秋山黄色 「一鬼一遊TOUR Lv.4」 @中野サンプラザ 10/13
- 2022/10/14
- 20:07
すでに3月には自身の誕生日に地元の宇都宮でもホールワンマンを行っているが、そうした特別な機会ということを度外視した今回の東京と大阪でのホールワンマンというのは、秋山黄色が完全にホールという規模にふさわしい存在になったということを示すものであると言っていいだろう。大阪のNHKホールに続いてのこの日の中野サンプラザワンマンはきっと秋山黄色にとっては最初で最後のこの会場でのワンマンになるはずだということを考えると間に合って良かったなと思う次第だ。
ステージはパッと見は実に殺風景というか、ただ機材がセッティングされているだけのようにも見える中、平日にしては早めの18時30分を少し過ぎたあたりで場内が暗転すると、こうしたソロアーティストのライブでは珍しく秋山黄色を先頭にしてメンバーがステージに現れるというのは本人のはやる気持ちによるものなのかもしれない。井手上誠(ギター)と藤本ひかり(ベース)の両サイドは近年固定されているが、バンドの父親的な存在であるドラムの片山タカズミがこの日は不在なこともあり、実に久しぶりにBenthamの鈴木敬が参加。3年前のFINLANDSとの渋谷O-nestでの対バンから何度か秋山黄色のライブを支えてくれている存在であるが、今になって再びこうして参加してくれるようになるとは。
その暗転してメンバーが出てくる時からステージにはストロボの光のような照明が明滅し、それと同時にカメラのシャッターを切るような音が響いていた。つまりそれはそのまま「シャッターチャンス」の開始の合図であるということであるが、秋山黄色はハンドマイクで有線のコードを腕に絡み付けながらステージ上を左右に歩くようにして歌い、井手上は早くも客席に向かって右腕を高く掲げる。ステージはやはり殺風景と言えるくらいにシンプルなままであるが、観客はサビで腕を伸ばすと、秋山黄色のカウントのとおりに指を「4,3,2,1」と動かす。そこにはこのライブを待ち望んでいたという客席側の思いが爆発しているように見えるし、秋山黄色自身も曲最後の
「吐き出してみてよ 大きな声で」
というフレーズを自ら実践するかのように体全体を使って思いっきり叫ぶ。シャドーボクシングをするかのように腕を振るう瞬間もあっただけに、かつては40分くらいの持ち時間でもアンコールができないくらいに体力がない、引きこもりそのものだった男は今やこうしてライブで己の肉体とそこに宿っている体力をフルに駆使するライブをするようなアーティストになったのである。
その「シャッターチャンス」のアウトロで秋山黄色がギターを背負うと、井手上がこのホールの広いステージを左右に幅広く使う「Bottoms call」へ。秋山黄色の言葉遊び的な歌詞も実に面白い曲であるが、この絶妙に乗りにくいようなリズムにキャッチーなギターロック的なメロディーが乗っているというのは「FIZZY POP SYNDROME」にすでに「ONE MORE SHABON」に至る片鱗があったということでもある。
すると井手上のギターがあの象徴的なリフを鳴らすのは、この序盤でのまさかの「やさぐれカイドー」。ここでステージ背面にはホールでのライブらしく、電飾を伴ったタイル的なパネルが出てきて曲に鮮やかな色彩を与えるのであるが、イントロでセッション的な演奏が追加されるというのは秋山黄色の、音源を聴いているだけとは全く違うライブの醍醐味でもあるけれど、この日は間奏でMCを挟んだり、近年のライブでは恒例になりつつある、秋山黄色がステージ最前に寝転んでギターを客席に投げ出すようにして弾くというようなパフォーマンスもなく、割とスッキリしたと言えるような形のアレンジで演奏されたのはやはりこの曲が最後を担う流れではないからだろうか。それでもやはりアウトロでは井手上だけならず藤本も、もちろん秋山黄色本人も暴れるように演奏しているというのはこの曲を演奏することによって生じる衝動が確かにあるということである。それはステージ上だけではなくて、我々客席にいる側もそうである。
すると秋山黄色がいつものように軽めな、しかし挨拶だけには止まらないような
「1人で来てる人もいるだろうし、遠くから1人でライブに来てくれるような人も俺のライブにはいるんですよ。友達と一緒に来たっていう人はそれをアピールしていいですし、1人で来たっていう人もいろんな思いを持って来てくれてると思うんで、何も気にしないで楽しんでもらえるようなライブをやりたいと思ってますので。
何より人の目を気にするっていうのが1番くだらないことだと思うんで、声出せないとかのルールはありますけど、人目を気にせずに思いっきり楽しんでくれたらと思います!」
とテンション高く話すのも、このライブを自身が楽しみにしていたからこそだろうし、秋山黄色はこうして音を鳴らすこと、ライブをやることを
「僕も365日休みで、毎日遊んでるようなものなんで(笑)」
と口にしていた。だからこそ秋山黄色のライブはこんなにも自身が解放されているように見えるのだろうし、その姿を見ている我々を楽しくさせてくれるのだなと思う。
ここまでの冒頭3曲だけでもわかる通りに、このライブは特に何かのリリースを受けてのものではない。「ONE MORE SHABON」のアルバムのリリースツアーもすでに終えているからこその自由度の高さであるが、それはそのアルバムツアーでは演奏されず、あまつさえ
「もう今までやり過ぎて飽きてる(笑)」
とすら言わしめた「クラッカー・シャドー」が演奏されたことからもわかる。
「欠けた 心とは裏腹に
また蝋燭が増える 3月だ」
というフレーズは3月生まれ、ましてや結果的に東日本大震災が起こった日に生まれたという業を背負ってしまったこの男か歌うからこそ、誕生日がただめでたいだけの日ではないということを痛感させられるものでもある。井手上が手拍子をするのが観客に広がっていくという光景が見れることも含めて、やはりこうしてライブで聴くことができるというのは嬉しいことであるし、そんな歌詞の重さを重く捉えずに聴くことができるというのは1人で家にこもって音楽を作り続けてきながらもポジティブさしか感じないような根アカオタクの秋山黄色のキャラクターによるものだろう。
そんな秋山黄色は「ONE MORE SHABON」を今年初頭にリリースした後にも早くも新曲を配信リリースしており、その夏フェスでも披露されていた「ソーイングボックス」もワンマンではこの前半に演奏されるのであるが、ピアノを同期で取り入れたこの曲はサウンド的にはソーイングボックスというよりは秋山黄色のオモチャ箱と言えるようなキャッチーさを持った曲だ。秋山黄色はライブではエフェクトをかけた自身の声を重ねたりしているが、それを抜きにしてもこうした「ONE MORE SHABON」の延長線上と言っていいようなタイプの曲が、本人の歌唱力もこの規模にふさわしいものになっていることを実感させてくれる。
