My Hair is Bad presents 「フラッシュホームランツアー」 @Zepp Haneda 12/16
- 2021/12/17
- 21:28
コロナ禍の2021年においても、さいたまスーパーアリーナでワンマンを行い、新木場STUDIO COASTで自主企画ライブも行い、開催されたフェスやイベントにも出演し、そしてこうしてツアーも行うという、ライブをやって生きているバンドであり続けている、My Hair is Bad。
そのツアーファイナルは今のマイヘアの規模からしたらかなり小さめと感じるようにもなったZepp Haneda。この日は2daysの2日目という完全にツアーファイナルとなる日である。
検温と消毒を経て椅子がズラッと並んだZepp Hanedaの中に入ると、いつもと同じようにステージにはバンド名が書かれたロゴと最低限の照明が設置してあるだけのシンプル極まりないセット。でもそれがバンドのTシャツを着たりタオルを持ったりしている人の姿を見るのと同じように、マイヘアのライブに来たんだなという気分にしてくれる。
19時を少し過ぎたあたりに場内が暗転してメンバー3人がステージへ。やまじゅんこと山田淳(ドラム)は左右に長く伸びた髪の真ん中あたりから下を赤く染め、いつもと変わらない出で立ちのバヤリースこと山本大樹(ベース)はステージ中央まで来て手を合わせて観客に一礼。そして椎木知仁(ボーカル&ギター)は茶色というか金色というか銀色というか光の加減によって見え方が変わるような髪色をしているのだが、髪型自体は割とさっぱりしているし、近くでマジマジと顔を見ると実に肌が綺麗である。なかなか男性視点で見てそう感じる男性(しかも30代)はそうそういない。
そんな3人が山田のドラムセットの前に集まって気合いを入れると、
「新潟県上越市、My Hair is Badです」
という椎木の挨拶こそおなじみのものであるが、
「いきなり新曲!」
と言って演奏されたのは全くおなじみではない新曲「歓声を鳴らして」。
「DJ放送室 私の曲を鳴らして」
というフレーズからはどこか学園の放送室という設定を感じさせるが、音楽、映画、YouTube、本などの自分が大事なものを大事にしようというメッセージはコロナ禍になってそうしたものが不要なものとして追いやられたことによって生まれたものかも?とも思ったのだが、2コーラス目ではその対象がスポーツなど、いわゆるエンタメや芸能というものではなくなっていくだけに、いや、もっと普遍的なメッセージか?とも思うけれども最後に
「拍手と歓声が聞こえる」
と歌う様はやはり歓声をあげることができないこの状況であってもそれを求めているということが伝わってくる。サウンドも奇を衒うようなアレンジはほとんどない、実にシンプルなマイヘアらしいスリーピースのギターロックであり、だからこそ椎木の歌詞の強さを感じられる。何よりもこうして新曲からライブを始めるというあたりにこの曲へのバンド自身の持つ自信を感じさせる。
そんな新曲始まりによって先制攻撃を喰らった観客も一気に腕を上げ、椎木は歌いながらも客席に向かってピースサインをしたりするので誰しもが「目が合うんじゃないか」とステージへの集中力を引き上げられる「グッバイ・マイマリー」、椎木のノイジーなギターが切なくも同情しようのないような別れの情景を描く「運命」という曲に連なっていくのはやはり新曲がそうしたタイプの曲であるからだろうが、2daysの2日目ということもあってか、序盤はまだどこか椎木のボーカルも行ききらない感がある。まだ完全に真芯ではボールを捉えきれていない感覚というか。それでも飛距離を感じるのは実はマイヘアがリズム隊がめちゃくちゃ強いバンドであるからである。
「ぐちゃぐちゃになれない、みんながマスクしてて、椅子がある。そんなライブハウスをどこまでライブハウスにできるか」
という椎木の言葉からは、この各地のZeppを回ってきたツアーがバンドにとっては課題というか、今の状況だからこそ自分たちがどういうライブをするべきかという意識を持ってやってきたものであることを感じさせるのだが、椎木が飛び跳ねたりステージ真ん中まで出てきてギターを弾く姿がそうしてツアーを回ってきた、ライブをやれてきた喜びを感じさせる「ドラマみたいだ」からの「接吻とフレンド」では明らかに2コーラス目で椎木の様子がおかしくなる。それは珍しく歌詞が完全に飛んでいたのであるが、その歌詞が飛んだ時に椎木が山本の方をずっと見ていたので、山本が
「え?俺?」
みたいな感じでビックリしてステージ袖を覗いていたりしたのが実に面白かった。この珍しい歌詞飛びは気合いが入り過ぎていた所以だという。
そんなライブならではのハプニングに3人自身が楽しそうに笑う中で観客も笑顔にしてくれるくらいに、山田のパーカッシブなイントロと山本の跳ねるようなリズムが体を揺らせる「虜」なのだが、曲中では椎木がラップともポエトリーリーディングでもない早口で自身を「君」に捧げる男の心情を歌い、それが
「僕の最後になってくれよ」
というサビのフレーズに集約されていく。こうした男の視点を書かせたら右に出るものはいないな、と思うのは間違いなく椎木自身がこう思っているからであり、フィクションではなく限りなくリアルだからである。だからこそこうしたラブソングにもライブバンド、ロックバンドの熱さが宿っている。
「僕といる時だけ独身に戻る君」
