RADWIMPS Road to Catharsis Tour 2018 @さいたまスーパーアリーナ 6/17
- 2018/06/17
- 23:42
前日に続いての、RADWIMPSのさいたまスーパーアリーナワンマン。今回のツアーは基本的に各会場2daysなため、全く同じ内容のものにはならないであろうし、近年の定番曲の代わりに過去曲を多くセトリに入れてきているだけに2日目でも初日とはまた違う楽しみや緊張感がある。
前日とほぼ同じ17:30を少し過ぎたところで、警報のような音が鳴り響き、赤いパトランプが光ると、刃田と森のドラムセットが高くせり上がり、前日と同じくサウナスーツのような服を着た桑原と、緑色の上着を着た武田もステージに現れ、「AADAAKOODAA」からスタートし、洋次郎の立つお立ち台も高くせり上がってきて、歌声とともに姿が見えるというのは変わらない。というかこの規模の演出を使っているだけに、やはり流れ自体は変わらないが、この日はA2ブロックというアリーナ最前の真正面で見ていたため、洋次郎がいきなり中央の花道に飛び出してきた時の迫力が段違い。
また、ステージの9面あったLEDモニターのうちの下の3つはドラム台とお立ち台を兼ねたものだということも近くで見るとよくわかる。
武田がシンセからベースに持ち替えた「One man live」では左右それぞれの花道にその武田と桑原が走り出して行くのだが、こうして見ると武田のベースの安定感は本当に素晴らしい。日向秀和(ストレイテナー、Nothing Carved In Stone)やKenKen(RIZE、Dragon Ash)のようにド派手なプレイをするわけでも、見た目が目立つわけでもないが、その場を回りながらスラップ奏法を披露してバンドのサウンドを支えている。そもそもがツインドラムになって最も苦労したのは同じリズム隊である武田である。それだけにツインドラムと合わせるのを完全に会得するまでにはかつてよりもはるかに努力してきたであろうことが実によくわかる。
「ます。」では
「迷わずYOU!!!」の大合唱に合わせて桑原と武田も中央の花道に駆け出して並んで演奏する。まるで全てのYOUたちの思いを1番近くでしっかりと受け止めようとするように。
「今日はすごいね!なんかオープニングアクトでもあったのかって思うくらいに(笑)
みんな、今日はとことんまで愛し合っていきましょうよ!」
と洋次郎が挨拶がてらに前日よりもリアクションが大きい観客にビックリすると、曲途中でマイクから離れて観客の大合唱を誘った「ふたりごと」へ。
前日は正直、序盤の洋次郎の喉のコンディションがそこまで良くなかったのだが、この日は前日よりもはるかに声が良く出ていた。それは喉のケアによるものなのか、それとも洋次郎は2daysだと2日目の方が声が出るというタイプなのか。(かつて対バンした米津玄師は明らかにそのタイプ)確かにこれまでも2daysの2日目に声が出なくなるということはほとんどなかったが。
桑原と武田による間奏でのセッションが起こった「遠恋」では前日同様に洋次郎が向かい合う2人と肩を組み、武田の髪や桑原の顔を触ったりするという一面も。
コーラス部分で15年近く前にリリースされた曲(しかもほとんどライブでやらないアルバム曲)にもかかわらず大合唱が発生した「俺色スカイ」、洋次郎がハンドマイクで花道を歩き、花道の先端に用意された巨大なバスドラを叩く「やどかり」、ジャズ的なピアノのイントロが追加された「揶揄」と、前日以上にテンポ良く曲を連発していった前半、というイメージ。
刃田と森のドラムセットが下に降りてきて、メンバーたちと同じ高さになってから演奏された「スパークル」は演出らしい演出はなく、ただひたすらその曲のメロディと歌詞、そして今目の前で歌い演奏しているメンバーの姿のみに意識を集中させるのだが、聴いていると「君の名は。」の劇中の名場面が次々に頭に浮かんでくる。何度も見た映画だからというのもあるのだろうが、それ以上にRADWIMPSの曲が本当に映画の映像やストーリーとマッチしていたということの方が大きいのだろう。
