amazarashi Live Tour 2018 「地方都市のメメント・モリ」 追加公演 6/22 @中野サンプラザ
- 2018/06/22
- 23:38
昨年末にリリースされたアルバム「地方都市のメメント・モリ」を携えて、4月から始まった今回のツアーもいよいよこの日の追加公演でファイナル。その会場はもはやamazarashiといえばこの場所、となりつつある、去年は公演途中中止という事態も経験した、中野サンプラザ。
今回のツアーは追加公演以外はライブハウスだったが、最後はやはりamazarashiのホームと言えるホール会場、そしてこの場所である。
19時過ぎに場内が一気に暗転し、おなじみの紗幕にamazarashiのバンドロゴが映し出されると、その瞬間にすでに紗幕の向こうにスタンバイしていたメンバーたちが演奏を始める。紗幕に次々に映し出される歌詞は「地方都市のメメント・モリ」のオープニング曲である「ワードプロセッサー」のものだが、秋田ひろむの声は実に力強く、声量も最初から素晴らしい。
基本的な流れ自体はやはりライブハウスの時と変わらない(http://rocknrollisnotdead.blog.fc2.com/blog-entry-486.html?sp 4月20日のZepp DiverCityでのレポ)のだが、オールスタンディングであるライブハウスの熱気とは全く異なり、全員が完全に着席したホールでのライブでは観客の「一音、一瞬たりとも見逃せない」という集中力による、独特の緊張感に満ちている。物音を立てるも、動くことすらもない、ただひたすらにamazarashiの音楽と向き合うだけの空間。
秋田ひろむによる、
「この旅は距離にして11000km~」
という挨拶的な朗読はツアーを重ねたことにより、4月の時よりもさらに数字が増している。この日のライブが長い道のりの果てのものであることが滲み出ている。
「あなたの住む街は、どんな街ですか?」
と問いかけてから、誰しもの故郷を思い起こさせるような田舎町の風景が映し出された「この街で生きている」は、まるで今こうしてライブを見ている中野の街が、自分が生きている街であるかのような錯覚に陥る。これはライブハウスでは味わえなかった感覚だ。
男女の学校生活的なアニメーションのMVが映し出されたのは現状の最新曲である「月曜日」。月曜日とは常に憂鬱なものであるが、それは社会人になったからではなく、学生時代からそうだっただろうか。そしてそれは今の時代でも変わらないだろうか。制服を着ていた時期がすでにかなり前のことになってしまった身としては、そんなことを思わざるを得ない。
基本的にamazarashiのライブは紗幕に映し出される映像を始め、完全に作り込んだ演出のため、ツアー中にセトリが変わるということはほとんどない。ただ単に演奏する曲を変えるだけでなく、映像すらも丸々入れ替えなければいけないし、それによって曲間のつなぎも変化してくるから。しかし今回は4月の時に演奏されていた「未来づくり」に変わり、前回のワンマンでは「地方都市のメメント・モリ」の中では唯一演奏されなかった「リタ」が演奏された。
「忘れた過去に泣いたりしない 過ぎない時間に泣いたりしない
君と笑った 季節が終わる 時は流れる たったそれだけ」
と悲しいはずなのに、悲しみをかみ殺すような離別の曲。そんな風に生きていけたらどれだけ楽だろうか。秋田も決してそうした別れを忘れたりすることができないからこうした曲になるんだろう。
タイトル通りに自身の吐いた嘘を食べて巨大化していくバケモノの映像が映し出された「バケモノ」からは、曲の歌詞がさながら虫のようにうごめく「ムカデ」と、曲調も映像もおどろおどろしさを増していく。キレイな部分だけではなく、人間の誰しもが持っているこうした闇の部分を明確に描けるからこそ、コントラストによって光のあたる部分が一層輝く。そしてそうした闇を感じさせる曲は、「果たして自分はそうした存在になっていないだろうか?」と自分自身に向き合うことにもなる。
まだ「夏を待って」いる最中にもかかわらず、朗読的に演奏された「冬が来る前に」からの「ハルキオンザロード」は秋田がギターを弾かずにボーカルに専念し、ポエトリーリーディングかのように次々と言葉が放たれていく。