という、最近のライブではおなじみになりつつある椎木にスポットライトが当たっての弾き語り的なセリフからそのまま曲に繋がるのは
「オリンピック中止のニュースすら聞こえないくらい恋していた」
と始まる「予感」であるが、その語りからその恋が許されざるものであることがわかるし、オリンピックが開催されたことすらもなんだか遠い昔のことのように感じる。そうやっていろんな記憶や出会った人が遠くなっていったとしても、このライブやマイヘアの今までに見てきたライブは決して忘れたりも遠くもならない気がしている。毎回全く違う、その日にしかない音と言葉を放つバンドだから。
マイヘアのライブでは毎回どこかで椎木の、バンドのスイッチが入る瞬間というか、ギアが変わるような瞬間があると思っている。それはだいたいは後半のエモーションを爆発させるようなパートだったりするのだが、この日それを感じたのはバラードと言ってもいい曲である「卒業」での、椎木が上手側にマイクスタンドを引き寄せての歌唱と、バラードとは思えないくらいの激しいサウンドとなる、アウトロでの3人が向かい合ってのセッション的な演奏だった。
現にこの曲を思いっきり張り上げるようにして歌う椎木の声からは序盤に感じた2日目だからこその疲労のようなものを完全に吹き飛ばしてさらに先へ、今この目の前へと向かっているようにすら感じさせたのだ。
そんなバラード曲の流れの中で演奏された、淡々としたリズムに乗せて観客全員というよりも一人一人に問いかけるように
「君の調子はどう? 君の調子はどうだい?」
と歌う「恋人ができたんだ」は久しぶりにライブで聞くことによって
「別れる と 離れる は似たようで違うみたいだ」
という真理を突くようでいて歌詞表現としても実に見事なフレーズに恐れ入る。いわゆるラブソング的な歌詞に共感をすることが全くできない自分でもマイヘアのラブソングを聴いて凄いなと思えるのはこうした凡百のラブソングとは一線を画す歌詞の表現力によるものである。
するとどこかリラックスするかのように椎木が山本に
「リハの時に途中でも俺は少しどっか行ったりするじゃん?あれは力を抜くために少しステージから離れてるんだけど、今日スタッフに
「クスリやってるんだべ?」
って言われた(笑)」
と明かし、山本はずっこけ、山田からはオフマイクでの厳しいツッコミが飛ぶ。
「歌詞が飛んだのもクスリをやってるからで…(笑)」
と自らそっちへ向かおうとする椎木に
「俺にツッコませるな!」
と山田のツッコミが飛ぶというタイミングがバッチリ合った掛け合いはまるでコンビ歴の長い漫才師のようですらあり、演奏はこんなにもバチバチしているのに今でもメンバーの関係性が全く変わっていないことを感じさせてくれる。
それは間奏で椎木と山本がステージに膝をついて演奏する新曲の「カモフラージュ」を聴いていても感じることであったのだが、どこか「音楽家になりたくて」などの曲を彷彿とさせるエモーショナルなギターロック曲は、椎木が
「歳を重ねて角が取れて自分が丸くなっているのがわかる。でも優しいやつが1番強いと思ってる」
とMCで口にしていたように、どこか歳を重ねるということを歌っているように聞こえた。自分が好きな人は優しい人であって欲しいし、今よりもさらに丸くなったとしても、この3人であり続ける限りはマイヘアはずっと変わらないと思っている。
「カモフラージュ」がそうしたサウンドの曲であることもそうだし、椎木が
「クーラー効いてて少し涼しいから、こっからもっとライブハウスになろうぜ!」
と言ったことによって「告白」へとなだれ込んで一気に観客の腕が無数に上がると、椎木はCメロを
「心の中で歌ってくれ!」
と叫んで観客の心にボーカルを預けるのだが、その際に山本が指揮者のように客席に向かって両腕を動かしていたの地味に面白かった。早くこの曲を観客も一緒に歌えるような世の中になって欲しい、席とか関係なくぐちゃぐちゃになれるライブハウスになって欲しいと心で歌いながらも思ってしまうけれど。
さらに椎木が思いっきり振りかぶってから鳴らされたショートチューンの「クリサンセマム」を挟んでのハードな音像と歌詞の「ディアウェンディ」では椎木が
「音源は音源、今が最新のMy Hair is Bad、今が最新の椎木だ」
「クスリやらなくても目を見開いているし、クスリやらなくてもぶっ飛んでなきゃいけない!ロックバンドだから!」
とサビ以外の歌詞を即興で次々に今この瞬間でしかないものに変えて行く。それにピッタリ合わせられるリズム隊の姿を見ていると、2人は本当に心から椎木のことを信頼しているんだなと思う。だからこそもはや心で呼吸を合わせているかのように、どれだけ歌詞を変えても3人の演奏のタイミングがズレることは全くない。それは地元の仲間であり続ける3人の奇跡的なバランスと言っていいかもしれない。だからなのか、椎木は間奏でベースソロを弾いた山本の肩に腕を回していたのだが、そうされた山本はゴリラのように胸を自身の両腕で叩いたのは嬉しかったのだろうか。
ステージ上ではカッコいいベーシストというイメージが強い山本もSNSなどではコミカルな面を見せてくれているとはいえ、ここまでその面がステージ上で際立って見えるのはこの日がツアーファイナルという解放感によるものなのかもしれないが、椎木には全く似合わないような社畜の日常をロックに落とし込んだ「ワーカーインザダークネス」のサビでもやはり山本のシャウトと言ってもいいようなコーラスが、仕事がキツ過ぎて叫んでいる若手社員のように聞こえてくるというのはそれまでに見せてくれていたコミカルな姿とは決して無関係ではないだろう。
