『ウェブ進化論』とGoogle論、ふたたび
今朝からすごい勢いでアクセスが集まっていると思ったら、切込隊長のところからのアクセスでしたか。ごぶさたしておりました。久しぶりに読みでのあるエントリでしたね。
よりによってのイベントの準備でおおわらわな時なので、あまりどっぷりとディープな反応を返すこともできないのだけれど、簡単にレスしておきたい。finalvent氏同様、『論座』の記事はまだ読んでませんが、というただし書きつきで。
隊長の言い分をまとめると、「Googleの価値観にくっついて行きたい奴はがんばってくっついていきやがれ。でも別にGoogleだからって特別なことしてるわけじゃなくて、かつてMicrosoftがやっていたみたいに、単に一時代の産業の恣意的な価値観を象徴し、それを中の人が世界中に押しつけてるだけだからな。ま、市井の一般大衆はその程度に受け止めておくのが吉」ということかなあと思う。
これについては、違和感は特にない。自分もそのつもりだし、FACTAの阿部編集長とかは梅田本に深掘り的コメントを寄せたうちのブログもまとめて「Google礼賛論者」と一絡げにして批判されているが、別に僕も礼賛してるつもりは全然無くて、ただ資本力も価値観押しつけの圧力も、ここで泡沫ブロガーが泣き喚いたところで始まらないほど強烈に強いので、隊長の言うように「Google神に代わる新しい神」がどっかから現れるまで首をすくめて待ってるしかないんじゃね?ぐらいの話だと思ってるだけ。
それでも勘違いする人もいるかもと思うので言っておくと、『ウェブ進化論』の書評の第2回目の中で、
Googleワールドの原理というのは、Google様の指先1つでビジネスのルール変更が可能な世界なのである。そこに会社としての基盤を依存するなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。もちろん、それでも何かあるかもしれないと思ってチャレンジする「はてな」のような会社には男気を感じるし、がんばってほしいと思うわけだが、少なくとも既存のビジネスでそれなりのボリュームを持っている「失うもののある」企業が、オープンネットの世界に今から挑むなど、戦略的にあり得ない選択肢と断言しても間違いないだろう。と、申し上げている。もし僕が本当にGoogle神の礼賛論者なら、こんなこと書くわけない。
で、FACTA阿部氏のほうはというと、サイバーエージェントが昨日Google八分にあったことを取り上げた番外エントリで「大量虐殺にひとしい」と断じているが、そんなおおげさなものですかね。いつものグーグルダンスじゃん。一民間企業が、自分の価値観に合わない競合他社をハブンチョにしただけっしょ?何度も言うけど、競合する相手のダンスで自分の事業が振り回されるのが嫌なんだったら、Googleの影響の届かないビジネスにとっとと逝けっつーの。
冗談めかして言っているが、Googleがネットの中だけの神だと思ったら大間違いである。Yahoo!が実質的に広告代理店機能を持つという決断を下し、Googleがどこを買収するつもりか知らないが市場から21億ドルものエクイティ・ファイナンスをした今、これからメディア・広告業界は巨大な資本力にあかせての大M&Aの時代に突入することが確定したようなもんなのだ。
問題なのは、こうした変化が「『ウェブ進化論』は良書だ」「いや、ただのマンセー本だ」とか、そういう馬鹿げたペダンチックな議論の向こう側で黙って起こっている事実だということだ。この前の『ウェブ進化論』の出版記念イベントの後の飲み会でも話していたのだが、高尚な議論よりもエンジニアの書いたコードの方が圧倒的な説得力を持ってしまうのが、ネットの(そして阿部氏的に言うなら米国資本主義の)世界の習わしというものだ。
既存メディアの人間が「大事なのは民主主義」とか「言論の自由を守れ」とか「ポピュリズムどーたら」とか議論している間に、Googleの中のエンジニアたちは黙々とコードを書き、スパムサイトの検閲を進め、メディア産業をブルドーザーで押し潰し、地ならしして新しい建物をガッツンガッツン建てていってしまうのである。Googleに地ならしされたくなければ、叫ぶより前に自分の考えを表したコードを書く(=ビジネスモデルを作る)しかない。コードが書けないなら、Googleの目の届かないところに逃げるしかない。
どうもそのあたり、もう議論のための議論はお腹いっぱいというのが僕の正直な感想だ。議論してるヒマがあったら自分でメディアを作れよ、と思う。FACTAは昨年前半とかにブログ界で流行った「ブログとは何か」論みたいな、自己言及的な議論のための雑誌なのかもしれないけど、まあそれはそれで好きな人がいそうだが、もしそうだったら僕自身は読む気がしない。
たとえGoogleが神だからといって、その神が企業であり、米国に実在する存在である以上、資本主義の原理から自由なわけがないというのは当たり前だ。そして、我々も同様に資本主義の中に生きている。であれば、Googleの長いしっぽの端っこを自分のビジネスのバリューチェーンに入れて商売するもよし、Googleとまったく違う価値観でネット上に新興宗教のようなサイトを作って客を集め、お金を回すもよし。好きに商売して生きていけば良い。
ただし、Googleがこれまで一言も「言論の自由が大事」とか「ポピュリズムがどーたら」とかの高尚な説を自ら考えてのたまったことがない、無言のブルドーザー集団だということだけは覚えておくべきだ。神かどうかよりも、そちらのほうがずっと大切な事実(FACTA)である。
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コメント
やってから言えって話が終わるじゃん。
もっとグダグダしようぜ。グダグダ大好き。
ところでFACTAは雑誌だから馬鹿っぽくても仕方ないと思うぞ。
メディアって事後に報じるものなんでしょ。ネットネタの今更感もやむなし。
紙しか見ない人には新鮮なんじゃない。今時いるのか知らんけど。
編集長ブログのほうは面白い部分があるけどかっこつけてるのが無様だな。
そのぐらいの知性ならネットでは掃いて捨てるぐらいいるんだから
もったいぶってみせても滑稽なだけなのにな。
とりあえず、生まれて始めて聞いた「論座」とかいうものをウプキボン>隊長。
書き捨ての記事ごときで紙なんか見ねえよ。
投稿: iii | 2006/03/30 15:20
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060330-00000010-imp-sci
投稿: a | 2006/03/30 18:22
もともと昨年末で80億ドルのキャッシュポジションを持っていたそうなので、AOL買収のためではないですよ>aさん
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20099736,00.htm
投稿: R30@管理人 | 2006/03/30 18:50
切込隊長の言説に気になる点が一つ。
Googleの検索結果というのは商品であるのでその質は市場の評価に晒される。
SEOみたいな寄生虫を排除してユーザーの損失はあるのか?