そして前回のライブでは演奏されなかった「ラブソング」がファイナルにして追加される。しかしながらこれまでこの曲が演奏される時に映し出されていたMVではなく、美しい建物が荒廃した成れの果てのような廃墟の実写映像がメインに映し出された。この今までとは全く違う映像の使い方からも、このライブ、このツアーがこれまでのamazarashiのものとは全く意味合いが異なるものであると確信できた。
一転して空を切り裂くような爽やかなサウンドと、後半になっても伸びやかさは全く変わらない秋田ひろむの声が響き渡る「空に歌えば」からは終盤へ。やはり豊川真奈美がいないためにコーラスは同期になっているのは寂しい気持ちもあるが、この曲はもはやamazarashiの代表曲と言ってもいいくらいの受け入れられ方である。もしかしたらこの曲でamazarashiと出会ったという若い人も多いのかもしれない。
まさにステージが水槽なのかと思うくらいに秋田の言葉とともに意識が沈んでいく「水槽」、「地方都市のメメント・モリ」を締めくくる曲である「ぼくら対せかい」と言葉の量と鋭さはここにきてさらに増し、「多数決」「命にふさわしい」とサウンドもさらに激しさを増していく。特に井手上誠のギターはamazarashiの曲にさらに轟音のエッセンスを加えている。彼は弾いている姿も面白いので、紗幕の向こう側が気になってしまうが。
秋田が冒頭と同じ内容の朗読をしたかと思いきや、
「またあなたの住む街で、どこかで、生きて必ず会いましょう。言いたいことはたった一つだけ。どうも、ありがとうございました!!!」
と再会を約束しながら、過去最大声量で観客への感謝を告げると、言葉だけでなくamazarashiの美しいメロディの真髄である「悲しみ一つも残さないで」を感情をたっぷり込めて歌うと、
「11年前にこの曲ができた時に全てが始まりました!」
と、amazarashiの旅の始まりにして、今回のツアーの最後の曲となった「スターライト」。これもアニメーション的な映像は今回はなし。アウトロでは演奏するメンバーの姿がはっきりと見え、メンバー全員が向かいあって演奏を締めた。その姿は秋田ひろむのソロプロジェクトなんかではなくて、紛れもなくバンドそのものだった。
終演後にはバンドロゴが紗幕に映し出される中、今回本編では演奏されなかった「未来づくり」が終演SEとして流れた。これからさらなるamazarashiの未来に向かっていくように。
先に何度か触れたように、今回のツアーはこれまでのamazarashiのライブとは全く違うものであった。これまでの、「スターライト」や「虚無病」などのコンセプチュアルなライブでは全くなかったし、amazarashiのライブを形容する際によく使われていた「まるで映画のような」とか「芸術的」という内容でも全くない。
そうしてMVや映像を可能な限り排し、紗幕に映し出されるのは曲の歌詞ばかり。なのでこれまでのライブで最もamazarashiの歌詞に向き合うライブとなったし、理論武装解除した、これまでで最も生身のamazarashiの姿が見えたツアーであった。
これからその路線で進むのか、とも思ったが、終演後に行われた、11月の日本武道館ワンマンでの演出のシミュレーション体験からは、どうやらまた今回のツアーとは全く違う内容になりそうなことがうかがえる。
スマホのアプリと会場のスピーカーを連動させ、スマホの画面とフラッシュから光が発するというこの新たな試みと新たな演出は、amazarashiのライブに初めて我々観客が参加している感覚を味わえるものになりそうな予感がする。一度はバンドを諦めて東京から去った秋田が、東京の象徴と言える会場のステージに立つ。その日は間違いなく忘れられない、記念碑的なライブになるはず。中野サンプラザの電波状況が悪くて、スマホアプリをインストールするのにみんなめちゃくちゃ時間かかっていたけれど。
1.ワードプロセッサー
2.空洞空洞
3.フィロソフィー
4.この街で生きている
5.たられば
6.月曜日
7.リタ
8.バケモノ
9.ムカデ
10.冬が来る前に
11.ハルキオンザロード
12.ラブソング
13.空に歌えば
14.水槽
15.ぼくら対せかい
16.多数決
17.命にふさわしい
