THE BACK HORN 20th Anniversary 「ALL TIME BESTワンマンツアー」 〜KYO-MEI祭り〜 @日本武道館 2/8
- 2019/02/09
- 15:01
かつては「日本三大鬱バンド」と称されることもあったTHE BACK HORNが結成20周年イヤーを迎えた。(他の二大鬱バンドはSyrup16gとART-SCHOOL)
アニバーサリーイヤーらしく新作ミニアルバムのリリース、さらにはインディーズ時代の曲を今のメンバーで再録した(THE BACK HORNはベースだけメンバーが変わっている)インディーズベストアルバムもリリース。そのアニバーサリーイヤーの集大成となるのがこの日の日本武道館ワンマン。日本武道館でワンマンを行うのはこれが3回目となる。
20周年を迎えたバンドならではの、完全に社会人が仕事終わりに間に合うように設定されたであろう19時15分に場内が暗転すると、ステージ左右に設置されたスクリーンに森の中をかき分けて進むという、まるでこのバンドが音楽シーン未開の地を切り開いてきた足跡であるかのようなオープニング映像が始まり、森の中に光が射すと、光の中から次々に現れたのはこれまでにバンドがリリースしてきたCDのジャケット。そして「KYO-MEI」を掲げてきたこのバンドのロゴが映し出されると、ステージにはやはりいつものように裸足で飛び跳ねるようにして登場した菅波栄純(ギター)を先頭に他の3人が続く。
後ろには「THE BACK HORN」というロゴのみ、メンバーの距離感も広いステージとは思えないくらいに普段のライブハウスと同じくらいに密集している中、1曲目は
「とりあえず全部ぶっ壊そう 閃いたライブハウス 世界が動き出した1998」
とこのバンドが始まった瞬間を15年以上経ってから回想した「その先へ」。ステージのセット自体はただただ演奏するメンバーの姿を見ろ、とばかりに簡素極まりないが、いきなり火柱が上がるなど演出はやはり記念の武道館だな、ということを感じさせる。
この曲は確かに回想から始まる曲ではあれど、回想した上でバンドの目線はさらに未来へ向かっている。だからこそタイトルが「その先へ」なのだし、20周年記念ツアーのファイナルという集大成の中の集大成な場所の1曲目にして、バンドがこれからもまだまだ止まらずに進んでいくという意志を感じさせてくれる。
早くも栄純は頭や体を揺らしまくりながらギターを弾くのだが、松田晋二(ドラム)がビートを引っ張る中で栄純と岡峰光舟(ベース)がキメを連発する「ブラックホールバースデイ」では普段のライブハウスとステージの作りが唯一違う、左右に伸びた花道に最初のサビで栄純が駆け出し、上手のスタンド席にいる人たちの至近距離でギターを弾くと、次のサビでは光舟が下手に長い足でリズミカルに歩いて行ってやはりスタンドの至近距離で演奏。この辺りのフォーメーションは好きに暴れているように見えてしっかりと武道館仕様に練り上げられているのだろう。だからこそハンドマイクという1番動きやすい山田将司(ボーカル)は2人が花道に行っている時はステージの真ん中にどっしりと立って振り絞るように歌う。
振り絞るというのは将司の歌い方がまさにそうした感じに見えたからなのだが、序盤はファルセットなどのハイトーン部分がかなりキツそうで、それでもこの広い武道館の1番上にまで届かせるように苦しさを感じさせながら歌う姿がこのバンドの闇の中から光に向かって手を伸ばすという世界観に実によくマッチしていて、改めて歌というのは上手ければなんでもいいというものではなくて、その音や歌詞をどれだけ的確に表現できるかが最も重要なのだと実感する。仮にめちゃくちゃ歌が上手いボーカリストが歌ったとしてもTHE BACK HORNのボーカルとして将司の声以上に合うことはないだろう。
初期の代表曲にして栄純のギターがスカの要素を含んだ「サニー」を終えるとおなじみの松田のMC。記念すべき20周年の武道館であることから、
「待ちに待った武道館。俺たちもいろんな思いを持ってきているし、みんなもいろんな思いを持ってきてくれていると思います」
とやはりこの日が特別なものであることを強調するのだが、毎回ライブでMCをしているにもかかわらず全くMCが上手くならないようにしか感じないのは逆に20年を超えてもこのバンドからベテランらしさを感じさせない理由のひとつになっている気がする。
THE BACK HORNの世界観をフルに発揮しながらもアニメのテーマソングとして(戦争もののアニメであるがゆえに合っていたのかも)オリコンTOP10入りを果たし、このバンドの存在を広く世に知らしめた「罠」からは光舟がネックが暗闇で発光するベースに持ち替え、ただでさえ長身を生かした主張の強いベースがさらに目を惹くようになっていく。
初期の名盤にしてTHE BACK HORNの暗く、人間の醜い内面をさらけ出すような歌詞というイメージを決定づけた「イキルサイノウ」のタイトルフレーズが登場する「ジョーカー」からはそうしたドロっとしたタイプの曲が武道館という記念の祝祭空間にもかかわらず続いていく。
「僕は独りじゃない」