桑原によるサポートドラマー2人の紹介を兼ねた雑談的なMCでは、森がサポートのオーディションを受けた際に、洋次郎も武田も「森で間違いないだろう」と言っていたにもかかわらず、桑原だけが他の人を推していたという事実が判明し、森に謝罪するという展開に。
そうして少し和んだ後の後半戦は長尺セッションを挟んだ「おしゃかしゃま」から始まるのだが、そのセッションでは洋次郎が指揮者のように桑原&刃田、武田&森チームを交互に音を出させるのだが、フェイントを交えたところに桑原がひっかかりそうになったりもしたが、前日よりは短めになったイメージ。やはりこの完璧な呼吸の合いっぷりとそれぞれの演奏力の高さは素晴らしい。
最新シングル「カタルシスト」ではステージ上でカメラマンが撮影した洋次郎の映像がリアルタイムでスクリーンに映し出され、ステージからは炎が噴き上がるのだが、テレビのワールドカップ応援ソングであるこの曲、どの部分をオンエアするかで受ける印象は全く変わるだろうな、と思うくらいに転調しまくり。最初のヒップホップ的なビートと、最後のギターロック的なサウンドは全く別の曲だと言ってもいい。それだけに、歌詞も含めてオンエアするときはフル尺でしっかりと聴いてもらいたい曲。
個人的に歌詞の内容がRADWIMPSの中でトップクラスに強烈かつ刺激的だと思っている「洗脳」はやはりかなりの長尺アレンジを施したものになったが、これはきっとこのツアー以降で聴ける機会はほとんどないだろう。収録シングルのタイトル曲を去年のこの会場でのライブ以外で全くやっていないのはよくわからないが…。
その「洗脳」の長いアウトロの間にアリーナ後方のブロック間のサブステージに移動した洋次郎がピアノとともに高くせり上がると、前日の「告白」ではなく、「週刊少年ジャンプ」を弾き語り的な要素が強い(刃田のウインドチャイムの音なども入ってはいたが)形で演奏。この曲はこのツアーで初めて演奏したらしい。
そしてこの日も洋次郎は、「HINOMARU」を演奏する前に、
「俺は小さい頃にアメリカにいた時期があったんだけど、アメリカって朝に国旗を見ながら国家を歌う時間があって。そうして自分の国に誇りを持てるのは素晴らしいなって思ってたんだけど、日本に帰ってきたら自分の国の国旗を見る機会がほとんどないのは寂しいなと思って…。
でもあの声明も、「謝罪なんかしなくていい」って言ってくれる人がたくさんいて。でも韓国や中国にいる俺たちのファンの人が、親からRADWIMPSのライブに行っちゃダメだって言われたらしくて。それは俺たちの本意ではないし、その人たちにも俺たちのライブに来て欲しい。
(韓国から来た人から声が上がる)本当にありがとう。「HINOMARU」を必要以上に支持した人たちからは嫌われることかもしれないけれど、俺たちもアジアが大好きだから、これからもアジアに言ってライブがしたい。だからあの声明を出したんです。これだけ言っても、「いや洋次郎はなにがしかの思想に侵されている」とか「洋次郎は変わってしまった」とか言う人もいるかもしれない。そう感じたら俺を糾弾する側に回ってもらっても全然構わない。でもいつかまたRADWIMPSのライブを見に来て欲しい」
と、前日以上に詳しく、あの声明をなんのために出したのかということを語り、ステージを真っ直ぐに見つめて「HINOMARU」を歌った。ただただ、なんの政治的な意思も宗教的な意思もなく、我々が生きているこの国の国旗の曲として。
「HINOMARU」が話題になった時、洋次郎は右翼的だと言われまくっていた。今のこの国においては、それは現政権を支持する勢力とイコールで見られると思って間違いないだろう。しかし洋次郎の普段の発言を見たり聞いたりしている人たちならば、洋次郎がそっち側に擦り寄るようなことをする男ではないとすぐにわかるはず。なぜなら洋次郎は現政権の政策などに対して批判や疑問を度々口にしているから。では洋次郎は左翼的な思想の男なのか?というと決してそんなこともない。そもそもが何か意思を表明するだけで右か左かに振り分けられてしまうのがそもそもおかしいのだ。
Hi-STANDARDの横山健が震災後に口にしている通り、