18.悲しみ一つも残さないで
19.スターライト
月曜日
https://youtu.be/fodRoRdDSug
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今回のツアーは追加公演以外はライブハウスだったが、最後はやはりamazarashiのホームと言えるホール会場、そしてこの場所である。
19時過ぎに場内が一気に暗転し、おなじみの紗幕にamazarashiのバンドロゴが映し出されると、その瞬間にすでに紗幕の向こうにスタンバイしていたメンバーたちが演奏を始める。紗幕に次々に映し出される歌詞は「地方都市のメメント・モリ」のオープニング曲である「ワードプロセッサー」のものだが、秋田ひろむの声は実に力強く、声量も最初から素晴らしい。
基本的な流れ自体はやはりライブハウスの時と変わらない(http://rocknrollisnotdead.blog.fc2.com/blog-entry-486.html?sp 4月20日のZepp DiverCityでのレポ)のだが、オールスタンディングであるライブハウスの熱気とは全く異なり、全員が完全に着席したホールでのライブでは観客の「一音、一瞬たりとも見逃せない」という集中力による、独特の緊張感に満ちている。物音を立てるも、動くことすらもない、ただひたすらにamazarashiの音楽と向き合うだけの空間。
秋田ひろむによる、
「この旅は距離にして11000km~」
という挨拶的な朗読はツアーを重ねたことにより、4月の時よりもさらに数字が増している。この日のライブが長い道のりの果てのものであることが滲み出ている。
「あなたの住む街は、どんな街ですか?」
と問いかけてから、誰しもの故郷を思い起こさせるような田舎町の風景が映し出された「この街で生きている」は、まるで今こうしてライブを見ている中野の街が、自分が生きている街であるかのような錯覚に陥る。これはライブハウスでは味わえなかった感覚だ。
男女の学校生活的なアニメーションのMVが映し出されたのは現状の最新曲である「月曜日」。月曜日とは常に憂鬱なものであるが、それは社会人になったからではなく、学生時代からそうだっただろうか。そしてそれは今の時代でも変わらないだろうか。制服を着ていた時期がすでにかなり前のことになってしまった身としては、そんなことを思わざるを得ない。
基本的にamazarashiのライブは紗幕に映し出される映像を始め、完全に作り込んだ演出のため、ツアー中にセトリが変わるということはほとんどない。ただ単に演奏する曲を変えるだけでなく、映像すらも丸々入れ替えなければいけないし、それによって曲間のつなぎも変化してくるから。しかし今回は4月の時に演奏されていた「未来づくり」に変わり、前回のワンマンでは「地方都市のメメント・モリ」の中では唯一演奏されなかった「リタ」が演奏された。
「忘れた過去に泣いたりしない 過ぎない時間に泣いたりしない
君と笑った 季節が終わる 時は流れる たったそれだけ」
と悲しいはずなのに、悲しみをかみ殺すような離別の曲。そんな風に生きていけたらどれだけ楽だろうか。秋田も決してそうした別れを忘れたりすることができないからこうした曲になるんだろう。
タイトル通りに自身の吐いた嘘を食べて巨大化していくバケモノの映像が映し出された「バケモノ」からは、曲の歌詞がさながら虫のようにうごめく「ムカデ」と、曲調も映像もおどろおどろしさを増していく。キレイな部分だけではなく、人間の誰しもが持っているこうした闇の部分を明確に描けるからこそ、コントラストによって光のあたる部分が一層輝く。そしてそうした闇を感じさせる曲は、「果たして自分はそうした存在になっていないだろうか?」と自分自身に向き合うことにもなる。
まだ「夏を待って」いる最中にもかかわらず、朗読的に演奏された「冬が来る前に」からの「ハルキオンザロード」は秋田がギターを弾かずにボーカルに専念し、ポエトリーリーディングかのように次々と言葉が放たれていく。
そして前回のライブでは演奏されなかった「ラブソング」がファイナルにして追加される。しかしながらこれまでこの曲が演奏される時に映し出されていたMVではなく、美しい建物が荒廃した成れの果てのような廃墟の実写映像がメインに映し出された。この今までとは全く違う映像の使い方からも、このライブ、このツアーがこれまでのamazarashiのものとは全く意味合いが異なるものであると確信できた。