その「ワーカーインザダークネス」もそうであるが、まさにサウンド自体が燃え盛るような熱さを放ち、椎木が床に寝転がりながらギターを弾く「燃える偉人たち」もマイヘアの社会への視点を歌詞にした曲であり、こうした曲があることがマイヘアをラブソングのバンドだけではない存在にしていると思っているし、やはりその筆致はどんな時代、状況になっても変わらずに響くだろうと思うくらいに鋭い。
そして椎木はギターを鳴らしながら次々に言葉を口から放っていく。今までのライブでもこの曲をやることによってバンドも椎木自身もそこまでと違うスイッチ、ギアが入ってきた
「耳で聴いて欲しいわけでもない、体揺らしたいわけでもない、胸を焦がしたいだけ」
というライブにおける真理であり、これまでにもマイヘアのライブでその感覚を味わってきたからこそそう思える即興歌唱的な「フロムナウオン」であるが、すでにこの日は「卒業」から一つ違うギアになっているだけに、さらに1段階高いところへこの曲で向かうというのが、
「チケット代は損させない!その値段の倍、倍、倍になっていく!なぜなら、My Hair is Badのライブだからだ!」
という言葉の最後に山本と山田の音が重なってMy Hair is Badの音になるというのは震えるくらいにあまりにもカッコ良すぎる。それは椎木が口にしていた、
「ここにあるのはMy Hair is Badという空気であり概念だ」
ということであろうが、
「人生は映画だ。俺の人生は30年生きてきた俺が主人公の映画だ。だからお前の人生はお前が主人公の映画だ。のび太みたいに普段冴えなくても映画になると輝く。
普段からわけわかんないDMがたくさんくる。そういうのに3文字で言うなら黙れ、4文字で言うならうるせえ、5文字で言うなら俺は俺、7文字で言うならお前はお前だ」
と、あくまで自分は自分であり、他の人もまた自分は自分であることを椎木独自の言葉で次々に口にしていく。この語彙力と発想力とテンポは本当にどれか一つが欠けてもこの曲が成立しなくなる。つまりはやはりこの曲を演奏して、今この場でしかない言葉をそこに載せることによってこの日でしかないライブになり、そのこの日のライブがさらに1段階上のところにまで到達していくのである。
そんな「フロムナウオン」のアウトロでは再び3人が向かい合って呼吸を確認するようにキメを打ちながら次の曲に入ろうとするのだが、椎木が「ちょっと待って」とばかりに2人を制してペットボトルの水を飲んでからそれをステージ袖の方へ放り投げると、3人の呼吸とタイミングを合わせるような音は「戦争を知らない大人たち」のイントロへと繋がっていくのだが、明らかに原曲より速い&激しいというのはライブならではあり、この日ならではとも言えるだろう。椎木のポエトリーリーディング的なボーカルからサビで一気に視界が開かれていくようなこの曲がこんなにもライブで映えるというか、「フロムナウオン」で覚醒したバンドのサウンドの次へと至らせる曲になるとは、リリース時は思っていなかったが、それはこの曲がこうしてライブで演奏されてきたことで進化・成長してきたことに他ならない。
「フロムナウオン」では疾走感溢れるサウンドに合わせるようにどこか椎木の口調も荒くなるのが常なのであるが、そんな口調から落ち着きを取り戻したかのような丁寧な口調に戻った上で、
「目に見えないウィルスに苦しめられたりもしたけれど、優しさであるとか目に見えないものに救われたことだって何回もあった。あらゆるものが可視化されていく時代になったけれど、全てのものが目に見えるものになりませんように」
と口にしてから「白春夢」を演奏した。実に椎木らしい言葉だと思う。音楽というものも含めて、その「目に見えないもの」を歌ってきたバンドであり、それを1番大事にしてきたバンドだから。
たまにゲームなどで人の好感度が見える機械みたいなのがあったりするけれど、どうかそういうものが現実で発明されたりしませんように、と椎木のように思う。相手の思っていることがわかってしまうのも、自分の思っていることがわかってしまうのも怖くて仕方がないから。
「夢から覚めても まだ夢の中で 見てた白春夢」
という歌詞の通りに、まるで良くも悪くも夢のように目に見えないものに翻弄され続けてきたこの1〜2年だったと、
「Stay alone so long
今日からもう
ないものを探すよりそばにあるものを大切にしたい」
というコロナ禍であることを感じさせる歌詞を聞くとより強く思う。
で、そんな椎木は自身でも言っていた通りに、自分を偽るというか、大きく見せたりするような歌詞を書いたり言葉を口にしたりはできない人間だ。だからこそ前日にはこのタイミングで自身に彼女がいて、その彼女のために「味方」を歌ったということが物議を醸してもいたのだが、様々な感じ方や意見がある中で、自分としては「まぁそうだろう」とその発言のあれこれを見ていた。
「まぁそうだろう」というのは、椎木に恋人がいて、その恋人のために作った曲があるということ。そこに自身のリアリティがなければこんな歌詞のラブソングは書けない。もちろんその特定の誰かに向けたものが、時には観客である自分のために鳴らされているかのような、そんな瞬間になることもある。