「原発反対って言ったら左翼だって言われて。日の丸掲げたら右翼だって言われる」
という状況そのものだ。どっちかに属そうという意識を持っているわけではない。
だから「謝罪しなくていい」というのは当然だ。そういう曲ではないのだから。「歌詞に問題がある」とも言われていた。しかし歌詞は詩とは違う。メロディに乗るための言葉だ。だからメロディに合わせて言葉の数を増やしたりすることも、減らしたりすることもある。それを曲を聴かないで歌詞だけ見た人が叩いたり、利用するためにこの曲を使っている。
「RADWIMPSらしくラブソングだけ歌ってればいいのに」という意見もあった。だがRADWIMPSを好きな人なら、ラブソングはバンドの持つ側面の一つにしか過ぎないことはちゃんとわかっているはずだ。
「RADWIMPSらしい曲」ってどんな曲だろう?それは人によっては「君の名は。」の劇中で流れていた曲かもしれないし、「ふたりごと」や「有心論」のようなラブソングかもしれない。または「DADA」や「なんちって」のようなミクスチャー的なサウンドの曲かもしれないし、「五月の蝿」や「狭心症」のように目を背けたくなるような曲こそRADの真髄と思う人もいるかもしれないし、あるいは「4645」などのような英語詞の曲、「祈跡」のような生命についての曲…。RADWIMPSはそうした、一言で括れないようないろんなタイプの曲を作ってきた。それら全てが「RADWIMPSらしい曲」で間違いない。そしてそれは「HINOMARU」もそうなのである。
そりゃあ確かに謝罪なんかする必要ないし、何を言われても気にしない、という姿勢でいて欲しかった。でも「傷ついた人がいたら…」というコメントを見て、ああ、洋次郎らしいな、とも思った。東北でライブをやった際に、津波で流されてしまった街から救い出されたピアノを弾いて、そのピアノに詰まった思いを感じて泣いてしまうくらいに、会ったこともない、顔もしらない、でも確かに生きている、生きていた人たちのことを考えてしまうような男だから。「HINOMARU」にはそうした震災から立ち上がろうとしてきた日本人だからこそのフレーズだって入っている。それはこれまでにバンドがずっと3/11に発表してきた復興ソングとも通じるはず。
そしてこうした時に支えになるのがメンバー、その中でもとりわけ刃田の存在は本当に大きいはず。元々は東京事変のドラマーであった刃田は、椎名林檎が洋次郎と同じように叩かれていたのを近くでずっと見ていた。それでも決して表現することから逃げずに、凛としているように見えた椎名林檎の姿を見ていた刃田だからこそ、今の洋次郎にかけられる言葉が必ずあったはず。ただ単に上手いドラマーだからというだけではない。ちゃんとこのバンドのメンバーとしてこのステージに立っている必然のようなものが生まれている。
「HINOMARU」のコーラスを大合唱しながらステージに戻ると、「トレモロ」、そしてこの日も手拍子と大合唱が鳴り響く中、「いいんですか?」では洋次郎が
「愛してるよー!」
と叫んだ。それは洋次郎から発されたものであっても、間違いなく我々と双方向での「愛してるよー!」であった。
そしてラストはこの日も洋次郎が観客を
「そんなんじゃバラードとかに変えようか?「25コ目の染色体」とかに(笑)」
と煽りまくったが、個人的にはそっちも久しぶりに聴いてみたいところであった。しかしやはり最後は洋次郎がマイクスタンドを中央の花道に持ってきてそこで歌った「君と羊と青」だったのだが、前日はやらなかったアウトロの高速バージョンの演奏もやったのだが、スタッフ側はやらずに終わると思ったのか、すでに外音を切られており、全然聞こえなかったのが、外音を入れたらいきなり聞こえるという、完全なるサプライズであったことを伺わせた。RADWIMPSのライブはいつもこういう風に決まりがない。その日その時の状況や空気でいきなり変わることがある。それが常にこの日でしかない景色を生み出してきたのだ。