というフレーズが独りである自分自身に暗示をかけるように響く「独り言」もまた初期の名曲であるが、まさに独りということを自覚せざるを得なかった当時とは違い、今はこのバンドには仲間と呼べる存在がたくさんいる。実際にこの日の客席にはバンド仲間たちも数多く集まっていたし、たくさんのバンドや関係者から花が送られていた。だから
「僕は独りじゃない」
という将司の絶唱は当時の悲痛さも持ち合わせながらも、本当に独りではないのを実感できるようになっているからこそ歌えているようにも感じた。
スクリーンにはメンバーの姿ではなくて人間の闇の部分を描きながら、最後には曲に合わせて光が射し込んでくる様が映し出された「悪人」、まさか武道館でこの曲を選ぶとは、とびっくりしてしまった、光舟がイントロで両手を頭上で合わせて体をくねらせ、将司の呪術的なボーカルが祝祭空間をTHE BACK HORNのライブならではの空間に変えていく「アサイラム」の1曲目に収録されていた「雷電」と、アッパーなシングル曲の連打ではなく自分たちの持つありとあらゆる面をしっかり見せていこうというこのあたりの選曲の妙。
「コワレモノ」では間奏でメンバー紹介も兼ねたそれぞれによるソロ回し、さらには恒例の栄純による
「神様だらけの!」「スナック!」
のコール&レスポンスも行われるのだが、なぜか武道館だからという理由で顎がしゃくれたバージョンでのコール&レスポンスも行われる。栄純の話し方が訛っている上に滑舌が悪くて何を言っているのかあまりわからないというのも何年経っても変わらないが、このコール&レスポンスを経てから最後のサビではバンドのグルーヴと客席のグルーヴがさらに高いところで重なり合ったような感じがしただけに、このコール&レスポンスは今のこのバンドのライブにおいて大事な要素を担っているのかもしれない。
すると今度は松田ではなく、光舟が口火を切るようにMCを始める。しかしその内容はこの日本武道館でかつて行われた東京オリンピックの柔道の試合が行われたことを熱く語るというもので、柔道に興味・関心がない観客のほとんどの空気が冷めていくのがわかっていき、栄純がすかさず
「東京オリンピックっていう伝説が来年現実になるけど、THE BACK HORNの日本武道館っていう伝説も現実になったぞー!」
と再び場内のテンションを上げるように叫ぶ。
しかし冷静になると
「伝説が現実になるって意味わかんないな」
と自分自身でツッコミを入れていた。
将司は
「今日はお足元が悪くなる前の日にお越しいただいて誠にありがとうございます(笑)」
とさすがフロントマンならではの機転の効いた話で笑いを誘い、最後にはやはり松田の宣誓的なMCで締める。
すると光舟と栄純の重いイントロのサウンドから始まったのは「初めての呼吸で」。自分がこのライブの前にTHE BACK HORNのワンマンを見たのは2006年の日比谷野音での「太陽の中の生活」リリースツアー(13年も経っていることが信じられない)だと思うのだが、そのアルバムの軸を担う曲であったこの曲をこうして当時よりも広い会場でたくさんの人と一緒に聴くことができる未来が待っていたというのが実に感慨深い。
将司がイントロや間奏ではピアニカを吹きながら歌うのは今でもフェイバリットに挙げる人が多い名作アルバム「ヘッドフォンチルドレン」のタイトル曲。松田の
「声を聴かせて」「歌を聴かせて」
というコーラス部分では将司の煽りによって曲のムードに合わせたささやかな合唱が起きる。
「カゲロウプロジェクト」でおなじみのボカロクリエイター・じんはTHE BACK HORNに多大な影響を受けて音楽を始めたことを公言しているが、じんの代表曲である「ヘッドフォンアクター」と「チルドレンレコード」という曲はこの「ヘッドフォンチルドレン」からインスパイアされて作られた曲である。
表現形態は全く違う(じんはバンドができなかったけど音楽がやりたかった男)というか、全く違うからこそ、THE BACK HORNの音楽はこの日会場に来ていたバンド仲間や後輩だけでなく様々な人々に影響を与えているし、
「学生時代にTHE BACK HORNが僕の住んでる北海道にライブをしに来てくれたんですけど、すごい雪が降ってる日で。でもなんとか栄純さんにサインをしてもらいたいなって思って出待ちをしていたんです。そしたら待ってる僕に栄純さんが気付いてくれて、しかもメンバーみなさんを呼んできてサインをしてくれて。最後に栄純さんが
「世の中辛いことばかりだけど負けるんじゃねぇぞ」
って言ってくださって…。僕は今でもその言葉に力を貰って生きているんです」
と、じんはインタビューで語っていた。じんのように暗闇で膝を抱えていた少年たちにとって、THE BACK HORNの音楽は光ではなくてそのままの自分にだけ寄り添ってくれるような音楽だったはず。そういう人たちはきっと今でもヘッドフォンチルドレンであり続けているのだろう。
光舟のイントロのベースの音で歓声が上がったのはTHE BACK HORNがただ激しい曲や暗い曲を作っているのではなく、メロディの美しい曲を作れるということを広く知らしめた「美しい名前」。栄純の家族が亡くなった時に書かれたというパーソナルな曲であるが、そんな曲がこの場所にいるたくさんの人のそうした体験に重なっていく。それは間違いなく自分もそうだ。だからなのか、この曲を演奏している時に会場のいたるところですすり泣いているような声が聞こえていた。