そのアウトロからイントロにそのまま繋がるようなアレンジの演奏を、
「聴き慣れないと思うけれど、新曲です!」
と紹介したのは来るべき次のシングル盤のカップリングに収録されるという「年始のTwilight」。秋山黄色がハンドマイクで歌うという姿からもわかるように、ヒップホップ的な歌唱で
「あけおめことよろ」
などのリズミカルな歌詞が次々に口から放たれ、藤本がコーラスを重ねるというのも新境地と言える曲だ。すでに大阪でも聴いた人もいたのか、サビで一気に開けるようにギターとベースアンプの裏に設置されたミラーボールが輝きを放って回り、それに合わせて数人が腕を掲げるとそれがどんどん広がっていく。それくらいに訴求力がある曲だということを示す光景でもあるだけに、早くその歌詞をじっくり見ながら聴きたい曲でもある。
この日は雨が降っていたということもあってか、入場時からすでに近辺は暗くなっていたのであるが、その情景が中野駅前の広場と言ってもいいこの会場の前でスケボーをするような若者のテーマソングのようにも聴こえるのが「Night park」。秋山黄色は身振り手振りで歌詞を表現するようにハンドマイクで歌うのであるが、サビまでは同期のリズムとサウンドだけなのがサビでバンドサウンドになり、それに合わせるように一気に鮮やかにステージを照らし出すホールならではの照明も実に見事である。
この曲でも象徴的なように、秋山黄色の特に「ONE MORE SHABON」以降の曲にはこうした「ライブにキーボードメンバー入れないんだろうか?」とか「同期の音だとライブ感なくならないだろうか」みたいに思うような曲もあるのだが、実際にこうしてライブを見ると全くそうは思わなくなる。それはその同期の音も音源をそのまま垂れ流してカラオケ的に歌うというのではなくて、あくまでライブの音として鳴っていて、それがメンバーの鳴らす生音と融合させることができているからだ。それをきっと秋山黄色は計算してというか意識的にというよりは無自覚でやっているというのがこの男の恐ろしいところである。
するとスタッフが袖から一斉に出てきて椅子をステージに置いたり機材を替えたりという転換が行われる。それは実に珍しいアコースティックセットへのチェンジとなり、その編成ではカホンやウインドチャイムを鳴らす鈴木を秋山黄色は
「いつぞやのROCK IN JAPAN FES.(2019年)以来に一緒にやってます。都合の良い存在みたいになってますけど(笑)」
と紹介していたが、昨年の夏、藤本がまだ参加する前には辻怜次もベースで参加していただけに、秋山黄色はかなりBenthamのお世話になっているし、こうして複雑化しまくっているリズムの曲を難なく演奏しているあたりからもBenthamというバンドの演奏技術の高さが改めてわかる。Benthamは昨年の夏以降ワンマンをやっていないけれど、こうしてメンバーが演奏しているのを見るとまたワンマンを早く見たくなる。それはきっとこうして秋山黄色のライブを支えてくれることによってバンドに還元できるものがあると思っているから。
さらにはこの中野サンプラザがもうなくなってしまうことにも触れるのだが、かつてデビュー当時にマネージャーと車でこの辺りを通った際に
「あれが中野サンプラザだよ」
とガイドされた時にはまだ「ふーん」という感じだったという。それはまだ小さいライブハウスでばかり活動していた頃だったからこそ、この会場でライブをやるリアリティがなかったということであるが、きっとこれから先にもっとかつては想像も出来なかったであろう場所に立つようになるはず。個人的にも学生時代から何度もいろんなアーティストのライブを観に来た思い入れのある会場であるのだが、その中野サンプラザでの最後の記憶が秋山黄色になるかもしれないというのは実に幸せなことだと思う。
そんな全員が座ってのアコースティックセットでは秋山黄色がライブではおなじみのエレアコギターのボディを叩いたりする音をルーパーで重ねてイントロを作っていくという弾き語りでの経験を生かした多重録音をしようとするのだが、いきなりちゃんとループさせることができずに
「失敗しました(笑)」
と白状。その代わりにというか、この日の模様はなんらかの形で収録されて世の中に出るということで、撮られているということを意識して良い顔をするようにというお達しが。映像作品になるのならば、このミスすらもカットすることなく収録してもらいたいものである。
そうしてやり直してアコースティックで演奏されたのは「夕暮れに映して」。ステージ背面は照明がそのまま薄く光るような白い幕へと切り替わっており、そこにオレンジ色の照明が投影されることによってタイトル通りに夕暮れを思わせるような情景になっていくのであるが、井手上の弾くバンジョーの音色がどこか民族的というか、沖縄を想起させるようなアレンジに感じさせてくれる。この百戦錬磨の器用なライブメンバーたちが揃っているからこそのアコースティックアレンジであるが、それはこれからもいろんな曲にこうして施されていくことになるのだろうか。
その井手上がバンジョーからアコギに持ち替える間に秋山黄色は再び口を開き、
「こうしてライブで聴くことによって、俺の曲に初めて出会った時のことを思い出してくれたりすることもあると思う。初めてライブを見てくれた時のこととか。そういう衝撃を忘れさせないように思いっきり歌う」
と語ってからアコースティックアレンジで演奏されたのは、まさに記憶、思い出をテーマにした曲である「エニーワン・ノスタルジー」。そのMCからの流れが突き刺さるように響いたのは、「From DROPOUT」のリリース前にアルバムのトレーラーが公開されて、その最後に数秒だけ流れたこの曲を聴いただけで「これは凄まじいアルバムになるな」と思った記憶が今でも自分の中に残っているから。それを言葉通りに秋山黄色が呼び起こしてくれたのだ。井手上のギターはもうアコギながらにして完全にエレキのサウンドになっていたり、鈴木が倒しそうなくらいに強い力でシンバルを叩いていたりと、もう全然アコースティックらしからぬ演奏の中で秋山黄色は最後に
「もっと心を込めて!」
と言っていたのは、この曲を演奏する前に
「心の中で歌って欲しい」
と言い、その我々の心の声が聞こえていたからだろうか。
「急に背丈は高くならないよ」
とこの曲で秋山黄色は歌っているが、それでもその存在はリリースするたびに、ツアーをするたびに間違いなく急激にシーンの中でも、ファンそれぞれの中でも大きくなってきている。それをデビューしてから見てきたからこそ、
「子供は子供が仕事さ」
と歌う通りに秋山黄色は子供としての自身の人生を全うしていて、その子供のように急激に成長し続けているんじゃないかとも思う。なんなら「From DROPOUT」がリリースされた時はこうしたアレンジをライブでやるようになるとも思っていなかった。この規模まですぐに来るとは思っていたけれど。