でも自分はきっと椎木とは人間のタイプが違いすぎるからこそそこまでそのラブソングに入り込めないし、共感という聞き方はできない。できないからこそ、それが誰のための曲であるかというのもわかる。自分のための曲ではないのがわかるからだ。
もちろんそこでガッカリした人がいるのも間違いではない。その人がそれだけマイヘアのラブソングが自分のためのものとして響いていたということだからだ。でも椎木の発する言葉がどこまでもリアルだからこそ、この日も何回も観客に感謝していたくらいに目の前にいてくれる人を信用しているからこそ、そうした言葉が出てくる時もある。
そんなことを思いながら、この日の「味方」は
「男子には大切な人に向かって歌ってあげて欲しい」
と言って演奏された。それは自分自身がその思いを持って歌ってきた曲だからということがはっきりわかった瞬間だった。
そんな熱演の後には椎木は観客に「楽なようにしてくれ」と促すと、観客は半分くらいは座り、半分くらいは立ったままで椎木のマイヘアのチームやこうしてツアーを回らせてくれたZeppのスタッフへの感謝の言葉に耳を傾けるのだが、そうした言葉の後に演奏した「宿り」にはそうした感謝を口にできる相手=マイヘアが大切にしてきたものがそのまま歌詞として歌われ、それまでに座っていた観客も立ち上がって演奏に浸っていた。
その「宿り」は初めて聞いた時から「優しさの行方」の系譜にある曲だと思っていたのだが、この日はその「優しさの行方」が続けて演奏される。
「強い人が優しいんじゃなくて、優しい人が強い人なんだ」
という椎木の、マイヘアの精神はこの曲で音として現れている。それに触れるたびに、マイヘアの3人は優しい、それでいてどこまでも真っ直ぐな人間であることを感じることができる。
「剥がされて痛いのは 誰より自分が可愛いからさ」
という歌詞でサビを締めることができるところなんかは特に。
それはもうこのままライブが終わってもおかしくないような空気でもあったのだが、椎木は
「最後にドキドキしようぜ!」
と言って「アフターアワー」を鳴らした。やっぱりこれだよなぁと思いながら、間奏で山本がステージ前まで出てきてベースソロを弾く姿を見ていた。ロックバンドのライブこそドキドキするものはないし、それがマイヘアのような、その日のライブを実際に見てみないとどんなライブだったのかはわからないバンドならば尚更そうだ。
「フロムナウオン」以降は緊張感というか、オーラに満ちていたようですらあったのが、アンコールでは一気にそれが解けたかのように椎木が、
「2日後はやまじゅんの誕生日です!」
と山田の誕生日を祝う。すでに椎木はシャワーヘッドを誕生日プレゼントとしてあげたそうだが、山本は21万円もするゲーミングチェアを、山田の家に机がないのにプレゼントしようとしていたり、来年は一緒にスカイダイビングをしようと言ったり。この時間だけは地元で「明日は何して遊ぶ?」と言っているような3人の男たちの姿だった。それがバンドを組んでから10年以上ずっと変わっていない。これだけ巨大な存在のバンドになっても、自分たちの純粋な部分が失われることのない活動をしてきた結果だろう。
そして、
「俺の恥ずかしかったところも全部歌います!」
と言うと、照明がステージを「真赤」に染める。この曲を演奏しているときはどんな季節であっても夏の匂いがする。それは夏は実際にその匂いを感じ、それ以外の時には夏の到来を待ち侘びるようにしてこの曲に向き合ってきたからだ。歌えば歌うほどに喉が開いていくような感覚すらある椎木のボーカルは伸びやかというよりも、ロックバンドとしての焦燥感を放ちまくっていた。年齢を重ねて角が取れて丸くなっても、それはマイヘアであり続ける限りは変わらないんだろうな。
そして最後に演奏されたのはマイヘア屈指の幸せなラブソング「いつか結婚しても」。「真赤」の焦燥感とは対照的におおらかなサウンドに合わせて観客は体を揺らしながらみんなマスクの下が笑顔になっているのは、山田がドラムを叩きながらピースサインを向けたりしていることと無関係ではないだろう。そこにはこの日様々な感情を呼び起こされながらも、最終的には幸せであることを感じていたい、そうした人生でありたい。そうなった時に頭に流れているのがこの曲であれば。そんな空気が満ちていた。
「フラッシュホームランツアー、これにて終了!」
と客席にピースをしながらステージを去って行ったメンバー3人。球史に燦然と輝くようなホームランをかっ飛ばしている大打者であるのに、豪邸や高級車とは程遠い生活を送っているという人間性が見えるような、そんなツアーファイナルだった。
マイヘアは年末にあまり稼働するバンドというイメージはなかったけれど、それは年末は新潟でゆっくり過ごしているのかと思っていた。しかし今年はこのツアーを終えても年末のフェスやイベントにも出演する。この光輝いている状態のバンドをまだまだ見れるというのは実に嬉しいことであるし、その時にはきっと「今年も無事終わりが迫った」と思えているはずだ。願わくば、毎年の年末がそう思えるものでありますように。
1.歓声を鳴らして (新曲)
2.グッバイ・マイマリー
3.運命
4.ドラマみたいだ
5.接吻とフレンド
6.虜
7.予感
8.卒業
9.恋人ができたんだ
10.カモフラージュ (新曲)
11.告白
12.クリサンセマム
13.ディアウェンディ
14.ワーカーインザダークネス
15.燃える偉人たち
16.フロムナウオン
