当時山本氏が2ちゃんねる内で中心的な人物であったなら十分あり得ると思うのですが、いかんせん当時のネットの状況というのがよくわかりません。教えて下さい。もちろん、その仮説は違う、実はこうだという意見でも構いません。異説でも構いません。ただ純粋にどうだったのか知りたいです。教えて下さい。
ちょっと過去のあめぞうと2ちゃんねるを知っている方の記事を検索してみました。
http://ikketushugi.info/blog/archives/953
あそこが「下品」なのは、元々です。
「2ちゃんねる」を創設した西村ひろゆき氏はそもそも「あめぞう掲示板」の常連で、他の常連を半ば騙すような感じで「2ちゃんねる」を立ち上げ、広告し、最終的には「あめぞう」の常連と大喧嘩をやって出て行ったという経緯が会って、「あめぞう」自体が非常に「下品」(と言うよりも鉄火場的な)な書き込みを許す雰囲気が強かったと言うあたりがあります。
このあたりは、「教科書にでないインターネットの歴史」と言う2003年あたりにでた「ばるぼら」氏編著の書籍に詳細に描かれています。
まだ絶版にはなっていないと思いますので、興味がありましたら何らかの形でお読みいただけると状況把握に役立つかと思います。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10054554992.html
ずっと以前、あめぞうに書き込みを行っていた頃、たぶん2000年以前と思うが、今の掲示板と雰囲気が異なっていたように思う。当時のあめぞうでは、1つスレッドが立つと、レスが数個からせいぜい20個くらいしかつかなかった。しかしそのレスは非常に考慮されて書かれており、1つだけでも完結していたのである。駄レスの入り込む余地はなく、まさに職人芸で、そのスレッドはある意味、芸術品と言えた。
掲示板といえば、ヤフーと2ちゃんねるであるが、ヤフー掲示板は、当時からきわめて使い勝手が悪かったので、2ちゃんねるの方がよりアングラであるが面白さでは断然上回っていた。2ちゃんねるはたぶんあめぞうに由来すると思うが、初期にあめぞうの雰囲気をよりカジュアルにし、駄レスもOKという敷居をずっと低くしたところが新しい点だったと思う。これは西村氏の功績と思われる。
過去を知る方の回顧記事を読む限りでは、
あめぞう時代の掲示板群も、2ちゃんねると大差ない雰囲気ではあったが、
吟味し考慮された文章も多かったようです。
(ただ、2ちゃんねるでも板やスレッドによって雰囲気が全く違い、
熟考された文章での会話が成り立っているスレッドも多々あります)
で、あめぞう時代のログも多数残っているそうなので
探してみました。
やっぱり2ちゃんねると変わらないかも、というのが自分の感想でした。
今、時間があまりないので駆け込みで回答します。すいません。
2ちゃんねるがあめぞうの避難所として開設されたのが1999年、
切込隊長がひろゆき氏とであったのが2000年ですね。
自分が始めて2ちゃんねるを知ったのがやはり2000年ですが、
すでに「偽悪的または露悪的な雰囲気」はありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%BE%BC%E9%9A%8A%E9%95%B...
あめぞう時代のことを自分は知らないのですが、
多分、あめぞうの頃からその雰囲気はあったと思います。
…というか、アングラ臭のするサイト全般にありました。
(当時、アングラサイトというものが
今よりも多く、潜伏する形で多数存在しましたが、
2ちゃんねるの雰囲気と似たようなものでした)
なのでおそらく切込隊長の影響を受けたのではなく、
当時のアングラサイト全般の雰囲気を受け継いでいるものと思われます。
まず、2ch以前の世界について
じっさいのところ、Fjなり商用パソコン通信(NIFTYとか)なりRBBSなり草の根BBSにせよ
全部ログなり電話番号なり住所がホストにばれる環境でも、喧嘩ばっちこいな リアルコミニュケーション力ゼロの
ひきこもりが暗躍する世界でした。
#まぁ niftyの課金に耐えられるぐらいの金持ちなり、 昼間っから会社名背負ってfjで暴れたりできる
環境にいるだけで notリア充でしょう(偏見) まぁでも実際にオフ会とかでもブットンダ奴が多くて面白かった気がします(ソースは俺(あこれは2ch語だ いやだな)
それに対して
↓
↓
↓
あめぞうとか じあんとか なみかれとかは、はじめて腐れどもが
テレホタイムなら定額で 朝まで プロキシ経由(ここが重要)でなんでも書けたので
さらにタガが外れた偽悪的な雰囲気が醸造されたのだと思います。
#今だと2chから人気があるスレッドを紹介するのは普通ですが、
当時の人気個人サイトからは
「俺通(俺のパソコン通信してる友達)が○○○ってサイトを見てて こんなネタが」
と、絶対に自分が見てるという事はぼかして紹介しないとヤバイネタ元掲示板があったのですよ...