スタッフが再び一斉に出てきてアコースティックの機材や椅子を撤収すると、早くもベースを肩にかけた藤本がイントロのリズムを刻み始める。
「早くやれっていう感じがしてます(笑)」
と秋山黄色は藤本を紹介すると、客席から大きくて温かい拍手が響いた。それはもしかしたらこの日の観客の中にも、藤本がこの中野サンプラザのステージに立つのは赤い公園のラストライブ以来だということを知っていた人も多かったのかもしれない。まだ10代でデビューした時はリーダーに引っ張られるようにバンドをやっていた藤本が、バンドが終わってもこうして1人で音楽を鳴らし続けるようになった。この姿を見てそのリーダーはきっと笑ってくれていると思う。
その藤本のシンプルなベースラインは「Hello my shoes」収録、つまりこうしてライブでやるのは実に久しぶりな「Drown in Twinkle」のものであるのだが、秋山黄色の歌唱力が圧倒的に進化したことによって、曲の持つ切なさや儚さという要素が音から放出されているかのようだ。元から秋山黄色はこの曲などのファルセット歌唱を実に力強く歌いこなせるボーカリストだったが、そこにより感情を込められるようになっていると感じられるというか。それはデビューしてからの様々な経験がそうさせているのだと思うけれど、その今の秋山黄色の歌唱力・表現力で「ドロシー」なども聴いてみたいと思わざるを得ない。
その秋山黄色のファルセットボーカルによって始まるのは「ONE MORE SHABON」の「見て呉れ」なのだが、この最初期の曲からの最新作の曲という流れが、今の秋山黄色の楽曲のリズムがどれだけ複雑なものになっているかということを実感させてくれる。これだけノリづらいというか、体をリズムに合わせようとしてもリズムによってズラされるという、もはやプログレッシブロック的な難解さでありながらも、楽曲から感じられるのは一貫してキャッチーさであるというのはその複雑なリズムすらも秋山黄色のメロディと歌唱が組み合わさればそうしたものになるということを証明しているし、それはこれからの秋山黄色の音楽を象徴するようなものになっていくのかもしれない。
そんな「ONE MORE SHABON」の曲が続くこの後半ではステージ背面に先ほどまでの白い幕に被さるような形で前半に使用された照明を伴ったタイルのような壁が出現するのであるが、その照明が楽曲のイメージをさらに強く表現するように青く光るのは
「虚しいくらいに青青青青」
というフレーズによってサビが締められる「PUPA」であるのだが、この日のMCからも
「なあ 「エンドロールで名前が無い」
よりさあ「イデオロギーがクソつまんない」」
というフレーズは秋山黄色の生き様を示しているかのようであるし、だからこそ秋山黄色も、本人だけでなくその曲を構成する大事なメンバーである井手上もステージ上を暴れ回るようにして音を鳴らしている。秋山黄色の、このメンバーのイデオロギーにつまらなさは1ミリも感じられない。
するとスタッフがステージにキーボードを持ち込み、秋山黄色がそれを弾くのであるが、それは曲間の繋ぎ部分で鳴らされるだけですぐに撤収されてしまい、声を出せなくとも心の中で「使うのここだけ!?」とツッコミを入れてしまいそうになるのであるが、それもまた秋山黄色の自由さを象徴するシーンであると言える。こうした部分はライブごとに変化している部分でもあるだけに、秋山黄色のライブはセトリだけ見ても全てが伝わるわけではないものである。
そんなライブならではのアレンジが追加されたのは春から夏にかけてのフェスでも演奏されていた「アク」。前述のリズムの複雑さの極みとすら言える曲であるが、そこに乗るコーラスはやはりどこまでもキャッチーである。
「限りの中で 命は確かに
叫んでたのさ 正義より正気です
君が持つのならば拳銃も怖くない」
というこの曲のフレーズは聴くたびにハッとさせられるが、だからこそこの曲が今よりもリアリティを持つことのない世の中であって欲しいと思う。
そうした「ONE MORE SHABON」の曲の連発っぷりから、一気に光が射す方へと解放されるように向かっていくように演奏されたのは、実に久しぶりな「サーチライト」。CMのタイアップとしてお茶の間にも流れた曲であるが、そんな必殺と言えるような曲すらも毎回演奏されているわけではないというあたりに秋山黄色の楽曲の揃いっぷり、名曲が生み出されるペースの速さを実感せざるを得ないのであるが、ホールだからこその照明の数の多さと強さがありったけの光をこの曲に与えているし、その光がメンバーにさらに力を与えているかのように4人はとびっきりの笑顔を浮かべながら音を鳴らしている。最後のサビ前でのレゲエ的なリズムの井手上のギターがあるからこそ、その直後のサビの爆発力たるや。秋山黄色と我々の足はもがきながらも前に進んでここまでやってくることができたということを感じさせてくれる。
後半はひたすらに曲と曲を繋げるように演奏していくというのは、秋山黄色の少しオシャレなコードのギターに、タイアップアニメ作品の中の子供たちへの脅威が忍び寄ってきていることを表現しているような井手上のギターが重なってイントロへ連なっていく「アイデンティティ」。
「いろんなタイアップとか広告とかで俺の曲に出会ったっていう人も多いと思うけど」
とこの日秋山黄色は言っていたが、その出会った人の多さという意味ではこの曲が1番多いんじゃないかと思う。それは実際に初見の人がたくさんいるであろうフェスなどでこの曲が演奏された時の観客のリアクションからも感じてきたことであるが、すでに秋山黄色は「この曲の人」からさらに前へ進んでいる。その進化がこの曲をより大きな、強いものとして鳴らしている。どこかこの曲を演奏している時の秋山黄色はタイアップアニメでの脅威であり、ライブタイトルにも使用されている鬼という存在を一蹴できるような巨人のようにすら感じられる。アウトロでのギターを思いっきり振り下ろすようなキメの連発も含めて。
そうして曲が次々に連発されていくだけに、秋山黄色のライブは本当に体感的に一瞬だ。1時間半くらいが15分くらいに、まだライブが始まったばかりというくらいにすら感じられるのであるが、もうここで最後の曲と言われると本当にそう思ってしまうのだ。
ここで秋山黄色は好きな漫画であるという「ブルーピリオド」の
「好きなことを続けること それは「楽しい」だけじゃない」
というセリフを引用するのだが、それは社会人になって本当に痛感することだ。周りの、自分が好きなことを仕事にして夢を叶えたと思っていた人たちが挫折したり絶望したりして次々にその夢だった、好きなことだった仕事を辞めていくのを見てきたから。もしかしたら今は「楽しい」以外の感情がないように見える秋山黄色も音楽を続けていく中でそう感じることがこれから先にあるかもしれないし、実はこれまでにもあったかもしれない。でも