一転して空を切り裂くような爽やかなサウンドと、後半になっても伸びやかさは全く変わらない秋田ひろむの声が響き渡る「空に歌えば」からは終盤へ。やはり豊川真奈美がいないためにコーラスは同期になっているのは寂しい気持ちもあるが、この曲はもはやamazarashiの代表曲と言ってもいいくらいの受け入れられ方である。もしかしたらこの曲でamazarashiと出会ったという若い人も多いのかもしれない。
まさにステージが水槽なのかと思うくらいに秋田の言葉とともに意識が沈んでいく「水槽」、「地方都市のメメント・モリ」を締めくくる曲である「ぼくら対せかい」と言葉の量と鋭さはここにきてさらに増し、「多数決」「命にふさわしい」とサウンドもさらに激しさを増していく。特に井手上誠のギターはamazarashiの曲にさらに轟音のエッセンスを加えている。彼は弾いている姿も面白いので、紗幕の向こう側が気になってしまうが。
秋田が冒頭と同じ内容の朗読をしたかと思いきや、
「またあなたの住む街で、どこかで、生きて必ず会いましょう。言いたいことはたった一つだけ。どうも、ありがとうございました!!!」
と再会を約束しながら、過去最大声量で観客への感謝を告げると、言葉だけでなくamazarashiの美しいメロディの真髄である「悲しみ一つも残さないで」を感情をたっぷり込めて歌うと、
「11年前にこの曲ができた時に全てが始まりました!」
と、amazarashiの旅の始まりにして、今回のツアーの最後の曲となった「スターライト」。これもアニメーション的な映像は今回はなし。アウトロでは演奏するメンバーの姿がはっきりと見え、メンバー全員が向かいあって演奏を締めた。その姿は秋田ひろむのソロプロジェクトなんかではなくて、紛れもなくバンドそのものだった。
終演後にはバンドロゴが紗幕に映し出される中、今回本編では演奏されなかった「未来づくり」が終演SEとして流れた。これからさらなるamazarashiの未来に向かっていくように。
先に何度か触れたように、今回のツアーはこれまでのamazarashiのライブとは全く違うものであった。これまでの、「スターライト」や「虚無病」などのコンセプチュアルなライブでは全くなかったし、amazarashiのライブを形容する際によく使われていた「まるで映画のような」とか「芸術的」という内容でも全くない。
そうしてMVや映像を可能な限り排し、紗幕に映し出されるのは曲の歌詞ばかり。なのでこれまでのライブで最もamazarashiの歌詞に向き合うライブとなったし、理論武装解除した、これまでで最も生身のamazarashiの姿が見えたツアーであった。
これからその路線で進むのか、とも思ったが、終演後に行われた、11月の日本武道館ワンマンでの演出のシミュレーション体験からは、どうやらまた今回のツアーとは全く違う内容になりそうなことがうかがえる。
スマホのアプリと会場のスピーカーを連動させ、スマホの画面とフラッシュから光が発するというこの新たな試みと新たな演出は、amazarashiのライブに初めて我々観客が参加している感覚を味わえるものになりそうな予感がする。一度はバンドを諦めて東京から去った秋田が、東京の象徴と言える会場のステージに立つ。その日は間違いなく忘れられない、記念碑的なライブになるはず。中野サンプラザの電波状況が悪くて、スマホアプリをインストールするのにみんなめちゃくちゃ時間かかっていたけれど。
1.ワードプロセッサー
2.空洞空洞
3.フィロソフィー
4.この街で生きている
5.たられば
6.月曜日
7.リタ
8.バケモノ
9.ムカデ
10.冬が来る前に
11.ハルキオンザロード
12.ラブソング
13.空に歌えば
14.水槽
15.ぼくら対せかい
16.多数決
17.命にふさわしい
18.悲しみ一つも残さないで
19.スターライト
月曜日
https://youtu.be/fodRoRdDSug
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