アンコールでは洋次郎以外のメンバーがツアーTシャツ(刃田は物販で売られていたジャージ)に着替えて登場し、洋次郎が客席の様子をスマホで撮影すると、今回のツアーの際にチケット購入者に行われた、「ライブでやって欲しいアンケート」の結果をメンバーが見て、上位に入っていたという「セプテンバーさん」を演奏。かつては長々とコール&レスポンスが行われていた部分も音源と同じ長さに収まり(そもそももう「イナバウアー」とかを知ってる人もそう多くないだろう)、桑原の美しいアルペジオに酔いしれていた。
そして、
「昔このさいたまスーパーアリーナでライブをやった時に、ちゃんと時間とか音量とか守ったのに、近隣から「味噌汁が揺れた」っていう苦情が来た(笑)」
というエピソードを話したので、「これは味噌汁'sの曲をやる振りか!?」と思ったらそんなことにはならず(そう思った人も絶対たくさんいるはず)、前日同様に「DADA」でさいたまスーパーアリーナを揺らしまくった5人が花道に出てきて肩を組んで一礼すると、洋次郎が投げキスをしながら、
「幸せになれよ!」
と叫んだ。色々と余計なことが頭に浮かばざるを得ないような状態になってしまったが、ライブ中だけは、そんなことを考えなくていいくらいに本当に幸せな瞬間ばかりだった。
RADWIMPSと出会った時、まだメンバーも自分も10代だった。なぜなら彼らと自分は同い年だから。その頃は、慶応大に行ってて、この年で「RADWIMPS 3 ~無人島に持っていき忘れた一枚~」っていう名盤を作って、こんなにスムーズに英語で歌えて、こんなに普通の人じゃ思いつくことすらないような歌詞を書けて…。洋次郎はまさに「僕にないものばかりで出来上がった君」だった。あっという間に横浜アリーナでワンマンをやるようになったその姿を見て、「すごいな…」って思っていたし、「ほとんど同じ月日の人生を過ごしてきているはずなのに、なぜこんなにも違うのだろうか」と嫉妬したり、比べて凹むこともあった。
2007年8月31日の横浜アリーナでのワンマンでそれまでの集大成を見せた後の、「アルトコロニーの定理」期のサマソニやROCKS TOKYOでのライブは明らかに精彩を欠いていた。そしてそれはそこからも数年続き、もうダメなんだろうか…とすら思うこともあったが、震災後の「絶体絶命」から「×と○と罪と」を経てようやくあの無敵のRADWIMPS感が戻ってきた。
と思ったら、山口智史がドラムを叩けなくなってしまった。この世代のバンドは本当に「このメンバーじゃなくなったら終わりだろうな」っていうバンドばかりであり(チャットモンチーや9mm Parabellum Bullet、Base Ball Bearら。みんな形が変わったが)、RADWIMPSはメンバーの関係性からも、その最たる存在であっただけに、もう終わるんだろうか、とも思った。
でもRADWIMPSは森と刃田を加えた形で、智史の不在を乗り越えた。その時にはちょうど我々は30歳を迎え、もはや若手と呼ばれるような年齢ではなくなっていた。バンドにも色々あったが、こっちにも色々あった。でもそんなバンドの色々を見続けてきたからこそ、かつて嫉妬すらした、洋次郎らメンバーのステージに立つ姿から、「何回だって新しくスタートできる」ということを身をもって教えられた。その姿に力や勇気をもらえるようになっていた。
同い年の彼らがこんなに頑張ってるんだから、俺らだってまだまだいける。そうしてRADWIMPSのライブが、明日からの生活への力になっているし、それはこれからも決して変わらないはず。
「俺の言うこと全てを鵜呑みにしなくていい。間違ってると思ったら間違ってるって思ってくれていいし、離れていっても仕方がない」
と洋次郎は言っていたが、離れる理由なんてない。間違ってるとも思ってないし、出会った頃から今に至るまでのRADWIMPSの曲が本当に好きだから。昔の曲もライブで聴きたいし、新曲だって聴きたい。そして最期の瞬間まで、しっかりこの目で見ていたいんだ。
1.AADAAKOODAA
2.One man live
3.ます。
4.ふたりごと
5.遠恋
6.俺色スカイ
7.やどかり
8.揶揄
9.秋祭り
10.スパークル
11.おしゃかしゃま
12.カタルシスト
13.洗脳
14.週刊少年ジャンプ
15.HINOMARU
16.トレモロ
17.いいんですか?
