続・10年後のマンション価格
注)このエントリは08/11/2004 09:10:53 AMにアップしたものを日付だけ変えてそのまま再録しました、URLは変わっています。リンクされていた方はリンク先変更をお願いします。
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昨日(といっても数時間前)に書いた、マンションの価値評価の続き。自宅用としてマンションを賃貸でなくわざわざ「買う」人にとっての価値とは何か、10年後に価値の下がらないマンションとは何かというお話です。
前のエントリでも書いたように、もしこれからの人生に転勤や失業といった“不測の事態”が起きる可能性があって、しかも特定の地域に住み続けなければならないという縛りのない人(独身者とか片方が無職の子なし夫婦とか)だったら、住みたい場所を賃貸で借りて住んでいればいいだけのことだ。
かつては賃貸住宅は分譲住宅に比べて品質が悪いとか言われていたが、公団(都市再生機構)の最近の賃貸マンションには一昔前の分譲並みクオリティーのものだってあるし、定期借家権制度の普及で、購入した分譲マンションや戸建て住宅が2~3年の短期で貸しに出されるケースも増えてきた。ライフスタイルに合わせて家を住み替えたいという人にとって、賃貸住宅の選択肢は確実に広がっている。
ではなぜ人はマンションを買うのか。それは、ライフスタイルに合わせて賃貸を住み替えることでは解決できない問題があるからだ。
今どきマンションを買う人というのは、大きく以下の3種類に分かれると僕は思う。
- 子育て中の30代ファミリー
- 結婚相手の代わりに自分の根城がほしい30~40代独身女性
- 第2の人生のための家がほしい50~60代定年退職夫婦
2.と3.はどちらも、山手線内側の都心マンションが飛ぶように売れる「都心回帰」現象の原動力である。だが「これらの人々(とその需要)は、10年後もある(orさらに強まっている)と思うか?」と問われれば、「分からない」としか答えようがない。何しろ、バブル崩壊で地価が20年前の水準にまで下がると同時に、含み益重視からキャッシュフロー重視へと経営の舵を大きく切った日本企業の保有地放出が相次ぐという環境要因が2つ重なったところに現れた、これまでに類のない人生の価値観を持つ人々だからだ。
彼らが一時的に都心のマンションの需要を増やし、価格をつり上げてプチバブルを演出しつつも時代のあだ花で終わるのか、それともこういう社会構造がますます強まるのか、予測は不可能だ。彼ら自身も、自分がマンションを買って10年後にどうなっているか、正直なところ分からないだろう。ただ、現状に対する漠とした不安と、万が一のときにも生活の支えとなる資産を持っておきたいという気持ちが、YW曰く“資産価値のある”都心マンションの購入に彼らを走らせるのである。
個人的な(そして不吉な)直観を言っておくと、2.と3.のこうした投資は一部を除き「失敗」に終わるのではないかという気がしてならない。あくまで直観なので明確な根拠はないけれども、本質的にどちらの層も「しっかりした計画があれば買わなくてもいいもの」を買っているという点で、需要(つまり価格)が実態以上にかさ上げされているように見えるからだ。かさ上げの実態が見えた時点でバブルは必ず弾ける。
それに対して、(1)の顧客というのは今も昔も伝統的な住宅1次取得者層である。自分も含めてこの層の住宅取得動機は明確だ。「子供が育っていくに連れて間取りを増やす必要が生まれるなど、数年単位でライフスタイルの変化が生じる。しかし子供の教育環境を考えると、頻繁な転居はしたくない。少なくとも子供が中学か高校を卒業するまでの15~20年は居住地域を固定したい」というものだ。
つまり、自分のライフスタイルに合わせて家を「住み替える」のではなく、「つくり変える」ことを希望するからこそ、マンションの賃貸でなく購入を選ぶのである。
都心マンションの10年後の価格がどうなっているかはさておき、こうした「子育てのために居住地を固定したい」という顧客層にとってのマンションの価値とは何だろうか。マンションそのものに付随するハード的価値(ライフスタイルに合わせた間取り変更などのリフォームのしやすさ、設備や躯体の耐久性etc.)を除けば、それはおそらく公共交通へのアクセス利便性などと並び、いやそれ以上に「その地域の教育環境」が重要な価値になると思う。
教育なんてどこに住んだって変わらないんじゃ?とか言ってる場合じゃない。10年後を予測するカギとなるのが、今総務省主導で見直しが進んでいる地方財政改革の中の「義務教育に対する国庫負担金廃止」(リンク先はまとめサイト)である。