17.戦争を知らない大人たち
18.白春夢
19.味方
20.宿り
21.優しさの行方
22.アフターアワー
encore
23.真赤
24.いつか結婚しても
そのツアーファイナルは今のマイヘアの規模からしたらかなり小さめと感じるようにもなったZepp Haneda。この日は2daysの2日目という完全にツアーファイナルとなる日である。
検温と消毒を経て椅子がズラッと並んだZepp Hanedaの中に入ると、いつもと同じようにステージにはバンド名が書かれたロゴと最低限の照明が設置してあるだけのシンプル極まりないセット。でもそれがバンドのTシャツを着たりタオルを持ったりしている人の姿を見るのと同じように、マイヘアのライブに来たんだなという気分にしてくれる。
19時を少し過ぎたあたりに場内が暗転してメンバー3人がステージへ。やまじゅんこと山田淳(ドラム)は左右に長く伸びた髪の真ん中あたりから下を赤く染め、いつもと変わらない出で立ちのバヤリースこと山本大樹(ベース)はステージ中央まで来て手を合わせて観客に一礼。そして椎木知仁(ボーカル&ギター)は茶色というか金色というか銀色というか光の加減によって見え方が変わるような髪色をしているのだが、髪型自体は割とさっぱりしているし、近くでマジマジと顔を見ると実に肌が綺麗である。なかなか男性視点で見てそう感じる男性(しかも30代)はそうそういない。
そんな3人が山田のドラムセットの前に集まって気合いを入れると、
「新潟県上越市、My Hair is Badです」
という椎木の挨拶こそおなじみのものであるが、
「いきなり新曲!」
と言って演奏されたのは全くおなじみではない新曲「歓声を鳴らして」。
「DJ放送室 私の曲を鳴らして」
というフレーズからはどこか学園の放送室という設定を感じさせるが、音楽、映画、YouTube、本などの自分が大事なものを大事にしようというメッセージはコロナ禍になってそうしたものが不要なものとして追いやられたことによって生まれたものかも?とも思ったのだが、2コーラス目ではその対象がスポーツなど、いわゆるエンタメや芸能というものではなくなっていくだけに、いや、もっと普遍的なメッセージか?とも思うけれども最後に
「拍手と歓声が聞こえる」
と歌う様はやはり歓声をあげることができないこの状況であってもそれを求めているということが伝わってくる。サウンドも奇を衒うようなアレンジはほとんどない、実にシンプルなマイヘアらしいスリーピースのギターロックであり、だからこそ椎木の歌詞の強さを感じられる。何よりもこうして新曲からライブを始めるというあたりにこの曲へのバンド自身の持つ自信を感じさせる。
そんな新曲始まりによって先制攻撃を喰らった観客も一気に腕を上げ、椎木は歌いながらも客席に向かってピースサインをしたりするので誰しもが「目が合うんじゃないか」とステージへの集中力を引き上げられる「グッバイ・マイマリー」、椎木のノイジーなギターが切なくも同情しようのないような別れの情景を描く「運命」という曲に連なっていくのはやはり新曲がそうしたタイプの曲であるからだろうが、2daysの2日目ということもあってか、序盤はまだどこか椎木のボーカルも行ききらない感がある。まだ完全に真芯ではボールを捉えきれていない感覚というか。それでも飛距離を感じるのは実はマイヘアがリズム隊がめちゃくちゃ強いバンドであるからである。
「ぐちゃぐちゃになれない、みんながマスクしてて、椅子がある。そんなライブハウスをどこまでライブハウスにできるか」
という椎木の言葉からは、この各地のZeppを回ってきたツアーがバンドにとっては課題というか、今の状況だからこそ自分たちがどういうライブをするべきかという意識を持ってやってきたものであることを感じさせるのだが、椎木が飛び跳ねたりステージ真ん中まで出てきてギターを弾く姿がそうしてツアーを回ってきた、ライブをやれてきた喜びを感じさせる「ドラマみたいだ」からの「接吻とフレンド」では明らかに2コーラス目で椎木の様子がおかしくなる。それは珍しく歌詞が完全に飛んでいたのであるが、その歌詞が飛んだ時に椎木が山本の方をずっと見ていたので、山本が
「え?俺?」
みたいな感じでビックリしてステージ袖を覗いていたりしたのが実に面白かった。この珍しい歌詞飛びは気合いが入り過ぎていた所以だという。
そんなライブならではのハプニングに3人自身が楽しそうに笑う中で観客も笑顔にしてくれるくらいに、山田のパーカッシブなイントロと山本の跳ねるようなリズムが体を揺らせる「虜」なのだが、曲中では椎木がラップともポエトリーリーディングでもない早口で自身を「君」に捧げる男の心情を歌い、それが
「僕の最後になってくれよ」
というサビのフレーズに集約されていく。こうした男の視点を書かせたら右に出るものはいないな、と思うのは間違いなく椎木自身がこう思っているからであり、フィクションではなく限りなくリアルだからである。だからこそこうしたラブソングにもライブバンド、ロックバンドの熱さが宿っている。
「僕といる時だけ独身に戻る君」
という、最近のライブではおなじみになりつつある椎木にスポットライトが当たっての弾き語り的なセリフからそのまま曲に繋がるのは
「オリンピック中止のニュースすら聞こえないくらい恋していた」