18.君と羊と青
encore
19.セプテンバーさん
20.DADA
カタルシスト
https://youtu.be/czWpz8gH7eY
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前日とほぼ同じ17:30を少し過ぎたところで、警報のような音が鳴り響き、赤いパトランプが光ると、刃田と森のドラムセットが高くせり上がり、前日と同じくサウナスーツのような服を着た桑原と、緑色の上着を着た武田もステージに現れ、「AADAAKOODAA」からスタートし、洋次郎の立つお立ち台も高くせり上がってきて、歌声とともに姿が見えるというのは変わらない。というかこの規模の演出を使っているだけに、やはり流れ自体は変わらないが、この日はA2ブロックというアリーナ最前の真正面で見ていたため、洋次郎がいきなり中央の花道に飛び出してきた時の迫力が段違い。
また、ステージの9面あったLEDモニターのうちの下の3つはドラム台とお立ち台を兼ねたものだということも近くで見るとよくわかる。
武田がシンセからベースに持ち替えた「One man live」では左右それぞれの花道にその武田と桑原が走り出して行くのだが、こうして見ると武田のベースの安定感は本当に素晴らしい。日向秀和(ストレイテナー、Nothing Carved In Stone)やKenKen(RIZE、Dragon Ash)のようにド派手なプレイをするわけでも、見た目が目立つわけでもないが、その場を回りながらスラップ奏法を披露してバンドのサウンドを支えている。そもそもがツインドラムになって最も苦労したのは同じリズム隊である武田である。それだけにツインドラムと合わせるのを完全に会得するまでにはかつてよりもはるかに努力してきたであろうことが実によくわかる。
「ます。」では
「迷わずYOU!!!」の大合唱に合わせて桑原と武田も中央の花道に駆け出して並んで演奏する。まるで全てのYOUたちの思いを1番近くでしっかりと受け止めようとするように。
「今日はすごいね!なんかオープニングアクトでもあったのかって思うくらいに(笑)
みんな、今日はとことんまで愛し合っていきましょうよ!」
と洋次郎が挨拶がてらに前日よりもリアクションが大きい観客にビックリすると、曲途中でマイクから離れて観客の大合唱を誘った「ふたりごと」へ。
前日は正直、序盤の洋次郎の喉のコンディションがそこまで良くなかったのだが、この日は前日よりもはるかに声が良く出ていた。それは喉のケアによるものなのか、それとも洋次郎は2daysだと2日目の方が声が出るというタイプなのか。(かつて対バンした米津玄師は明らかにそのタイプ)確かにこれまでも2daysの2日目に声が出なくなるということはほとんどなかったが。
桑原と武田による間奏でのセッションが起こった「遠恋」では前日同様に洋次郎が向かい合う2人と肩を組み、武田の髪や桑原の顔を触ったりするという一面も。
コーラス部分で15年近く前にリリースされた曲(しかもほとんどライブでやらないアルバム曲)にもかかわらず大合唱が発生した「俺色スカイ」、洋次郎がハンドマイクで花道を歩き、花道の先端に用意された巨大なバスドラを叩く「やどかり」、ジャズ的なピアノのイントロが追加された「揶揄」と、前日以上にテンポ良く曲を連発していった前半、というイメージ。
刃田と森のドラムセットが下に降りてきて、メンバーたちと同じ高さになってから演奏された「スパークル」は演出らしい演出はなく、ただひたすらその曲のメロディと歌詞、そして今目の前で歌い演奏しているメンバーの姿のみに意識を集中させるのだが、聴いていると「君の名は。」の劇中の名場面が次々に頭に浮かんでくる。何度も見た映画だからというのもあるのだろうが、それ以上にRADWIMPSの曲が本当に映画の映像やストーリーとマッチしていたということの方が大きいのだろう。
桑原によるサポートドラマー2人の紹介を兼ねた雑談的なMCでは、森がサポートのオーディションを受けた際に、洋次郎も武田も「森で間違いないだろう」と言っていたにもかかわらず、桑原だけが他の人を推していたという事実が判明し、森に謝罪するという展開に。