THE BACK HORNには突出した大ヒット曲と言えるような曲はないんだけど、間違いなくそのタイミングでTHE BACK HORNと出会った人がたくさんいるだろうな、という曲はたくさんあって、それは人によっては「罠」だったりするんだろうけれど、映画のタイアップに起用されてこのバンドの新たな一面を切り開いた「未来」も間違いなくそんな曲。
この曲では将司はマイクスタンドを使ってマイクを握りしめるようにして歌っていたのだが、最後のサビ前ではマイクスタンドごとステージのさらに前まで歩み出て、
「何処まで何処まで 信じてゆける
震えるこの手に 想いがあるさ」
というフレーズを歌った瞬間、それまでのあまり調子が良くなかった声がつかえてたものが取れたかのように開いた。それによって苦しみながら歌っていたような将司の表情も明るくなったような感じがした。なぜいきなりそうなったのかはわからないが、ボーカリストが覚醒する瞬間を我々はこの日確かに見ることができた。
その将司の覚醒によって、松田の
「みんなもTHE BACK HORNを祝いに来てくれたと思うけど、俺たちもTHE BACK HORNを祝いに来た」
という20年の歳月が間違いなく大きな節目になることを何度も語りかけるMCの後に訪れた後半のお祭り騒ぎのアッパーなモードを最高の状態で迎えることができるようになっていた。
その後半のスタートを担ったのは打ち込みのサウンドを取り入れ、バンドがもっと柔軟にさらに進化しようという意志を示した最新作「情景泥棒」の「Running Away」。タイトルフレーズでは将司と肩を組んで叫んでいた栄純だけでなく光舟もコーラスに参加し、もちろん観客も2人の声に乗るのだが、女性の観客もたくさんいるはずなのに、THE BACK HORNのコーラスでの合唱は「勇壮」という力強さを感じるような形容が本当によく似合う。それは洗練という言葉とは無縁のメンバーの姿やキャラクターによるものが大きいのだろうけれど。
「グローリア」の眩い光を感じるようなサウンドは20周年という祝祭空間にぴったりのものであるが、前半に「ジョーカー」や「独り言」という初期の暗い曲を演奏したことによって、バンドが外を向き、「KYO-MEI」というワードを掲げるようになったバンドのストーリーすらも感じさせるようなものになっていた。
もはやライブに欠かせないくらいのキラーチューンである「シンフォニア」からは将司、栄純、光舟の3人は代わる代わる左右に伸びた花道に駆け出していく。スタンド席の観客のすぐ目の前で自分たちの音楽を鳴らせることを本当に楽しんでいるのが伝わってくるような表情だ。
そしていよいよクライマックスとばかりに「コバルトブルー」ではイントロから大歓声が上がる。この曲はフェスでも確実に演奏しているし、なんならやらない日はないと言っていいくらいの代表曲なだけに、毎回ツアーに足を運んでいたり、年に何十回もこのバンドのライブを見ている人からしたら飽きたりしても良さそうなくらいにやりまくっている曲なのに、全くそんな気配はないどころか、むしろこの曲を演奏するのを待ち望んでいた感すらある。
それは同じ曲でありながらも年月を経るごとにバンドのパフォーマンスがさらにビルドアップされてきているのにマンネリ感を一切感じない、初めてこの曲を演奏しているかのような衝動をこのバンドが持ち続けているから。だからいつどこでどんな場所で聞いてもとてつもなくカッコいいし、この曲が鳴っている時はこの瞬間が日本のロックのど真ん中だとすら思えてくる。
そしてラストは10周年の時に新曲として収録されていた「刃」。この曲も「コバルトブルー」同様に毎回ライブで演奏している曲であるが、和のテイストを強く含んだサウンドは今では完全にこのバンドの代名詞の一つと言っても過言ではない。「Running Away」では栄純と肩を組んでいた将司はこの曲では下手の花道に一緒に歩いていった光舟と肩を組んで歌う。そのずっと関係性が変わらないままで20周年を迎えたバンドを祝うかのように、場内には
「いざさらば 桜の花吹雪 風に散る」
というフレーズに合わせたような紙吹雪が舞ってこの曲で本編が終わることを感じさせると、メンバーは観客に手を振ったりしながらステージを去っていった。
アンコールでは光舟がこの日のライブTシャツに着替えて登場すると、インディーズ時代の名曲「冬のミルク」を演奏。メンバーが暴れることもなければ、ドロドロした部分もない、今だったら書けないであろう無垢でストレートな曲。しかし
「本当の声で僕ら歌ってんのかな」
というフレーズは20年間ずっとバンドが向き合い続けてきたテーマであるし、このバンドがいつだって本当の声で歌ってきたからこそ、こうして20年を超えても武道館をたくさんの人で埋めることができる(ちょっと不安ではあったけれど蓋を開けてみたら満員と言っていいレベルだった)バンドであり続けている。
そして
「THE BACK HORNの1番新しい曲」