「君たちのことを嫌いな人だっているよ。残念ながら。でも俺の音楽を聴いて、そういう奴らをぶっ飛ばせるように。それは暴力ではなくて」
という言葉が我々に好きなことを追いかけていくこと、好きではないことでも生きていくためにやらなくてはいけないことをやって生きていくための力をくれる。
仕事に行く前に秋山黄色の音楽を聴いていると、このままずっと聴いていたいなとも思うけれども、それは仕事サボって音楽だけ聴いていたいという逃避ではなくて、この音楽を聴いていれば今日も絶対に大丈夫だという全能感を与えてくれる。ぶっ飛ばすんじゃなくて、誰にもぶっ飛ばされないような力を秋山黄色の音楽がくれる。それは最後に演奏された、リリース次に「CDTV ライブ!ライブ!」で空っぽの観覧席に突入して歌っていた「モノローグ」からもそうした力を貰える。こうしてこの曲が最後に演奏されるというのも実に意外なことであったが、「サーチライト」「アイデンティティ」「モノローグ」という最後の流れは、秋山黄色が言っていたように
「俺の音楽を初めて聴いた時の感覚」
を、ここにいた人たちに思いださせるように、この曲で出会った人が多いであろうという曲を最後に連発したんじゃないかと思う。それはその秋山黄色に出会った時や、出会ってからの日々が色褪せないことを示していたかのようであったし、このライブで貰った力がこれからの日々に変わりますように、と願いを込めているかのようですらあった。
アンコールでは秋山黄色がアコギを持ってステージに出てくると、サザエさんのエンディング(今もそうなのか知らないけれど)のように言うアコギを弾きながらメンバーを呼び込むように後ろ向きで歩き、メンバーが行進するように歩いて着いてくるという、本編で出し切った後とは思えないくらいのコミカルな登場の仕方なのだが、早くもベースを肩にかける藤本に
「もうやるの!?(笑)」
と牽制を入れて一度楽器を下ろさせると、ドラムセットに座り込んでステージ上を映すカメラに向かってピースサインをしたりしながら、
「最初に言うべきだったんだけど、ライブ中に体調悪くなったりしたらすぐに周りに伝えてね(笑)俺のライブはみんなちゃんと助けてくれる人ばっかりだから」
と、確かにアンコールで今更言われても、とも思うけれど、言わざるを得ないあたりに秋山黄色の優しさを感じさせると、
「ツアーで各地を回るとその土地で買った楽曲を使ったりして、毎回やることを変えたりしてるんだけど、そうすると「ツアーは毎回同じことやってください」って言われたりして(笑)
うるせぇ、俺に逆らうな!って(笑)最近洗脳が解けてきてるから(笑)」
とファンに従順でいることを促すと、
「ヒロアカの話していい?(笑)」
と、自身の最新曲がテーマ曲に採用されたアニメ「僕のヒーローアカデミア」について、
「自分でアニメの放送見ても実感湧かないというか、3日くらい経ってからようやく「俺の曲がヒロアカで使われてるんだな…」って思ったりするんだけど、そうして決まるまでにはコンペとかいろんな形があって。でも少なからずみんなが俺の曲がヒロアカに合うって言ってくれていたからだと思っている」
と、ずっと漫画を読んできたであろう憧れの作品に自身の曲が使われたことへの感謝を観客に告げるというのが実に秋山黄色らしい。
その話の後に演奏されたのはもちろんその「ヒロアカ」のエンディングテーマとしてオンエアされている「SKETCH」なのだが、ピアノを軸にした、決して勢いよく「行くぞ!」という感じではないサウンドは実にエンディングに見合うものであるのだが、その歌詞が物語開始時は何の存在でもなかった主人公の緑谷出久が最大のライバルであり近い存在である爆豪勝己に抱くもののようでもあり、その爆豪が緑谷が力を持ったことによって自分を追い越そうとしていることに対して抱いているもののようにも感じられる。この曲が書き下ろしなのかはわからないが、間違いなく秋山黄色からの作品への溢れんばかりの愛情を感じさせる。
「君はこんなに綺麗に笑ってたんだよ」
という最後のフレーズを聴いていて溢れ出そうになってしまうものがあるのも、その愛情によってもたらされるものだ。ちなみに自分はヒロアカのキャラだと峯田と耳郎が好きなのだが、秋山黄色があれだけ魅力あるキャラクターがたくさんいる作品の中でどのキャラが好きなのかが気になる。それは今この時代の世の中をこうして生きている我々にとってのヒーローが秋山黄色その人だからだ。それは自分自身が「Hello my shoes」リリースライブの時のレポを秋山黄色本人がリツイートしてくれたのが今でも大きな誇りであり財産であると思うことができているからだが、緑谷がオールマイトに憧れたように、秋山黄色はどんなヒーローに憧れてきたんだろうか。
そしてやはりイントロでセッション的な演奏が繰り広げられると、
「中毒になるくらいの「Caffeine」を最後に聞かせてやる!」
と言って演奏されたのは、こうして最後に演奏されるような曲になるとは思っていなかったけれど、それにふさわしい演奏の爆発力と照明の美しさを伴った「Caffeine」。その爆発力は本人が
「ガソリンは間違いなく消費されるもので…」
と言っていたように残された全てを使い切るようなものであり、最後には秋山黄色はステージに転がり回りながらギターを弾きまくるのであるが、ギターのノイズを発し続けていたのも含めて、それは最初で最後になるであろうこの中野サンプラザのステージに自分が立っていたということを刻みつけるかのようですらあった。体力を使い果たし過ぎたのか、いつものステージを去る時の側転はできずに床をゴロゴロ転がりながら去っていったのは逆に笑ってしまうくらいに面白かったけれど。
秋山黄色は
「会場の規模とかにこだわりはないけれど、使える物資が増えていくのはやっぱり嬉しい」
と、この日のホールならではの照明が使えることを喜んでいた。それはこれから先間違いなくさらに使えるものは増えていく。ホールをこうしてやれたということは、次に立つのはきっと日本武道館であり、大阪城ホールであるから。今の秋山黄色はそこに立つべきライブ力と演出、さらには楽曲の力を間違いなく持っている。こうしてホールでのライブを観ているとそれを実感せざるを得ない。そこで鳴らされた曲を聴くことによって、この日以上に出会った時の衝撃や、出会うことができた喜びを感じることができるはずだ。まだ今年も会える場所も機会もあるけれど、来年にはそこで会えたらいいなって。
1.シャッターチャンス
2.Bottoms call
3.やさぐれカイドー
4.クラッカー・シャドー
5.ソーイングボックス
6.年始のTwilight
7.Night park
8.夕暮れに映して