そうして少し和んだ後の後半戦は長尺セッションを挟んだ「おしゃかしゃま」から始まるのだが、そのセッションでは洋次郎が指揮者のように桑原&刃田、武田&森チームを交互に音を出させるのだが、フェイントを交えたところに桑原がひっかかりそうになったりもしたが、前日よりは短めになったイメージ。やはりこの完璧な呼吸の合いっぷりとそれぞれの演奏力の高さは素晴らしい。
最新シングル「カタルシスト」ではステージ上でカメラマンが撮影した洋次郎の映像がリアルタイムでスクリーンに映し出され、ステージからは炎が噴き上がるのだが、テレビのワールドカップ応援ソングであるこの曲、どの部分をオンエアするかで受ける印象は全く変わるだろうな、と思うくらいに転調しまくり。最初のヒップホップ的なビートと、最後のギターロック的なサウンドは全く別の曲だと言ってもいい。それだけに、歌詞も含めてオンエアするときはフル尺でしっかりと聴いてもらいたい曲。
個人的に歌詞の内容がRADWIMPSの中でトップクラスに強烈かつ刺激的だと思っている「洗脳」はやはりかなりの長尺アレンジを施したものになったが、これはきっとこのツアー以降で聴ける機会はほとんどないだろう。収録シングルのタイトル曲を去年のこの会場でのライブ以外で全くやっていないのはよくわからないが…。
その「洗脳」の長いアウトロの間にアリーナ後方のブロック間のサブステージに移動した洋次郎がピアノとともに高くせり上がると、前日の「告白」ではなく、「週刊少年ジャンプ」を弾き語り的な要素が強い(刃田のウインドチャイムの音なども入ってはいたが)形で演奏。この曲はこのツアーで初めて演奏したらしい。
そしてこの日も洋次郎は、「HINOMARU」を演奏する前に、
「俺は小さい頃にアメリカにいた時期があったんだけど、アメリカって朝に国旗を見ながら国家を歌う時間があって。そうして自分の国に誇りを持てるのは素晴らしいなって思ってたんだけど、日本に帰ってきたら自分の国の国旗を見る機会がほとんどないのは寂しいなと思って…。
でもあの声明も、「謝罪なんかしなくていい」って言ってくれる人がたくさんいて。でも韓国や中国にいる俺たちのファンの人が、親からRADWIMPSのライブに行っちゃダメだって言われたらしくて。それは俺たちの本意ではないし、その人たちにも俺たちのライブに来て欲しい。
(韓国から来た人から声が上がる)本当にありがとう。「HINOMARU」を必要以上に支持した人たちからは嫌われることかもしれないけれど、俺たちもアジアが大好きだから、これからもアジアに言ってライブがしたい。だからあの声明を出したんです。これだけ言っても、「いや洋次郎はなにがしかの思想に侵されている」とか「洋次郎は変わってしまった」とか言う人もいるかもしれない。そう感じたら俺を糾弾する側に回ってもらっても全然構わない。でもいつかまたRADWIMPSのライブを見に来て欲しい」
と、前日以上に詳しく、あの声明をなんのために出したのかということを語り、ステージを真っ直ぐに見つめて「HINOMARU」を歌った。ただただ、なんの政治的な意思も宗教的な意思もなく、我々が生きているこの国の国旗の曲として。
「HINOMARU」が話題になった時、洋次郎は右翼的だと言われまくっていた。今のこの国においては、それは現政権を支持する勢力とイコールで見られると思って間違いないだろう。しかし洋次郎の普段の発言を見たり聞いたりしている人たちならば、洋次郎がそっち側に擦り寄るようなことをする男ではないとすぐにわかるはず。なぜなら洋次郎は現政権の政策などに対して批判や疑問を度々口にしているから。では洋次郎は左翼的な思想の男なのか?というと決してそんなこともない。そもそもが何か意思を表明するだけで右か左かに振り分けられてしまうのがそもそもおかしいのだ。
Hi-STANDARDの横山健が震災後に口にしている通り、
「原発反対って言ったら左翼だって言われて。日の丸掲げたら右翼だって言われる」
という状況そのものだ。どっちかに属そうという意識を持っているわけではない。
