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2024. 07. 05  
 目次

 ブログタイトルの意味
 ガンダムをン年ぶりに観て、“いまさら気づいたこと”が多すぎる俺は昔からきっと馬鹿だった。

 「ガンダムの生みの親」とは
 人気のなかった『ガンダム』
 『わたしが子どもだったころ アニメ監督・富野由悠季』を観た
 小説版『機動戦士ガンダム』

 宮崎駿について
 宮崎アニメとは宮崎アニメのことである。
 
『君たちはどう生きるか』の後 1/4 宮崎駿編 フィルモグラフィ

 星山博之について
 『ガンダム』の挫折
 フラットキャラクターは初期配置が大事
 『君たちはどう生きるか』の後 4/4 富野由悠季編 「他者」を巡る冒険

 安彦良和について
 『ガンダム』のキャラデザは失敗だった!?、 
 宮崎駿より前に宮崎駿になろうとした男 、
 『オリジン』アニメ化について
 富野由悠季と安彦良和 1/8 でこぼこ感
 富野由悠季と安彦良和 2/8 庵野秀明・幾原邦彦対談
 富野由悠季と安彦良和 3/8 湖川友謙とその後
 富野由悠季と安彦良和 4/8 安彦良和の重心
 富野由悠季と安彦良和 5/8 『THE ORIGIN』について
 富野由悠季と安彦良和 6/8 現実と悪と正しさ
 富野由悠季と安彦良和 7/8 劇場版初代ガンダムは富野のリベンジだった!?
 富野由悠季と安彦良和 8/8 ニュータイプと小さき者

 出崎統について
 (1/3) 
 (2/3) 
 (3/3)
 映画とマンガとアニメ 2/6 出崎統と杉井ギザブローの場合

 押井守について
 押井守は苦手だ
 「王道」の押井守を見てみたい
 『君たちはどう生きるか』の後 3/4 押井守編 失われた時を求めて
 映画とマンガとアニメ 3/6 押井守の場合

 福井晴敏について
 プロデュースについて 1/2 ユニコーン編

 りんたろうについて
 りんたろうについて

2024. 12. 07  
 早くも新作ガンダム!
 スタッフはなんと『フリクリ』の人たちだよ!(『トップをねらえ!2』は見てません。すみません)
 ビックリして思わず呼吸すんの忘れたよ!

 でな、変な夢を見てしまった、なんて思ったわけだよ最初。
 『フリクリ』でガンダムとか……
 カラーでガンダムとか……
 ねーだろ。 
 やれやれ、と。

 それで寝たわけだ。翌日、起きたわけだ。で、念のためチェックしたわけだ。 
 現実だったああああああああ!

 昔、 『フリクリ』が死ぬほど好きって奴と少し話したことがあったんだよ。あいつ今頃喜んでいるかなあ。それともアニメ卒業しちゃってるかなあ。

 アニメを卒業といえば、俺、最近アニメから遠ざかってしまっていて。
 このままだと「アニメを観るコツ」を忘れそうだったんだよね。年も年だしさ。まあ今さらだけど順当に?卒業しそうになっていた。

 そこにきて新作ガンダム!
 いやーまいったなあ。
 俺はまだまだアニメを卒業できそうにもないぞ。

 『フリクリ』、俺は大ファンってわけじゃないんだ。ちょっと俺にはピンと来なかった。
 ただね、なんでピンと来なかったか、どこかで読んだ記事で解った気がした。

 『フリクリ』って「地方都市の気分」なんだって。都会でもない?田舎でもない気分って言うか。そりゃ俺には解らないです。

 でだ。もしかしたらスペースコロニーの意味合いが「地方都市の気分」になるのかもしれない。
 だとしたら、さらに楽しみ。
 
 あと、主人公が女の子でしょう。これもいいね。
 『水星の魔女』でガンダムファンになった新規層を「逃がさーん!」という必死さwが感じられる。そういうの、イエスだよね。

 あとは性的要素かな。気になるのは。
 今度の主人公はどうなるんだろうか。恋とかしなかったら今時って感じになるかもだ。

 とにかくここにきての挑戦につぐ挑戦、他人事ながらぜひ成功して欲しい。
 作品の出来不出来、好き嫌いは今はわからない。
 でも応援してる。
2024. 11. 06  
 昨日は監督のお誕生日でしたね。遅ればせながら、おめでとうございます。

 家族と確執を抱えていた俺にとって、監督の作品は「遊び場」「逃避先」ということ以上に「居場所」でした。
 「家出先」だったわけです。
 おかげでグレずに済みました。いや悪いこともしましたが、どこかでブレーキをきかすことができたのは監督のおかげだと思っています。

 お年寄りにとっては寒さは大敵です。まして寒暖の差が激しいとなおさら。
 コロナもインフルエンザも怖いですし、くれぐれもお体にお気を付けてください。
 とにかく元気でいて欲しいです!