と始まる「予感」であるが、その語りからその恋が許されざるものであることがわかるし、オリンピックが開催されたことすらもなんだか遠い昔のことのように感じる。そうやっていろんな記憶や出会った人が遠くなっていったとしても、このライブやマイヘアの今までに見てきたライブは決して忘れたりも遠くもならない気がしている。毎回全く違う、その日にしかない音と言葉を放つバンドだから。
マイヘアのライブでは毎回どこかで椎木の、バンドのスイッチが入る瞬間というか、ギアが変わるような瞬間があると思っている。それはだいたいは後半のエモーションを爆発させるようなパートだったりするのだが、この日それを感じたのはバラードと言ってもいい曲である「卒業」での、椎木が上手側にマイクスタンドを引き寄せての歌唱と、バラードとは思えないくらいの激しいサウンドとなる、アウトロでの3人が向かい合ってのセッション的な演奏だった。
現にこの曲を思いっきり張り上げるようにして歌う椎木の声からは序盤に感じた2日目だからこその疲労のようなものを完全に吹き飛ばしてさらに先へ、今この目の前へと向かっているようにすら感じさせたのだ。
そんなバラード曲の流れの中で演奏された、淡々としたリズムに乗せて観客全員というよりも一人一人に問いかけるように
「君の調子はどう? 君の調子はどうだい?」
と歌う「恋人ができたんだ」は久しぶりにライブで聞くことによって
「別れる と 離れる は似たようで違うみたいだ」
という真理を突くようでいて歌詞表現としても実に見事なフレーズに恐れ入る。いわゆるラブソング的な歌詞に共感をすることが全くできない自分でもマイヘアのラブソングを聴いて凄いなと思えるのはこうした凡百のラブソングとは一線を画す歌詞の表現力によるものである。
するとどこかリラックスするかのように椎木が山本に
「リハの時に途中でも俺は少しどっか行ったりするじゃん?あれは力を抜くために少しステージから離れてるんだけど、今日スタッフに
「クスリやってるんだべ?」
って言われた(笑)」
と明かし、山本はずっこけ、山田からはオフマイクでの厳しいツッコミが飛ぶ。
「歌詞が飛んだのもクスリをやってるからで…(笑)」
と自らそっちへ向かおうとする椎木に
「俺にツッコませるな!」
と山田のツッコミが飛ぶというタイミングがバッチリ合った掛け合いはまるでコンビ歴の長い漫才師のようですらあり、演奏はこんなにもバチバチしているのに今でもメンバーの関係性が全く変わっていないことを感じさせてくれる。
それは間奏で椎木と山本がステージに膝をついて演奏する新曲の「カモフラージュ」を聴いていても感じることであったのだが、どこか「音楽家になりたくて」などの曲を彷彿とさせるエモーショナルなギターロック曲は、椎木が
「歳を重ねて角が取れて自分が丸くなっているのがわかる。でも優しいやつが1番強いと思ってる」
とMCで口にしていたように、どこか歳を重ねるということを歌っているように聞こえた。自分が好きな人は優しい人であって欲しいし、今よりもさらに丸くなったとしても、この3人であり続ける限りはマイヘアはずっと変わらないと思っている。
「カモフラージュ」がそうしたサウンドの曲であることもそうだし、椎木が
「クーラー効いてて少し涼しいから、こっからもっとライブハウスになろうぜ!」
と言ったことによって「告白」へとなだれ込んで一気に観客の腕が無数に上がると、椎木はCメロを
「心の中で歌ってくれ!」
と叫んで観客の心にボーカルを預けるのだが、その際に山本が指揮者のように客席に向かって両腕を動かしていたの地味に面白かった。早くこの曲を観客も一緒に歌えるような世の中になって欲しい、席とか関係なくぐちゃぐちゃになれるライブハウスになって欲しいと心で歌いながらも思ってしまうけれど。
さらに椎木が思いっきり振りかぶってから鳴らされたショートチューンの「クリサンセマム」を挟んでのハードな音像と歌詞の「ディアウェンディ」では椎木が
「音源は音源、今が最新のMy Hair is Bad、今が最新の椎木だ」
「クスリやらなくても目を見開いているし、クスリやらなくてもぶっ飛んでなきゃいけない!ロックバンドだから!」
とサビ以外の歌詞を即興で次々に今この瞬間でしかないものに変えて行く。それにピッタリ合わせられるリズム隊の姿を見ていると、2人は本当に心から椎木のことを信頼しているんだなと思う。だからこそもはや心で呼吸を合わせているかのように、どれだけ歌詞を変えても3人の演奏のタイミングがズレることは全くない。それは地元の仲間であり続ける3人の奇跡的なバランスと言っていいかもしれない。だからなのか、椎木は間奏でベースソロを弾いた山本の肩に腕を回していたのだが、そうされた山本はゴリラのように胸を自身の両腕で叩いたのは嬉しかったのだろうか。
ステージ上ではカッコいいベーシストというイメージが強い山本もSNSなどではコミカルな面を見せてくれているとはいえ、ここまでその面がステージ上で際立って見えるのはこの日がツアーファイナルという解放感によるものなのかもしれないが、椎木には全く似合わないような社畜の日常をロックに落とし込んだ「ワーカーインザダークネス」のサビでもやはり山本のシャウトと言ってもいいようなコーラスが、仕事がキツ過ぎて叫んでいる若手社員のように聞こえてくるというのはそれまでに見せてくれていたコミカルな姿とは決して無関係ではないだろう。