と言って演奏されたのは、これまでにa flood of circleや10-FEETといったロックバンドの曲をテーマにした小説を書いてきた住野よるとのコラボ曲「ハナレバナレ」。自分はこの日初めてこの曲を聴いたのだが、タイトルだけ聴いた時には「あなたが待ってる」的なバラード曲なのかと思っていた。しかしそのサウンドはTHE BACK HORNの最も王道と言っていいロックサウンド。ちなみにこのコラボプロジェクトは小説とバンドで互いに影響し合いながら続いていくようで、20周年を超えたTHE BACK HORNの新たな一歩でありさらに進化した形を見せてくれるものになるはずだ。
「ありがとう。また会おうぜ」
と再会を将司が観客に約束してから演奏されたのはメンバーが再び自由に動き回りながら演奏した「無限の荒野」。サビでは金テープが放たれ、武道館の最後の曲を告げるおなじみの客電が点いた状態で栄純がギターを頭上に掲げると将司が後ろのモニターに立ってそのギターを弾きまくるという思わず笑顔になってしまうようなパフォーマンスもありながら、やはり
「青く光る」
のコーラスはこの日最も勇壮に響き渡った。
演奏が終わった瞬間に光舟はベースを投げるように置いてそのままステージからすぐに去り、ほかのメンバーも軽く手を振りながらステージを去った。余韻を残すようでもあったし、感極まってしまった表情を見せまいという照れ隠しのようでもあったが、THE BACK HORNは演奏中だけではなくて去り際までもカッコいいままであった。
リリースがあれば毎回CDはずっと買ってはいるけれど、自分にとっては近年は「フェスとかイベントに出ていたらライブを見る」という存在になってきていた。それだけでもカッコいいバンドであるのは充分にわかっていたはずだが、久しぶりに見たワンマンはそんな自分が理解していたカッコよさをはるかに超えるカッコよさであったし、20年を超えてもこのステージに立ち続けることができるこのバンドの強さを改めて感じさせるものだった。
今でこそ海外の音楽に影響を受けたバンドもたくさんこの武道館クラスでライブをやるようになっているが、THE BACK HORNはメンバーは海外の音楽を聴いたりもしているだろうけれど、間違いなく日本でしか生まれないバンド。そんなバンドが日本武道館という日の丸の下でライブをしているのを見ることができている。普段生活していて日本人であることを誇れることなんてほとんどないような世の中や社会になってしまっているけれど、このバンドがこうしてここに立っていることは日本のロックファンとして胸を張れることなんじゃないだろうか。
自分はこの日のライブのチケットを開催3日前に買った。つまり最初から行こうとは思っていなかったのである。なぜそんなに急遽行こうとしたのか。それは読んでくれている方からしたら「知らんがな」の一言で済むような個人的な理由なのであるが、このライブが開催された週の月曜日に職場の同僚が亡くなったということを知らされた。元から病気を持っていたとはいえ、先週までは至って普通に喋って仕事をしていた人が。
ミュージシャンが亡くなったりするニュースを見たりすると悲しくてやりきれなくなるけれど、それを知らされた時は全く実感が湧かなかった。ただ今日休んでるだけでしょ?って思っているくらいに。
でもその時に自分の脳内で流れたのはTHE BACK HORNの「美しい名前」と「世界中に花束を」というバンドが命と向き合って生まれた2曲だった。普段仕事をしている時にTHE BACK HORNの曲が頭の中で流れることはないし、亡くなった人は絶対THE BACK HORNというバンドの存在すら知らないような人だ。でもそうしたことがあった週にTHE BACK HORNが日本武道館でワンマンをやるという偶然。スピリチュアルなことは極力信じないようにはしているが、確実に呼ばれたというか導かれたような気がした。だからこの日自分はここに来たし、THE BACK HORNの曲にはそうした力が宿っている。
THE BACK HORNの曲には「命」という単語がよく出てくる。でもそれは決して命を容易く扱ったりぞんざいに捉えているのではなくて、命の重みや愛おしさ、儚さを誰よりも知っている人たちのバンドだから。
それを自身の音楽にできるのはTHE BACK HORNのメンバーが本当に優しい男たちだから。それはどんなにドロドロした曲や激しい曲からもそういう人間らしさがちゃんと伝わってくるし、20年経っても田舎の青年というイメージは不思議なくらいに変わらない。
そんな人たちだから、これまでの曲で身近な人の命はもちろん、全く知らない、会ったことのない人たちの命をも自分たちの曲で歌ってきたし、自分の近しい人が亡くなってしまった時にその曲たちが頭の中で流れてきた。これからもそういう別れを経験するたびに頭の中に流れるのはこのバンドの曲なのかもしれない。
自分自身、そうした経験をするたびに終わりを意識することもあるけれど、こうして20年を超えても進み続けるバンドの姿を見ていると、否、まだだここでは死ねない。
1.その先へ
2.ブラックホールバースデイ
3.サニー
4.罠
5.ジョーカー
6.独り言
7.悪人
8.雷電
9.コワレモノ
10.初めての呼吸で
11.ヘッドフォンチルドレン
12.美しい名前
13.未来
14.Running Away
15.グローリア
16.シンフォニア
17.コバルトブルー
18.刃
encore
19.冬のミルク
20.ハナレバナレ