だから「謝罪しなくていい」というのは当然だ。そういう曲ではないのだから。「歌詞に問題がある」とも言われていた。しかし歌詞は詩とは違う。メロディに乗るための言葉だ。だからメロディに合わせて言葉の数を増やしたりすることも、減らしたりすることもある。それを曲を聴かないで歌詞だけ見た人が叩いたり、利用するためにこの曲を使っている。
「RADWIMPSらしくラブソングだけ歌ってればいいのに」という意見もあった。だがRADWIMPSを好きな人なら、ラブソングはバンドの持つ側面の一つにしか過ぎないことはちゃんとわかっているはずだ。
「RADWIMPSらしい曲」ってどんな曲だろう?それは人によっては「君の名は。」の劇中で流れていた曲かもしれないし、「ふたりごと」や「有心論」のようなラブソングかもしれない。または「DADA」や「なんちって」のようなミクスチャー的なサウンドの曲かもしれないし、「五月の蝿」や「狭心症」のように目を背けたくなるような曲こそRADの真髄と思う人もいるかもしれないし、あるいは「4645」などのような英語詞の曲、「祈跡」のような生命についての曲…。RADWIMPSはそうした、一言で括れないようないろんなタイプの曲を作ってきた。それら全てが「RADWIMPSらしい曲」で間違いない。そしてそれは「HINOMARU」もそうなのである。
そりゃあ確かに謝罪なんかする必要ないし、何を言われても気にしない、という姿勢でいて欲しかった。でも「傷ついた人がいたら…」というコメントを見て、ああ、洋次郎らしいな、とも思った。東北でライブをやった際に、津波で流されてしまった街から救い出されたピアノを弾いて、そのピアノに詰まった思いを感じて泣いてしまうくらいに、会ったこともない、顔もしらない、でも確かに生きている、生きていた人たちのことを考えてしまうような男だから。「HINOMARU」にはそうした震災から立ち上がろうとしてきた日本人だからこそのフレーズだって入っている。それはこれまでにバンドがずっと3/11に発表してきた復興ソングとも通じるはず。
そしてこうした時に支えになるのがメンバー、その中でもとりわけ刃田の存在は本当に大きいはず。元々は東京事変のドラマーであった刃田は、椎名林檎が洋次郎と同じように叩かれていたのを近くでずっと見ていた。それでも決して表現することから逃げずに、凛としているように見えた椎名林檎の姿を見ていた刃田だからこそ、今の洋次郎にかけられる言葉が必ずあったはず。ただ単に上手いドラマーだからというだけではない。ちゃんとこのバンドのメンバーとしてこのステージに立っている必然のようなものが生まれている。
「HINOMARU」のコーラスを大合唱しながらステージに戻ると、「トレモロ」、そしてこの日も手拍子と大合唱が鳴り響く中、「いいんですか?」では洋次郎が
「愛してるよー!」
と叫んだ。それは洋次郎から発されたものであっても、間違いなく我々と双方向での「愛してるよー!」であった。
そしてラストはこの日も洋次郎が観客を
「そんなんじゃバラードとかに変えようか?「25コ目の染色体」とかに(笑)」
と煽りまくったが、個人的にはそっちも久しぶりに聴いてみたいところであった。しかしやはり最後は洋次郎がマイクスタンドを中央の花道に持ってきてそこで歌った「君と羊と青」だったのだが、前日はやらなかったアウトロの高速バージョンの演奏もやったのだが、スタッフ側はやらずに終わると思ったのか、すでに外音を切られており、全然聞こえなかったのが、外音を入れたらいきなり聞こえるという、完全なるサプライズであったことを伺わせた。RADWIMPSのライブはいつもこういう風に決まりがない。その日その時の状況や空気でいきなり変わることがある。それが常にこの日でしかない景色を生み出してきたのだ。
アンコールでは洋次郎以外のメンバーがツアーTシャツ(刃田は物販で売られていたジャージ)に着替えて登場し、洋次郎が客席の様子をスマホで撮影すると、今回のツアーの際にチケット購入者に行われた、「ライブでやって欲しいアンケート」の結果をメンバーが見て、上位に入っていたという「セプテンバーさん」を演奏。かつては長々とコール&レスポンスが行われていた部分も音源と同じ長さに収まり(そもそももう「イナバウアー」とかを知ってる人もそう多くないだろう)、桑原の美しいアルペジオに酔いしれていた。