9.エニーワン・ノスタルジー
10.Drown in Twinkle
11.見て呉れ
12.PUPA
13.アク
14.サーチライト
15.アイデンティティ
16.モノローグ
encore
17.SKETCH
18.Caffeine
ステージはパッと見は実に殺風景というか、ただ機材がセッティングされているだけのようにも見える中、平日にしては早めの18時30分を少し過ぎたあたりで場内が暗転すると、こうしたソロアーティストのライブでは珍しく秋山黄色を先頭にしてメンバーがステージに現れるというのは本人のはやる気持ちによるものなのかもしれない。井手上誠(ギター)と藤本ひかり(ベース)の両サイドは近年固定されているが、バンドの父親的な存在であるドラムの片山タカズミがこの日は不在なこともあり、実に久しぶりにBenthamの鈴木敬が参加。3年前のFINLANDSとの渋谷O-nestでの対バンから何度か秋山黄色のライブを支えてくれている存在であるが、今になって再びこうして参加してくれるようになるとは。
その暗転してメンバーが出てくる時からステージにはストロボの光のような照明が明滅し、それと同時にカメラのシャッターを切るような音が響いていた。つまりそれはそのまま「シャッターチャンス」の開始の合図であるということであるが、秋山黄色はハンドマイクで有線のコードを腕に絡み付けながらステージ上を左右に歩くようにして歌い、井手上は早くも客席に向かって右腕を高く掲げる。ステージはやはり殺風景と言えるくらいにシンプルなままであるが、観客はサビで腕を伸ばすと、秋山黄色のカウントのとおりに指を「4,3,2,1」と動かす。そこにはこのライブを待ち望んでいたという客席側の思いが爆発しているように見えるし、秋山黄色自身も曲最後の
「吐き出してみてよ 大きな声で」
というフレーズを自ら実践するかのように体全体を使って思いっきり叫ぶ。シャドーボクシングをするかのように腕を振るう瞬間もあっただけに、かつては40分くらいの持ち時間でもアンコールができないくらいに体力がない、引きこもりそのものだった男は今やこうしてライブで己の肉体とそこに宿っている体力をフルに駆使するライブをするようなアーティストになったのである。
その「シャッターチャンス」のアウトロで秋山黄色がギターを背負うと、井手上がこのホールの広いステージを左右に幅広く使う「Bottoms call」へ。秋山黄色の言葉遊び的な歌詞も実に面白い曲であるが、この絶妙に乗りにくいようなリズムにキャッチーなギターロック的なメロディーが乗っているというのは「FIZZY POP SYNDROME」にすでに「ONE MORE SHABON」に至る片鱗があったということでもある。
すると井手上のギターがあの象徴的なリフを鳴らすのは、この序盤でのまさかの「やさぐれカイドー」。ここでステージ背面にはホールでのライブらしく、電飾を伴ったタイル的なパネルが出てきて曲に鮮やかな色彩を与えるのであるが、イントロでセッション的な演奏が追加されるというのは秋山黄色の、音源を聴いているだけとは全く違うライブの醍醐味でもあるけれど、この日は間奏でMCを挟んだり、近年のライブでは恒例になりつつある、秋山黄色がステージ最前に寝転んでギターを客席に投げ出すようにして弾くというようなパフォーマンスもなく、割とスッキリしたと言えるような形のアレンジで演奏されたのはやはりこの曲が最後を担う流れではないからだろうか。それでもやはりアウトロでは井手上だけならず藤本も、もちろん秋山黄色本人も暴れるように演奏しているというのはこの曲を演奏することによって生じる衝動が確かにあるということである。それはステージ上だけではなくて、我々客席にいる側もそうである。
すると秋山黄色がいつものように軽めな、しかし挨拶だけには止まらないような
「1人で来てる人もいるだろうし、遠くから1人でライブに来てくれるような人も俺のライブにはいるんですよ。友達と一緒に来たっていう人はそれをアピールしていいですし、1人で来たっていう人もいろんな思いを持って来てくれてると思うんで、何も気にしないで楽しんでもらえるようなライブをやりたいと思ってますので。
何より人の目を気にするっていうのが1番くだらないことだと思うんで、声出せないとかのルールはありますけど、人目を気にせずに思いっきり楽しんでくれたらと思います!」
とテンション高く話すのも、このライブを自身が楽しみにしていたからこそだろうし、秋山黄色はこうして音を鳴らすこと、ライブをやることを
「僕も365日休みで、毎日遊んでるようなものなんで(笑)」
と口にしていた。だからこそ秋山黄色のライブはこんなにも自身が解放されているように見えるのだろうし、その姿を見ている我々を楽しくさせてくれるのだなと思う。
ここまでの冒頭3曲だけでもわかる通りに、このライブは特に何かのリリースを受けてのものではない。「ONE MORE SHABON」のアルバムのリリースツアーもすでに終えているからこその自由度の高さであるが、それはそのアルバムツアーでは演奏されず、あまつさえ
「もう今までやり過ぎて飽きてる(笑)」
とすら言わしめた「クラッカー・シャドー」が演奏されたことからもわかる。
「欠けた 心とは裏腹に
また蝋燭が増える 3月だ」
というフレーズは3月生まれ、ましてや結果的に東日本大震災が起こった日に生まれたという業を背負ってしまったこの男か歌うからこそ、誕生日がただめでたいだけの日ではないということを痛感させられるものでもある。井手上が手拍子をするのが観客に広がっていくという光景が見れることも含めて、やはりこうしてライブで聴くことができるというのは嬉しいことであるし、そんな歌詞の重さを重く捉えずに聴くことができるというのは1人で家にこもって音楽を作り続けてきながらもポジティブさしか感じないような根アカオタクの秋山黄色のキャラクターによるものだろう。
そんな秋山黄色は「ONE MORE SHABON」を今年初頭にリリースした後にも早くも新曲を配信リリースしており、その夏フェスでも披露されていた「ソーイングボックス」もワンマンではこの前半に演奏されるのであるが、ピアノを同期で取り入れたこの曲はサウンド的にはソーイングボックスというよりは秋山黄色のオモチャ箱と言えるようなキャッチーさを持った曲だ。秋山黄色はライブではエフェクトをかけた自身の声を重ねたりしているが、それを抜きにしてもこうした「ONE MORE SHABON」の延長線上と言っていいようなタイプの曲が、本人の歌唱力もこの規模にふさわしいものになっていることを実感させてくれる。
そのアウトロからイントロにそのまま繋がるようなアレンジの演奏を、
「聴き慣れないと思うけれど、新曲です!」
と紹介したのは来るべき次のシングル盤のカップリングに収録されるという「年始のTwilight」。秋山黄色がハンドマイクで歌うという姿からもわかるように、ヒップホップ的な歌唱で
