フォントを作ったり、使ったり、観察したりしていて、ちょっと思ったことを…。
フォントベンダーでなく、個人(アマチュア)がフリー(無料)で配布したり、安価に販売したりするフォントに求められるものは何か、最近考えていた。
僕もいずれ、新たに作ったフォントについては売って行くつもりだからね。(現状配布しているフォントは、これまで通り無料で配布する)
そうして思ったのは、個人が作るフォントに求められるものは、フォントベンダーが考えるような使いやすさではなく、使いやすさは程々で良くて、それ以上に「個性」なのではないかと。
使いやすさなどは、デザイナーのテクニックである程度カバーできるから。
ここからは僕の偏見も混じった考えを述べる。
プロのデザイナーで、モリサワとかフォントワークスとかのフォントを使い、それらを高評価している人達に、個人がフォントを作って、その使いやすさやクオリティの高さをアピールした所で、聞き入れてくれる人はそう多くないのだ。
そういう人達って、「モリサワフォントだから」「フォントワークスフォントだから」というフォントのブランド名でフォントを選んでいるから。それらのフォントベンダーならば、確実なフォントを作ってくれるものだと思っている(人が案外多い!)から。
取り分け基本書体は、こういう「名の知れたフォントベンダーのOpenTypeフォントを使う」ことが、デザインでは当たり前になっている。
基本書体については、モリサワやフォントワークスを抜かすことはできないと考えた方が良いだろう。
ではアマチュアはどういうフォントを作れば良いか?
それはやっぱり、個性のあるフォントだろう。
もっと言うと、お上品なことばかり求めるフォントベンダーなんぞには作れないような、ダッセ~と叩かれそうなくらい個性の強いフォント…。
なぜこの記事でこんな話をしたかというと、僕の飴鞭ゴシックがなぜ思いのほか自分では流行ったのかわからなかったからだ。
たった1時間で、既存のフォント(M+フォント)をフォント作成ツールの一括処理任せで改変しただけのフォントに、なぜ注目が集まるのかと。
その理由のひとつには、「お上品なことばかり求めるフォントベンダーなんぞには作れないような、ダッセ~と叩かれそうなくらい」の個性の強さがあったのかなぁって。
僕に限らず、他の個人のフリーフォント作者さんで、商業印刷物などで人気のフォントを作っている人達のフォントを見ていてもそう感じる。(もちろん必ずしもではないよ)
フォントに限らず、デザインって「出る杭」になることが大切なのかも。(急に深い話!?)
以上、ィヨロシク!!
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