その「ワーカーインザダークネス」もそうであるが、まさにサウンド自体が燃え盛るような熱さを放ち、椎木が床に寝転がりながらギターを弾く「燃える偉人たち」もマイヘアの社会への視点を歌詞にした曲であり、こうした曲があることがマイヘアをラブソングのバンドだけではない存在にしていると思っているし、やはりその筆致はどんな時代、状況になっても変わらずに響くだろうと思うくらいに鋭い。
そして椎木はギターを鳴らしながら次々に言葉を口から放っていく。今までのライブでもこの曲をやることによってバンドも椎木自身もそこまでと違うスイッチ、ギアが入ってきた
「耳で聴いて欲しいわけでもない、体揺らしたいわけでもない、胸を焦がしたいだけ」
というライブにおける真理であり、これまでにもマイヘアのライブでその感覚を味わってきたからこそそう思える即興歌唱的な「フロムナウオン」であるが、すでにこの日は「卒業」から一つ違うギアになっているだけに、さらに1段階高いところへこの曲で向かうというのが、
「チケット代は損させない!その値段の倍、倍、倍になっていく!なぜなら、My Hair is Badのライブだからだ!」
という言葉の最後に山本と山田の音が重なってMy Hair is Badの音になるというのは震えるくらいにあまりにもカッコ良すぎる。それは椎木が口にしていた、
「ここにあるのはMy Hair is Badという空気であり概念だ」
ということであろうが、
「人生は映画だ。俺の人生は30年生きてきた俺が主人公の映画だ。だからお前の人生はお前が主人公の映画だ。のび太みたいに普段冴えなくても映画になると輝く。
普段からわけわかんないDMがたくさんくる。そういうのに3文字で言うなら黙れ、4文字で言うならうるせえ、5文字で言うなら俺は俺、7文字で言うならお前はお前だ」
と、あくまで自分は自分であり、他の人もまた自分は自分であることを椎木独自の言葉で次々に口にしていく。この語彙力と発想力とテンポは本当にどれか一つが欠けてもこの曲が成立しなくなる。つまりはやはりこの曲を演奏して、今この場でしかない言葉をそこに載せることによってこの日でしかないライブになり、そのこの日のライブがさらに1段階上のところにまで到達していくのである。
そんな「フロムナウオン」のアウトロでは再び3人が向かい合って呼吸を確認するようにキメを打ちながら次の曲に入ろうとするのだが、椎木が「ちょっと待って」とばかりに2人を制してペットボトルの水を飲んでからそれをステージ袖の方へ放り投げると、3人の呼吸とタイミングを合わせるような音は「戦争を知らない大人たち」のイントロへと繋がっていくのだが、明らかに原曲より速い&激しいというのはライブならではあり、この日ならではとも言えるだろう。椎木のポエトリーリーディング的なボーカルからサビで一気に視界が開かれていくようなこの曲がこんなにもライブで映えるというか、「フロムナウオン」で覚醒したバンドのサウンドの次へと至らせる曲になるとは、リリース時は思っていなかったが、それはこの曲がこうしてライブで演奏されてきたことで進化・成長してきたことに他ならない。
「フロムナウオン」では疾走感溢れるサウンドに合わせるようにどこか椎木の口調も荒くなるのが常なのであるが、そんな口調から落ち着きを取り戻したかのような丁寧な口調に戻った上で、
「目に見えないウィルスに苦しめられたりもしたけれど、優しさであるとか目に見えないものに救われたことだって何回もあった。あらゆるものが可視化されていく時代になったけれど、全てのものが目に見えるものになりませんように」
と口にしてから「白春夢」を演奏した。実に椎木らしい言葉だと思う。音楽というものも含めて、その「目に見えないもの」を歌ってきたバンドであり、それを1番大事にしてきたバンドだから。
たまにゲームなどで人の好感度が見える機械みたいなのがあったりするけれど、どうかそういうものが現実で発明されたりしませんように、と椎木のように思う。相手の思っていることがわかってしまうのも、自分の思っていることがわかってしまうのも怖くて仕方がないから。
「夢から覚めても まだ夢の中で 見てた白春夢」
という歌詞の通りに、まるで良くも悪くも夢のように目に見えないものに翻弄され続けてきたこの1〜2年だったと、
「Stay alone so long
今日からもう
ないものを探すよりそばにあるものを大切にしたい」
というコロナ禍であることを感じさせる歌詞を聞くとより強く思う。
で、そんな椎木は自身でも言っていた通りに、自分を偽るというか、大きく見せたりするような歌詞を書いたり言葉を口にしたりはできない人間だ。だからこそ前日にはこのタイミングで自身に彼女がいて、その彼女のために「味方」を歌ったということが物議を醸してもいたのだが、様々な感じ方や意見がある中で、自分としては「まぁそうだろう」とその発言のあれこれを見ていた。
「まぁそうだろう」というのは、椎木に恋人がいて、その恋人のために作った曲があるということ。そこに自身のリアリティがなければこんな歌詞のラブソングは書けない。もちろんその特定の誰かに向けたものが、時には観客である自分のために鳴らされているかのような、そんな瞬間になることもある。
でも自分はきっと椎木とは人間のタイプが違いすぎるからこそそこまでそのラブソングに入り込めないし、共感という聞き方はできない。できないからこそ、それが誰のための曲であるかというのもわかる。自分のための曲ではないのがわかるからだ。