「あけおめことよろ」
などのリズミカルな歌詞が次々に口から放たれ、藤本がコーラスを重ねるというのも新境地と言える曲だ。すでに大阪でも聴いた人もいたのか、サビで一気に開けるようにギターとベースアンプの裏に設置されたミラーボールが輝きを放って回り、それに合わせて数人が腕を掲げるとそれがどんどん広がっていく。それくらいに訴求力がある曲だということを示す光景でもあるだけに、早くその歌詞をじっくり見ながら聴きたい曲でもある。
この日は雨が降っていたということもあってか、入場時からすでに近辺は暗くなっていたのであるが、その情景が中野駅前の広場と言ってもいいこの会場の前でスケボーをするような若者のテーマソングのようにも聴こえるのが「Night park」。秋山黄色は身振り手振りで歌詞を表現するようにハンドマイクで歌うのであるが、サビまでは同期のリズムとサウンドだけなのがサビでバンドサウンドになり、それに合わせるように一気に鮮やかにステージを照らし出すホールならではの照明も実に見事である。
この曲でも象徴的なように、秋山黄色の特に「ONE MORE SHABON」以降の曲にはこうした「ライブにキーボードメンバー入れないんだろうか?」とか「同期の音だとライブ感なくならないだろうか」みたいに思うような曲もあるのだが、実際にこうしてライブを見ると全くそうは思わなくなる。それはその同期の音も音源をそのまま垂れ流してカラオケ的に歌うというのではなくて、あくまでライブの音として鳴っていて、それがメンバーの鳴らす生音と融合させることができているからだ。それをきっと秋山黄色は計算してというか意識的にというよりは無自覚でやっているというのがこの男の恐ろしいところである。
するとスタッフが袖から一斉に出てきて椅子をステージに置いたり機材を替えたりという転換が行われる。それは実に珍しいアコースティックセットへのチェンジとなり、その編成ではカホンやウインドチャイムを鳴らす鈴木を秋山黄色は
「いつぞやのROCK IN JAPAN FES.(2019年)以来に一緒にやってます。都合の良い存在みたいになってますけど(笑)」
と紹介していたが、昨年の夏、藤本がまだ参加する前には辻怜次もベースで参加していただけに、秋山黄色はかなりBenthamのお世話になっているし、こうして複雑化しまくっているリズムの曲を難なく演奏しているあたりからもBenthamというバンドの演奏技術の高さが改めてわかる。Benthamは昨年の夏以降ワンマンをやっていないけれど、こうしてメンバーが演奏しているのを見るとまたワンマンを早く見たくなる。それはきっとこうして秋山黄色のライブを支えてくれることによってバンドに還元できるものがあると思っているから。
さらにはこの中野サンプラザがもうなくなってしまうことにも触れるのだが、かつてデビュー当時にマネージャーと車でこの辺りを通った際に
「あれが中野サンプラザだよ」
とガイドされた時にはまだ「ふーん」という感じだったという。それはまだ小さいライブハウスでばかり活動していた頃だったからこそ、この会場でライブをやるリアリティがなかったということであるが、きっとこれから先にもっとかつては想像も出来なかったであろう場所に立つようになるはず。個人的にも学生時代から何度もいろんなアーティストのライブを観に来た思い入れのある会場であるのだが、その中野サンプラザでの最後の記憶が秋山黄色になるかもしれないというのは実に幸せなことだと思う。
そんな全員が座ってのアコースティックセットでは秋山黄色がライブではおなじみのエレアコギターのボディを叩いたりする音をルーパーで重ねてイントロを作っていくという弾き語りでの経験を生かした多重録音をしようとするのだが、いきなりちゃんとループさせることができずに
「失敗しました(笑)」
と白状。その代わりにというか、この日の模様はなんらかの形で収録されて世の中に出るということで、撮られているということを意識して良い顔をするようにというお達しが。映像作品になるのならば、このミスすらもカットすることなく収録してもらいたいものである。
そうしてやり直してアコースティックで演奏されたのは「夕暮れに映して」。ステージ背面は照明がそのまま薄く光るような白い幕へと切り替わっており、そこにオレンジ色の照明が投影されることによってタイトル通りに夕暮れを思わせるような情景になっていくのであるが、井手上の弾くバンジョーの音色がどこか民族的というか、沖縄を想起させるようなアレンジに感じさせてくれる。この百戦錬磨の器用なライブメンバーたちが揃っているからこそのアコースティックアレンジであるが、それはこれからもいろんな曲にこうして施されていくことになるのだろうか。
その井手上がバンジョーからアコギに持ち替える間に秋山黄色は再び口を開き、
「こうしてライブで聴くことによって、俺の曲に初めて出会った時のことを思い出してくれたりすることもあると思う。初めてライブを見てくれた時のこととか。そういう衝撃を忘れさせないように思いっきり歌う」
と語ってからアコースティックアレンジで演奏されたのは、まさに記憶、思い出をテーマにした曲である「エニーワン・ノスタルジー」。そのMCからの流れが突き刺さるように響いたのは、「From DROPOUT」のリリース前にアルバムのトレーラーが公開されて、その最後に数秒だけ流れたこの曲を聴いただけで「これは凄まじいアルバムになるな」と思った記憶が今でも自分の中に残っているから。それを言葉通りに秋山黄色が呼び起こしてくれたのだ。井手上のギターはもうアコギながらにして完全にエレキのサウンドになっていたり、鈴木が倒しそうなくらいに強い力でシンバルを叩いていたりと、もう全然アコースティックらしからぬ演奏の中で秋山黄色は最後に
「もっと心を込めて!」
と言っていたのは、この曲を演奏する前に
「心の中で歌って欲しい」
と言い、その我々の心の声が聞こえていたからだろうか。
「急に背丈は高くならないよ」
とこの曲で秋山黄色は歌っているが、それでもその存在はリリースするたびに、ツアーをするたびに間違いなく急激にシーンの中でも、ファンそれぞれの中でも大きくなってきている。それをデビューしてから見てきたからこそ、
「子供は子供が仕事さ」
と歌う通りに秋山黄色は子供としての自身の人生を全うしていて、その子供のように急激に成長し続けているんじゃないかとも思う。なんなら「From DROPOUT」がリリースされた時はこうしたアレンジをライブでやるようになるとも思っていなかった。この規模まですぐに来るとは思っていたけれど。
スタッフが再び一斉に出てきてアコースティックの機材や椅子を撤収すると、早くもベースを肩にかけた藤本がイントロのリズムを刻み始める。
「早くやれっていう感じがしてます(笑)」