 ヒミコヤマト、楽しみにしています!

 (できれば新作小説も読みたいです……)
 (あと作詞も……)
 (あとエッセイも……)
 (あとできれば『君たちはどう生きるか』のカウンターも……)
 (あと……あと……)
 (とにかく元気でいてください。追っかけますので)
2024. 08. 19  
 『アニメマニアが語るアニメ60年史 1963~2023』(小黒祐一郎)は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会 [復刻版]』と一緒に買った。そこで触れられている作品の多くを観ておらず「あちゃ~」となった。やはり俺はマニアを名乗れるほどのファンではない。

 りんたろうについての発言でアニメ様に共感できた。嬉しかった。
 CLAMP原作の『X』の一場面をたまたま観たのだが、もう完全にりんたろうだった。その後、スタッフを確認するとやっぱりりんたろうだった。
 
 で、ちょっとりんたろうについて自分なりに書いてみたくなったので、書いてみます。たいして観てないんだけどね、ごめんなさい。

 りんたろうについて、アニメ様は「芸術性」と定義していたけど、俺の言葉遣いだと「表現主義」ということになる。

 虫プロ系の監督たちはみな表現主義志向だけど、りんたろうが他の虫プロ系監督と違うのはストーリーよりも表現を優先してるところだと思う。「アニメーションの官能性」を信じている。
 宮崎駿との違いは、りんたろうはキャスティング・ディレクターだという点だろう。アニメーターの仕事が透かし見える。そしてアニメーターたちの個性を使って演出していく。
 この発想、アニメーター一人一人が作家なのだ、というのは手塚治虫のものだったという。『アニメマニアが語るアニメ60年史 1963~2023』で初めて知った。すげーな手塚治虫。
 金田伊功というスターアニメーターがいたが、彼の魅力を最大限に引き出したのは、宮崎駿ではなくりんたろうだろう。

 東映動画系は自然主義だから、そこではアニメーターは職人で無色じゃないといけない。日常芝居から活劇まで「監督の意図」に奉仕している。それは長所でもあり短所でもある。
 『どうぶつ宝島』が楽しいのは、「監督の意図」が弱いからだ、というのが俺の理解だ。そこが『長靴をはいた猫』と違う。作品的には両者は較べるまでもないというのが俺の評価でもある。それは『ルパン三世 風魔一族の陰謀』の楽しさと作品性の問題につながっているだろう。

 強烈な「監督の意図」を持っている押井守だが、彼の作法は相棒たる凄腕アニメーターがいてこそ成り立つらしい。当然、東映動画の作法の限界を知ったうえでのことだろう。宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』は本田雄という相棒を得て作られた。そういう意味では「押井スタイル」と言える。鈴木敏夫のアドバイスらしいが、彼が押井と仲がいいことと関係があるのだろうか。

 ふとここで思い出すのは富野由悠季のことだ。彼のスタイルは「東映動画的」だ。高畑勲譲りなのだろうか。
 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が無残な作品だなと思う一点は「監督もアニメーターも辛そうだ」というところだ。観ているこっちも辛くなる。ロボットバトルは別だ。それ以外が辛そうである。理解するために五回以上観返している作品だが、この辛さに慣れることはない。監督とアニメーターの不幸な関係がある。

 アニメーターと幸福な関係を結べるという点で、りんたろうは突出していると思う。外からはそう見える。
 例えば『劇場版銀河鉄道999』などはアニメーターが辛そうな場面がない。省力しようと思えばできる場面が多いように思う。アニメーターたちは「省力」するどころか「全力で応えた」というのが『劇場版銀河鉄道999』の美しいところだ。それぞれのアニメーターが「自分の見せ場」を作っている。『劇場版銀河鉄道999』に限らない。思えば『幻魔大戦』もそうだった。

 『幻魔大戦』、俺は原作マンガも平井小説も好きだったわけだが、アニメ版のセンチメンタルなストーリー展開にうんざりしたものだ。ただ表現は素晴らしかった。

 アニメファンとアニメマニアの違いのひとつは、匿名性の高い作画スタッフの仕事を見抜けるかどうかという点にもあると思う。
 りんたろう作品は、普通のアニメファンがマニアになるきっかけになるような作品だ。俺はマニア気質ではないが、それでもりんたろうの魅力は少しは理解できる。