21.無限の荒野
コバルトブルー
https://youtu.be/umxUwR4OqSk
Next→ 2/9 the telephones @佐賀RAG-G
アニバーサリーイヤーらしく新作ミニアルバムのリリース、さらにはインディーズ時代の曲を今のメンバーで再録した(THE BACK HORNはベースだけメンバーが変わっている)インディーズベストアルバムもリリース。そのアニバーサリーイヤーの集大成となるのがこの日の日本武道館ワンマン。日本武道館でワンマンを行うのはこれが3回目となる。
20周年を迎えたバンドならではの、完全に社会人が仕事終わりに間に合うように設定されたであろう19時15分に場内が暗転すると、ステージ左右に設置されたスクリーンに森の中をかき分けて進むという、まるでこのバンドが音楽シーン未開の地を切り開いてきた足跡であるかのようなオープニング映像が始まり、森の中に光が射すと、光の中から次々に現れたのはこれまでにバンドがリリースしてきたCDのジャケット。そして「KYO-MEI」を掲げてきたこのバンドのロゴが映し出されると、ステージにはやはりいつものように裸足で飛び跳ねるようにして登場した菅波栄純(ギター)を先頭に他の3人が続く。
後ろには「THE BACK HORN」というロゴのみ、メンバーの距離感も広いステージとは思えないくらいに普段のライブハウスと同じくらいに密集している中、1曲目は
「とりあえず全部ぶっ壊そう 閃いたライブハウス 世界が動き出した1998」
とこのバンドが始まった瞬間を15年以上経ってから回想した「その先へ」。ステージのセット自体はただただ演奏するメンバーの姿を見ろ、とばかりに簡素極まりないが、いきなり火柱が上がるなど演出はやはり記念の武道館だな、ということを感じさせる。
この曲は確かに回想から始まる曲ではあれど、回想した上でバンドの目線はさらに未来へ向かっている。だからこそタイトルが「その先へ」なのだし、20周年記念ツアーのファイナルという集大成の中の集大成な場所の1曲目にして、バンドがこれからもまだまだ止まらずに進んでいくという意志を感じさせてくれる。
早くも栄純は頭や体を揺らしまくりながらギターを弾くのだが、松田晋二(ドラム)がビートを引っ張る中で栄純と岡峰光舟(ベース)がキメを連発する「ブラックホールバースデイ」では普段のライブハウスとステージの作りが唯一違う、左右に伸びた花道に最初のサビで栄純が駆け出し、上手のスタンド席にいる人たちの至近距離でギターを弾くと、次のサビでは光舟が下手に長い足でリズミカルに歩いて行ってやはりスタンドの至近距離で演奏。この辺りのフォーメーションは好きに暴れているように見えてしっかりと武道館仕様に練り上げられているのだろう。だからこそハンドマイクという1番動きやすい山田将司(ボーカル)は2人が花道に行っている時はステージの真ん中にどっしりと立って振り絞るように歌う。
振り絞るというのは将司の歌い方がまさにそうした感じに見えたからなのだが、序盤はファルセットなどのハイトーン部分がかなりキツそうで、それでもこの広い武道館の1番上にまで届かせるように苦しさを感じさせながら歌う姿がこのバンドの闇の中から光に向かって手を伸ばすという世界観に実によくマッチしていて、改めて歌というのは上手ければなんでもいいというものではなくて、その音や歌詞をどれだけ的確に表現できるかが最も重要なのだと実感する。仮にめちゃくちゃ歌が上手いボーカリストが歌ったとしてもTHE BACK HORNのボーカルとして将司の声以上に合うことはないだろう。
初期の代表曲にして栄純のギターがスカの要素を含んだ「サニー」を終えるとおなじみの松田のMC。記念すべき20周年の武道館であることから、
「待ちに待った武道館。俺たちもいろんな思いを持ってきているし、みんなもいろんな思いを持ってきてくれていると思います」
とやはりこの日が特別なものであることを強調するのだが、毎回ライブでMCをしているにもかかわらず全くMCが上手くならないようにしか感じないのは逆に20年を超えてもこのバンドからベテランらしさを感じさせない理由のひとつになっている気がする。
THE BACK HORNの世界観をフルに発揮しながらもアニメのテーマソングとして(戦争もののアニメであるがゆえに合っていたのかも)オリコンTOP10入りを果たし、このバンドの存在を広く世に知らしめた「罠」からは光舟がネックが暗闇で発光するベースに持ち替え、ただでさえ長身を生かした主張の強いベースがさらに目を惹くようになっていく。
初期の名盤にしてTHE BACK HORNの暗く、人間の醜い内面をさらけ出すような歌詞というイメージを決定づけた「イキルサイノウ」のタイトルフレーズが登場する「ジョーカー」からはそうしたドロっとしたタイプの曲が武道館という記念の祝祭空間にもかかわらず続いていく。
「僕は独りじゃない」
というフレーズが独りである自分自身に暗示をかけるように響く「独り言」もまた初期の名曲であるが、まさに独りということを自覚せざるを得なかった当時とは違い、今はこのバンドには仲間と呼べる存在がたくさんいる。実際にこの日の客席にはバンド仲間たちも数多く集まっていたし、たくさんのバンドや関係者から花が送られていた。だから