と秋山黄色は藤本を紹介すると、客席から大きくて温かい拍手が響いた。それはもしかしたらこの日の観客の中にも、藤本がこの中野サンプラザのステージに立つのは赤い公園のラストライブ以来だということを知っていた人も多かったのかもしれない。まだ10代でデビューした時はリーダーに引っ張られるようにバンドをやっていた藤本が、バンドが終わってもこうして1人で音楽を鳴らし続けるようになった。この姿を見てそのリーダーはきっと笑ってくれていると思う。
その藤本のシンプルなベースラインは「Hello my shoes」収録、つまりこうしてライブでやるのは実に久しぶりな「Drown in Twinkle」のものであるのだが、秋山黄色の歌唱力が圧倒的に進化したことによって、曲の持つ切なさや儚さという要素が音から放出されているかのようだ。元から秋山黄色はこの曲などのファルセット歌唱を実に力強く歌いこなせるボーカリストだったが、そこにより感情を込められるようになっていると感じられるというか。それはデビューしてからの様々な経験がそうさせているのだと思うけれど、その今の秋山黄色の歌唱力・表現力で「ドロシー」なども聴いてみたいと思わざるを得ない。
その秋山黄色のファルセットボーカルによって始まるのは「ONE MORE SHABON」の「見て呉れ」なのだが、この最初期の曲からの最新作の曲という流れが、今の秋山黄色の楽曲のリズムがどれだけ複雑なものになっているかということを実感させてくれる。これだけノリづらいというか、体をリズムに合わせようとしてもリズムによってズラされるという、もはやプログレッシブロック的な難解さでありながらも、楽曲から感じられるのは一貫してキャッチーさであるというのはその複雑なリズムすらも秋山黄色のメロディと歌唱が組み合わさればそうしたものになるということを証明しているし、それはこれからの秋山黄色の音楽を象徴するようなものになっていくのかもしれない。
そんな「ONE MORE SHABON」の曲が続くこの後半ではステージ背面に先ほどまでの白い幕に被さるような形で前半に使用された照明を伴ったタイルのような壁が出現するのであるが、その照明が楽曲のイメージをさらに強く表現するように青く光るのは
「虚しいくらいに青青青青」
というフレーズによってサビが締められる「PUPA」であるのだが、この日のMCからも
「なあ 「エンドロールで名前が無い」
よりさあ「イデオロギーがクソつまんない」」
というフレーズは秋山黄色の生き様を示しているかのようであるし、だからこそ秋山黄色も、本人だけでなくその曲を構成する大事なメンバーである井手上もステージ上を暴れ回るようにして音を鳴らしている。秋山黄色の、このメンバーのイデオロギーにつまらなさは1ミリも感じられない。
するとスタッフがステージにキーボードを持ち込み、秋山黄色がそれを弾くのであるが、それは曲間の繋ぎ部分で鳴らされるだけですぐに撤収されてしまい、声を出せなくとも心の中で「使うのここだけ!?」とツッコミを入れてしまいそうになるのであるが、それもまた秋山黄色の自由さを象徴するシーンであると言える。こうした部分はライブごとに変化している部分でもあるだけに、秋山黄色のライブはセトリだけ見ても全てが伝わるわけではないものである。
そんなライブならではのアレンジが追加されたのは春から夏にかけてのフェスでも演奏されていた「アク」。前述のリズムの複雑さの極みとすら言える曲であるが、そこに乗るコーラスはやはりどこまでもキャッチーである。
「限りの中で 命は確かに
叫んでたのさ 正義より正気です
君が持つのならば拳銃も怖くない」
というこの曲のフレーズは聴くたびにハッとさせられるが、だからこそこの曲が今よりもリアリティを持つことのない世の中であって欲しいと思う。
そうした「ONE MORE SHABON」の曲の連発っぷりから、一気に光が射す方へと解放されるように向かっていくように演奏されたのは、実に久しぶりな「サーチライト」。CMのタイアップとしてお茶の間にも流れた曲であるが、そんな必殺と言えるような曲すらも毎回演奏されているわけではないというあたりに秋山黄色の楽曲の揃いっぷり、名曲が生み出されるペースの速さを実感せざるを得ないのであるが、ホールだからこその照明の数の多さと強さがありったけの光をこの曲に与えているし、その光がメンバーにさらに力を与えているかのように4人はとびっきりの笑顔を浮かべながら音を鳴らしている。最後のサビ前でのレゲエ的なリズムの井手上のギターがあるからこそ、その直後のサビの爆発力たるや。秋山黄色と我々の足はもがきながらも前に進んでここまでやってくることができたということを感じさせてくれる。
後半はひたすらに曲と曲を繋げるように演奏していくというのは、秋山黄色の少しオシャレなコードのギターに、タイアップアニメ作品の中の子供たちへの脅威が忍び寄ってきていることを表現しているような井手上のギターが重なってイントロへ連なっていく「アイデンティティ」。
「いろんなタイアップとか広告とかで俺の曲に出会ったっていう人も多いと思うけど」
とこの日秋山黄色は言っていたが、その出会った人の多さという意味ではこの曲が1番多いんじゃないかと思う。それは実際に初見の人がたくさんいるであろうフェスなどでこの曲が演奏された時の観客のリアクションからも感じてきたことであるが、すでに秋山黄色は「この曲の人」からさらに前へ進んでいる。その進化がこの曲をより大きな、強いものとして鳴らしている。どこかこの曲を演奏している時の秋山黄色はタイアップアニメでの脅威であり、ライブタイトルにも使用されている鬼という存在を一蹴できるような巨人のようにすら感じられる。アウトロでのギターを思いっきり振り下ろすようなキメの連発も含めて。
そうして曲が次々に連発されていくだけに、秋山黄色のライブは本当に体感的に一瞬だ。1時間半くらいが15分くらいに、まだライブが始まったばかりというくらいにすら感じられるのであるが、もうここで最後の曲と言われると本当にそう思ってしまうのだ。
ここで秋山黄色は好きな漫画であるという「ブルーピリオド」の
「好きなことを続けること それは「楽しい」だけじゃない」
というセリフを引用するのだが、それは社会人になって本当に痛感することだ。周りの、自分が好きなことを仕事にして夢を叶えたと思っていた人たちが挫折したり絶望したりして次々にその夢だった、好きなことだった仕事を辞めていくのを見てきたから。もしかしたら今は「楽しい」以外の感情がないように見える秋山黄色も音楽を続けていく中でそう感じることがこれから先にあるかもしれないし、実はこれまでにもあったかもしれない。でも
「君たちのことを嫌いな人だっているよ。残念ながら。でも俺の音楽を聴いて、そういう奴らをぶっ飛ばせるように。それは暴力ではなくて」