 そもそも映画はストーリーの容器でいいのか問題があって、そこから表層批評とか物語狩りなどのお話になるわけで、りんたろうを評価できるか否かはアニメ映画を取り巻く環境の成熟具合の物差しになるのかもしれない。

 もっと観られていい映画監督だ。俺も再入門したい。
 りんたろう映画を集めたBlu-rayを出して欲しいです。
2024. 07. 27  
 アニメ業界を応援している。ガンダム人気が生んだオリジナルアニメブームのときからずっとだ。業界のパワーが好ましいし、新しい才能によって刷新していく様がすげーと思っている。リスペクトしている。俺はいいお客ではないけど……雑誌やビデオソフトを買わないし、そもそもアニメファンを名乗れるほどアニメに詳しくないし、数も観ていないし……だから応援といっても声援のようなものかな。

 ビジネスの側面で大きな転換期だと思うのでハラハラドキドキである。
 一時期に比べアニメに対する偏見はなくなったが、アニメを観ない人が増えている。ジブリのおかげでアニメ映画は別だが、それ以外となるとアニメはマニアのものになってしまった。(もちろん子供番組は別である)。
 「私、オタクなんです」という女性と話したことがある。その女性は『TIGER & BUNNY』の熱烈なファンだった。グッズ買ったりイベント行ったりした話を熱く語ってくれた。『TIGER & BUNNY』は俺も少し観たことがあったので盛り上がったのだが「虎徹はサンジと同じ声優さんだったよね」と水を向けたところ「声オタじゃないのでわからないです」ときっぱり言われてしまった。俺より薄いアニメファンがいると思ったが、いろいろと話していくうちに(この子、『TIGER & BUNNY』しか観てねええええ)とわかった。『TIGER & BUNNY』世代ですらそうなのである。現在はさらに状況は悪くなっているのではないだろうか。アニメの近接ジャンルであるライトノベル市場は(若者の間で)全盛期の半分になったという話がある。( 飯田一史『「若者の読書離れ」というウソ』)。アニメはどうなのだろうか。若者の間でどれだけ観られているのだろうか。
 ライトノベルで興味深いのは大人向けの市場は減少傾向にないということだ。かつてのラノベブームを支えた層がそのまま歳を重ねただけというわけだ。新陳代謝に失敗した例だろう。今後先細りしていくことになる。
 ラノベブームを支えた層は団塊ジュニアだ。彼らがなぜラノベを読み続けるのか。若い頃とたいして環境が変わってないせいではないか。
 たまたま就職氷河期に生まれたというだけで家庭を築けなかった人がたくさんいる世代だ。結婚したとしても(経済的、時間的余裕がなくて)子供を持てなかった人がたくさんいる。彼らがそんな目に合わなければ少子化問題はなかったはずだ。政財界はこの問題から目を逸らしている。それが頭くる。コンビニや外食産業はじめ「不況のなか業績を伸ばした」とか自慢げに言ってる連中を粛清したい。なぜなら団塊ジュニア~ロスジェネが不況のなかで仕方なく就いたアルバイトだの派遣だのが良質で安価な労働力を提供していただけだからだ。好況になれば当然労働者の売り手市場になる。不況に適応した産業構造を変えるべき時期が来たのだ。それがだ。安価な労働力を前提にした阿漕な商売を続けたいらしい。移民政策だ。14世紀、欧州では黒死病で人口が激減した。そのために農民はじめ平民の地位が上がった。それが産業構造どころか社会構造を変えた。市民社会はこうして産声を上げた。経済界が時代に抗うのは百歩譲ろう。政治家がそれに乗ってどうする。今や中年になりさらに働き口が少なくなっているわが同胞を見捨てる気か。いやもうマジで粛清したい。

 ガンダム・ビジネスも先細りしそうで怖い。心配している。アニメというハードルだけではなく、ロボットというハードルまである。
 ハラハラドキドキしながら見守っている。成功して欲しいの一点だ。

 『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』が大ヒットしたのは嬉しかったしホッともした。『SEED』は中興の祖だからだ。ヒットしないと困る。
 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が『SEED』以来の大ヒットになって新規のファンを獲得したという話はビックリしたけども快哉を叫びたくなった。すげーなおい。