「僕は独りじゃない」
という将司の絶唱は当時の悲痛さも持ち合わせながらも、本当に独りではないのを実感できるようになっているからこそ歌えているようにも感じた。
スクリーンにはメンバーの姿ではなくて人間の闇の部分を描きながら、最後には曲に合わせて光が射し込んでくる様が映し出された「悪人」、まさか武道館でこの曲を選ぶとは、とびっくりしてしまった、光舟がイントロで両手を頭上で合わせて体をくねらせ、将司の呪術的なボーカルが祝祭空間をTHE BACK HORNのライブならではの空間に変えていく「アサイラム」の1曲目に収録されていた「雷電」と、アッパーなシングル曲の連打ではなく自分たちの持つありとあらゆる面をしっかり見せていこうというこのあたりの選曲の妙。
「コワレモノ」では間奏でメンバー紹介も兼ねたそれぞれによるソロ回し、さらには恒例の栄純による
「神様だらけの!」「スナック!」
のコール&レスポンスも行われるのだが、なぜか武道館だからという理由で顎がしゃくれたバージョンでのコール&レスポンスも行われる。栄純の話し方が訛っている上に滑舌が悪くて何を言っているのかあまりわからないというのも何年経っても変わらないが、このコール&レスポンスを経てから最後のサビではバンドのグルーヴと客席のグルーヴがさらに高いところで重なり合ったような感じがしただけに、このコール&レスポンスは今のこのバンドのライブにおいて大事な要素を担っているのかもしれない。
すると今度は松田ではなく、光舟が口火を切るようにMCを始める。しかしその内容はこの日本武道館でかつて行われた東京オリンピックの柔道の試合が行われたことを熱く語るというもので、柔道に興味・関心がない観客のほとんどの空気が冷めていくのがわかっていき、栄純がすかさず
「東京オリンピックっていう伝説が来年現実になるけど、THE BACK HORNの日本武道館っていう伝説も現実になったぞー!」
と再び場内のテンションを上げるように叫ぶ。
しかし冷静になると
「伝説が現実になるって意味わかんないな」
と自分自身でツッコミを入れていた。
将司は
「今日はお足元が悪くなる前の日にお越しいただいて誠にありがとうございます(笑)」
とさすがフロントマンならではの機転の効いた話で笑いを誘い、最後にはやはり松田の宣誓的なMCで締める。
すると光舟と栄純の重いイントロのサウンドから始まったのは「初めての呼吸で」。自分がこのライブの前にTHE BACK HORNのワンマンを見たのは2006年の日比谷野音での「太陽の中の生活」リリースツアー(13年も経っていることが信じられない)だと思うのだが、そのアルバムの軸を担う曲であったこの曲をこうして当時よりも広い会場でたくさんの人と一緒に聴くことができる未来が待っていたというのが実に感慨深い。
将司がイントロや間奏ではピアニカを吹きながら歌うのは今でもフェイバリットに挙げる人が多い名作アルバム「ヘッドフォンチルドレン」のタイトル曲。松田の
「声を聴かせて」「歌を聴かせて」
というコーラス部分では将司の煽りによって曲のムードに合わせたささやかな合唱が起きる。
「カゲロウプロジェクト」でおなじみのボカロクリエイター・じんはTHE BACK HORNに多大な影響を受けて音楽を始めたことを公言しているが、じんの代表曲である「ヘッドフォンアクター」と「チルドレンレコード」という曲はこの「ヘッドフォンチルドレン」からインスパイアされて作られた曲である。
表現形態は全く違う(じんはバンドができなかったけど音楽がやりたかった男)というか、全く違うからこそ、THE BACK HORNの音楽はこの日会場に来ていたバンド仲間や後輩だけでなく様々な人々に影響を与えているし、
「学生時代にTHE BACK HORNが僕の住んでる北海道にライブをしに来てくれたんですけど、すごい雪が降ってる日で。でもなんとか栄純さんにサインをしてもらいたいなって思って出待ちをしていたんです。そしたら待ってる僕に栄純さんが気付いてくれて、しかもメンバーみなさんを呼んできてサインをしてくれて。最後に栄純さんが
「世の中辛いことばかりだけど負けるんじゃねぇぞ」
って言ってくださって…。僕は今でもその言葉に力を貰って生きているんです」
と、じんはインタビューで語っていた。じんのように暗闇で膝を抱えていた少年たちにとって、THE BACK HORNの音楽は光ではなくてそのままの自分にだけ寄り添ってくれるような音楽だったはず。そういう人たちはきっと今でもヘッドフォンチルドレンであり続けているのだろう。
光舟のイントロのベースの音で歓声が上がったのはTHE BACK HORNがただ激しい曲や暗い曲を作っているのではなく、メロディの美しい曲を作れるということを広く知らしめた「美しい名前」。栄純の家族が亡くなった時に書かれたというパーソナルな曲であるが、そんな曲がこの場所にいるたくさんの人のそうした体験に重なっていく。それは間違いなく自分もそうだ。だからなのか、この曲を演奏している時に会場のいたるところですすり泣いているような声が聞こえていた。