という言葉が我々に好きなことを追いかけていくこと、好きではないことでも生きていくためにやらなくてはいけないことをやって生きていくための力をくれる。
仕事に行く前に秋山黄色の音楽を聴いていると、このままずっと聴いていたいなとも思うけれども、それは仕事サボって音楽だけ聴いていたいという逃避ではなくて、この音楽を聴いていれば今日も絶対に大丈夫だという全能感を与えてくれる。ぶっ飛ばすんじゃなくて、誰にもぶっ飛ばされないような力を秋山黄色の音楽がくれる。それは最後に演奏された、リリース次に「CDTV ライブ!ライブ!」で空っぽの観覧席に突入して歌っていた「モノローグ」からもそうした力を貰える。こうしてこの曲が最後に演奏されるというのも実に意外なことであったが、「サーチライト」「アイデンティティ」「モノローグ」という最後の流れは、秋山黄色が言っていたように
「俺の音楽を初めて聴いた時の感覚」
を、ここにいた人たちに思いださせるように、この曲で出会った人が多いであろうという曲を最後に連発したんじゃないかと思う。それはその秋山黄色に出会った時や、出会ってからの日々が色褪せないことを示していたかのようであったし、このライブで貰った力がこれからの日々に変わりますように、と願いを込めているかのようですらあった。
アンコールでは秋山黄色がアコギを持ってステージに出てくると、サザエさんのエンディング(今もそうなのか知らないけれど)のように言うアコギを弾きながらメンバーを呼び込むように後ろ向きで歩き、メンバーが行進するように歩いて着いてくるという、本編で出し切った後とは思えないくらいのコミカルな登場の仕方なのだが、早くもベースを肩にかける藤本に
「もうやるの!?(笑)」
と牽制を入れて一度楽器を下ろさせると、ドラムセットに座り込んでステージ上を映すカメラに向かってピースサインをしたりしながら、
「最初に言うべきだったんだけど、ライブ中に体調悪くなったりしたらすぐに周りに伝えてね(笑)俺のライブはみんなちゃんと助けてくれる人ばっかりだから」
と、確かにアンコールで今更言われても、とも思うけれど、言わざるを得ないあたりに秋山黄色の優しさを感じさせると、
「ツアーで各地を回るとその土地で買った楽曲を使ったりして、毎回やることを変えたりしてるんだけど、そうすると「ツアーは毎回同じことやってください」って言われたりして(笑)
うるせぇ、俺に逆らうな!って(笑)最近洗脳が解けてきてるから(笑)」
とファンに従順でいることを促すと、
「ヒロアカの話していい?(笑)」
と、自身の最新曲がテーマ曲に採用されたアニメ「僕のヒーローアカデミア」について、
「自分でアニメの放送見ても実感湧かないというか、3日くらい経ってからようやく「俺の曲がヒロアカで使われてるんだな…」って思ったりするんだけど、そうして決まるまでにはコンペとかいろんな形があって。でも少なからずみんなが俺の曲がヒロアカに合うって言ってくれていたからだと思っている」
と、ずっと漫画を読んできたであろう憧れの作品に自身の曲が使われたことへの感謝を観客に告げるというのが実に秋山黄色らしい。
その話の後に演奏されたのはもちろんその「ヒロアカ」のエンディングテーマとしてオンエアされている「SKETCH」なのだが、ピアノを軸にした、決して勢いよく「行くぞ!」という感じではないサウンドは実にエンディングに見合うものであるのだが、その歌詞が物語開始時は何の存在でもなかった主人公の緑谷出久が最大のライバルであり近い存在である爆豪勝己に抱くもののようでもあり、その爆豪が緑谷が力を持ったことによって自分を追い越そうとしていることに対して抱いているもののようにも感じられる。この曲が書き下ろしなのかはわからないが、間違いなく秋山黄色からの作品への溢れんばかりの愛情を感じさせる。
「君はこんなに綺麗に笑ってたんだよ」
という最後のフレーズを聴いていて溢れ出そうになってしまうものがあるのも、その愛情によってもたらされるものだ。ちなみに自分はヒロアカのキャラだと峯田と耳郎が好きなのだが、秋山黄色があれだけ魅力あるキャラクターがたくさんいる作品の中でどのキャラが好きなのかが気になる。それは今この時代の世の中をこうして生きている我々にとってのヒーローが秋山黄色その人だからだ。それは自分自身が「Hello my shoes」リリースライブの時のレポを秋山黄色本人がリツイートしてくれたのが今でも大きな誇りであり財産であると思うことができているからだが、緑谷がオールマイトに憧れたように、秋山黄色はどんなヒーローに憧れてきたんだろうか。
そしてやはりイントロでセッション的な演奏が繰り広げられると、
「中毒になるくらいの「Caffeine」を最後に聞かせてやる!」
と言って演奏されたのは、こうして最後に演奏されるような曲になるとは思っていなかったけれど、それにふさわしい演奏の爆発力と照明の美しさを伴った「Caffeine」。その爆発力は本人が
「ガソリンは間違いなく消費されるもので…」
と言っていたように残された全てを使い切るようなものであり、最後には秋山黄色はステージに転がり回りながらギターを弾きまくるのであるが、ギターのノイズを発し続けていたのも含めて、それは最初で最後になるであろうこの中野サンプラザのステージに自分が立っていたということを刻みつけるかのようですらあった。体力を使い果たし過ぎたのか、いつものステージを去る時の側転はできずに床をゴロゴロ転がりながら去っていったのは逆に笑ってしまうくらいに面白かったけれど。
秋山黄色は
「会場の規模とかにこだわりはないけれど、使える物資が増えていくのはやっぱり嬉しい」
と、この日のホールならではの照明が使えることを喜んでいた。それはこれから先間違いなくさらに使えるものは増えていく。ホールをこうしてやれたということは、次に立つのはきっと日本武道館であり、大阪城ホールであるから。今の秋山黄色はそこに立つべきライブ力と演出、さらには楽曲の力を間違いなく持っている。こうしてホールでのライブを観ているとそれを実感せざるを得ない。そこで鳴らされた曲を聴くことによって、この日以上に出会った時の衝撃や、出会うことができた喜びを感じることができるはずだ。まだ今年も会える場所も機会もあるけれど、来年にはそこで会えたらいいなって。
1.シャッターチャンス
2.Bottoms call
3.やさぐれカイドー
4.クラッカー・シャドー
5.ソーイングボックス
6.年始のTwilight
7.Night park
8.夕暮れに映して
9.エニーワン・ノスタルジー
10.Drown in Twinkle
11.見て呉れ
12.PUPA
13.アク
14.サーチライト
15.アイデンティティ
16.モノローグ
encore
17.SKETCH
18.Caffeine
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