義務教育国庫負担金というのは、市町村立学校(主に小中学校)の教職員給与の半分を国が負担する制度のことだ。これが廃止されて地方自治体(実質的には市町村)に財源が委譲されれば、教育にカネをかける自治体とそうでない自治体の差がはっきりと出る。
これまで、公教育というのは日本全国どこで受けようが同じ、というのが建前だった。実際には教員によって当たり外れがあるとかいろいろ言われてきたが、それでも学習指導要領に縛られた授業内容は、全国共通のものだった。
しかし、2002年に文科省はゆとり教育に対する批判から、「学習指導要領は最低基準」と方針を翻し、今年の教科書からは指導要領を超える内容を盛り込んだものがほぼ全教科で登場している。つまり、公教育に明確な学校格差が生まれ始めたのだ。このことは、小学生の通信教育最大手の「進研ゼミ」のコース内容の変化や、1対1や2対1の個別指導を軸にしたIE一橋学院のような学習塾が急速に業績を伸ばしていることからも伺える。小中学校での全国共通、あるいは都道府県ごとに共通のカリキュラムというルールは既に崩壊しているのだ。
となると、公教育にカネをふんだんに使うと宣言している自治体に住まいを構えることは、それだけでカネに代えられない「居住のメリット」を得ることに等しい。あえて金額換算するなら、小中学校の9年間を一定レベルの私学に通わせるのにかかるコストと公立に通わせるコストとの差額(こちらのサイトによると、約660万円)が、そのメリットと言えるだろう。つまり、公教育にカネを使っている自治体内のマンションは、それ以外の条件が同等の他の自治体の不動産に比べて子供1人当たり660万円分は高くてもいいことになる。
こうした観点から見て、現時点で首都圏でマンションを「買って」でも住むに値する自治体は、「ハタザクラプラン教育特区」で少人数教育を始めようとしている埼玉県志木市、小中学校へのチーム・ティーチング用教員の増員を100%市費で賄っている千葉県浦安市、1学級20人台の小学校を研究指定校内に設置した神奈川県の一部地域などだろう。ちなみに、文科省の調査に対し「少人数学級実施の希望校はない」と返答し、知事自ら「教育にはスケールメリットが必要である」などと意味の分からない発言をくり返している東京都には、間違ってもマンションを買ってはいけない(笑)。
そして、長期的にはこうした公教育の改革が行われていくかどうかは、その地域の住民の教育への意識が高いかどうかに依存する部分が大きい。インターネットで「少人数学級」などのキーワードで検索して、住民のつくったサイトがひっかかってくるような地域は、マンション購入の条件を満たす可能性が高いと言えるだろう。
端的に言えば、今後10年はこういう「地方自治体のソフトパワー」が、地域の不動産価格だけでなく、あらゆる意味の生活インフラに大きな差をつけるようになると僕は思う。だから、10年後に価値の下がらないマンションはどこですか、と聞かれたら、僕はこう答えるだろう。「今いる住民の自治意識が高い地域を選びなさい」と。住民のコミュニティーの強度が、ハードの資産価値を左右する時代が、もう目の前まで迫っているのである。
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コメント
かつて日本では、「女三界に家無し」といわれ、生まれた家、嫁ぎ先、老後、どこにも居場所がないと言われてきました。
いまの35弱の女性の母親はそういう世代だったりします。それを見て生きてきた女性は、「居場所」というものに強い意識があるのかもしれません。
都心にマンションを買う気持ちは分からないでもありません。
30未婚女性=負け犬、というのは一面的な見方なんじゃないかなーと思う30未婚男性です。
投稿: いとー | 2004/11/10 09:52
コメントどもです>いとーさん
8月にこのエントリ書いたあと、いろいろと続きを考えているのですが、ご指摘の点で考えが変わってきました。実は、2.と3.の人種の意識っていうのは、根っこに同じものがあるんじゃないかって考えてます。
これって僕らが「なんかこのまま歳取ったらどうなっちゃうんだろ」って感じる漠とした不安と全く同根ですよね。老後の幸せを想像しづらいニッポン、みたいな。
少なくとも「ニート」を「カジテツ」に置き換えるように、「負け犬」をもっと普遍的で前向きなライフスタイルと認知することが大事な気がします。とはいえ、その後ろ盾が不動産価値だけ、ってのはどうかと思いますが。
投稿: R30@管理人 | 2004/11/10 10:17