 ガンダム・ビジネスといえばガンプラだが、その草創期に立ち会ったことも応援したくなる理由だ。
 初代ガンダムの本放送が終了したその年の12月か翌年の1月に、本格的な模型店でガンプラの発売を告知する張り紙を見た。ビックリした。子供相手のおもちゃ屋ではない。青年~大人を相手にした模型店だった。そこにガンプラ発売決定!と手書きで書かれた張り紙である。思わず凝視してしまった。友達に「なんだよガンダムって。おまえ、知ってんの?」と訝しがられたくらいだ。
 そのとき俺は小学生高学年だったのだが、ガンダムは人気がないどころか知っている奴の方が少なかった。俺の周囲では誰ひとり知らなかった。当時の俺の友達はなにせクラスメート男子全員である。めちゃくちゃ仲が良かった。それが誰も知らなかった。
 青年期だった方たちの間では当時からガンダムは人気があったという話もあるが、そもそもロボットアニメである。当時は小学生高学年ですら卒業してしまって観ないジャンルだ。それを観ているというだけで相当なマニア集団だったはずで、当時から人気があった!とか熱弁されても「いやいやいや」とツッコミを入れざるをえない。ていうか、頭くる。
 なぜ頭くるかといえば、ガンプラという企画自体が冒険だったと思うからだ。
 マニア集団が全員買ったとしてもたかが知れてることは本放送が打ち切りになったことが証明している。値段設定といい、子供向けだったろう。子供は誰も知らないというのに。
 バンダイのなかのどなたが頑張ったんだと思う。ガンダムを信じてくれたんだと思う。そう想像するから「がんばれー」と応援したくなるのだ。まあ俺はガンプラ買ったことないんだけど……ごめんなさい。
 ガンプラを巡る冒険に対してリスペクトがないという点で「ガンダムは当時から人気があった」などと言う連中は嫌いだ。頭くる。
 
 バンダイが「ストーリーよりキャラクター」という方針を打ち出した。ちょっと感慨深い。
 「ああ、一周回ったんだなー」という感慨だ。キャラクターというのは作中人物のことではなくガンダムのことだからだ。ガンダムの成功の前の状況に戻ったわけだ。

 ガンダムの成功で何が変わったかといえば、ドラマ志向の作品が「あり」になったということである。ドラマは心情の変化のこと、ストーリーは出来事の顛末のこと、とここでは定義させてください。
 それまでにもドラマ志向作品はあったが、それをマーチャンダイジングを主目的とした作品でもできるようになった。そうした作品を楽しめる中学生~大学生がいることが分かったからだ。長浜忠夫作品の人気に予兆はあったのだが、はっきりとそうした市場を可視化したのがガンダムだった。

 初代ガンダムは「ガンダム」ではない。子供番組だからである。劇場版は若干違うのだが、テレビ版の初代ガンダムは富野の奮戦空しくジュブナイルに終わった。健やかな子供番組になった。
 「ガンダム」の最初の作品は『機動戦士Ζガンダム』だ。
 初代ガンダムはフラット・キャラクターが「ストーリー」を展開していくという作品だったが、『Ζ』は内面をもったキャラクターが「ドラマ」を展開していくという作品だった。恋愛要素も大きく取り上げられた。
 ガンダムの成功後の市場変化に対応したことになる。
 初代ガンダムでガンプラ・ブームを作った小学生が成長して『Ζ』を支持した。初代で育ち『Ζ』に忌避感を持たないこの世代を俺はガンプラ世代と呼んでいる。団塊ジュニアだ。彼らがガンプラ市場を支えていくことになる。富野ファンではなくガンダムファンだ。宇宙世紀ガンダムの良きファンでもある。

 ガンダムの成功によって可視化されたヤングアダルト市場はカギカッコ付き「アニメ」を生んだ。
 その「アニメ」が終焉を迎えるかもしれないということは以前書いた。
 性的要素のない作品が好まれる時代が来るかもしれないのだ。

 かりにそんな時代がきたとして、「アニメ」の次世代がどのようなものになるかは俺には分からない。
 だがバンダイがガンダムの成功の前のビジネスモデルを選ぶのであれば、ひとつ想像できることがある。
 それはフラットキャラクターがストーリーを展開していく作品が増えるということだ。
 ようは子供番組だ。正確にいえばリアリティーレベルがそうなる。水戸黄門やサザエさんのリアリティーレベルだ。
 ガンダム・シリーズがそのようなリアリティーレベルで作られるとしたら、それは初代テレビ版以来となる。誰か星山さん呼んできて。

 ガンダムや「アニメ」の未来はどうなるのか。
 それがどのようなものになるにせよ、ハラハラドキドキしながら応援していきたい。


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Author:shiwasu5
いちばん好きなアーティストが富野由悠季です。

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