THE BACK HORNには突出した大ヒット曲と言えるような曲はないんだけど、間違いなくそのタイミングでTHE BACK HORNと出会った人がたくさんいるだろうな、という曲はたくさんあって、それは人によっては「罠」だったりするんだろうけれど、映画のタイアップに起用されてこのバンドの新たな一面を切り開いた「未来」も間違いなくそんな曲。
この曲では将司はマイクスタンドを使ってマイクを握りしめるようにして歌っていたのだが、最後のサビ前ではマイクスタンドごとステージのさらに前まで歩み出て、
「何処まで何処まで 信じてゆける
震えるこの手に 想いがあるさ」
というフレーズを歌った瞬間、それまでのあまり調子が良くなかった声がつかえてたものが取れたかのように開いた。それによって苦しみながら歌っていたような将司の表情も明るくなったような感じがした。なぜいきなりそうなったのかはわからないが、ボーカリストが覚醒する瞬間を我々はこの日確かに見ることができた。
その将司の覚醒によって、松田の
「みんなもTHE BACK HORNを祝いに来てくれたと思うけど、俺たちもTHE BACK HORNを祝いに来た」
という20年の歳月が間違いなく大きな節目になることを何度も語りかけるMCの後に訪れた後半のお祭り騒ぎのアッパーなモードを最高の状態で迎えることができるようになっていた。
その後半のスタートを担ったのは打ち込みのサウンドを取り入れ、バンドがもっと柔軟にさらに進化しようという意志を示した最新作「情景泥棒」の「Running Away」。タイトルフレーズでは将司と肩を組んで叫んでいた栄純だけでなく光舟もコーラスに参加し、もちろん観客も2人の声に乗るのだが、女性の観客もたくさんいるはずなのに、THE BACK HORNのコーラスでの合唱は「勇壮」という力強さを感じるような形容が本当によく似合う。それは洗練という言葉とは無縁のメンバーの姿やキャラクターによるものが大きいのだろうけれど。
「グローリア」の眩い光を感じるようなサウンドは20周年という祝祭空間にぴったりのものであるが、前半に「ジョーカー」や「独り言」という初期の暗い曲を演奏したことによって、バンドが外を向き、「KYO-MEI」というワードを掲げるようになったバンドのストーリーすらも感じさせるようなものになっていた。
もはやライブに欠かせないくらいのキラーチューンである「シンフォニア」からは将司、栄純、光舟の3人は代わる代わる左右に伸びた花道に駆け出していく。スタンド席の観客のすぐ目の前で自分たちの音楽を鳴らせることを本当に楽しんでいるのが伝わってくるような表情だ。
そしていよいよクライマックスとばかりに「コバルトブルー」ではイントロから大歓声が上がる。この曲はフェスでも確実に演奏しているし、なんならやらない日はないと言っていいくらいの代表曲なだけに、毎回ツアーに足を運んでいたり、年に何十回もこのバンドのライブを見ている人からしたら飽きたりしても良さそうなくらいにやりまくっている曲なのに、全くそんな気配はないどころか、むしろこの曲を演奏するのを待ち望んでいた感すらある。
それは同じ曲でありながらも年月を経るごとにバンドのパフォーマンスがさらにビルドアップされてきているのにマンネリ感を一切感じない、初めてこの曲を演奏しているかのような衝動をこのバンドが持ち続けているから。だからいつどこでどんな場所で聞いてもとてつもなくカッコいいし、この曲が鳴っている時はこの瞬間が日本のロックのど真ん中だとすら思えてくる。
そしてラストは10周年の時に新曲として収録されていた「刃」。この曲も「コバルトブルー」同様に毎回ライブで演奏している曲であるが、和のテイストを強く含んだサウンドは今では完全にこのバンドの代名詞の一つと言っても過言ではない。「Running Away」では栄純と肩を組んでいた将司はこの曲では下手の花道に一緒に歩いていった光舟と肩を組んで歌う。そのずっと関係性が変わらないままで20周年を迎えたバンドを祝うかのように、場内には
「いざさらば 桜の花吹雪 風に散る」
というフレーズに合わせたような紙吹雪が舞ってこの曲で本編が終わることを感じさせると、メンバーは観客に手を振ったりしながらステージを去っていった。
アンコールでは光舟がこの日のライブTシャツに着替えて登場すると、インディーズ時代の名曲「冬のミルク」を演奏。メンバーが暴れることもなければ、ドロドロした部分もない、今だったら書けないであろう無垢でストレートな曲。しかし
「本当の声で僕ら歌ってんのかな」
というフレーズは20年間ずっとバンドが向き合い続けてきたテーマであるし、このバンドがいつだって本当の声で歌ってきたからこそ、こうして20年を超えても武道館をたくさんの人で埋めることができる(ちょっと不安ではあったけれど蓋を開けてみたら満員と言っていいレベルだった)バンドであり続けている。
そして
「THE BACK HORNの1番新しい曲」
と言って演奏されたのは、これまでにa flood of circleや10-FEETといったロックバンドの曲をテーマにした小説を書いてきた住野よるとのコラボ曲「ハナレバナレ」。自分はこの日初めてこの曲を聴いたのだが、タイトルだけ聴いた時には「あなたが待ってる」的なバラード曲なのかと思っていた。しかしそのサウンドはTHE BACK HORNの最も王道と言っていいロックサウンド。ちなみにこのコラボプロジェクトは小説とバンドで互いに影響し合いながら続いていくようで、20周年を超えたTHE BACK HORNの新たな一歩でありさらに進化した形を見せてくれるものになるはずだ。