一方でユーザーが欲するサイトをブロックしてGoogleに何の得があるのか。
恣意的というがそれは家電屋がテレビの機能や画質のチューニングを自前で
仕様を起こす様に、当然の権利であってなんら指を指される筋合いではない。
検索結果が気に入らなければユーザーはMSNでもYahooでもなんら問題が無い。
ヘゲモニーとやらはどこにあるのかと問い返したいぐらいだ。
Googleがヘゲモニーを持つとすれば比較的恵まれた資本力と技術的に先行する
サーバ関連技術とソフトウェアによる生産性の高さだ。
つまり安くて性能がいいという以上のユーザーへの影響力など無い。
あちら側なんてものもないがGoogle支配なんてものも無いのではないか?
そしてそういった青臭いフェアさがユーザーを引き付けるのであり
今神であり、今後も永久に神であり続けるマイクロソフトを生まない為の知恵なのではないか。
従って排除すべきはGoogleでなく寄生によって望まぬヘゲモニーを生み出す能無しと
ドコモみたいな怠け者のクズではないか。
見よ、携帯電話業界のゴミどもを。連中こそ脳に電極刺して隔離すべきサルだ。
投稿: p | 2006/03/30 21:31
もう一つ中国とのからみで
インドにウォルマートが開店したが牛肉が置いていないのはけしからんなどと言ったりしない。
誰だってウォルマートやGoogleでなく中国という社会と政府の問題であることぐらい分かる。
普通の企業が普通に事業をするのに何故神だとかアチラコチラとか言うか。
単純に分かってないからだ。ハッタリなのである。
投稿: p | 2006/03/30 21:54
ちょっとした感想。
1)初期のGoogleではリンクに対して検索順位を上げるという仕組みだったために、2ch型掲示板のアンカー(投稿番号を指すリンク)が、関連付けが多い記事として順位を検索順位を上げる要素になっていた。
2)インターネット掲示板の信憑性やら、ページとしてのユーザビリティの問題やらについてはここでは言及しないが、大方この検索順位のありかたにユーザは好まなかったし、Google自体も好ましく思わなかったようだ。
そこで2000年頃(だったと思う)、掲示板のアンカーを検索順位の要素から排除する方向になる。
3)それ以降、Googleの検索技術というより、検索の方向性とユーザの期待の方向性が同じ方向に向く。
4)今まで無作為に検索していたGoogleが、一種の"判断基準"をもった。
この判断基準に沿ったサイト製作のオプションにつける製作会社やそれ専門のSEO会社まで現れる。
これは単一のサイト(またはページ)に施されるもので、Googleではなく製作者(または発注者)が検索の精度をコスト(お金や時間)をかけて上げるということで、ユーザもGoogleも好意的だったと思う。
5)4の話を進歩させて、「なら、あっちこっちにリンクを貼らせる仕組みを作っちゃえば?」っていうことで、今回八分にされたサイバーエージェントが運営するようなサイトが乱立。
6)【注:主観です】WEB製作やプロモの現場にいた僕の体感としては、検索順位を上げる重要性は発注者も認知しいる。だから5の手法は検討の対象になるが、世間一般のユーザとしては同じような情報が繰り返されるだけであまり好意的ではなかったと思うし、それとなくマーケではなくエンジニアよりの人間に聞いたら「サイトのオーナーにはご利益があるけど、それやってGoogleとユーザにご利益があるかは疑問だ」とも言ってた。
時系列を追って考えてみたんだけど、結局1に戻ったってことに思える。
他人のフンドシで相撲をとっていた方はお疲れ様と。
投稿: 児玉遼太郎 | 2006/03/30 23:31
>一方でユーザーが欲するサイトをブロックしてGoogleに何の得があるのか。
それこそがgoogleというかgeekの狂気って奴でしょう、恐らくは。
投稿: 名無しさん | 2006/03/31 11:54
47氏は肉は狩られたが血は今もブルドーザー。議論の前にコードが絶大な破壊力を持つことに異論あるまいて。
投稿: も | 2006/03/31 12:50