そして、
「昔このさいたまスーパーアリーナでライブをやった時に、ちゃんと時間とか音量とか守ったのに、近隣から「味噌汁が揺れた」っていう苦情が来た(笑)」
というエピソードを話したので、「これは味噌汁'sの曲をやる振りか!?」と思ったらそんなことにはならず(そう思った人も絶対たくさんいるはず)、前日同様に「DADA」でさいたまスーパーアリーナを揺らしまくった5人が花道に出てきて肩を組んで一礼すると、洋次郎が投げキスをしながら、
「幸せになれよ!」
と叫んだ。色々と余計なことが頭に浮かばざるを得ないような状態になってしまったが、ライブ中だけは、そんなことを考えなくていいくらいに本当に幸せな瞬間ばかりだった。
RADWIMPSと出会った時、まだメンバーも自分も10代だった。なぜなら彼らと自分は同い年だから。その頃は、慶応大に行ってて、この年で「RADWIMPS 3 ~無人島に持っていき忘れた一枚~」っていう名盤を作って、こんなにスムーズに英語で歌えて、こんなに普通の人じゃ思いつくことすらないような歌詞を書けて…。洋次郎はまさに「僕にないものばかりで出来上がった君」だった。あっという間に横浜アリーナでワンマンをやるようになったその姿を見て、「すごいな…」って思っていたし、「ほとんど同じ月日の人生を過ごしてきているはずなのに、なぜこんなにも違うのだろうか」と嫉妬したり、比べて凹むこともあった。
2007年8月31日の横浜アリーナでのワンマンでそれまでの集大成を見せた後の、「アルトコロニーの定理」期のサマソニやROCKS TOKYOでのライブは明らかに精彩を欠いていた。そしてそれはそこからも数年続き、もうダメなんだろうか…とすら思うこともあったが、震災後の「絶体絶命」から「×と○と罪と」を経てようやくあの無敵のRADWIMPS感が戻ってきた。
と思ったら、山口智史がドラムを叩けなくなってしまった。この世代のバンドは本当に「このメンバーじゃなくなったら終わりだろうな」っていうバンドばかりであり(チャットモンチーや9mm Parabellum Bullet、Base Ball Bearら。みんな形が変わったが)、RADWIMPSはメンバーの関係性からも、その最たる存在であっただけに、もう終わるんだろうか、とも思った。
でもRADWIMPSは森と刃田を加えた形で、智史の不在を乗り越えた。その時にはちょうど我々は30歳を迎え、もはや若手と呼ばれるような年齢ではなくなっていた。バンドにも色々あったが、こっちにも色々あった。でもそんなバンドの色々を見続けてきたからこそ、かつて嫉妬すらした、洋次郎らメンバーのステージに立つ姿から、「何回だって新しくスタートできる」ということを身をもって教えられた。その姿に力や勇気をもらえるようになっていた。
同い年の彼らがこんなに頑張ってるんだから、俺らだってまだまだいける。そうしてRADWIMPSのライブが、明日からの生活への力になっているし、それはこれからも決して変わらないはず。
「俺の言うこと全てを鵜呑みにしなくていい。間違ってると思ったら間違ってるって思ってくれていいし、離れていっても仕方がない」
と洋次郎は言っていたが、離れる理由なんてない。間違ってるとも思ってないし、出会った頃から今に至るまでのRADWIMPSの曲が本当に好きだから。昔の曲もライブで聴きたいし、新曲だって聴きたい。そして最期の瞬間まで、しっかりこの目で見ていたいんだ。
1.AADAAKOODAA
2.One man live
3.ます。
4.ふたりごと
5.遠恋
6.俺色スカイ
7.やどかり
8.揶揄
9.秋祭り
10.スパークル
11.おしゃかしゃま
12.カタルシスト
13.洗脳
14.週刊少年ジャンプ
15.HINOMARU
16.トレモロ
17.いいんですか?
18.君と羊と青
encore
19.セプテンバーさん
20.DADA
カタルシスト
https://youtu.be/czWpz8gH7eY
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