その点、2chは使いやすいんでしょうね(ここ独自研究ですよ うんこっこ)
表サイトで言及しただけで処刑されるって 今考えると相当ですが・・・
人間にとって、何か特定の対象についてあーだこーだ言うのは非常に楽しいことなんですね。それは、評価を下す人間になることによって、自分が対象よりも上だ、という優越感を得ることができるから、というのが大きな理由の一つだと思います。
その最たるものが悪口。
悪口を言うのが楽しいというのは、建前上は決して言えませんが、本当は楽しいですよね。ただ顔の見える場所で悪口を言い合うのは、
①相手が寝返って悪口の対象に告げ口する
②相手も一緒に悪口を言っているが、表面上合わせているだけで心の中では同意していない
③悪口はいけないこと、という社会的な道徳がある
……などなど、人格を疑われたり人望をなくしたりするリスクが多くあります。そんなリスクを負わずに優越感を得られる方策として、2ちゃんがあるのではないかと思います。
ちょっと過去のあめぞうと2ちゃんねるを知っている方の記事を検索してみました。
http://ikketushugi.info/blog/archives/953
あそこが「下品」なのは、元々です。
「2ちゃんねる」を創設した西村ひろゆき氏はそもそも「あめぞう掲示板」の常連で、他の常連を半ば騙すような感じで「2ちゃんねる」を立ち上げ、広告し、最終的には「あめぞう」の常連と大喧嘩をやって出て行ったという経緯が会って、「あめぞう」自体が非常に「下品」(と言うよりも鉄火場的な)な書き込みを許す雰囲気が強かったと言うあたりがあります。
このあたりは、「教科書にでないインターネットの歴史」と言う2003年あたりにでた「ばるぼら」氏編著の書籍に詳細に描かれています。
まだ絶版にはなっていないと思いますので、興味がありましたら何らかの形でお読みいただけると状況把握に役立つかと思います。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10054554992.html
ずっと以前、あめぞうに書き込みを行っていた頃、たぶん2000年以前と思うが、今の掲示板と雰囲気が異なっていたように思う。当時のあめぞうでは、1つスレッドが立つと、レスが数個からせいぜい20個くらいしかつかなかった。しかしそのレスは非常に考慮されて書かれており、1つだけでも完結していたのである。駄レスの入り込む余地はなく、まさに職人芸で、そのスレッドはある意味、芸術品と言えた。
掲示板といえば、ヤフーと2ちゃんねるであるが、ヤフー掲示板は、当時からきわめて使い勝手が悪かったので、2ちゃんねるの方がよりアングラであるが面白さでは断然上回っていた。2ちゃんねるはたぶんあめぞうに由来すると思うが、初期にあめぞうの雰囲気をよりカジュアルにし、駄レスもOKという敷居をずっと低くしたところが新しい点だったと思う。これは西村氏の功績と思われる。
過去を知る方の回顧記事を読む限りでは、
あめぞう時代の掲示板群も、2ちゃんねると大差ない雰囲気ではあったが、
吟味し考慮された文章も多かったようです。
(ただ、2ちゃんねるでも板やスレッドによって雰囲気が全く違い、
熟考された文章での会話が成り立っているスレッドも多々あります)
で、あめぞう時代のログも多数残っているそうなので
探してみました。
やっぱり2ちゃんねると変わらないかも、というのが自分の感想でした。
こんばんは。
歴史については、他の方の回答が充実していますので、私は2点補足資料を提出しますね。よろしければご覧ください。
①
心象殺伐@2ch : ひろゆき@オープンSNS 左記より引用
パターン2
Aさん「HDDの残り容量の調べ方を教えれ」
Bさん「df」
②
①の引用部分については、独特な雰囲気を運営者が説明したともとれるかなと、私は読みました。②については山本氏の資料です。私も直接は当時の雰囲気を知らないのですが、こうした資料からも垣間見えるかな、と考え紹介させていただきました。どちらもご存じでしたらすみません。
以上、参考になれば幸いです。
回答ありがとうございます。切込隊長が2ちゃんねるに入る前からそういう雰囲気はあったのですか。私の仮説は外れていたのですね。あめぞう時代のこととかももっと詳しくわかればいいのですが。まだしばらく質問を終了するつもりはありませんので、また何かわかりましたらお願いします。