もちろんそこでガッカリした人がいるのも間違いではない。その人がそれだけマイヘアのラブソングが自分のためのものとして響いていたということだからだ。でも椎木の発する言葉がどこまでもリアルだからこそ、この日も何回も観客に感謝していたくらいに目の前にいてくれる人を信用しているからこそ、そうした言葉が出てくる時もある。
そんなことを思いながら、この日の「味方」は
「男子には大切な人に向かって歌ってあげて欲しい」
と言って演奏された。それは自分自身がその思いを持って歌ってきた曲だからということがはっきりわかった瞬間だった。
そんな熱演の後には椎木は観客に「楽なようにしてくれ」と促すと、観客は半分くらいは座り、半分くらいは立ったままで椎木のマイヘアのチームやこうしてツアーを回らせてくれたZeppのスタッフへの感謝の言葉に耳を傾けるのだが、そうした言葉の後に演奏した「宿り」にはそうした感謝を口にできる相手=マイヘアが大切にしてきたものがそのまま歌詞として歌われ、それまでに座っていた観客も立ち上がって演奏に浸っていた。
その「宿り」は初めて聞いた時から「優しさの行方」の系譜にある曲だと思っていたのだが、この日はその「優しさの行方」が続けて演奏される。
「強い人が優しいんじゃなくて、優しい人が強い人なんだ」
という椎木の、マイヘアの精神はこの曲で音として現れている。それに触れるたびに、マイヘアの3人は優しい、それでいてどこまでも真っ直ぐな人間であることを感じることができる。
「剥がされて痛いのは 誰より自分が可愛いからさ」
という歌詞でサビを締めることができるところなんかは特に。
それはもうこのままライブが終わってもおかしくないような空気でもあったのだが、椎木は
「最後にドキドキしようぜ!」
と言って「アフターアワー」を鳴らした。やっぱりこれだよなぁと思いながら、間奏で山本がステージ前まで出てきてベースソロを弾く姿を見ていた。ロックバンドのライブこそドキドキするものはないし、それがマイヘアのような、その日のライブを実際に見てみないとどんなライブだったのかはわからないバンドならば尚更そうだ。
「フロムナウオン」以降は緊張感というか、オーラに満ちていたようですらあったのが、アンコールでは一気にそれが解けたかのように椎木が、
「2日後はやまじゅんの誕生日です!」
と山田の誕生日を祝う。すでに椎木はシャワーヘッドを誕生日プレゼントとしてあげたそうだが、山本は21万円もするゲーミングチェアを、山田の家に机がないのにプレゼントしようとしていたり、来年は一緒にスカイダイビングをしようと言ったり。この時間だけは地元で「明日は何して遊ぶ?」と言っているような3人の男たちの姿だった。それがバンドを組んでから10年以上ずっと変わっていない。これだけ巨大な存在のバンドになっても、自分たちの純粋な部分が失われることのない活動をしてきた結果だろう。
そして、
「俺の恥ずかしかったところも全部歌います!」
と言うと、照明がステージを「真赤」に染める。この曲を演奏しているときはどんな季節であっても夏の匂いがする。それは夏は実際にその匂いを感じ、それ以外の時には夏の到来を待ち侘びるようにしてこの曲に向き合ってきたからだ。歌えば歌うほどに喉が開いていくような感覚すらある椎木のボーカルは伸びやかというよりも、ロックバンドとしての焦燥感を放ちまくっていた。年齢を重ねて角が取れて丸くなっても、それはマイヘアであり続ける限りは変わらないんだろうな。
そして最後に演奏されたのはマイヘア屈指の幸せなラブソング「いつか結婚しても」。「真赤」の焦燥感とは対照的におおらかなサウンドに合わせて観客は体を揺らしながらみんなマスクの下が笑顔になっているのは、山田がドラムを叩きながらピースサインを向けたりしていることと無関係ではないだろう。そこにはこの日様々な感情を呼び起こされながらも、最終的には幸せであることを感じていたい、そうした人生でありたい。そうなった時に頭に流れているのがこの曲であれば。そんな空気が満ちていた。
「フラッシュホームランツアー、これにて終了!」
と客席にピースをしながらステージを去って行ったメンバー3人。球史に燦然と輝くようなホームランをかっ飛ばしている大打者であるのに、豪邸や高級車とは程遠い生活を送っているという人間性が見えるような、そんなツアーファイナルだった。
マイヘアは年末にあまり稼働するバンドというイメージはなかったけれど、それは年末は新潟でゆっくり過ごしているのかと思っていた。しかし今年はこのツアーを終えても年末のフェスやイベントにも出演する。この光輝いている状態のバンドをまだまだ見れるというのは実に嬉しいことであるし、その時にはきっと「今年も無事終わりが迫った」と思えているはずだ。願わくば、毎年の年末がそう思えるものでありますように。
1.歓声を鳴らして (新曲)
2.グッバイ・マイマリー
3.運命
4.ドラマみたいだ
5.接吻とフレンド
6.虜
7.予感
8.卒業
9.恋人ができたんだ
10.カモフラージュ (新曲)
11.告白
12.クリサンセマム
13.ディアウェンディ
14.ワーカーインザダークネス
15.燃える偉人たち
16.フロムナウオン
17.戦争を知らない大人たち
18.白春夢
19.味方
20.宿り
21.優しさの行方
22.アフターアワー
encore
23.真赤
24.いつか結婚しても
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