「ありがとう。また会おうぜ」
と再会を将司が観客に約束してから演奏されたのはメンバーが再び自由に動き回りながら演奏した「無限の荒野」。サビでは金テープが放たれ、武道館の最後の曲を告げるおなじみの客電が点いた状態で栄純がギターを頭上に掲げると将司が後ろのモニターに立ってそのギターを弾きまくるという思わず笑顔になってしまうようなパフォーマンスもありながら、やはり
「青く光る」
のコーラスはこの日最も勇壮に響き渡った。
演奏が終わった瞬間に光舟はベースを投げるように置いてそのままステージからすぐに去り、ほかのメンバーも軽く手を振りながらステージを去った。余韻を残すようでもあったし、感極まってしまった表情を見せまいという照れ隠しのようでもあったが、THE BACK HORNは演奏中だけではなくて去り際までもカッコいいままであった。
リリースがあれば毎回CDはずっと買ってはいるけれど、自分にとっては近年は「フェスとかイベントに出ていたらライブを見る」という存在になってきていた。それだけでもカッコいいバンドであるのは充分にわかっていたはずだが、久しぶりに見たワンマンはそんな自分が理解していたカッコよさをはるかに超えるカッコよさであったし、20年を超えてもこのステージに立ち続けることができるこのバンドの強さを改めて感じさせるものだった。
今でこそ海外の音楽に影響を受けたバンドもたくさんこの武道館クラスでライブをやるようになっているが、THE BACK HORNはメンバーは海外の音楽を聴いたりもしているだろうけれど、間違いなく日本でしか生まれないバンド。そんなバンドが日本武道館という日の丸の下でライブをしているのを見ることができている。普段生活していて日本人であることを誇れることなんてほとんどないような世の中や社会になってしまっているけれど、このバンドがこうしてここに立っていることは日本のロックファンとして胸を張れることなんじゃないだろうか。
自分はこの日のライブのチケットを開催3日前に買った。つまり最初から行こうとは思っていなかったのである。なぜそんなに急遽行こうとしたのか。それは読んでくれている方からしたら「知らんがな」の一言で済むような個人的な理由なのであるが、このライブが開催された週の月曜日に職場の同僚が亡くなったということを知らされた。元から病気を持っていたとはいえ、先週までは至って普通に喋って仕事をしていた人が。
ミュージシャンが亡くなったりするニュースを見たりすると悲しくてやりきれなくなるけれど、それを知らされた時は全く実感が湧かなかった。ただ今日休んでるだけでしょ?って思っているくらいに。
でもその時に自分の脳内で流れたのはTHE BACK HORNの「美しい名前」と「世界中に花束を」というバンドが命と向き合って生まれた2曲だった。普段仕事をしている時にTHE BACK HORNの曲が頭の中で流れることはないし、亡くなった人は絶対THE BACK HORNというバンドの存在すら知らないような人だ。でもそうしたことがあった週にTHE BACK HORNが日本武道館でワンマンをやるという偶然。スピリチュアルなことは極力信じないようにはしているが、確実に呼ばれたというか導かれたような気がした。だからこの日自分はここに来たし、THE BACK HORNの曲にはそうした力が宿っている。
THE BACK HORNの曲には「命」という単語がよく出てくる。でもそれは決して命を容易く扱ったりぞんざいに捉えているのではなくて、命の重みや愛おしさ、儚さを誰よりも知っている人たちのバンドだから。
それを自身の音楽にできるのはTHE BACK HORNのメンバーが本当に優しい男たちだから。それはどんなにドロドロした曲や激しい曲からもそういう人間らしさがちゃんと伝わってくるし、20年経っても田舎の青年というイメージは不思議なくらいに変わらない。
そんな人たちだから、これまでの曲で身近な人の命はもちろん、全く知らない、会ったことのない人たちの命をも自分たちの曲で歌ってきたし、自分の近しい人が亡くなってしまった時にその曲たちが頭の中で流れてきた。これからもそういう別れを経験するたびに頭の中に流れるのはこのバンドの曲なのかもしれない。
自分自身、そうした経験をするたびに終わりを意識することもあるけれど、こうして20年を超えても進み続けるバンドの姿を見ていると、否、まだだここでは死ねない。
1.その先へ
2.ブラックホールバースデイ
3.サニー
4.罠
5.ジョーカー
6.独り言
7.悪人
8.雷電
9.コワレモノ
10.初めての呼吸で
11.ヘッドフォンチルドレン
12.美しい名前
13.未来
14.Running Away
15.グローリア
16.シンフォニア
17.コバルトブルー
18.刃
encore
19.冬のミルク
20.ハナレバナレ
21.無限の荒野
コバルトブルー
https://youtu.be/umxUwR4OqSk
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