるニリン村でも同様の闘いが巻き起こっている。
▲ニリン村での共同闘争(08年9月1日)
「アパルトヘイトの壁」は、シオニズム国家イスラエルのナチス・ドイツやアパルトヘイトの南アフリカ同様の人種差別政策を採っていることを世界に知らしめた。そして、ビリン村とニリン村の闘いは「イスラエル人とパレスチナ人が共に生きる未来」を体現する象徴となっている。
(F)
インターナショナル・ビューポイント オンライン・マガジン: IV413号 - June 2009
声明:われわれはイラン民衆の側にある
第四インターナショナル執行ビューロー
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1683
いつわりの大統領選挙後の六月十三日以来、幾百万人ものイラン民衆は「独裁に死を」と叫んで怒りを表明している。イランの人びとの動員は、体制の危機を増幅させている。残忍な弾圧により、すでに死傷者は数百人に及んでいる。われわれはイラン民衆の側にある。
▲6月15日のテヘランでの抗議デモ
アフマディネジャドの大統領再選出馬の発表によって、権力内のさまざまな分派間の隠された戦争は、公然たる戦争に姿を変えた。四人の候補者が選挙戦に参加する資格を得た。この四人は、イスラム共和国の三十年に及ぶ血まみれのバランスシートへの責任を分け持つ体制の高官である。しかし最高指導者と権力を持つ一味は、第一回投票の前に勝者を指名していた。分派間の大きな緊張、危機と社会的不安定の情勢の中で、指導者が民衆によって否定されることは考えられないことだった。
同様に、革命防衛隊の集中にある巨大な経済的・金融的利益や、元大統領ラフサンジャニの一派が支配する経済の重要な部分を支配したいという願望は、アフマディネジャドとその仲間たちが権力と特権を放棄するのを不可能にさせた。石油収入、国家の富と権力の支配をめぐるこの闘いにおいて、ハメネイとアフマディネジャドは、彼らのライバルを追放しようという正真正銘のクーデターを実行した。
▲イラン・パペ/ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>編訳/
柘植書房新社/2800円+税
本書は昨年、イスラエルの建国が引き起こした「ナクバ」(イスラエルによるパレスチナ人の追放がもたらしたパレスチナ人にとっての「大災厄」)の年に刊行された。本書のもとになったイスラエル生まれのユダヤ人歴史家であるイラン・パペの来日と講演は、さらにその一年前の2007年3月のことだ。私はこの本を刊行直後に読み、大きな感銘を受けた。
刊行から一年以上たってからこの本を紹介するのは、昨年末のイスラエル軍によるガザ侵攻と住民虐殺の中で、イスラエル・パレスチナ問題に大きな関心がかきたてられたこと、そして、イスラエル・パレスチナの「暴力の応酬」とかというあまりにも現象的で没歴史的なメディアの言説が横行し、オスロ合意に基づく中東和平プロセスの破綻という現実にもかかわらず、「イスラエル国家」のありかたを問わない「二国家方式」による解決といった図式から一歩も出ない「国際社会」のあり方にあらためて強い危機感を持ったためである。
イラン・パペは1954年にイスラエルで生まれ、その地で育ったユダヤ人の歴史家として、イスラエルの「ユダヤ人国家」としての「建国神話」に根本的な異を唱える稀有の存在であるがゆえに、「ユダヤ人国家」と「パレスチナ人国家」というエスニック的に区分された二つの国家の樹立がいかなる意味でも中東問題の真の解決にはつながらないことを主張している。
5月31日、「スピークアウト for アクションイスラエルを変えるために」が東京・千代田区の在日韓国YMCAで開催された。主催は昨年末からのイスラエルによるガザ侵攻に抗議し、1月11日に「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」を企画・実行した有志による実行委員会で、集会には120人が集まった。
最初に主催者から田浪亜央江さん(ミーダーン:パレスチナ・対話のための広場)が、「イスラエルの不法きわまる占領とガザ侵攻・住民虐殺に対してパレスチナ民衆との連帯はもちろんのこと、イスラエルを変えることが必要であり、そのためにも日本政府の政策を変え、日本社会を変えるための努力が必要だ。そのための方策をともに討論し、実行していきたい」との問題意識を提示した。
現在、フランスで反資本主義新党(NPA)のメンバーも参加するパレスチナ連帯グループ"Euro Palestine"などの呼びかけによるイスラエル製品ボイコット運動が、各地に広がっている。
▲Aulnay Sous Bois(オルネースーボア)での実力ボイコット・アクション(3月7日)
このボイコット運動は、ただ一般的に「イスラエル製品を買い控えよう」と呼びかけるに留まらず、ショッピング・モール前でのビラ撒きやアピールによって、買い物客と「なぜ、イスラエル製品をボイコットするべきか?」を討論したり、あるいは巨大ショッピング・モール内で商品棚からイスラエル製品を片っ端から撤去し、店内で集会を開催、パレスチナ旗を掲げて「デモ行進」するという、ラディカルなアクションとして展開されている。
このような、「パレスチナ連帯・軍事占領反対」の日常的で具体的なアクションは、最もイスラエル政府にとって驚異的なものだろう。この連帯とアクションの輪をさらに、そして日本でも広げよう!
▲サンドニでのアクション(2月14日)